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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.5 25件
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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2011/07/29
  • 出版社: 講談社
  • サイズ:20cm/214p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-06-217171-7

紙の本

炭鉱に生きる 地の底の人生記録 画文集 新装版

著者 山本 作兵衛 (著)

世界が認めた「ヤマ人の記憶」−。7歳のころから炭鉱で働きとおした坑夫が、半世紀にわたるヤマの生活と労働を描いた貴重な記録。2011年にユネスコの世界記憶遺産に登録された絵...

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炭鉱に生きる 地の底の人生記録 画文集 新装版

税込 1,870 17pt

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商品説明

世界が認めた「ヤマ人の記憶」−。7歳のころから炭鉱で働きとおした坑夫が、半世紀にわたるヤマの生活と労働を描いた貴重な記録。2011年にユネスコの世界記憶遺産に登録された絵画や日記から選択編集してまとめる。【「TRC MARC」の商品解説】

ユネスコ「世界記憶遺産」登録を機に1967年に刊行された画文集を緊急復刊!

世界人類の記憶の殿堂に収められた、あるヤマ人(炭坑夫)の記録――。
山本作兵衛翁が孫たちの世代のために遺した文章と約150点の図版で、
明治・大正期の炭鉱のありのままの姿がいま再びよみがえる!!
50余年、筑豊で炭鉱夫として働き、還暦を過ぎて絵筆を握った作兵衛翁の炭坑画は、
民俗学者・宮本常一氏や記録文学作家・上野英信氏らから高い評価を受けていました。
美学生時代に作兵衛画を模写したこともある
イラストレーター・南伸坊氏による装丁でデザインを一新し、
巻末には、詩人・金子光晴氏、作家・石牟礼道子氏、画家・菊畑茂久馬氏、南伸坊氏らによる当時の書評やエッセイを採録した新装版です。

【著者紹介】
山本作兵衛(やまもと・さくべえ)
明治25年(1892年)福岡県嘉穂郡笠松村鶴三緒(現飯塚市)生まれ。7歳から炭鉱に入り、父の仕事を手伝う。以来50余年、筑豊地方の炭鉱で働き続けてきた。
昭和33年(1958年)、「炭鉱の姿を記録して孫たちに残しておこう」と絵筆を握り、明治・大正・昭和の炭鉱の姿を描き始めた。昭和59年(1984年)、老衰により逝去。今年5月、585点の絵画や6点の日記などが、ユネスコが認定する「世界記憶遺産」に国内から初めて登録された。
【商品解説】

著者紹介

山本 作兵衛

略歴
〈山本作兵衛〉1892〜1984年。福岡県生まれ。七歳のころから坑内に入り、筑豊のヤマで生き抜いてきた。2011年5月絵画や日記などがユネスコの「世界記憶遺産」に日本国内から初めて登録された。

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書店員レビュー

ジュンク堂書店福岡店

 山本作兵衛さんの炭...

ジュンク堂書店福岡店さん

 山本作兵衛さんの炭鉱画が、日本で初めてユネスコ「世界記憶遺産」に登録された。
 大変喜ばしいことであり、それがあって40年以上前に刊行された本書も新装復刊された。別な作品集も復刊の予定があるらしく、書店員としてはそのことも喜ばしい。

 しかし、「世界記憶遺産」に登録されたということは、どういう意味があるのだろうか。私たちは何を「記憶」しなければならないのか。作兵衛さんの作品を見ているうちに、単純に喜んでばかりいられない、複雑な感情が湧いてきた。

 日本の近代化を支えた筑豊炭田、それは作兵衛さんの作品に画がかれているような、無名の労働者によって成り立っていた。低賃金のうえ死の危険と隣合せの地底の仕事、作兵衛さんが生きのびて作品を残せたのは奇跡的ともいえる。また、戦時中は強制連行されてきた人や捕虜の強制労働もあった。近代化の陰の部分。
 そして、近代化を支えた石炭は石油に替わり、やがて原子力となる。鉱山は閉まり、都会の夜は明るく輝く。しかし、かつての暗闇は本当に無くなったのか。現在の「坑夫」はどこにいるのか。いろいろと考えさせられる本である。

福岡店人文書担当 細井

ジュンク堂書店新潟店

2011年5月、山本...

