紙の本
異端の社会言語学者でモンゴル学者・田中克彦の「最初で最後の日本語論」
2011/06/02 18:03
20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ラディカルな本である。コトバの本来の意味で、日本語のありかたについて根源的な問いかけを行っている本である。
せっかく受け入れたフィリピンやインドネシアからきた外国人看護士を実質的に閉め出しているのは、医療関係者以外は日本人でもまったく読めも書けもしないような難しい漢字の専門語をクリアしなくてはならないからだ。
ワープロの使用によって、不必要なまでに変換されてしまう漢字にみちみちた文章。これは日本語への世界的な普及には、むしろ大いに逆行する現象だ。
現在の日本語の状況は、ビジネス界の流行語をつかえば「ガラパゴス化」とでも言うしかない。
本書でとくに重要なのは、「漢字に苦しめられてきた中国」にかんする第3章だろう。中国語をローマ字で表記するピンイン、そして簡体字。その先には、漢字の産みの親である中国ですら、漢字の廃止というビジョンが根底にあることを知るべきなのだ。本書には、中国語をローマ字のみで表記する少数民族の存在が紹介されているが、その大きな例証となっている。
いわゆる「漢字文明圏」で、いまでも漢字を使い続けているのは、現在ではもはや日本と中国と台湾のみとなっている。はやくからローマ字を採用しているベトナムはいうまでもなく、北朝鮮はハングルのみ、韓国もハングル中心で漢字はほとんど使わなくなった。
そもそも言語というものは、耳で聞いてわかるものでなければ意味はない。日本人は視覚に頼りすぎるので、外国語習得が得意ではないのである。
著者の田中克彦は、言語学者でありモンゴル学者である。後者のモンゴル学者としての視点が面白いのは、漢字を拒否し続けた中国の周辺諸民族をふくむ、「ツラン文化圏」(トゥラニズム)にまで至る壮大な文明論に言及していることだ。西端は欧州のフィン族やハンガリーから東端は日本にまで至る、ユーラシア遊牧民につらなる「ツラン文化圏」。戦後日本ではほとんど言及されることのないこの概念に、あらたに息を吹きこもうというこの試みには、モンゴル研究にかかわった日本人としての「見果てぬ夢」を感じ取るものである。
英語が優勢のグローバル世界のなか、人口減がそのまま日本語の話者の減少にもつながっていく。このような状況のなかで日本語を守るためには、漢字を段階的に廃止する方向にもっていかなければならないというのが著者の主張である。この主張の是非については、間違いなく反対論が多数派であろう。本書もまた、「品格」がないとして、多くの反発を生むことのではないか?
この「逆説的な日本語への愛」が、なかなか世間一般にはストレートには拡がらないのは、ある意味では仕方がないことだ。
タイトルに強い違和感(!)を感じた人は、ぜひ手にとって読んでみてほしい。著者の主張の是非はさておき、日本語のありかたについて根源的に考えるための、耳を傾けるべき主張がそこにはある。
電子書籍
漢字と日本語のどちらが先に滅びるか
2021/07/31 17:59
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
この短評の表題に掲げた問いを念頭におきつつ、
100年後、200年後に読み返して、
内容を検証したくなるような一冊です。
本書の内容は、一言で表現すると、
著者一流の語り口で、
本人の長年の持論だった漢字廃止論について、
思いつくまま、気が向くままに、喋り尽くした、
といった体裁のものです。
一方、その論旨の妥当性と、
それが読者、とりわけ漢字擁護派の人々、
に対して持ちうる説得力については、
個人的には首を傾げざるを得ません。
そもそも、漢字排斥を訴える内容の書籍を、
こともあろうに、漢字仮名混じり文を用いて
著したという、主張と行動の不一致が解せません。
言行不一致という意味では、
銃火器の規制を訴える運動を、
拳銃片手にやるような人を、
連想してしまいました。
さて、以上を踏まえ、
これから著者の著作に触れようとする向きには、
一先ずこの本を迂回して、
言語学関連ならば、
「ことばと国家」や
「言語学とは何か」や
「エスペラント」、
モンゴル関連ならば、
「草原の革命家たち」や
「ノモンハン戦争」、
といった著作を手にとってみることをオススメします。
最後に付記すると、
本書の初版には夥しい数の誤植があります。
再刊された講談社学術文庫版では、
少なくともそれらが遺漏なく訂正されていることを
期待します。
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少し年老いてきたが、著者田中克彦さんが相変わらず元気に言語における民主主義のために発言されている。学問的厳密さはないのかもしれないが、ユーラシアからの歴史観による漢字文化圏を相対的に見る視点、漢字という表意文字の持つ魔力などなど、刺激されることの多い本です。
