紙の本
フェルメールってどこがいいんだろう?という方にこそオススメ!
2011/10/24 19:23
14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:辰巳屋カルダモン - この投稿者のレビュー一覧を見る
美男も美女もいない。場所はいつも同じ狭い一室。ごく日常の風景。特別なことはなにもない。
それなのに、フェルメールは絶賛される。その秘密を知りたくて本書を手にした。
生物学者である著者が、美術をどう語ってくれるのだろうか。
フェルメールの実作品と相対するために、著者はオランダ、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツをめぐる。
だが、すぐには美術館に向かわない。鑑賞後もまっすぐ空港へは行かない。
そこで出会うフェルメール作品と、その土地ゆかりの科学者(版画家や作家の場合もある)のエピソードをからめつつ、著者の脳内で広がる想像の輪は、街歩きをして初めてひとつに結ばれて行く。
行ったことがない、アメリカの大都市やヨーロッパの小さな街のイメージがぐんぐん立ち上がってきた。
光の彩度、吹く風の湿り気や土の匂いさえ、感じられるような豊かな表現が素晴らしい。
本書は美術書であるとともに、実に魅力的な紀行文なのだ。
例えば、ニューヨークと野口英世とフェルメール。一見、関連が見当たらないこの3つのポジションは著者によって時間も空間も越えた見事な物語を紡ぎだす。
訪れる先の都市で街で、著者は次々とこんな離れ技をやってのける。
著者が実見した作品のすべての写真が掲載されている。それはよくある美術図版ではない。
額縁ごと、壁の装飾ごと、ときには鑑賞している著者や学芸員も写り込んでいる。
日本の美術館とはまったく違う、個人の居間に飾られているような自由な展示方法に驚いた。
もちろん、フェルメールの魅力を生物学者ならではの視点で解き明かしてくれる。
フェルメール作品の理解には「光」と「時間」がキーワードになる、という。
『窓辺で水差しを持つ女』(メトロポリタン美術館)には、こんな一文を寄せている。
「鮮やかな青い着衣とテーブルクロスの赤。窓から入る光が金属の水差しを光らせる。その一瞬を“微分”することに成功した、もっともフェルメールらしいフェルメール作品。(中略)私がここでいう“微分”とは動きの時間を止め、その中に次の動きの予感を封じ込めたという意味である」
著者が「光のつぶだち」と表現する細かな点による光の描き方、絵具を実際に盛り上げているという布のドレープ、宝石から作られる貴重な絵具ウルトラマリンブルーのはっとするような美しさ。
小さな作品が多いこともあり、それはありきたりの図版ではとうてい確認できない。
観るものに親密な関係を要求し、その機会を得た幸運な者のみにそっと心を開くのだ。
アメリカの、ヨーロッパの、展示方法は正しい。
ようやくフェルメール理解の扉の前に立てただろうか。まだまだ先は遠い。
フェルメールと同じ年に生まれ、同じ町に暮らした「光学顕微鏡の先駆者」レーウェンフックとの交友を想像する最終章はミステリー小説のようで、ぞくぞくするほど面白かった。
フェルメールの絵の中に、当時の最先端の科学が内包されている(かもしれない)なんて!
17世紀オランダの小さな街に生まれ育ってそこで生涯を終えた画家。だが、その画家が生み出した絵は海を渡り世界中の人々を魅了する。そして、画家の絵に導かれて世界を旅した著者。
フェルメールと現代生物学者の幸福な出会いがもたらした、なんとも嬉しい一冊だ。
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光が、音や電波のような振動、というよりはむしろ粒子であることを理論的に予言したのは、ほかならぬアインシュタインである。しかし、アインシュタインに先立つこ300年近く前、すでに光が粒子であることを、確かに認識していた人がいるという。それが、17世紀オランダ美術を代表する画家ヨハネス・フェルメールである。