ジュンク堂書店新潟店さん

2011年5月、山本作兵衛が描き残した筑豊の炭坑画など700点あまりが国内初の世界記録遺産に登録された。

本書はそれを受けて復刊されたものである。
当時の炭坑夫の姿を記録した文章と、約150点の炭坑画で構成された画文集となっている。

世界的に後世に伝える価値を認められた日本の文化をかいま見ることの出来る一冊だ。

芸術書担当 水野

みんなのレビュー25件

みんなの評価4.5

評価内訳

  • 星 5 (12件)
  • 星 4 (8件)
  • 星 3 (2件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

地の底から、奇跡の贈り物が届いた

2011/09/29 12:29

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:辰巳屋カルダモン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 一度見たら忘れられない絵だ。
心の深いところをつかまれ、揺さぶられるような力を感じる。
山本作兵衛氏の絵画と関連資料(日記、原稿等)が2011年5月ユネスコの世界記憶遺産に登録された。日本では初である。この画文集(1968年刊)は、登録の快挙を受けて、新装版として復刊された。

 新聞やテレビで報道されるまで、わたしは作兵衛氏のことをまったく知らなかった。
最初に目にしたとき、若手が描いたレトロ風現代アートかな、と思ったほどだ。

 作兵衛氏は明治25年(1892年)福岡県生まれ。
7歳から父母や兄弟と炭鉱(ヤマ)に入り、以来五十余年、ヤマで働き続けた。
仕事のため、ろくに小学校にも行けなかったという。わずかにヤマの外で働いた期間に努力を重ねて字を習い覚えたそうだ。

 「これ以上は働かれんほど働きとおしてきたのだから、それでなお米代もないとすれば、おれの責任ではのうて、外の責任だと思うておりました」(38頁)
重いことばである。

 炭鉱が次々と閉山した昭和30年代初頭、作兵衛氏は絵を描き始める。66歳からの創作だった。
炭鉱は閉山したあと、地中から動力機、運搬機などを引き上げる。その監視の夜警をしながらの創作だったという。
人生そのものだったヤマが終焉を迎える様子を目の当たりにしながら、記憶だけを頼りに二千枚に及ぶ絵を描き、画面に丹念な解説を書き込んだ。

 作兵衛氏の絵の不思議な魅力をどう言ったらいいだろう。
ヤマを知らない孫に労働や生活の様子を教えたい一心だったという。
その無垢な思いが画面や文章にほとばしっている。

 描かれるのは作兵衛さんが若いころ、明治から大正にかけてのヤマの様子が中心だ。
その時代は機械化前でほとんどの作業は人手によっていた。
なんとなく男の職場のように思っていたヤマで、女性と子供が当たり前のように働く絵は衝撃的だ。
男性はふんどしひとつ、女性も半裸。子供の背にはさらに幼い乳飲み子が背負われている。

 現場で作業をしながらも、動力、運搬、換気、排水等のヤマ全体のシステムを系統立てて理解していたことは驚きだ。
しかも、記憶だけで正確に画面に写し取っている。これは相当にすごいことではないだろうか。

 そうした「記録」としての価値もさることながら、絵としての面白さ、美しさに目を奪われる。
人物に表情は乏しいが、それが逆に多くを物語っている気がする。
逆に、持ち物や衣服など、細部の描写にはこだわりが感じられる。
女性がかぶる手ぬぐいや着物、男性の入れ墨の柄は、ひとりひとり異なり、カラフルで美しい(入れ墨を美しいとは可笑しいかもしれないが)。
過酷な労働の実態、閉鎖的な生活を描いて、悲惨さや陰湿さがないのだ。
特に女性は美しく描かれていて、神々しささえ感じる。宗教画に近いようにも思う。

 病気やけがで働けなくなった仲間がいれば、講でお金を集めて援助した。男も女もひとつの風呂に入って汗を流し、ヤマを訪れる芸人や行商人を囲んで笑い合う。一方で、凄惨なリンチや悲惨な事故も日常茶飯事だったヤマ。
画面には悲痛なことばも並ぶが、生涯をすごしたヤマを、そこで働く人々を、作兵衛さんは心からいとおしく思っていたのではないだろうか。

 作兵衛さんと画文集は素晴らしい贈り物だ。
急激な近代化の陰で、炭鉱だけでなく、どれだけ多くの過酷な労働の場が足跡ひとつ残さず消え失せたことか。
これは、そうしたすべての労働者たちの失われた記憶でもある。

