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メメント
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コメント・書評 |
ハードルはどこまで低くなるのか、その時私は?
空蝉
Nov 10, 2008 9:28:01 AM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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毎度タブー視されがちな問題に切り込む森氏だが、今回は誰もが必ず辿り着く「死」がテーマだ。氏の公私踏まえた日常にチラチラと影を見せる死、それは飼い犬の話しであったり取材先タイでの出来事だったり、本の些細な日常茶飯事に潜んだものだったり・・・時も場所も選ばぬコラム集といった感じだが、なといっても死はいつどこで降りかかるか解らない絶対不可避のイベントなのだ。これでよいのだろう。 自殺に他殺、自死(アポトーシス)に壊死(ネクローシス)、事故死に自然死・・・様々な形が死にはあるが私たちの脅威となるのは故意の死だ。 自殺に他殺に殉死etc。故意の死を迎えた(与えた)彼らは死へのハードルが低いのだと嘆かれる。つまり死は飛び越え乗り越える障害物であり、逆に言えば可能とするための条件が彼らには備わっていたということになる。 ハードルを飛ぶためのスピードや筋力に代わる、死を乗り越えるための必要条件、それは覚悟、思想、宗教、哲学・・・なのかもしれない。 しかし私たちはどうだろう?この中途半端に平和ボケした日本で、条件を揃える努力をせず、死のハードルを低くすることで温く日々を過ごしているのではないか。 死というハードルに対峙しどう向き合っていくべきか、常に問い続けてきたはずの人間の歴史は、この日本で急激に崩壊している気がしてならない。 森氏が本作の中で幾度となく警告しているのは、敵や不安に怯えた集団心理と、その不安から逃れるために求め配信されたメディアによる単純化した報道と、そうして引き起こされる集団恐怖による暴走(スタンピート)だ。 「自らの死へのハードルの低下は、当然ながら他者の死へのハードルをも低下させる。・・・オウムのポアだってこれに該当する」 死へのハードルだけではない。リアルな世界のリアルな出来事への敷居を低くしてはいけない。どんなに高くともどれほど恐ろしくとも、個々がそれらに向き合い手探りで掴み取らなくてはならないのだ。なにしろ私たちは既に、そこに立って暮らしているのだから。
本書は少々こじつけに思えるくらい関係ないところから「死」を引っ張り出してきている感じもあるが、それでもいい。死は日常にどこにでも存在しうるのだというその事実を、本書はその構成自体をもって証明しているのだから。
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