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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2011.10
- 出版社: 白水社
- サイズ:20cm/227p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-560-09018-3
紙の本
ブエノスアイレス食堂 (エクス・リブリス)
故郷喪失者のイタリア人移民の苦難の歴史と、アルゼンチン軍事政権下の悲劇が交錯し、双子の料理人が残した『指南書』の驚嘆の運命、多彩な絶品料理、猟奇的事件を濃密に物語る。「ア...
ブエノスアイレス食堂 (エクス・リブリス)
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商品説明
故郷喪失者のイタリア人移民の苦難の歴史と、アルゼンチン軍事政権下の悲劇が交錯し、双子の料理人が残した『指南書』の驚嘆の運命、多彩な絶品料理、猟奇的事件を濃密に物語る。「アルゼンチン・ノワール」の旗手による異色作。【「BOOK」データベースの商品解説】
故郷喪失者のイタリア人移民の苦難の歴史と、アルゼンチン軍事政権下の悲劇を背景に、双子の料理人が残した「料理指南書」の驚嘆の運命、多彩な絶品料理、猟奇的事件を濃密に物語る異色作。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
カルロス・バルマセーダ
- 略歴
- 〈カルロス・バルマセーダ〉1954年アルゼンチン生まれ。国立マル・デル・プラタ大学卒業。スーパーマーケットチェーンの雑誌の編集長をしながら執筆活動を開始。
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書店員レビュー
この物語は生まれて間もない赤ん坊が、授乳中に母親の乳房を噛み切る...
ジュンク堂書店吉祥寺店さん
この物語は生まれて間もない赤ん坊が、授乳中に母親の乳房を噛み切るという何とも恐ろしい場面から始まります。
この赤ん坊がのちに天才的な料理人であり”腕のいい”食人鬼となるのですが、そこに到るまでの長い頁を”ブエノスアイレス食堂”という伝説的ビストロの、100年近くに及ぶ歴史を語るに費やします。
チェ・ゲバラなど実在した人物が登場するかと思えば一気に怪奇幻想もののような展開をみせたり、フィクションとノンフィクションの間を浮遊しているような感覚に陥ります。
著者のカルロス・バルマセーダは食関係の雑誌編集長を務めていたといい、描写されるビストロメニューの数々はどれもエキゾチックで香り高く、とても食欲をそそられます。
アルゼンチン・ノワールを読むのは初めてでしたが、南米(特にアルゼンチン)にいつか行ってみたいと夢見ている私には、とても濃厚で愉しい時間となりました。
文芸担当 西村
紙の本
食人というセンセーショナルな内容がどう消化されているのかに注目しがちな小説だが、作家はところどころに、ぐつぐつ煮立つ鍋からもれる「香り」と「熱」のような心地よさで、分かり良く共感しやすい人生の摂理をまともに漂わす。食べたものを戻しそうになる気味悪さがあっても、咀嚼し、消化せずにはいられない。
2011/11/29 19:52
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の心の奥底には、何か恐ろしいものが隠れている。その何かを飢え死にさせてしまえば、亡き骸が朽ち腐臭が漂い、生身の自分が心身健康では過ごせまい。だから、その何かをおとなしくさせ、人知れぬ場所でうごめき続けさせるよう私は時々こういう本を読むのだろう。
読み終えた後の「うえっ。気持ち悪かった~」というかなりの後悔に対し、自分を納得させるために見つけ出した答えが、こんなところなのである。