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紙の本

遠ざかって消えてしまいそうなものを後世に伝える。

2011/11/27 07:30

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る

炭鉱に生きる(ヤマに生きる) 山本作兵衛 講談社

 舞台は福岡県の筑豊(ちくほう)です。わたしが生まれたところです。この本が世界記憶遺産に指定されてから新聞やテレビでとりあげられた記事や番組を見るのですが、なにかしら気持ちにぴったりとくるものがありません。論評する側、報道する側に炭鉱生活の体験が十分ないからでしょう。
 「炭鉱あるいは炭坑」はもう遠い過去のことです。閉山時にはいちどに数百人のこどもたちが学校を去っていきました。その子どもたちは今50代以上でしょう。そして、貧乏暮らしは思い出したくないことです。当時の生活をうまく表現する人はもういないのでしょう。
 この書画集は、明治から大正時代、今から100年ぐらい前に時代を絞って炭坑の様子を緻密に絵と文章で描きだしたものです。苦労話が続くなかで、体験者たちは、今は黙しています。書画集の内容は重苦しい。身近に「死」があります。米騒動とか、労働条件改善のための争いがあります。地底での作業は、モグラというよりも蟻(あり)です。こどもでも8才ぐらいから労働力として扱われる。学校は満足に通えない。戦後は義務教育を終えて15才から坑道に入る。地下といっても数キロ下の地下だった。恐ろしい作業環境です。危険な作業のわりに報酬や待遇は悪い。職業差別も受ける。ただ、それらももう遠い昔のことです。
 「陸蒸気(おかじょうき、蒸気機関車。蒸気機関車もなくなりました。)」、「石炭を運ぶ川舟」、「半里(2km)」という単位、どこの家も子だくさんで、長男は戦死、そんななつかしい言葉や風俗が書画集のそこかしこに登場します。勉学が身近にないから、理屈ではなくて義理人情で物事を判断する。法令に従うのではなく、人間関係のつながりに従う。確かにあった日本の過去です。歴史であり、それが良かったとも悪かったともいえません。本の冒頭付近で、明治時代、炭鉱で働くのは「下罪人(げざいにん)」とあります。昭和時代は、罪人が働いていたわけではありません。良識ある大人がたくさんいました。日本人の大半は炭鉱の暮らしを知らない。知らずに炭鉱の恩恵をこうむってきたことは確かです。過去を知らずに今を生きているのが、今の日本人です。

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紙の本

ヤマの暮らし、見たこと、描いたもの。

2012/03/06 21:51

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:お月見 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 炭鉱の暮らしを描いた絵の数々が、ユネスコの記憶遺産に日本ではじめて登録されました、というニュースをテレビで見て、その絵に魅かれて読みました。
とはいえ、ユネスコって何?という疑問からはじまって、ネットで調べました。国際連合の機関なのですね。名称は国際連合教育科学文化機関。教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないとの理念により設立されたとあります。
 文学にちなんだものとしては、アンネの日記、グリム童話、アンデルセンの原稿、などが登録されていますし、清の官吏登用試験合格者掲示なんていうのも面白い。まさに記憶遺産。
 最近では、パリの本部に、「ファイト新聞」のレプリカが展示されて話題になりました。ファイト新聞は、東日本大震災で被災した子供たちが、気仙沼の避難所で手書きで発行した壁新聞です。

 さて、そんな記憶遺産に登録された山本作兵衛さんのヤマの記録。
7歳から鉱山で働き、50年以上も炭鉱員としてヤマに生き、引退して炭鉱事務所に勤めながら、本格的に絵筆を採ったのは60歳を過ぎてからだといいます。炭鉱が次々と閉山する中、孫たちにヤマの記録を残そうと書き始めた、その絵画、日記、ノートなどが、日本では唯一、記憶遺産として評価されたのでした。(記憶遺産の候補としては、ほかには源氏物語や鳥獣戯画なども推薦されていたとか)
 山本さんのあとがきには、無学で文章が苦手なので、少年時代から好きだった絵で描いてみる事にしました、と語られていますが、本におさめられた炭鉱の記録の語り、絵に添えられた文章は実に的確で無駄がなく、具体的です。そして、炭鉱の閉山とともに、そこで暮らした炭鉱員や家族の生活の記憶も風化していく中、貴重な記録となるとともに、語りの面白さも堪能できるのでした。それにしても、ヤマを下りてから描いたはずなのに、なんという記憶力なのでしょう。炭鉱で使用していた道具、着物の柄。家庭の暮らしぶり。絵を見ながら、山本さんの語りを聞いていると、まるで知らない世界なのに、遠い昔、どこかで誰かに語ってもらったことがあるかのような不思議な感覚に陥ります。

 特に心に残ったのが、「ヤマと狐」の絵と添えられた文章です。化け狐の伝承が、普通に暮らしの中に入り込んでいる。炭鉱の危険な仕事では避けられない死の現実と、狐の幻想的な怪談が見事に同化していると思いました。

 昔は、石炭は貴重な燃料で、労働者たちが独特の閉じられた社会で暮らしながら、危険に身をさらしながら採掘するもので、それを享受していた富める者はその苦労を知らない。
 今、そのイメージに重なるものは、東日本大地震での原発事故です。
 日本で唯一、記憶遺産に登録された、消えゆく炭鉱の記録。
 そして同じ年に、ユネスコ本部に展示された震災の避難所の壁新聞。
山本さんの絵は、とくだん平和を強調するような押し付けがましいものではなく、ただ見たものをそのままに丹念に描いたものではあるのですが、それを見る私たちが、山本さんの語りを聞いた私たちが、きちんと考えていかなければならないものが、今だから、あるように思います。


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2011/08/16 21:25

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2011/09/08 19:47

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2011/11/06 10:45

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2011/09/19 10:26

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2011/09/26 14:07

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2011/10/04 05:57

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2011/11/23 16:18

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2011/11/16 19:42

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2011/12/12 19:13

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2012/01/12 19:15

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2012/02/12 14:29

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2012/02/16 11:30

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