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  • みんなの評価 5つ星のうち 3.5 105件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2011.3
  • 出版社: 中央公論新社
  • サイズ:20cm/362p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-12-004209-6

紙の本

オジいサン

著者 京極 夏彦 (著)

益子徳一、七十二歳、独身。定年後の人生を慎ましく過ごす独居老人の大真面目で可笑しくて少しだけせつない日常。じんわり沁みる老人小説。【「BOOK」データベースの商品解説】益...

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オジいサン

税込 1,650 15pt

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商品説明

益子徳一、七十二歳、独身。定年後の人生を慎ましく過ごす独居老人の大真面目で可笑しくて少しだけせつない日常。じんわり沁みる老人小説。【「BOOK」データベースの商品解説】

益子徳一、72歳、独身。定年後の人生を慎ましく過ごす独居老人の、大真面目で可笑しくて、少しだけせつない日常を描く。『中央公論』掲載作品を書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

京極 夏彦

略歴
〈京極夏彦〉1963年生まれ。94年「姑獲鳥の夏」でデビュー。97年「嗤う伊右衛門」で泉鏡花文学賞、2004年「後巷説百物語」で直木三十五賞受賞。ほかの著書に「死ねばいいのに」など。

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著者/著名人のレビュー

益子徳一、72歳、独...

ジュンク堂

益子徳一、72歳、独身。若い時になんとか当てた団地で独暮らし。もちろんすでに定年している。地デジ化がなにかよくわからなくて、布団から出られない徳一の72歳と6ヶ月の1週間。年をとるとこんな風になるのかなぁ。と思わず考えてしまうほどの京極夏彦が徳一じいさんになりきって書いた本です。大まじめにちょっとボケちゃう。そんな徳一さんから目が離せません。

みんなのレビュー105件

みんなの評価3.5

評価内訳

紙の本

全然面白くないお話がなんでこんなに面白いのかとおかしくなってくる

2011/04/19 23:36

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 これは変な本に手を出してしまった。僕は時代小説をあまり好まないこともあって、京極夏彦の小説を読むのはこれが初めてなのである(京極原作のドラマや映画は何本か観ているが…)。で、初めて読む京極作品がこの小説とは、我ながら「それは違うだろ」という気がする。
 江戸時代の話でもなければ怪談でもないし、妖怪も出てこないどころか、出てくるのはほとんど爺さんひとりで、しかも何も起こらないのである。全編を通じて年寄りの繰り言が延々と続く。いや、繰り言ではないかな、世迷い言と言ったほうがぴったり来るか。
 いずれにしてもこれは「そんなもん読んでどうする?」と自分で自分にツッコミを入れたくなるような小説である。しかし、一方でもう少し自分から距離を置いて考えると、どうもそういう人、つまり、年寄りの世迷い言なんか読んでも仕方がないと思っている人が読まないでどうする?みたいな気にもなってくる、なんとも言えず妙な存在感のある話なのである。
 主人公は益子徳一、72歳。務めていた会社は当然随分前に定年退職。生涯独身。同じアパートにもう10年以上住んでいる。んで、最初のエピソードは(っちゅうか、これ、エピソードと言うのかどうかよく分かりませんが)誰かに「オジいサン」と呼ばれた記憶があるが、それがいつどこで誰に呼ばれたのか思い出せないという話。「い」だけが平仮名の変な表記は、その際の妙なアクセントを表現したものだ。
 で、この小説はそのお爺さんの7日間の話なのだが、そこから同じような話がだらだらと続くのである。
 近所の電気屋がテレビが映らなくなるから買い換えろと言ってきたのに対して、「『ちでじ』だか『じでじ』だか知らんが、そんなバカな話はない。このテレビはまだ充分映ってる」と言う話や、スーパーでついつい試食してしまったソーセージが油っこくて食えないと思ったのに、試食してしまった負い目から買わざるを得ないかと悩む話とか、目玉焼きを作るつもりが途中でいろいろ忘れたり手間取ったりしているうちに、玉子焼き、炒り卵と変わってしまう話とか。
 繰り返して言うが、そんなもん読んでどうする?(実際、「今こんな本を読んでいる」と妻に言ったら、その通りのことを言われた)という本である。
 京極夏彦はまだお爺さんでもないのによくこんなもんが書けたもんだと思う。そして、この人はストーリーテラーである前に立派な観察者であり相当力量のある文章家なのだと気づいた。なんとも言えない老人の悲哀、いや、悲哀と一口に言ってしまうほど一色に塗りこめるのではなく、もちろん年を取ることの情けなさが薄いバックグラウンドにはなっているのだが、そこにはなんとも言えぬペーソスが描かれている。
 全然面白くないお話である。しかし、読み終わったときに、全然面白くないお話がなんでこんなに面白いのかとおかしくなってくるような話である。
 多分1冊目の京極夏彦としては不適切である。しかし、読んでしまったら誰かに勧めたくなる小説である。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

