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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2011.2
- 出版社: ポプラ社
- サイズ:20cm/337p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-591-12267-9
紙の本
ピエタ
著者 大島 真寿美 (著)
18世紀、爛熟の時を迎えた水の都ヴェネツィア。『四季』の作曲家ヴィヴァルディは、孤児たちを養育するピエタ慈善院で“合奏・合唱の娘たち”を指導していた。ある日、教え子のエミ...
ピエタ
紙の本 |
セット商品 |
- 税込価格:19,030円(173pt)
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商品説明
18世紀、爛熟の時を迎えた水の都ヴェネツィア。『四季』の作曲家ヴィヴァルディは、孤児たちを養育するピエタ慈善院で“合奏・合唱の娘たち”を指導していた。ある日、教え子のエミーリアのもとに、恩師の訃報が届く。一枚の楽譜の謎に導かれ、物語の扉が開かれる—聖と俗、生と死、男と女、真実と虚構、絶望と希望、名声と孤独…あらゆる対比がたくみに溶け合った、“調和の霊感”。今最も注目すべき書き手が、史実を基に豊かに紡ぎだした傑作長編。【「BOOK」データベースの商品解説】
18世紀、爛熟の時を迎えた水の都ヴェネツィア。「四季」の作曲家ヴィヴァルディは、孤児たちを養育するピエタ慈善院で“合奏・合唱の娘たち”を指導していた。ある日、教え子のエミーリアのもとに、恩師の訃報が届き…。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
大島 真寿美
- 略歴
- 〈大島真寿美〉1962年愛知県生まれ。92年「春の手品師」で文學界新人賞受賞。「宙の家」で単行本デビュー。ほかの著書に「ビターシュガー」など。
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書店員レビュー
ヴィヴァルディの「四季」。これは誰でも耳にしたことがあると思うが...
ジュンク堂書店新潟店さん
ヴィヴァルディの「四季」。これは誰でも耳にしたことがあると思うが、彼が孤児たちにヴァイオリンを教えていたというのは初耳であった。
物語は史実をうまく絡めていて、ヴェネツィアの風景が思わず頭に浮かんでくる。
そこに様々な人との出会いやヴィヴァルディの楽譜の秘密など、最後まで美しく静かにストーリーは展開されていく。
文芸書担当 小松
「物事が動き出す時っ...
ジュンク堂書店千日前店さん
「物事が動き出す時って不思議ね。みんな、人それぞれの人生を歩んでいるのに、お互いの変化を呼び合うかのように連鎖が重なる。まるで始めからその瞬間を運命づけられていたかのように……」
これは遠い未来、火星に移設されたヴェネツィアを舞台にした漫画『ARIA』12巻(天野こずえ/マッグガーデン)での台詞ですが、18世紀のヴェネツィアを舞台にしたこの作品もまた、連鎖と変化、そしてめぐり逢いの物語でした。
ピエタ慈善院に勤務するエミーリアのもとに届いた、恩師・作曲家ヴィヴァルディの訃報。
それがきっかけとなって、支援者の女性から捜索を依頼された一枚の楽譜。
ヴィヴァルディと一枚の楽譜が、出来事の連鎖と人のめぐり逢いを生み、過ぎ去ったはずの季節が背中を押すようにして傍にやって来る。
めぐり逢いが生んだ或る邂逅に。
ひとつの謎が解ける瞬間に。
少しのさびしさと、多くの歓びに満ちたエンディングに。
様々な場面で「人生や運命の不思議」を感じ、ため息を漏らしました。
人生はままならないけれど、でもとても愛おしい。
個人的に、今年最も愛おしく感じた作品です。
(卯)
誰しも一度は耳にした...
