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おそろし
三島屋変調百物語事始
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コメント・書評 |
その先にある悲願を叶えん
空蝉
Oct 30, 2008 1:03:55 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★
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多くの人は悲しみや苦しみを抱え、押しつぶされそうに成ると助けと救いを外に求めてしまう。誰か話を聞いてくれ、誰か私を救い出してくれ、ここから連れ出して、誰かこの苦しみを代わりに負ってくれ・・・ 自分の中で全てを浄化できる人間は、今も昔もきっと少ない。 悲しみは心を閉ざさせ、苦しみは目を曇らせ、辛い思い出はその過去も今も自分自身すらも押し殺し、ソレに囚われて身動きできなくなる…そんな彼らを人は地縛霊、などと呼ぶのかもしれない。本書にも登場する人食い家は、そうした暗く悲しい、恨み辛みを抱え込んで動くことすらかなわなくなった吹き溜まりの具現化なのかもしれない。 余談だが、西洋のお化け屋敷は家そのものが人を襲う。無論そのきっかけや陰惨な過去話はあるのだろうが、無差別に侵入者を襲い、文字通り食ってしまう。あの堅固な石の造りで出来た家や城は外と内との境界が明らかに隔絶させており、「一度入ったら出られない」その現象はまさしく物理的なモノによって阻まれる。もしかしたらそれは迷宮が発達した西欧文化によるものなのかもしれない。 が、比べて日本のお化け屋敷(もちろん昔の木造建築、茅葺屋根の頃を指していうのだけれど)は出入りが妙に単純である。障子一枚、襖一枚隔てた先で怪異は起こり、物理的というより心理的な恐怖に呼びかける。そこで語られるのは「幽霊」の個々人の極めて個人的な恨み辛みであり恨まれる側が存在する(した)設定であり、彼らは八つ当たり、というよりはむしろ聞いてくれ解ってくれ慰めてくれといわんばかりのすがりようである。 そう、日本の幽霊は、すがってくるのだ。家そのものではなく底に溜まった彼らの心が。巻き込むのではなく、話を聞いてくれそうな人を、同情してくれる優しい人を引っ掛けては連れて行く。一人は寂しい、こっちに来てよ・・・話を聞いて、わかって頂戴・・・と。 本書における聞き手・おちかの周りに集まるのは皆、抱え込まれて浄化することが出来ずに燻っている悲しみだ。 いってみれば、彼らは話してスッキリした、という至極単純な解決方法を求めているだけかもしれない。 「言えば楽になる」と私たちはよく口にする。もちろんそんな単純な単純なことばかりではないけれど、心のうちを聞いてもらうということ、その存在を知ってもらうということは、口で言うほど単純な作業ではない。それを忘れてはならないのだ。 おちかは命がけで人の話を聞く。己の過去から逃げて、閉じ込めておいた燻る過去を、彼らと共に話し、聞き、共有することで浄化されるのだと懸命に訴えている。彼女もまた戦っているのだ。 話を聞く、それは人一人の持つ物語、つまりは人生の一部分を小さな窓口から抽出するという難儀なこと。 話す、それは己の全てを正確に語り、理解してもらうためにいくつかの痛みも伴うということ。 話す側も聞く側も違う人間なのだから、両者はきっと困難を伴うに違いない。聞き手も語り手も違う人間なのだから、完全な語りと理解は永遠に不可能なのだろう、でもだからこそ私たちは静かに耳を傾け、真摯に語らなくてはいけない。その先に浄化という悲願があるのだから。
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