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商品説明
台湾人の父と日本人の母、そしてかわいい妹。四人で暮らした思い出の家を取り壊すとき、段ボールの中から偶然見つかった「箱子」。そっと覗き込むと、「家族の記憶」が溢れ出した。家族の「果てない絆」をみずみずしい筆致で描く初エッセイ。【「BOOK」データベースの商品解説】
台湾人の父と日本人の母、そして妹。4人で暮らした思い出の家を取り壊すとき、段ボールの中から偶然見つかった「箱子(シャンズ)」。そっと覗き込むと「家族の記憶」が溢れ出した…。家族の絆をみずみずしい筆致で描く。【「TRC MARC」の商品解説】
中国語で箱のことを「箱子(シャンズ)」という。台湾人の父と日本人の母、そしてかわいい妹。四人で暮らした思い出の家を取り壊すとき、偶然見つかった「箱子」。そっと覗き込むと、「家族の記憶」が溢れ出した--。名家の跡取り息子として生まれた父、年の差を越えて国際結婚をした母。ふたりは娘たちを残して、相次いでこの世を去った。大人になった筆者は、母が大切にしていた「箱子」の中身をひとつひとつ確かめる。
中国語で箱のことを「箱子(シャンズ)」という。台湾人の父と日本人の母、そしてかわいい妹。四人で暮らした思い出の家を取り壊すとき、段ボールの中から偶然見つかった「箱子」。そっと覗き込むと、「家族の記憶」が溢れ出した--。
台湾屈指の名家「顔家」の跡取り息子として生まれた父、16歳の年の差を越えて国際結婚をした母。ふたりは娘たちを残して、相次いで早くにこの世を去った。歳月を経て大人になった筆者は、母が大切にしていた「箱子」の中身をひとつ、ひとつ確かめる。そこには、台湾と日本を往復した、結婚前の初々しい決意を示す両親の手紙や、母子手帳、父と娘の書簡の束、家族写真、そして、父のガン闘病の記録を綴った母の日記などがあった。それらに目を通していくうちに、筆者は封印していた自らの記憶を鮮明に思い出していく。
台湾で過ごした幼少時代、台湾語・中国語・日本語をあやつりながら周囲の顔色を観察して慎重に行動するようになったこと、6歳年下の妹の誕生、大好きだったおやつ、スパルタ式台湾教育、日本で始まった新しい暮らし、ふと閉ざされる父の部屋、突然の父のガン宣告、闘病中ある理由で口をきかなくった両親の伝言係を務めたこと、父との別れ、歯科大学入学、母の急逝、女優への挑戦--。
さらに「箱子」に導かれるように生前の父を知る人を訪ね歩くと、これまで知らなかった、台湾と日本の激動の歴史に翻弄された父の人生が浮かび上がっていく。日本統治下の台湾で日本人として生まれた父、太平洋戦争開戦の年に学習院中等科入学、国民義勇隊の一員として疎開先で聞いた玉音放送、終戦後「祖国」が戦勝国と敗戦国に分かれてしまった父の苦悩、失意の帰国と待ち受けていた熾烈な二・二八事件--。次から次へと迫りくる過酷な歴史の波と、名家の長男・財閥の後継者としてのプレッシャーに、ときにアルコールに溺れながら耐え続けた父がようやく辿りついたのは、かけがえのない大切な自分の家族だった。
子供の頃にはわからなかった「なぜ」の数々が明らかになったとき、果てることのない家族の絆と深い愛に包まれる。
爽快でみずみずしい筆致で描かれた、書き下ろし初エッセイ。【商品解説】
目次
- ●私の箱子(シャンズ)
- ●台湾の野猫(イエマオ)
- ●閉ざされた部屋
- ●母が逝く
- ●顔家物語
- ●顔寓の主
- ●台湾妙-あとがきにかえて-
著者紹介
一青 妙
- 略歴
- 〈一青妙〉父親は台湾人、母親は日本人。父親は台湾五大財閥のひとつである顔家の出身。歯科大学を卒業後、歯科医師として働く一方、舞台やドラマを中心に女優業も続ける。妹は歌手の一青窈。
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紙の本
台湾の近代史が絡む本。
2012/01/14 23:46
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を手にして、すぐに一読した。
この本で関連して連想する人々といえば五大財閥の一家の辜顕栄と彼の一族や李登輝元総統であり、著者と同世代で似た家庭出身のNHKの鎌倉千秋アナウンサーである。
この本で興味を引かれるのは著者の父親についてである。10歳で日本に留学して、学習院中等科に入り、日本の敗戦で台湾人が日本人から中華民国の国民となって、2・28事件の際に叔父が国民党政権に追われる、という、あの時代の一端がうかがい知れる。あの時代の台湾について知らない事が多いのだと気づかされる。
日清戦争で台湾が日本に割譲された時は2年間国籍選択が決められる時期があったが、台湾が光復した時に国籍を選択出来なかったはずだ。
しかし、あの時代に学習院に入った台湾人は、どのぐらいいるのだろう。今上天皇の学友に台湾人がいるが、どういう家の出身なのだろう。
国民党は台湾人に対して「東北と同じく漢奸はいない」と言いつつも「日本の奴隷化教育を受けた」といい、日本に関係したものを排除しようとしたが、当の日本に対しては「以徳報怨」といい、日本軍の元将校達に軍の再建を任せたのだから、何か複雑なものを感じる。
五大財閥という言葉は知っていても、辜顕栄の一家と顔家以外はちょっと分からないので、五大財閥について書かれた本を読んでみたくなった。