コメント・書評 |
お笑い芸人の本だからと侮ってはいけない、よく練られた連作短編集。
YO-SHI
Nov 3, 2008 2:37:30 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★
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お笑い芸人の本だからと言って侮ってはいけない。この本は連作短編集としてよく練られている。ホームレスの人が放つ「自由の匂い」に魅かれて、試しに新宿の公園で暮らし始めた会社員を主人公とした「道草」など、5つの短編からなる。 「よく練られた」とした理由は2つある。1つは、短編のそれぞれにちゃんとオチがあることだ。どんなオチかを言ってしまうわけにはいかないが、あっさりした品のあるオチだ。落語や漫才のオチに通じると感じたのは、著者の職業を知っているための先入観かもしれない。 もう1つは、連作短編集として、5つの短編の各々が緩やかにつながっていることだ。ある短編の登場人物やエピソードが、別の短編でひょっこり顔を出す。1人称の視点が違うため、同じエピソードが全く違う形で語られる。何人もの人物をひとりで演じ分ける「劇団ひとり」ならではだ。と、これはちょっとウガった見方過ぎるか?(そう言えば、もう長い間、この人のそんな芸をテレビで見ないけれど)
ただ、気になって仕方がないことがある。「見れていない」「届けれる」「つけれない」「借りれる」。本書の中に登場する言葉だが、これらは私の認識では「ら抜き言葉」で、文法上誤りとされている。 私自身、他の人を批判できるほど正確な日本語を使っているわけではないし、「ら抜き」が言葉の「誤り」なのか「変化・進化」なのか、見解の相違や議論があることは認める。けれども私は、出版物は言語の用法については保守的であることを望むので、大変な違和感を持った。これは、出版社の校正で良としたのか、見逃したのか、作家の原稿を尊重したのか?
さっと読めるし、話題になった本だから機会があれば読んで見るといいと思う。先ほど「よく練られている」と言った。でも、そんなに面白くはなかった。オチにつながるミスリードなどの、色々な工夫がどういうわけかあざとく感じられて、私自身も戸惑った。「なんて意地悪な読み方なんだろう」って。 ここで、再び「先入観」の話。誰しも先入観から自由ではいられない。だから、私は「ら抜き言葉」を連発する著者を低く見て、その結果、意地悪な目で読んでしまったのかもしれない。なにしろ最初の「ら抜き」は、本文2ページ目に登場する。 しかし、この本が良く売れたのも、著者の有名度と「お笑い芸人が書いた小説にしては..」という、先入観が私の場合とは違った向きに作用した結果かもしれない。 |
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