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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2007.4
- 出版社: とびら社
- サイズ:19cm/368p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-7885-1039-5
紙の本
母に心を引き裂かれて 娘を苦しめる〈境界性人格障害〉の母親
著者 クリスティーヌ・A.ローソン (著),遠藤 公美恵 (訳)
母親との関係がうまくいっていなかったら、原因は母親の境界性人格障害=ボーダーラインにあるかもしれません…。ボーダーラインの4タイプを具体的に解明し、いかにその病んだ関係か...
母に心を引き裂かれて 娘を苦しめる〈境界性人格障害〉の母親
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商品説明
母親との関係がうまくいっていなかったら、原因は母親の境界性人格障害=ボーダーラインにあるかもしれません…。ボーダーラインの4タイプを具体的に解明し、いかにその病んだ関係から「自分を」救うかを考察します。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
クリスティーヌ・A.ローソン
- 略歴
- 〈クリスティーヌ・A.ローソン〉哲学博士。アメリカ、バトラー大学やインディアナ大学などで研究助手を務めた後、インディアナ州インディアナポリスの民間医療施設においてソーシャルワーカーとして勤務。
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紙の本
親の抱える問題の生け贄にならないために
2009/07/11 16:20
21人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hamushi - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書を読み進め、紹介されている事例の大半が自分の体験に重なることに、慄然とした。たとえば次の症例。
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「おふくろと俺との、すさまじいけんかは、一発触発だった。とにかくひどいもんで、暴力的で、悪意に満ちていた。あんな猛烈な罵りあいは、ほかのだれても、一度もしたことがない。相手が男だったら殴り合いになるところだが、この場合は母親が相手だし、自分の母親とそんなことをするなんて、考えもつかない。でも、おふくろはしつこくて、くだらないことをあげつらうんだ。一度なんて、屋根が吹っ飛ぶほどのけんかをやらかした原因は、俺が歯磨きをサボッた、ってことだったくらいだよ」
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私には信じられないことだが、「屋根が吹っ飛ぶような親子喧嘩」の話を聞いて、"牧歌的"というような感想を持つ人というのは、世間では少なくない。「腹を割ってつきあえる、いい親子関係じゃないか」「信頼関係がなければ、そこまでの喧嘩はできないだろう」というのである。
私に言わせれば、冗談ではない話である。
腹を割るどころか、これは、母親の人権蹂躙から身を守るための命がけの闘争なのだ。屋根が吹っ飛ぶような騒ぎになるのは、子どもが「家から逃げ出すことを禁じられている」からである。
執拗な蹂躙や干渉から身を守りたければ、とっととそんな家から逃げ出せばいいのである。けれどもドアはふさがれ、出口はどこにも見つからない。逃げ出せば、屋根が吹っ飛ぶ殴り合いよりも「恐ろしいこと」が待っていると、子どものほうはわきまえているのだ。だから、逃げられない。
「恐ろしいこと」とは何か。
それは、死よりも重い罪悪感である。
子どもを裁く立場の母親に言わせれば、全世界を裏切るに等しい罪業、というところか。なにしろ「世界」というのは、母親自身の精神の安寧のことにすぎないからだ。
ほんのささいなこと、たとえば上の事例のように、歯を磨くのを忘れたとか、学校に忘れ物をしたとか、あるいは食事中ニコリともしなかったとか、そんな程度のことで、気まぐれに凶悪犯罪者のように裁かれる子どもの日常がどんなものか、想像できる人は少ないと思う。
言い訳や口答えは一切許されない。
少しでも反発すれば地獄の釜の蓋が開く。
かといって謝罪も全く受け入れられない。奴隷のようにひれ伏そうが、恭順の態度を示そうが、母親が飽きるまで、徹底的な人格攻撃や罵倒が続く。
ときには一晩中、枕元で罵られることもある。そういうことが一週間、七日七晩続けば、さすがの私も物が喉を通らなくなったものだったが、誰に事情を話しても、いつ自宅が地獄と化すか分からないという異様さを正しく理解されることはなかった。
親子関係に苦しみ抜いた果てに、親がボーダーであるという結論に達した人は、いまでは日本でもたくさんいるのではないかと思う。とくにネットでは、情報がいろいろと出回っていて、「もしかして」と思う人の道案内となるようなサイトやブログも出来はじめている。
そういう方々が本書に出会うことは、理不尽や干渉や罪悪感によって奪い取られ、閉ざされかけている人生の可能性を大きく広げる契機となるかもしれない。
ただ、できることなら信頼のおけるセラピストや支援者、理解者とともに、問題の解決にあたってほしいと願うのである。とくに難治性の鬱病に苦しんでいて、なおかつこの問題を抱えている人(とても多いのだ)には、ぜひとも支援が必要である。物心ついてからの長い歳月、生き延びるために恐怖の中心から目をそむけ、感情を抑圧してきた人にとって、「本当のこと」を認識する作業は、心身にとてつもなく負担のかかる、恐ろしいものであるかもしれない。孤独に立ち向かうには、あまりにも大きな試練である。
どうしても支援をすぐには得られない人は、心のなかで、自分の人生や命を親の生け贄に捧げることは金輪際やめにして、自分の人生を守るのだという、強い意志を固めた上で、全力で知性を駆使して事に当たってほしいと思う。