細部に秩序ある調和として現れている「光のつぶだち」が印象的なフェルメールの作品は、現存するものが37点。世界中に散らばっているフェルメールの作品の展示場所が、本書のインデックスでもある。登場人物は、レーウェンフック、エッシャー、野口英世、ガロア、ライアル・ワトソン、シェーンハイマーなど多士済々。本書は、分子生物学者 福岡伸一が「フェルメールの作品が所属されている美術館に赴いてフェルメールの作品を鑑賞する」というシンプルな原則に則って、思索を巡らせた美術紀行である。
◆本書の目次
第一章 オランダの光を紡ぐ旅
第二章 アメリカの夢
第三章 神々の愛でし人
第四章 輝きのはじまり
第五章 溶かされた界面、動き出した時間
第六章 旅の終焉
第七章 ある仮説
ワシントンの国立美術館の中にある作品『フルートを持つ女』。この絵はほかのフェルメール作品と違って、例外的に、板の上に描かれている。サイズも格段に小さく、意匠も、絵のタッチも、筆遣いも、光の角度もフェルメール的ではない。そのため、多くの研究者がこの絵をフェルメールの真作と認めていないともいう。
その絵に関して、とある学芸員がこのように言う。「絵を見るとき、あなたは何を見ますか。相違する何かを探しますか。それとも相補する何かを探しますか」この台詞が、本書における著者のスタンスを決定付けたかのような印象を受ける。著者はフェルメールの絵画と、自身の専門である科学との間に、相補する何かを見出そうとするのである。
例えば、ルーヴル美術館にある『レースを編む女』。この絵の特徴は、「コンピューターのICチップスの組み換え作業だといわれても納得するような、この絵にみなぎる時代を超えた精密感」というものである。数学的な美しさにも満ちたこの絵は、カメラ・オブスクーラという光学器具を使って、部屋の三次元的構図をキャンパスの二次元平面に正確に写し取られたとされている。フェルメールは、つねに空間の測定と幾何学の実現を企図していたのだ。
ここで、著者の思索は、同じくフランスに生まれた天才数学者ガロアの方へと巡らされる。ガロアは『幾何学言論』を読み、幾何学の建築がギリシア神殿のような単純さと美しさで建立されてゆくのを目の当たりにし、幾何学構造の偉容を理解した人物。フェルメールもガロアも、この世界には、目に見えないながらも、美しい構造があると信じていたという点で、つながっていたのである。
また、著者の専門領域である分子生物学に関する記述も興味深い。著者が好んで使うキーワードに「動的平衡」という言葉がある。私たち生命を外的な環境から隔てているように見える界面が、実は私たちを環境とつなげるためにある、という事実のことである。食べ物の元素は、めまぐるしいほどの高速で、体を構成する元素と交換されており、私たち生物は、絶え間のない流れの中にある元素の淀みにすぎない、そして生命にとっては、つねに変わり続けることが、できるだけ変わらないための唯一の方法であるという生命観だ。
この「動的平衡」という概念を、著者はフェルメールの絵にも見出す。ベルリンに『二人の紳士と女』という絵がある。この絵に描かれている二人の男は、光の当たり方は違うのだが、同じ髪型、服装をしている。著者は、彼らを同一人物ではないかと夢想する。これは推測の域を出ていないのだが、これが事実だとすると、一枚の絵に二つの異なる時間が描かれているということになる。これによって、止められていた時間が再び動き出したということ解釈することができるのだ。絵とその絵を見るものとの界面を溶かし、静かな安定の中にではなく、不自然なまでの流れの中に、ほんとうの自然があるという、実に鮮やかな発見なのである。
このように著者は芸術と科学の間を動的平衡のように行ったり来たりしながら、知的な揺さぶりをかけてくる。そして、やり方こそ違えど、芸術も科学も、いかにありありと世界を記述するかという一点において、その目的は同じなのだということに気が付かされる。我々もまた、変わらないために、変わり続けなければならないのであろう。記述したくなるような世界であり続けるために。
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こんなもん、もう読む前から星5つだろ!「生物と無生物のあいだ」の福岡伸一が各国まわってフェルメールの絵とその時代について、彼の生物学者とは思えないくらいの秀麗な文章で。
確か何かの雑誌にも寄稿されてたの立ち読みしたことあるから、そのまとめなのか?