夫が年をとりました。だから、というわけではありませんが次女に読ませたところ、なんて哀しい話なんだろう、って意外な言葉が返ってきました。私は面白く、夫は身につまされ、長女は将来を考え、次女は老いに思いをはせる。色々な読み方の出来るお話です。

2012/01/05 21:59

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

穏やかな雰囲気のカバー画です。空の色といい、建物の色といい、地面の色といい、一つとして刺激的なものはありません。ヒロミチイト描く装画は、さわやかな初夏の風景といってもおかしくないし、これが児童書や絵本で、タイトルが「オニいチャン」であってもおかしくはありません。山影麻奈の装幀だけ見れば、明るく楽しい本だと思い込む人がいてもおかしくはない。私もそんなつもりで読み始めました。

それは半分は正しく、半分は間違った判断でした。まず、オジいサンと呼ばれる益子徳一の心はとても穏やかです。首をかしげるようなこと、疑問に思うことはあっても自分なりにきちんと判断して生きています。まさにカバー画のように明るい人生です。ところが、それを周囲から見ると違うのです。そこにいるのは記憶が衰え、時代の流れから取り残され、それすら理解できずに生きている老人なのです。

ただし、取り残されたはずの徳一の言動に理がないか、といえばそうではありません。そこに何とも言えないユーモアが生まれます。いかにも利用者のことを考えています、といった社会の動きが実は単なる消費拡大のための手段でしかなかったり、細かい規則が逆に曖昧さを生んで社会を混乱させたりしている事実を、徳一は穏やかに指摘していきます。

たとえば、この話に出てくるゴミの分別収集。確かにカセットは燃えるゴミかどうか、冷静に考えるとわかりません。たとえばプラスチックと金属が一体化しているようなカッター。金属部分は燃えないけれど握りの部分は燃える。最近のドライバーだって似たような作りです。環境配慮はわかりますが、どうも行政の側でやるべき仕事を市民に押し付けているような感がなきにしもあらず。おまけに行政によって分別方法が異なる・・・

ひと段落しましたが、地デジ問題だって誰のためやら。データがなんだとか色々言ってますが、要するにテレビを買い替えさせて、大型テレビを入れるために家のリフォームまでさせてしまう。それが終わったら太陽光だ、家庭用蓄電池だとまあ、需要発掘先行としか思えない動きばかり。老人でなくとも首を傾げてしまいます。

もっと小さな悩みもあります。一人暮らしでなくともある話ですが、例えば卵の黄身だけを使う料理。白身はただ捨てればいいか、と言われるともったいない。逆もあります。あっさり捨てることができる人はいいですが、気にし始めると悩む。欲しいのは一つだけなのにセット販売なら安くなるとか、迷います。そういう意味では、老人の目で現代の世相を穏やかに批判する書と言ったほうが分かりやすいのです。

とはいえ、徳一に全く問題がないか、といえばある。記憶力の減退です。今日は何曜日なのか、今、自分は何をしようとしていたのか、それがわからなくなる。でも、本人的にはそれは不幸でもなんでもない。ま、これは実際には違うと思います。不安になり、モノが無くなれば、それはただ物忘れに過ぎなくても人を疑う。

あふれる買い物に恥じて口を噤む。買ったものを隠す。それを忘れて物を買う。ゴミを出す日が分からなくなり、家がゴミであふれる。入浴したかどうかも忘れて、結局入ったことにして過ごすために異臭を発する。周囲の反応が変わるのはわかるのですが、それが自分に起因することが理解できずに、他人を貶し孤立する。こうなるケースのほうが圧倒的に多い。

