コメント・書評 |
小松左京作品の底を流れるもの
T.O.
Nov 24, 2006 3:48:42 AM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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小松左京のことはあまり詳しくはありません。そのあふれんばかりの才能のむくまま、自由闊達に次々と多くの作品を発表して来た人だと思っておりました。それが、日経新聞で彼が「私の履歴書」を連載していたのを読む機会があって、旧制中学時代の戦争体験が深く彼の心に残っていることを知り、意外なその一面にちょっと興味をそそられ、その直後に出版された本書を手に取りました。 本書は、小松左京の長年のファンであるという新潮新書の編集者の依頼により、小松左京が自身の半生と自作について語ったものです。彼の作品についてばかりでなく、一九七0年の大阪万博開催へのかかわりなど、その多方面にわたる多彩な活躍についても語られていて、改めてそのあふれんばかりの才能とエネルギーに圧倒されますが、中でも興味を引いたのは、やはり最初に少し触れられている旧制中学校時代のことです。 中学時代につけられたあだ名が「うかれ」というくらい、本人が言うところの「オッチョコチョイ」であったこと。そういう浮かれた性格を直せということで中学二年のときに図書委員をさせられ、そこで図書館にそろっていた世界文学全集を読む機会を得て、特にダンテの『神曲』に深い影響をうけたこと。昭和二十年の中学三年の時には、勉強もなくなり、工場動員の毎日であったこと。徴兵年齢も下がってきており、身近に死ぬ人も出て、自分もいずれ徴兵されて死ぬのだと思いながら、食糧難の辛い毎日を絶望的な気持ちで過ごしていたこと。機関砲を打ち込まれたり焼夷弾が降ってきたりして、実際に何度か死ぬ思いもしたこと。そんなさなかの八月、あっけなく戦争が終わったこと。 中学のときのこの体験が、いろんな意味で小松左京の原点となったようです。彼は、何としてもあの戦争のことを書かねばならないと思っていたものの、旧来の文学の方法ではその思いはなかなか表現できず、文学的に行き詰まっていたところ、SFの手法を使えばヒストリカル・イフを使うなどして、自分の思いを表現できることに思い当たり、戦後十五年たったときにはじめてSFという形で『地に平和を』という作品を発表したのだそうです。彼は「僕はSFに出会うことで、自分の中にあった『戦争』にひとまずケリをつけることができた。」と語っています。 この思いは、その後も、多種多様と思われる彼の作品の中を、一貫して通底音のように流れているようです。『日本アパッチ族』しかり、『復活の日』しかり、そして『日本沈没』しかり。一見ふわふわと多方面に漂っているかに見える彼の作品群を、その思いが底のところで繋いでいることを、本書を読んで改めて知りました。 もっとも、彼の作品が、そのような思いがストレートに出た暗いものにならないのは、小松左京の持ち前の「うかれ」の気質によるものでしょうし、それを質のよいエンターテインメントたらしめているのは、彼の膨大な読書量に培われた文章力、表現力なのでしょう。その意味でも、旧制中学時代のさまざまな体験が、小松左京の原点になっているのだろうと思います。 本書を読んで、改めて小松左京の懐の深さ、その魅力を再確認させられました。小松左京ファンにはオススメの1冊です。 |
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