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万物の尺度を求めて メートル法を定めた子午線大計測
【デイヴィス賞】【ディングル賞】パリから各々北と南へ旅立った科学者2人の、ギロチンや火山の危険を伴う任務とは、パリを通ってダンケルクとバルセロナを結ぶ、子午線の長さを測地...
万物の尺度を求めて メートル法を定めた子午線大計測
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商品説明
【デイヴィス賞】【ディングル賞】パリから各々北と南へ旅立った科学者2人の、ギロチンや火山の危険を伴う任務とは、パリを通ってダンケルクとバルセロナを結ぶ、子午線の長さを測地学的に測量することだった−。科学者の営みの実際を歴史的エピソードで綴る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ケン・オールダー
- 略歴
- 〈ケン・オールダー〉ハーバード大学で物理学を学び、歴史学の博士号を取得。ノースウェスタン大学で歴史を講じる。「万物の尺度を求めて」でデイヴィス賞、ディングル賞を受賞。
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紙の本
メートルが定められるまでの紆余曲折を、科学、歴史、文化と絡めながら巧みに描く良書
2007/09/12 00:31
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Skywriter - この投稿者のレビュー一覧を見る
180cmの日本人と、180cmのアメリカ人ではどちらが背が高いだろうか。1kgのパンと、1kgの鉄ではどちらが重いだろうか。
何を馬鹿なことを言っているのか、と思われるかもしれない。180cmはどこに行っても180cmで変わりはないし、1kgであるからにはどんなものであっても重さが変わらないのは当たり前ではないか。
しかし、その”当たり前”の世界は、実のところ最近になって現れたのである。では昔はどうだったのか、というと、それぞれ換算のできない勝手な単位がまかり通っていた。なので、フランス人の170kgとドイツ人の190kgが実は同じ重さ、というようなことが十分にありえたのである。我々が長さや重さといった単位を、産地に関係なく統一して扱えるようになったのは20世紀のことで、それまでは国際間は当然のこととして一つの国の内ですら同じ単位に統一などなかった。
我々が当たり前すぎてその利便性に気が付かないほどの、度量衡の統一に必要なのは、普遍性ではないか。そう考えた人々がいた。社会の啓蒙に燃える人々である。この母たる地球を尺度に用いるのであれば”野蛮な”単位を棄てさせることができるだろう。
この一大プロジェクトを開始したのは革命直前のフランスであった。フランスを通る子午線を測定し、その四万分の一を基本単位にしようとしたのだ。つまり、定義上では地球の一周は4万キロということになる。
その当時、既に地球の概算のサイズはもう知られていた。問題となったのは、どこまで精密にそのサイズを決定できるか、である。緻密さが何より要求される任務に就いたのは異色の科学者ドゥランブルと精密な仕事を自他共に認めていたメシェン。本書の前半ではこの二人の活躍を描いている。
子午線を計測するという大胆なプロジェクトは、しかし艱難辛苦を余儀なくされる。一つは蒙昧な人々の妨害であった。人々は測定のための目印を、悪魔侵攻やら敵国へのスパイと疑って破壊したり製造を妨害したりした。そしてもう一つはフランス革命とそれに続く戦乱である。しかも、これに戦後の猛烈なインフレが拍車をかける。
様々な妨害にも負けず、子午線を測定するプロジェクトは着々と進んでいた。ところが、誰も予期せぬことが起こってしまうのだ。当時の人々では想像もしなかったことが、正確な計測を妨げることになる。その内容は、小説も顔負けの迫力でつづられているので是非本書に当たって欲しいと思うが、ただ単に精密な測定をするためだけに出かけた人々が最先端の科学に遭遇する、というのは面白い話だ。