ジュンク堂書店鹿児島店さん
誰しも一度は耳にしただろう「四季」の作曲家ヴィヴァルディの史実を基に書かれている。
ヴィヴァルディの死と、彼が残した1枚の楽譜の行方を捜すうちに、ヴィヴァルディの陰と陽が明らかになっていく。
彼を取り巻く人々が複雑に絡み合い、それが彼らの人生の転機となる。
一人の死本当に残したものは楽譜ではなく、音楽のように揺れ動く熱い想いだったのかもしれない。
文芸文庫担当
紙の本
ひとりの人の死から語りだされた物語は、生きてある人々の優しく光に満ちたひとときを最後の場面として終わります。この作品には、思えばいつもどこかで音楽が聴こえているような雰囲気がありました。
2012/02/20 19:44
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きし - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルから、十字架から降ろされたイエスを胸に抱く聖母マリアの頭を頂点としたゆったりとした三角形の輪郭がぼんやりと記憶として浮かんできます。
嘆きと祈りと慈しみ。
そんな言葉を連想しながら読み始めた物語は、恩師の訃報から始まりました。
語り手は孤児院であるピエタ慈善院に育ち、ピエタのために生きてきたに等しいエミーリア。
神への祈りとともにある女性の視点で語られる物語は抑制の効いた静けさの中で進んでいきます。
時は18世紀、ところはヴェネツィア。恩師の名はヴィヴァルディ。
彼女はヴィヴァルディが遺した一枚の楽譜を探すという役目をきっかけにして、彼女の知らなかった恩師の姿を知ってゆくことになります
曝露されていく実像とも言えそうですが、読んでいてざらつくような気持ちにならないのは、エミーリアが訪ねた人々が、深さと質の差こそあれ、真摯に故人とかかわり、彼の死を自らが悼むべきものとして引き受けていると思えるからでしょうか。
ヴィヴァルディは確かに愛されていた。ただ、その愛情が彼を幸せにしたかどうかは死人に口なし。
ヴィヴァルディはヴェネツィアを捨てるようにして離れ、外国でひとり、死を迎えました。
その距離は、遺された女性たちの差を相対的に小さなものにしたようで、やがて彼女たちの間には同じ人を愛しく語る者同士の連帯がうまれ、そのつながりが描かれていきます。
浮かび上がるのは、在りし日のヴィヴァルディというより、彼を愛しながら生き、今もってなお彼を想って生きる彼女たち自身。
そういえば、この物語には、自分を語らない男性がもうひとりいました。
登場人物のひとりであるヴェロニカの兄・カルロ。
楽譜の行方の謎とともに、物語の初めからほのめかされているエミーリアの破談の相手です。
捨て子としてピエタ慈善院で育ち、その後も「ピエタの娘」として生きてきたエミーリアの若き日の秘めたる出来事は、少しずつ彼女自身の言葉によって明かされますが、その秘密を分かち合ったかもしれないこの男性の存在は、物語の中の気になることのひとつでした。
彼は語らなかった。
彼女は問わなかった。
何を秘め、何を明かすかこそが人を表わすのだと言われますが、だとすれば、何を問い、何を問わないかもその人を表わすものなのでしょう。
ひとりの人の死から語りだされた物語は、生きてある人々の優しく光に満ちたひとときを最後の場面として終わります。
この作品には、思えばいつもどこかで音楽が聴こえているような雰囲気がありました。
それが強く美しく感じられるのはクライマックスでもある楽譜の顛末の部分ですが、この場面の音楽は穏やかにあたりを満たしています。
やがては訪れる死のとき、彼女たちはこういうひとときがあったことを思いだし、想いを分かちあうでしょうか。
そうであったらいいと、何にということはなく、祈るような気持ちになりました。
紙の本
ヴィヴァルディとピエタ慈善院っていうのは、有名な話なんですねえ、ちっとも知りませんでした。でも、このお話にとって、それはバックグラウンドであって、本当は孤児の切ない恋の物語でした。この時代とヴィヴァルディを扱った映画を見たい! そんな気持ちにさせてくれる一冊です
2011/12/13 19:58
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
まず、君野可代子の装画がいいです。イラストとアートの良さをともに持っています。上手さを前面に押し出した絵ではありませんが、味があります。ちょっと、いわさきちひろ的な雰囲気があって、ともかく小説の内容を実に上手に表わしています。線の雰囲気もいいし、こういうカバーをつけてもらえる著者は幸せだと思います。
