紙の本
読み終えてしまうのが惜しくなったくらいいとおしい、宝物のような教科書
2006/12/03 10:52
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
東大文学部教授である柴田元幸の授業を文字に起こしたものである。はあ、東大ではこんな講義をしているのか。言い様もなく素晴らしい翻訳演習である。読んでいると羨ましいのを通り越して何か甘美な夢でも見ているのではないかという気さえしてくる。
本来翻訳というものは、このくらい英語と日本語の両方に通じている人にしかできない作業なのである。英語の読み書きができるというだけでは勿論ダメで、日本語の特性をも深く理解している必要がある。英単語のニュアンスと用法を熟知して、その意味をできる限り正確に反映できる、こなれた日本語の表現に転化して行かなければならない。そして、言葉の背後にある文化や宗教、時代背景にも気を配れないと、総体としての“意味”は伝えられない──それが柴田教授が教えようとしていることなのではないだろうか。にも拘らず、世の中には単に英語ができるというだけで、いや日本語も英語もろくにできないくせに、機械的に単語を置き換えて「翻訳」と称している(特に専門書まわりの)似非翻訳家が五万といる。僕はこの本を読んでいると、自分にそんな翻訳能力があるわけでもないのに、世の翻訳家を片っ端から捕まえて、「おい、お前はこんなことまで考えて訳していたか?」「こういうことまで考えて単語を選んでいたか?」と順番に頭をはたいて回りたくなる。
ここには都合10回の授業内容が記されている。毎回1人の作家の2ページほどの文章が取り上げられ、学生は事前に自分の翻訳を提出しておく。柴田教授も(すでに出版されたものも含めて)事前に訳した文章を持ってくる。他の翻訳者によって出版されている日本語訳があればそれも提示される。そして、数行の固まりごとに、教授と学生がそれらをつき合わせながら議論して、翻訳を完成して行くのである。読んでいて惚れ惚れする作業である。
取り上げられている作家は、ダイベック、ユアグロー、レベッカ・ブラウンなど柴田訳でお馴染みの作家に加え、ヘミングウェイやブローティガンなどもう少し時代の古い作家もあり、そうかと思えば、中には村上春樹の『かえるくん、東京を救う』をジェイ・ルービンが英訳したものまで含まれる(そして、その回の演習にはルービン自身がゲスト参加している)。10回のうち1回は翻訳演習ではなく村上春樹を迎えてのセミナーであり、その村上訳で有名なカーヴァーを課題書に選んだ回もある。
日本語と英語における主語の重みの違い、文章のリズムの取り方、finaly や never の訳し方、等々、書き出したらキリがないほど示唆に富んだ翻訳指南書である。
終盤まで読み進んだ時、読み終えてしまうのが惜しくなったくらいいとおしい、宝物のような教科書である。
by yama-a 賢い言葉のWeb
紙の本
東大文学部の翻訳演習を臨場感たっぷりに再現—こんな授業受けてみたかった!
2006/05/18 14:38
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:katu - この投稿者のレビュー一覧を見る
知的興奮を味わえる書物というものが稀にある。私にとっては、『俳句という愉しみ』(小林恭二)とか『乱視読者の新冒険』(若島正)とかがそれに当たる。『翻訳教室』もそういった種類の本だ。
本書は東大文学部の翻訳演習が完全収録されている。扱われている題材は、スチュアート・ダイベック「故郷」からレベッカ・ブラウン「天国」までの9篇。中にはジェイ・ルービンが英訳した「かえるくん、東京を救う」(訳題は”Super-Frog Saves Tokyo”)を和訳するという捻った回もある。
とにかく、よくぞ文字に起こしたねと感心したくなるほど、臨場感たっぷりに授業内容が再現されている。そしてまたみんな細かいことにこだわるんだな(いい意味でね)。まあ、先生である柴田元幸が一番こだわってるんだけど。
「それから、これは僕個人が病的にこだわることなんだけど、語尾ね。翻訳をしてゲラを読んで、もう一度ゲラを読んで——要するにもうすぐ印刷ってとき——最後の手直しをしますね。そのときになっても語尾ばかりさんざんいじってます。「行き」にするか、「行って」にするか、とか。」
実践的なテクニックも沢山出てくるので、翻訳家を志望している人や既に翻訳をしている人にもかなり参考になるんじゃないかな。
・「hurt」は「傷つける」ではなく、自動詞なら「痛い」、他動詞なら「痛くさせる」が基本。
・「and」は「しかし」と訳すとしっくりいくことが多い。
・「never」を「決して」と訳すことは実はほとんどない。
「かえるくん、東京を救う」の回では英訳をしたジェイ・ルービンがゲストで授業に参加してこう言っている。
「とにかく、翻訳とは科学的なものじゃない。どうしても主観が入る。それが入らないと、人間のやる作業じゃない。客観的に、何の感情も入れないで訳しても、ある言葉の文法をもう一つの言葉の文法に移すだけで、無茶苦茶になってしまう。個人の解釈が入らないことには、何も伝わってこないと思います。」
そしてなんとその次の回には村上春樹本人が登場し、学生たちの質問に答えてくれている(羨ましい)。村上春樹ファンであれば、この章を読むためだけでもこの本を買う価値があるかもしれない。村上春樹がデビュー作の『風の歌を聴け』を最初に英語で書いてから日本語に訳したというのは有名な話だ。今までは、既成の文体を脱するためというふうに説明されていたが、実はそうではなくて別の理由があるのだ。その衝撃の事実(?)が本書では明らかにされている。これは読んでのお楽しみ。
かなりマニアックな本なので、単に英米文学が好きだからという人にはちょっと辛いかもしれない。逆に、翻訳が好きな人にとってはこんなに面白い本はない。あー、大学時代にこんな授業を受けたかった!