そういう実際を知っているから、この本を読んだ次女は「哀しい」といいます。そう、すれ違いで済んでいるうちはまだいい。それが次の段階に進むと、今掲げたような状態になり、一人で生きていけなくなります。そういう祖母の姿を知っているから、次女は笑って読んでいることができません。次は父親? その次は母親? 彼女にはそういう不安もあるでしょう。

それを老人の側から描いた小説、と理解して読んでみてください。きっと、自分の周囲にいるお年寄りを見る目が変わると思います。そういうお話です。京極夏彦の凄さがわかるはずです。

目次に従って各篇を簡単に紹介すると

・七十二年六箇月と一日 午前五時四十七分~六時三十五分:オジいサン――。と呼ばれた益子徳一。思い出すのは、一昨年先代が脳卒中で死んで、跡を継いだ丸顔の二代目の顔と田中電気のこと。そして夜逃げをした笹山眼鏡店一家のこと・・・

・七十二年六箇月と二日 午前十時二十六分~五十三分:オジいサン――。と呼ばれた公園に行ってみた益子徳一。そこには学校をサボっているらしい中学生たちが立ち話をしていた。カセットは燃えるゴミか、それとも燃えないゴミかで悩む徳一は・・・

・七十二年六箇月と三日 午前九時五十分~十時四十二分:オジいサン――。と呼ばれたのが高々一週間くらい前のことだと、新聞を読みながら気づいて愕然とした益子徳一。思うのは流れていく時間の速さ。そんな時、回覧板をもった菊田さんが現われて・・・

・七十二年六箇月と四日 午後四時三十八分~五時十六分:オジいサン――。ちょっと違うんだよななあと思った益子徳一。試食で食べさせられたソーセージをこのまま買うかどうかで迷う徳一が思い出したのは、試食で昼食代を浮かしていた同僚の武田・・・

・七十二年六箇月と五日 午前十一時二分~午後〇時二十七分:オジいサン――。が料理していますよと益子徳一は頭の中で呟いた。一つ食べる積りで二つ割ってしまった卵を前に、戸惑う徳一は、昨日、その気もないのに買ってしまったソーセージのことを思い出し・・・

・七十二年六箇月と六日 午後一時十四分~四十五分:オジいサン――。だって簡単に使えますって。そういわれた益子徳一。田中電気店の二代目が盛んに勧める携帯電話、そして、じでじ対応テレビ。新聞だけ読んでいれば十分な老人に、じでじ対応テレビは必要ない・・・

・七十二年六箇月と七日 午後二時二分~五十八分:オジいサン――。い、は平仮名なんだよ、違う違うと益子徳一は思う。そんな徳一のところにやってきたオバサンは、仕事もしていないオジイサンたちに、地域のために見回りをしたらというのだが・・・

となります。初出は『中央公論』
   二〇〇九年五月号、八月号、十一月号
   二〇一〇年二月号、五月号、八月号、十一月号

出版社のHPに書かれているあらすじは以下の通り。
       *
益子徳一、七十二歳、独身。

定年後の人生を慎ましく過ごす独居老人の日常を、
そっとすくい上げて、覗いてみると――。

大真面目で可笑しくて、少しだけ、せつない。

高齢化社会を生きる全ての人に贈る、
じんわり沁みる「老人小説」です。
       *

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紙の本

京極夏彦が「老人小説」を!