造本もしっかりしていて、ここらは装丁の池田進吾(67)の力もあるのでしょうが、ポプラ社の作品にかける思いも感じられて、サイン本が欲しいな、と思った次第。で、早速、書誌データですが、本には
*
本書は、2009年9月に弊社より刊行された『青春音楽小説アンソロジー 僕の歌が君に届きますように』収録の短編「ピエタ」をプロローグとし、加筆修正のうえ続きを書き下ろしたものです。
*
と書いてあります。本文、巻末に主要参考文献という、シンプルな構成です。
巻頭言が、
*
アントニオ・ヴィヴァルディとピエタの娘たちに――
*
であるように、ずばり、ヴィヴァルディを中心にピエタ慈善院で育てられた少女たちの成長を描く、正統的歴史ビルドゥングス・ロマンです。そして、ある意味、今流行の〈けいおん〉、音楽版スポ根小説でもあります。主人公たちが孤児、という点は、日本のスポ根小説にはない設定ではありますが、ま、時代が時代ですからいたし方のないこと。でも、音楽団の成功というところだけに注目すれば、そういうことになります。
主人公はエミーリア、四十五年前に、アンナ・マリーアとともにピエタ慈善院に捨てられていた孤児です。いったん、乳母に引き取られたものの、聡明さが認められ再びピエタに戻り、後に慈善院の事務的なこと全般に従事することになります。ヴィヴァルディの譜面の行方と彼女の出自という謎の部分と、彼女がカーニバルの夜に出会った仮面の男への想い、そして困難な慈善院の運営が物語の軸です。
エミーリアと一緒に捨てられていたアンナ・マリーアは、エミーリアが聡明故にピエタに戻ったのに対し、その傑出した音楽的才能で、一旦慈善院から外に出たものの、乳母のもとから再びピエタに戻ってきます。ヴィヴァルディにその才能を求められ、ヴァイオリニストとしての道を歩み、ピエタの楽団を率いるようになります。
二人がピエタで育てられた孤児であるのに対し、裕福な貴族の娘・ヴェロニカは、音楽的な才能はないものの、その財力故にピエタ慈善院に出入し、そこで教養として楽器を習いに来ていました。彼女には金持の娘に見られる傲慢さはなく、己の才能の無さを認識して、後年、エミーリアにために奔走することになります。彼女の兄カルロは、人柄もよく、頭もいいし、経営の才もありますが、農地の経営に追われてます。
彼女の中心にあるのがピエタ慈善院で、そこでの音楽教育でもあるのですが、そこで要職についているのがヴィヴァルディです。そう、あの日本人なら、多くに人が彼の作曲した〈四季〉を一度は聴いたことがある、名前だけはしっているという有名な作曲家です。彼は、ピエタ慈善院の司祭ですが、独自の考えをもつため、慈善院を追われたこともありますが、結局はピエタに戻り名曲を幾つも作ります。
ヴィヴァルディ関連で忘れてはならないのがジロー嬢、売れっ子の歌手です。ピエタの出ではありませんが、ヴィヴァルディに才能を認められ、幼い時からその歌で人々から愛され、今はヨーロッパ各地で歌声を聴かせるプリマ・ドンナです。エミーリアの人生に、彼らが様々な形でからみあい、欲望が渦巻く18世紀ヴェネツィアの姿を描き出していきます。
私は、この本を読み終わって、早速次女にまわしたのですが、その理由の一つが、ヴィヴァルディが亡くなったのがウィーンだったからです。家族でいったばかりの、あの音楽の都でヴィヴァルディ逝去の地だとはしりませんでした。もう一つは、次女が中学、高校と六年間、管弦楽部でヴァイオリンを弾いていたこと、最後は主な舞台となっているヴェネツィアが、次女憧れの地だからです。
小説では、ヴィヴァルディは死後、人気に翳りが出たようですが、アンナ・マリーアやエミーリアに慕い続けられます。私も「四季」については食傷気味で早々にヴィヴァルディの音楽から撤退しましたが、最近は安価になったCDでそれ以外の弦楽曲などで心安らぐことが多く、モーツァルトやバッハよりもヴィヴァルディのほうが、癒し系の音楽としては上ではないか、と思い始めているしだいです。
最後意になりますが、内容紹介を出版社のHPから借りれば
*
18世紀、爛熟の時を迎えた水の都ヴェネツィア。
『四季』の作曲家ヴィヴァルディは、孤児を養育するピエタ慈善院で
〈合奏・合唱の娘たち〉を指導していた。
ある日、教え子のエミーリアのもとに、恩師の訃報が届く。
一枚の楽譜の謎に導かれ、物語の扉が開かれる――
ほんとうに、ほんとうに、
わたしたちは、幸せな捨て子だった。
今最も注目すべき書き手が、
史実を基に豊かに紡ぎだした傑作長編!