k@tu hatena blog
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柴田元幸の翻訳の授業の実況中継。マイペースな自分は大学の全ての授業でこの本を出してくれることを望むが、しかし採算が取れるのは自分の授業に村上春樹を呼べる柴田元幸ぐらいしかいないような気もする。とりあえず、真面目に訳しながら読みはしなかったけど、面白いは面白い。英1を改革しただけあって、柴田先生は教材づくりに意識が向いているのだろうか。面白く勉強できるような本を次々と出している気がする(ナイン・インタビューズとか)。あと、登場しているに違いない友人がどれかなあと思いながら読むのも楽しい、と書いてみて思ったけど、別にどれでもいいわな、そんなに楽しいわけではない。とりあえず題材が新しいのが刺激的で良い。だって古典を翻訳しても全然面白くないわけさ。
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翻訳家の柴田氏が教授として勤める大学の
授業で自分の訳した小説を中心として、
学生と共に翻訳の演習を行う、
というものです。
翻訳するときの、「、」の使い方、youの
訳し方、ちょっとした言葉の順序の入れ替え、
短縮、聖書や音楽などの知識なしには、
訳せない箇所・・・などなるほど、と
思える翻訳のイロハ、や微妙なニュアンスの
表現の仕方など知る事ができて面白かったです。
特に、「映像的」「視覚的」な文章の訳が
印象的だったように思います。
....bubbles cascading
これは、バリーコアグローの「鯉」という
作品で、鯉になった人間の口から泡が
滝のようにほとばし出ているシーンなの
ですが、確かに少し光の差し込む水の中で、
水面に向かって泡をぶくぶく
はきだしている、鯉の姿が浮かぶな、と。
あとは、物語の中で登場人物が顔をひざに
くっつけているんですけど、顔のどのあたり
までくっつけているか、またhipは腰と訳す、
against the wallは壁に
向かっているのか壁に背を向けているのか?