本書は、シックで居心地の良さそうなビストロの表紙写真とはうらはら、食人を扱った猟奇事件を含む小説。のっけから「セサル・ロンブローソが人間の肉をはじめて口にしたのは、生後七ヶ月のころのことだった。というのは母親の肉のことだ。女は彼に乳をやっていた」とくる。日々が楽しくさえあればいいというエピキュリアンなら、目もくれないたぐいの本だ。
うまくまとめられた帯の内容紹介には、「故郷喪失者のイタリア人移民の苦難の歴史と、アルゼンチン軍事政権下の悲劇が交錯し、双子の料理人が残した『指南書』の驚嘆の運命……」云々とあり、世界文学を愛好する者なら吸い寄せられてしまう「故郷喪失」「イタリア人移民」「苦難の歴史」「軍事政権」といったキーワードが散りばめられている。
では私は、キーワードのいくつかに惹かれたのか。その内容紹介の最後には、しっかり「猟奇的事件を濃密に物語る」と書かれていたのに……。
今年は、悲劇的な死のおびただしい報道に触れ、「物語の中のこと?」「映画の一場面?」と、社会や日常の信じ難い脅威に神経がさらされた。しんどかった。共感性が無駄に強いのか、生きていくことの困難、社会が動いて行く先の不安にすっかり疲れ、その疲れからまだあまり癒されないままでいる。
元気のなくなった人間というものは、そういうものだと思うが、温かそうなもの、楽しそうなものに安易に手が出せない。かといって、何も折も折、このように読み通す前から気分が鬱屈することが明らかな暗黒小説など読む必要はない。
「一行でごはん三杯は行ける」というような表現がはやっていて、言ってみればこれは、「一行でごはん三杯はもどせる」ひどい内容であった。何でよりにもよって、こんな本を買ってしまったのか。
読者が読み通そう、読み通そうと思って挑んでも、誰もが気持ち悪くなってしまい、結局誰も最後まで読み通すことのできない奇書が書けないものか。そんな考えが、以前頭をよぎったことがある。『ブエノスアイレス食堂』が扱っている中身はその線に達している。しかし、惜しむらくは、魅力的すぎる表現力と含意が読者の「挫折」の妨げとなっている。
系図片手に楽しむ家族の年代記で100年、200年を読ませるものは多い。けれども、ああそうだ、これは破格のクオリティを誇る絵本『百年の家』にどこか似ている。アルゼンチンの海辺の保養地、マル・デル・プラタに建てられたビストロを舞台に、その店を支えた何人もの料理人や家族たちの数奇な人生を追いつつ、アルゼンチンの20世紀の100年をも呑み込んだ一軒のビストロが、ゆっくりと時の流れを咀嚼する。
人が人を食べるという薄気味悪いものが書かれている。一番腹を減らし、一番人肉を欲していたのは、他でもないブエノスアイレス食堂に違いない。
センセーショナルな内容をどう消化しているのかに注目が集まりがちな作品だが、作家はところどころに、ぐつぐつ煮立つ鍋からもれる香りと温かな熱のような心地よさで、分かり良く共感しやすい人生の摂理をまともに漂わす。
例えば、次のような記述はどうだろう。
「人生というのは、こちらに十分な説明もなしに、蜘蛛の糸のようにいろいろなことをしかけてくる。私たちはまるで一歩前に踏み出したと思ったら、次の一歩を横に踏み出すかのようで、様々な出来事を前にして酔っぱらいのような歩みにならざるを得ない。そしてそれだからこそ、過去に向かって歩き始めると、多くのイメージが、まるで最初はばらばらだったのに、ゆっくりと繋がり合って響きが良くなる音の集まりのように押し寄せてくる」(P67)
この後も、素敵な文章が続くが、引用が長くなり過ぎるので自重しておく。
どういう人物なのか、その内面が十分に説明されないセサルその人の性癖や嗜好に、私の奥底に隠れている恐ろしい魔物は、どこか通じ合うのかもしれない。生き物が暴れ出し、生身の人を人道にもとる行為に突き動かすこともあるけれど、ノワール小説をエサとして与え、満腹感でおとなしくさせておけば、とりあえず表立ったところでの暴走は抑制できる。
「ほふれよ、お前」と投げ与えよ。
本来なら人知れずそっと隠しておかれるべき本があるとするなら、それが暗黒小説というジャンルであり、バルマセーダという人の書く作品なのかもしれない。