とにかく出だしからタイムリーに「地理学者」。このまま一夜でどんどん読み進めるのは勿体ない。例えば今夜みたいに雨音をBGMに聴きながらシットリした気分で読むのが良いでしょう。
秋にピッタリ。即買いの一冊。
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フェルメールに関する書籍の中で、面白さはトップクラス。
基本的な所は研究者の引用だが、研究者としての新たな仮説の提示に独自性。多様性。
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その代表作から貴重な作品までカラー50点を含む多数の図版を掲載.解説してくれる。
Keywordは、「光のつぶ」と「界面」。フェルメールを求めて訪ね歩いた世界の街々の、小林廉宜のカメラが捉えたショットがいい。
フェルメ-ルの絵を渉猟、旅する著作は数多いが、本書はANA企画で機内誌「翼の王国」に連載したものに加筆修正をしたものゆえ、さすがに写真構成が凝り型となっている。Keywordは「光のつぶ」と「界面」。フェルメ-ルを求めて訪ね歩いた世界の街々の、小林廉宜のカメラが捉えたショットがいい。
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ANAの機内誌「翼の王国」に掲載されたもの。
フェルメールの作品が所蔵されている美術館を巡る旅がテーマの、機内誌というコンセプトに合った内容。
各国の美術館を巡りながら、野口英世や数学者ガロア、ライアル・ワトソンとフェルメールの絵が描かれた時代背景を語りつつ、特徴である「光のつぶだち」を、同じオランダ、同じ年に生まれた顕微鏡の父レーウェンフックとの関わりについて仮説を立てる。
結論は出なくても、こんな知的好奇心をそそる旅って素敵だね。
写真が多く(その写真がまた良い)本の作りも素晴らしい。
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ANAの機内誌で連載していた生物学者の福岡伸一さんの、フェルメールをその美術館で見る旅。 先月に京都ナショナルギャラリーでフェルメール作品を生で見る機会に恵まれた。小さな作品ながら、他の画家とは明らかに違う緻密な技法。 その技法を「微分」と称して時間を封じ込める技法と表現する著者は素晴らしい。まさに、その通りだと思う。
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最後の方は飛ばし読み。
フェルメールの絵を紹介した新書より絵がはっきりと見られるので嬉しい。
作者の福岡さんの生物学者らしい洞察は目新しい。キュレーターとのやり取りも面白い。
- 動的平衡の一瞬(微分)を写し出す絵のタッチ
- 界面の溶け出し (境界線の解釈)
- 空想を広げた 野口英世 れーウェンフック との絡み
フェルメールの絵の大半をオリジナルの美術館で見たのはうらやましい限り。
科学の芸術に対するあこがれを感じる。
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美文家として知られる福岡さんの著書を初めて読む。「光のつぶだち」をとらえたフェルメールは、もしや顕微鏡を発明したレーウェンフックと親交があり、そのスケッチを手伝ったのでは?という仮説を立てる。フェルメールの作品が収蔵されてある欧米各地の美術館を訪ね歩きながら仮説を組み立てていく様子はミステリのようでもあり、刺激的。
全編にフェルメールが投げかける「謎」がちりばめられているが、決してそれを無理に解き明かそうともしない。謎は謎だからこそ美しい。
写真も質が高く、すばらしい。福岡さんのフェルメールへの尽きない愛が感じられる。
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フェルメールの存在は、実は福岡伸一さんの講演会で話をされていたのきっかけに知った。
その時は、「地理学者」の絵について何か話をされていた。(何を話していたのかは覚えていないが)。
本書ではフェルメールの絵が数多く紹介されているが、やはり特徴てきなのは光の表し方だろう。
なんとも暖かい光の加減を見事なまでに表している。
そして福岡さんの名文がこれらを引き立たせる。
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中世オランダ絵画に関しては、暗く地味で、哀愁的な絵が多い印象で、あまり好んで観ることはなかったが、この本に出会ってそれが全く変わった。福岡氏によるフェルメールの人生の推測も面白く、絵画の裏にある物語が、すごい素敵だと思った。今までにフェルメール作品は4作品見ているが、この本を読んでいると、楽しさ倍増(というかそれ以上)である。文章自体も、お堅い研究論文ばかり書いているような科学者とはかけ離れたような読みやすいものとなっている。
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『真珠の耳飾の少女』で有名なフェルメールとその軌跡を求めた見聞録。『生物と無生物のあいだ』がベストセラーになった分子生物学者の福岡伸一氏の綴るディスクールの数々はまさに芸術的だ。その光を紡ぐ旅はオランダから始まり、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツと続いていく。カラー写真つきなので具体的にどういうところを巡っているのか一目瞭然なのも嬉しい。読書中は日本にいながらして彼とともに異国を旅しているような感覚に、少しづつ明らかになってくるフェルメールの正体に心躍る体験が待っているだろう。
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これ、☆10個つけることが出来るなら、それでも15個つけたくなるぐらい面白い本でした。
ヨーロッパ、アメリカの美術館に点在するフェルメール作品を辿る紀行文なんですけど、超絶に楽しいのです。生物学者である作者が、自らの専門分野の知識を活かし、各地ゆかりの学者のお話をからめつつ、フェルメール作品に隠されたナゾを推理してくんですけど、なんというか、それ以上に、各都市の空気感みたいなのが行間からにじみでてて、チョーー旅行に行きたくなるという。って、これ、もとはANAの機内誌の連載だったんですね。たまらんわ!!
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翼の王国連載作です。私も海外に行ったときは出来るだけ時間をとって、美術館へ行ったりしているのですが、漫然と観ているだけなので駄目ですね。フェルメールもいくつか観てるはずなのに、、、。筆者の専門分野を観て,そういう見方もあるのかと納得しました。
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フェルメールとその絵にまつわる場所を旅行し、実際に絵を見に行く本。
ブログはこちら。
http://blog.livedoor.jp/oda1979/archives/4054994.html