(正解は壁に背を向けている)
壁の距離間など・・・視覚的な部分の表現が
実は難しい、かつ肝心なのかな、と思いました。
あとは、村上春樹氏も登場していて、
「アフターダーク」その他、翻訳について
も語っていて、二度おいしい、と思いました。
柴田先生の翻訳の添削受けられたら、
嬉しい&楽しいだろうなあ・・・
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学生訳をたたき台にした翻訳講義の実録。
柴田氏の講義のすばらしさはもちろんだけれど、
20歳そこそこでこれだけの訳文が書けて、さらにこんな講義が
受けられる東大生に羨望のまなざし。
小説の翻訳をこうして真剣に学んだことはないけど
「あ!」と目からうろこの箇所は多数。付箋を付けていったら
付箋だらけで、本の上面がフサフサになってしまった。
4章に珍企画として、講義室を訪れた村上春樹氏と学生の
やり取りが挟まれているが、これもまたおもしろかった。
最終章だけ、少し自分で訳してみて、講義を受けている
気分に浸ってみた。全部やってたらかなり勉強になったろうな。
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一応大学が英語科なんで、翻訳のクラスとかあった。一年間の授業で一冊翻訳する、となると「がしっ」とした長編は無理で(ジョン・アーヴィングとかは無理ですね、明らかに)短編とか中篇が多かった。
覚えているのはアーサー・ミラーの「セールスマンの死」とかテネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」とかね。ん?なんか戯曲ばっかだな。
覚えているのは一年生の時にカントリーミュージックとか、ポピュラーミュージックを訳す授業。先生が「もっと感情を込めて」という面白い先生で「私は町を旅立つ」なんて訳すと×で「おいらは街を出るのさぁ」なんて訳すと○。
翻訳って難しいよね。単純に単語を日本語に置き換えればいいってもんでもない。ということで本屋でまさに「教室」な本を見つけた。
柴田元幸教授の翻訳に関する授業の実況中継みたいな感じ。章ごとの頭に米文学の短編、あるいは長編の抜粋がある。(英語でね) それを書くパラグラフぐらいの単位で訳していくもの。いやぁ、面白い。学生と柴田教授が「ここの句読点はつけるべきか?」とか「この"you"は訳すべきかそれとも無視するべきか」みたいな話を延々とやってる。あ、念のため硬い討論ではないです。「とったほうがいいんじゃないかな?」「僕は訳すべきだと思うです」みたいな会話。こうやって翻訳力ってついていくんだね。やっぱり理論じゃない。
途中、村上春樹が特別ゲストで参加して翻訳愛を語ってます。
話は変わるけど、そこで村上春樹が言っていたのが、「エスクァイヤ」という雑誌で「村上ソングズ」という自分の好きな歌詞を訳す、という連載をやっている、とのこと。いやーそういうことあらかじめ言っといてくれないと。読まなきゃ。
話し戻すとこの本は面白いです。取り上げられる英文が決して決して難解なものでないので英語学科卒じゃない人でも楽しめると思いますよ。
こういうある人にとってはどうでもいいこと「このtheyは訳すべきか否か」とかを真剣に結構時間をかけて議論できる、というのがそもそも大学じゃないですか。
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おそらく今日本で一番有名な翻訳家であると思われる、柴田元幸氏の翻訳演習の授業の模様がかなり細かに記録されている。生徒とのやりとりが面白く、ただ自己完結している訳ではないところが、非常に参考になる。また、途中に村上春樹も登場していて、二人の対談という貴重な話も聞ける。
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東大の講義をまとめた本だが、翻訳のテクニックや、また言葉の差異やくり返し、文体をどう再現するかということが書いてあり、文章を書くときの参考にもなる。
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こんな授業なら東大に行ってもいいなぁ。大変だけど、充実した授業なのだろう。楽しそうな雰囲気が伝わってきて、羨ましくもある。
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柴田さんを知ってお手紙を書いてからあれよあれよと教授にまでなられてしまった。しかし実力もすごいと思う人。これはそのまま授業を本で読んでいる感じで楽しい。あらためて翻訳の難しさも生徒とのやり取りで見えたり。
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ジェイ・ルービン「英語は動詞がものすごく強い。日本語はだいたい副詞プラス動詞を使うと強さが出るけど、そのまま英語にするとせっかくの強さがなくなる。だからなるべく強い動詞を使って、副詞を使わないようにしています」p135
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大学の講義本て好きです。
もし自分がこの講義の参加者だったら、歯がゆさも覚えたと思う。
言葉の使用は、ある程度以上の選択はどうしても、一長一短になる。
翻訳夜話で、柴田さんが村上春樹氏の翻訳への手入れが楽である理由として、
多くのひとは、翻訳を否定されると人格まで否定されたように感じてしまう。
村上さんはそんなことはない。
というようなことを言われていた。
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再読です。
で、やっぱり面白い!!!