本書の後半では、子午線計測プロジェクト終了後から度量衡が統一され、メートル法がアメリカを除く世界中に導入されるまでを記す。このパートが”ちょっと長いエピソード”にならないその理由は、きっと肝心のフランスがメートル法を真っ先に廃棄した国になったからに違いない。便利なものであっても受け入れられるまでには紆余曲折がある。そこに人間の面白さが凝縮されているように思う。
メートルの確定に、フランス革命やその後のナポレオンの台頭といった歴史的事件が複雑に絡み、科学の発見があり、そして人間ドラマがある。繰り返しになるが、小説にも負けない迫力が確かにある。僅かでも興味を持った方は是非読んでみて欲しい。
紙の本
科学で創出された標準は世界の政治経済を制覇できる
2006/07/30 17:03
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みち秋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
物語は1792年フランス王政末期、フランス科学アカデミーが世界共通の度量衡単位「1メートル」を地球上の子午線全周の4千万分の1と決めた事から始まる。
時はフランス革命下、苦難の測量事業は政情不安などで出発から6年経過後の1798年に終了する。「全ての人々のために、全ての時代のために」という啓蒙思想を大義に、メートル法は紆余曲折しながら米国を除いて全世界に受入られてゆく。二人の天文学者(ドゥランブルとメシェン)が敢行した「子午線(ダンケルクからバルセロナまでの距離)測量」と言う大事業を描いた壮大な科学史ドキュメントである。
著者ケン・オールダーはハーバード大学で物理学を学び、歴史学の博士号を獲得、ノースウエスタン大学で歴史を講じる。
本書はフランス革命下の政治の激流に翻弄されながらメートル法に拘わった科学者達とその周辺の人々の多様な人間模様とその時代のしがらみが見事に描かれており単なる歴史小説ではない。学問的且つ問題提起的で魅力に溢れた科学史である。
またメートル法の創設に絡む時代のヨーロッパ、アメリカ、イギリスの歴史的背景と動き、予想もしない史実が書かれておりメートル法が普及してゆく様がありありと浮かんでくる。
本書の面白さは複雑な時代の潮流の中で、対照的な二人の学者がどのように生き抜いたかをダイナミックに描き出していることであろう。科学の発展には社会的要因と権威者の役割が重要であり、彼らが成し遂げた色々な業績は時代の要請であり、時の流れに翻弄されながら自らの選択を余儀なくされた事が見えてくる。
今を生きる私たちも彼ら同様に、時代の荒波にもまれながら社会の中で認められ、自分の存在意味を求め、自分だけでなく人々のためになるような生き方をしようとしている。
本書はヒューマン・ドキュメントだけでなく科学の誤りとその意味についても深く考えさせられる。著者は測定値の改ざん/隠匿を犯しながらも彼らの事業は成功したと言う。
なぜなら彼らの偉功は時空をはるかに超え、現在進行中の経済交流のグローバル化に見ることが出来るからだと言う。 当時改ざんを公表していたなら彼らの事業は歴史から抹消されており、改ざん/隠匿も時には必要悪かもしれないと奇妙な発想をしてしまう。
このミッションには色々疑問点が多い。なぜ戦乱期に測量を遂行し成功したのか、なぜメートル原器が測量完了前に作られたのか、など。時の政権が疑惑に関与していた可能性を感じさせる謎を秘めたミッションである。このような観点で読むのもまた興味深い。
科学が専門分化、高度化した今、科学者が真実を追及することは使命であると同時に科学倫理でもある。しかしこのような視点で現状を見ると理性的な判断で科学的事業、経済活動が行われているかと言えば、ノーである。なぜなら科学に起因する社会問題が多発する一方で科学者の捏造疑惑は後を絶たないからである。
本書の原題になっている2500年前のプロタゴラスの格言「人間は万物の尺度である」という意味は、時代に合った価値観を作り上げるのは私たち自身であることに思い当たる。
本書は分厚い書である(P512)。途中難解な部分で立ち往生したり、単調で退屈する場面もあるが、それでも尚字面を追わせる魅力を持った名著である。
今回タイミングよく「心に残る一冊」に出会えた幸運に感激している。