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漢字があるから日本語はダメである。
これからの世界の流れから逸脱し、没落するのである。
漢字を捨て、ひらがな・カタカナ・ローマ字のみとすべし。
・・・うぅん。
漢字の欠点をひたすらに並べ立てたら、まぁそうなんだろうけど。
どうにも 屁理屈を並べた感 を私は持ちました。
理系視点のせいだかわからないが、
叩いて叩いて叩きつくして 「ほら これだけ埃がでたからダメにきまってる!」
という路線は共感できないのよね。
漢字の良さ、悪さ。漢字をなくすメリット、デメリット。
そういうのを事実ベースで展開して欲しかったね。
まぁなにを差し置いても
「漢字のない日本社会」 つーものがまるで想像できないので
読み進めてもずっと ??? のままでした。
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82ページ
みずず書房
◆みずず書房→みすず書房
180ページ
一九七四年のことだと言われる。日本の訪問団が中国を訪れた際に、一行の代表西園寺公一氏が、中国側に、かつて日本が中国に加えた蛮行をわびたところ、鄧小平氏は、「中国もまた日本に迷惑をかけた。一つは『孔孟の道』を伝えたことであり、二つ目は「漢字の幣」を与えたことだ」と応じたという。
◆漢字の幣→弊
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田中克彦さんは、日本語は漢字がなくても存在する、むしろ、漢字が日本語を悪くしている、ほろぼすと考える人である。ぼくも「ほろぼす」とまでは言わないまでも、基本的には田中さんの考えに賛成である。本書は、その田中さんが言語学という広い視点から、日本の漢字の問題を縦横無尽に論じている。話はあっちこっちに展開することがあるが、読者はそれが脱線だとは思わない方がいい。田中さんの考えでは、言語とは音であり文字ではないというもので、これは、日本で文字形態素論を唱えた森岡健二氏らに対する批判である。日本語は「かな」がふさわしい表記で、これをローマ字に分解する必要がないという論に対する批判もよくわかる。同音語をいちいち言い換えなければいけない言語というのはけっしてまともな言語ではないというのも理解できる。ミルという日本語は漢字で書かなくても意味はわかるし、また漢字を使う必要がないというのは、早く奥田靖雄や宮島達夫に論がある。田中さんは、漢語ですら漢字を離れられることを、朝鮮語におけるハングルや漢語の一種であるトンガン語(橋本萬太郎さんの研究がある)がキール文字で書かれることを強調する。ただ、ぼくがひっかかるのは、「漢字はことばをこえて理解される。それゆえ、漢字はことばではない」(p162)といいながら、孔子学院が孔子学院漢字というものを定め広めれば、グローバルコミュニケーションに大いに役立つという点である。漢字は言語によって意味が違うことが少なくない。二字からなる漢語ではなおさらだ。それでも漢字を普及させようと言うのだろうか。
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漢字が日本語の中に入っていることが,日本語を学ぶ外国人にとって非常に学びにくくしている.中国周辺国では漢字に対抗してそれぞれ独自の文字を発明している事実がある由.テュルク(突厥)文字,タングート(西夏)文字等の紹介があるが,ハングルが朝鮮語を音で表す言葉として発明されたのが最も身近な例だろう.支那という語は今日ではあまり使われなくなっているが,シナ語というのは使うべきだとしている.中国に存在しているのは,シナ語,チベット語,モンゴル語やウイグル語で「中国語」は無く,ロシア語がソ連語と称されなかったのと同じ理屈だと述べている.「聞いただけでは意味がわからず,目で見なけれわかない文字でで書いてあるような,つまり,外国人には想像もできないような文字言語」--ではない日本語を広めたいという著者の意見に大賛成である.
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志賀直哉の復刻版かと思ったら田中克彦だった。昔から漢字廃止論があるのは知っていたし、私が今住む地では事実上廃止されている。しかし日本語と韓国語では音韻・文字体系が異なるので、日本語では現実的でないと思っていた。日本語の表記法が優れたものとは思わないし、筆者の言わんとすることも分かる。それでも、唯でさえ弁当箱と一部で揶揄される京極夏彦本が正立方体になり、片手で持てなくなるという一点において私は反対だ!(笑)途中苛ついたが読後感は悪くない。どうやらツラン文化圏のロマンにやられたようだ。トルコ語でも勉強するか!