東大文学部翻訳演習完全収録という本書。
毎週、課題を与えられ翻訳に挑む学生たちも、それを添削する柴田先生(院生のヘルプがあるとは言え)も、どんなにか大変な日々だと思うのに、みんな、とても楽しそうなんですよ。
頑張って勉強して東大に入るとこんな面白い演習に参加できるんだなぁ、とこれは前も思ったことだけど。(*^_^*)
学生さんたちが優秀なのはもちろんだけど、とても前向きに“翻訳”という世界に取り組まれているのが素敵です。
また、実はここが読みたくてこの本を買ったわけなのですが、演習に村上春樹さんご自身が来られて、学生の質問に答えたり(学生さんたちの驚きと喜びを想像すると、私まできゃぁ~~!(*^_^*)と言いたくなる)、また、同じ作品を村上訳、柴田訳で比べたりする章がこれまたとてもとても面白かった。
翻訳って・・・
「横のものを縦にする」(*^_^*) だけでは成立しないんだよね、とこれも改めて。原文の持つ世界観をいかに伝えるか、が命なんだ・・。
以下、私の覚書のために・・。
●英文の語順で日本語に訳す(特に、節の順番!)のが基本。
●日本文のリズムを大切に。
●原文の持つ雰囲気を壊さないように。→ あまりにこなれた日本文に訳すと、原文の持つ“奇妙な”感じを崩してしまうことがある。あえて固い日本文に訳してみることが必要な場合もある。
●英文は誰の目線か、ということがはっきりしている特徴があるので、そこに留意。もし、目線が変わってきていたら要注意。
●主語その他の代名詞は、全部訳さないのはもちろんだけれど、半分くらいを目途にするといいかも。
●shockをショックと訳すと、文の中での重みが違ってしまう、みたいな、よく知る英語に要注意。
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東京大学での演習を採録したというのは、とても興味深い。その場に居る学生に連なることができるような気がするから。読者にそう感じさせるための、本書の構成も見事。読みやすくするための配慮が随所に。近年の私には珍しく、書き込みなどしながら頁を繰りました。今をときめく柴田元幸の翻訳に「違和感」とだいそれたことを言ってしまったからには、ちょいと搦め手でこういう本を先に押さえておこう、なんて思惑で、「いつかそのうち」の棚から降ろしてきました。9課のうち、ダイベックとカーヴァーとヘミングウェイとカルヴィーノぐらいしか読んだことがない(もちろん邦訳で少しだけ、それにカルヴィーノはイタリア語だし)という、米文学には初心な私です。それだけに、それぞれの内容に教えられることも多かったけれど、敢えて言う(ことが許される)なら、「とても良質な大学文学部の演習の記録」を、それほど大きく超えるものでは、ない。期待を大きく超えるものでも目新しく斬新なものでも、ない。…もちろんそれでいいのです、それでこそ正解です。ただし繰り返しますが、こんな形で採録されたものはあまりないし、そういう意味で貴重です。実際の演習をこのような形に仕上げるのが、どれほどたいへんなことか!!無論、原文とか文法などを無視して、柴田先生と学生とのやりとり(特別講座「村上春樹さんを迎えて」もあり)を読んで楽しむだけでもじゅうぶん。全講義に参加して後、私にはむしろ、「まえがき」が心に残りました。まったくそのとおり、と思うからです。実際の院生TAの仕事ぶりにも感服しました。まえがきには「名教師だのダメ教師だのというが、授業を活かすも殺すもまずは学生次第なのだ。」とありますが、ほんとうにそうなんで、授業することによって授けられるものが多いのは、実は学生ではなくスタッフや教師自身なのです。それがわかっている先生による授業から、学生はより多くを受け取ることができる……。ここにはひとつの「幸福な教室」の姿もまた採録されているように感じます。さて、それでどうなんだ?と問われると、つまり何もかもが「自分」に還って来るしかない。当り前のことで、自分の中にあるものしか「日本語」として出てはこない、ということです。でも、これがまた不思議にも面白くも嬉しいことに、新しい文章に出会うと、それと格闘するうちに、新しい「もの」が自分の中にも芽生えて育ってくるのです。何語でもいいや、翻訳でもそうでなくてもいいや、たくさんの「ことば」(必ずしも「言語」とさえ限定されぬ)に出会いたい、あらためてそう思いました。長くなりました、失礼。
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柴田氏は翻訳家としての才能だけでなく教師としての才能も豊かであるとみた。なんか言い聞かすのが上手いわ。東大の翻訳演習の模様を文字に起こしたものである。あらかじめ渡された課題のテキストを生徒が訳し提出し、教師と院生が添削する。それを次の授業で何人かの生徒の訳文を比較しつつより良き翻訳を求めて教師と生徒が話し合う。ここでは翻訳文としての日本語の問題に討論の時間が費やされ、そしてそこから作品や作家の内部に切り込んでいく。レイモンド・カーヴァーの『Popular Mechanics』が課題となった回が興味深い。登場人物は破局寸前の夫婦。たった一人の子供をめぐって言い合いになる。どちらも自分の手元に引き取りたいというのだが、その主張の仕方がどこかずれている。彼らは「the baby」という言葉を連発するのだ。これを「子ども」と訳すか「赤ん坊」と訳すか。