2011/03/25 20:01

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:グリーンドルフィン - この投稿者のレビュー一覧を見る

京極堂シリーズしか知らない人は京極夏彦の本当のおいしさを知らない。『冥談』や『厭な小説』や『死ねばいいのに』といった異様なコンセプトの作品群に驚いていたら、今度は「老人小説」ですか? たまげました。全編引退した70代の男の独白で、特に大きな事件は起きません。でも面白い。ドキドキする。読みながら、70代の男性の頭の中という、バーチャルな世界に踏み込んでいく感じがします。テーマ的には穏やかですが、小説としてはギラギラしているんじゃないかと思いますよ。

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紙の本

ある老人の退屈な日常、面倒くさい細かなあれやこれやにつき合ってみる

2012/02/14 09:25

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:空蝉 - この投稿者のレビュー一覧を見る

京極氏には珍しい、ミステリでもホラーでもなくお笑いエンタメ系でもない・・・独り身で理屈屋、72歳のおじいさん、益子徳一による一人称の物語だ。
時間軸で考えれば彼の回想をふくめると非常に長いスパンを含んだ物語、けれど彼が繰り返し言うように
「老人の1秒は長く、1年は短い」 
彼のたった1日と数日前の記憶は本書1冊にまでふくれあがり、しかし彼の生きてきた長い時間・・・思い出話はいつも数行の「言葉」で収まってしまっている。

いや、老人でなくても退屈している時、人はその瞬間は時間があまりにも長く感じ、(これもまたのど元すぎれば熱さ忘れるとでもいうのだろうか)退屈が終わった瞬間、その不毛なスパンは何もなかったかのようにつぶれてしまう。空の段ボールがぺしゃんこになるように。

だからこの老人が行く先々で逐一、詰まらぬこととるに足らぬことに執着したり、ひたすら思い出そうと躍起になっている姿はなんだかかわいくて、面白くて、少し哀れで、悲しい。
連想ゲームのように屁理屈をひとりこき、ああでもないこうでもないと考えを巡らせ、でも結局「そんなものか」とあきらめてしまう。いや、達観しているのだと実は意地になっているのかもしれない。

彼は自分のことをこんな風に言っている。
「苦しくもなく辛くもなく、別段嬉しくもないが、普通に、平凡に、ただ生きている」

そしていつも先ほどの答えに行き着くのだ。
自分という仕事もすることも何もない、家族も友人も何も残っていない老人にとって
1秒を切り抜けるのはどれほど長く感じ、振り返ったとき1年は何もなかった空虚な物になるのだと。

とはいえ、本編はそんなくらい話でもまじめな話でもない。
普通に読んでいると老人が細かいことに逐一難癖つけたり屁理屈をこねているだけの淡々とした、ちょっとユーモラスな作品だ。
どこかで「おじいさん」いや「オジいサン」というふしぎなアクセントで呼ばれた覚えがあるが、どこでだれにそう呼ばれたのかが分からず、益子徳一は公園へ出かけ、電気屋やスーパーなど町内をうろついて帰る。
電気屋の跡取り息子がやたら勧めるジデジ(地デジ)がどうだとか、最近は電球しか買わない自分が上客かどうかとか、スーパーに行けばウインナーの試食をした自分は買わなくては行けないのかどうなのかとか、それをどう調理すべきかどうかとか、かごに入れた物は返していいのか悪いのかとか・・・
どうでもいいようなことに彼はやたら必死になって「考えて」いく。
なにしろウインナーひとつ炒めるのに、キャベツを入れるか付け合わせの卵はゆでるか炒り卵か、氏をお古か醤油にするかはたまたソースか・・・など、本当にあれこれうじうじと考えるのである。
気が短い人なら「そんなことどうでもいいだろ」「こうすりゃいいだろ」と一喝するに違いない。

ただそうして一瞬一時を細かく精密に、必死に「考え」て生きているこの老人を観察していると
何気なく何も考えずなんとなく、ただ忙しく時間を浪費している自分に気付き ふと思うのだ。

老人の1秒は長く1年は短いというが、はたしてそれは老人だけのことだろうか。
いや、1年が長かろうが短かろうが、それにさほど違いが、意味が有るのだろうか。と。
まあ、肩を張らずに何となくでいい、よんでみるといい。
ちゃんと最後は報われる。 途中経過も多少退屈するかもしれないがつきあう価値はある。
たまには老人の「退屈な時間」にそって自分の時間の長さと密度を見つめ直してみてもいいのではないかと、思う。

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2011/04/29 17:57

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2011/03/20 15:33

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2011/03/21 16:08

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2011/07/12 20:28

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2011/04/23 23:30

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2011/03/29 16:52

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2011/04/06 01:19

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2011/04/06 17:27

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2011/05/16 19:50

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