活字好きには、かなり挑発的なタイトルだなあ。^^;取り敢えず、お手並み拝見! 2012年09月08日
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日本語は漢字に毒されている。廃止すべきだ、という議論である。
言語の本質は音であり、表意文字である漢字と表音文字であるひらがな、カタカナが並存することで、言語のリニアな構造が断ち切られる。
それは、言語として不自然なことだと、筆者は言う。
これに加え、筆者が熱心に漢字を廃止せよと主張するのには、世代的なものもあるのかもしれない。
専門家が権威付けのためだけに、難解な漢語を使うのが、非民主的だという感覚があるようだ。
どちらかというと、漢字制限をなし崩し的に撤廃しようとしている現在、非常に「過激」に見える議論だと思った。
だが、貴重な意見なのかもしれない、とも思う。
水谷静夫の『曲がり角の日本語』は、将来の日本語の姿を推定し、それを使って文章を書いて提示している。
できれば、その、漢字を廃した日本語の姿を少しでもいいので提示して欲しかった。
漢字廃止論者が、結構な漢語を使っているのが若干皮肉に見えた。
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矢鱈に難解な漢語を振り翳し、徒に読み難くすれば其れだけで教養が在るか如くの風潮は嫌いだけれども。
でも、そこまでいうのなら、ぜんぶひらがなでかいてほしかった。
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良書。漢字のよくない面を取り上げており、漢字大好きの自分にとってはおもしろくない内容のはずだが、これがかなりおもしろかった。この著者のほんをもっと読んでみたくなった。
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言語は使いやすくおおらかで親しみやすいものがマーケットで選ばれる。複雑怪奇、きわめて難しい言語である日本語は決してスタンダードにはなりえない。窒息するような難しさは外国人にはまず無理。とりわけ、医学用語は、医術の秘儀性、患者との距離を広げようとしたのか、難解極まりない。漢字の難しさが外国人の医療現場への流入を妨げているとも言われている。明治の初期すでに森有礼が日本の公用語として英語を導入しようとしている事実は興味深い。国際的場面で日本語は窮地に追い込まれている。漢字の多用は言葉の力の貧しさなのであると深く自戒しなければならない。
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厄介な漢字が日本語には多い。せめて振り仮名でも振ってくれていると良いのだが、それがないと調べるにも調べにくく、人に訊くことすらできない。この「きく」はどの漢字を使えば良いのか、パソコンで書いていて一番困るところだ。同音異義語が多いから駄洒落がたくさん作れると井上ひさしが書いていたけれど、昨日、漢字練習をしていた中学生のノートを覗き込むと、「姓名」を「生命」と書いていた。前後の文脈も考えずに書いているのだから仕方ない。さて、パソコンだから、手書きなら書かない漢字まで、漢字で書いておいた。「やっかい」「ふりがな」「きく」「ダジャレ」「のぞき」。かなでいいとおもう。いかにも オレは これだけ かんじを しっているんだぞう と じまんするように やたらめったら かんじを つかうのは やめたほうが いい と おもう。けれど、かなばかりではよみにくい。いやでもスペースをあけてかいてあればよめるかなあ。下線部は「いや・・・でも・・・」であって「いやでも」ではない。ローマ字書きだって慣れれば読めるようになるのだろうか。かなばかりの文章だと「こいつはバカか」と思われそうなのだけれど、そう思うのはよしましょう、ということが本書には書かれている。漢字にばかりこだわりすぎると、外国人が日本語を学ばなくなってしまう、それを懸念(けねん・・・これも手書きでは書かない。でも、ひらがなではちょっとかっこう悪い?)されてもいる。中国ではいかに漢字を簡略化しようとしてきたのか、どんな歴史の上で朝鮮は漢字をしめだしてハングル一辺倒にしてきたのか、そのようなことも語られている。著者あとがきで梅棹先生のことが紹介されているが、どうして「いたましい例」としてあげていらっしゃるのだろう。梅棹先生の本をよむと、目がわるくなって自分では執筆できなくなったあとも、漢字・かなの使い分けを徹底されている。まねたいけれど、なかなか難しい。(難しいは、やっぱり漢字で書いたほうが難しいという感じがするなあ。)・・・蛇足、私が漢字で書きたくないことば・漢字。距離=キョリ、個=コ、会議=会ギ、寮=ウ冠にR(これは六花寮時代に教わった字)、門構えは簡略化したい。けれど、黒板にはなるべく漢字で書いている。生徒には漢字を覚えてほしいから。漢字は必ずテストに出るのだから。矛盾をかかえ続けるのか・・・二酸化炭素=CO2、水酸化ナトリウム水溶液=水ナ水・・・、初期微動継続時間=PS時間・・・これは漢字で書かないといけない。漢字で書けない生徒があまりにも多いから。漢字でなくてもいいじゃん・・・。膵臓=すい臓(臓もかなにしたいところだけれど、すいは絶対ひらがな)。摩擦力=まさつ力(これはなぜか漢字で書く生徒が多い)。・・・しかし、漢字そのものはおもしろい。白川静先生の本ももっと読みたい。
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日本語とほかの言葉を同列で比べることにはあまり意味を感じませんでした。
日本語は音の数が少なく同音異義語が多いので、もしも漢字がなくなると意思疎通や意思の表現ができなくなるように思いました。むしろ、漢字があるからこそ、音読みと訓読みがあるからこそ、今の日本があるような気がしてなりません。
鈴木孝夫さんの本を読んだあとの感想だからかもしれませんが。
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日本語は漢字で考えるということは面白いしてきである。中国語と日本語の共通点を漢字で考えることでわかりやすいと考えていたがそうではなかった。英語の学習を文字で考えるから会話ができないということはあたっていると思われる。