ほんとうに知りたかったのは、
母の正体ではなく、あなたの正体だった。
ほんとうはそうだったのに、そうと気づいたのはうんと後になってからだった。
あの人は誰だったのだろうと記憶の断片を取りだしては眺めてみる。
しげしげと眺めてみる。
どれだけ眺めても明瞭な答えはでない。
わたしはあの人の素顔を見たことがないから。(本文より)
聖と俗、生と死、男と女、真実と虚構、絶望と希望、名声と孤独・・・・・・
あらゆる対比がたくみに溶け合った、これぞまさに“調和の霊感”!
*
となります。ミステリアス・ロマンの世界をたっぷりお楽しみください。
紙の本
ヴィヴァルディの残した1枚の楽譜を巡る静かで感動的な物語
2011/03/28 17:09
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
18世紀のヴェネツィアが舞台。
ヴィヴァルディの残した1枚の楽譜を巡って
深く静かで、しかし感動的な物語が展開します。
語り手は、ピエタ慈善院に住み込みで働くエミーリア。
エミーリアは孤児として、ピエタ慈善院で育てられ
頭の良さからピエタの運営に携わるようになり
現在に至っています。
ピエタはこのような孤児たちから、音楽に才能のある女の子を
<合奏・合唱の娘たち>に選び、音楽会を開き
その収益と寄付によって運営されています。
<合奏・合唱の娘たち>には貴族の娘も参加することができ
ヴェロニカも幼い頃、エミーリアたちに混じって
音楽を奏でていました。
彼女から大口の寄付の代わりに
音楽の得意ではないヴェロニカのために
ヴィヴァルディが特別に書いた1枚の楽譜を
探してほしいと持ちかけられます。
この1枚の楽譜を追いかける過程で
当時のヴェネツィアの繁栄、カーニバル、
孤児として、あるいは音楽家としての身の振り方などを
読者に見せていきます。
孤児として生まれ、音楽に才能のある者、
別の才能を開花させ、幸せをつかむ者。
それはゴンドラの速度のようにゆっくりで
たゆたう波間に現れる、つかの間の真実を
追い求めるようなもの。
正直、最初は退屈でしたが、作者の意図がわかるにつれ
このゆったりとした物語に身を委ねられるようになります。
ヴィヴァルディに関して、丁寧に史実を追い、
次々に明らかになる彼の真実の姿は
名声と凋落の合間を行き来する不安定な身分の
淋しさと厳しさを感じます。
そんなヴィヴァルディと娘たちを結びつけるのが
コルティジャーナ(高級娼婦)のクラウディア。
巧みに物語を紡ぎながら、最後には感動的に
楽譜の行方がわかります。
音楽は決して高貴なものだけのものではなく
小さな、もしかしたら才能の乏しい者にさえ平等に
それを楽しみ、それを紡ぐことを許すのでしょう。
紙の本
ふわふわとした雰囲気が特徴か。
2015/09/28 15:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:紗螺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小説は、ヴィヴァルディが死んだことを聞いてピエタ(孤児院)の娘が嘆くところから始まる。嘆くといっても強く嘆いているのは音楽の才能にあふれたアンナ・マリーアで、語り手はそれほどでもない。この部分を読むと、話はアンナを主に絡めて動いていくのかと思うが、そうでもない。アンナは意外なほど出てこなかった。
ヴィヴァルディの家族、弟子、ゴンドラの漕ぎ手、高級娼婦と色々ふわふわ漂っていく。筋が一本ぐいと通った話ではなく、落としどころや訴えどころがあまりよくわからない。話の流れが納得できないところも何箇所かあった。ただ、全体の雰囲気としては悪くないものを感じた。