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商品説明
高1の少年が同級生の首を切り落とした驚愕の事件。息子を無残に殺された母は地獄を生き、犯人は弁護士として社会復帰していた−。新大宅賞作家が、28年前の「酒鬼薔薇事件」を追跡する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
奥野 修司
- 略歴
- 〈奥野修司〉1948年大阪府生まれ。立命館大学卒業。フリー・ジャーナリスト。2006年「ナツコ」で講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞。他の著書に「隠蔽」など。
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紙の本
少年Aの行方
2006/10/06 16:44
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの酒鬼薔薇の事件は、私たちに衝撃を、与えましたが、その遥か前に、同級生を殺し首をきる恐ろしい事件が、あったなんて・・・。
しかも殺人を犯した少年は、名前を変えて、弁護士になっている。 家族を亡くした被害者は、特にお母さんは、事実を受け入れられなくて苦しみ日常生活も出来なくなるのに。
あの、酒鬼薔薇は、今どこで何をしているのでしょうか。
世の中の矛盾に怒りをおぽえます。
紙の本
歳月は遺族を癒さない
2007/01/17 01:19
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さあちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの酒鬼薔薇事件よりも前にこんな猟奇的な殺人事件があったことを本書で初めて知りました。それも犯人が少年であったということも。その当時この事件はかなりセンセーショナルに扱われたのではないでしょうか。しかし今どれだけの人が覚えているのでしょうか。
人は忘れる生物です。でも本書は忘れることによって社会的に成功をおさめた加害者と忘れることを許されずに葛藤を抱えて生きてきた被害者の生々しい記録だと思います。
残された遺族の苦しみは長い年月をへても少しも癒されていないのです。それほどの衝撃と混乱を抱えながらなおかつ地道に一歩一歩のたうつように生きている被害者の家族。一方少年法により守られわずか数年で社会復帰を果たし地位も名誉も手に入れながら被害者に一度も謝罪せずに暮らしている加害者。法律上はともあれ人間的にこれが更正したといえるのでしょうか。しかし現実問題として私達の国はこれを更正と呼ぶのです。一方何の罪もなく突然家族を奪われた被害者はその混乱の中でただ必死に生きていくだけです。これではあまりに不公平ではないでしょうか。本書の中でも述べられているように国が少年法によって加害者を守るのなら同様に被害者も守るべきではないのでしょうか。
人は決して忘れてはいけないことがあると私達に問いかけてくれる記録だと思います。
紙の本
これは事件を追った本ではありません
2009/03/12 00:01
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
犯罪被害にあった方やその家族の方々、特に殺人事件の被害者遺族の方たちの辛さがいかばかりのものか、私たちには想像つかないところがあるくらいだと思います。そしてその辛さが癒されることなく、ある意味放っておかれてきたと言うのも事実ですし、それがさらに少年と呼ばれるような年齢の者が加害者である時には犯罪事実そのものが十分に遺族に知らされることなく過ぎて行ってしまっていたということは、最近のマスコミなどでも語られるようになってきたことです。
ですから、この本で取り上げられている1969年の事件の被害者遺族の方たちのその後を知ると、ただただ言葉を失ってしまうのみです。現在でもそうなのでしょうが、40年前のまだ人間関係がそんなに希薄ではなかった時代であってすら、この方たちに何も差し伸べられるものがなかったのかと思ってしまいます。
そして、その一方で加害者がまだ16歳だったということで、少年法の理念に基づき更生し、社会的に認められる仕事に就いたにも関わらず、被害者遺族の方々に謝罪すらしていないという事実を突き付けられて、全く第三者であるにも関わらず憤りも覚えてしまいます。
そんな内容の本なので、批判めいたことを書くのは憚られるのですが、読み続けていてどうしても拭えない違和感を持ったのもまた確かなことでした。
そもそも本の帯には「高1の息子を無残に殺された母は地獄を生き、同級生の犯人は弁護士として社会復帰していた!」と書かれている横に丸がこみで「追跡!28年前の「酒鬼薔薇」事件」と書かれています。裏には一応「あとがき」から引用された文章があり被害者遺族のことについて書かれているだろうことはわかりますが、それでもこれだけを見るとこの本が事件そのものについて書かれているのだと思えなくはありません。
それに表紙の絵は血のついたナイフを持つ学生服を着た少年の後ろ姿とその影になっていて、やはり事件について何か書かれている本であろうことをイメージさせますし、タイトルも「心にナイフをしのばせて」となっているので同様のことをイメージするのではないかと思います。
ところが、この本で事件のことは最初にわずかに触れられるのみで、あとはほとんど被害者遺族の方々のその後の生活について語られるのみです。加害者のことも最後の方で1章だけで語られるのみです。少年が起こした事件であるため、しかも何年も経ってからのことなので調べようがなかったのかもしれませんが、もう少し事件のことを知らしめてくれないとなぜ被害者の方々がこれだけ辛い思いをされてきたのかがわからないというところがあるように思います。
そして、この本では被害者遺族の方のインタビューというかモノローグで多くが構成されています。著者は「まとめるにあたって通常のノンフィクション的な手法を模索したが、二人の心理的な変化を裏付けることは到底不可能であり、一人称で語るこの方法に落ち着いた」とか「このテーマにはこの手法しかなかったことを記しておきたい」などと「あとがき」で語っていますが、その一方ですべてが遺族の方が語ったとおりでなく、著者が取材したものを補足しながら構成したモノローグであると言っています。
なんだかテレビのドキュメンタリー番組で関係者が顔や声を変えて語っているところに補足のテロップが入っているような印象を持ってしまいました。ノンフィクションにもいろいろな手法があるとは思いますが、これでは証言だけを並べているだけのテレビ番組と変わらないですし、意地悪い見方をすれば一人称の小説(フィクション)と変わらなく思えてしまいます。ノンフィクションであるならば、事実は事実として、やはり著者の何らかの見識がどこかに盛り込まれるべきと思います。
このような手法を使って著者が言いたかったことは、「あとがき」を読むと少年法の不備を訴えたかったのかと思えますが、それならば1つの事件を、しかも被害者遺族のその後の悲惨さを書き並べるだけでなく、もっと普遍的に述べる方法があったのではないかと思いますし、実際そのような本はすでに他にもあるように思います。
これは著者だけの責任ではないのかもしれませんが、本の装丁などから受けるイメージは著者が訴えようとしていたものと異なった印象を植え付けるようで残念でなりません。