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商品説明
若者たちの思いが集められた雑誌「童話」には、金子みすゞ、淀川長治と並んで父の名が記されていた—。創作と投稿に夢を追う昭和の青春 父の遺した日記が語る“時代”の物語。【「BOOK」データベースの商品解説】
大正末期、旧制中学に通う少年は創作への夢を抱き、児童文学の現場で活躍する若者たちと親交を持つ。遺された日記を手がかりに綴る、文化薫る著者の父の評伝風小説。『オール讀物』連載を書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
北村 薫
- 略歴
- 〈北村薫〉1949年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。高校で教鞭を執りながら執筆を開始。89年「空飛ぶ馬」でデビュー。「夜の蟬」で日本推理作家協会賞、「鷺と雪」で直木賞受賞。
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紙の本
この巻は、もっと続くお話の最初の部分です。どれほどの長さになるのかはわかりませんが、折口信夫と演彦はどうなるんだ? で、次に引っ張るところは流石にエンタメというか連載物のつぼをはずしていません。いつ出るのでしょうか、この続き・・・
2011/12/15 18:33
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は結構、色々なジャンルの本を読みますが、自伝や家族のことを書いたものについては敬遠をしてきました。理由は単純、私にとって読書は、楽しむために行う行為で、そのなかに他人様の家庭のことを知る、というのは入ってこないのです。人さまは人さま、私は私。夫にもそういうところがあって、他人の家の話をすると不機嫌になります。総じて、我が家ではゴシップの類の話はしない。だから、ワイドショーは見ない(地上波難民のせいでもあるんですが)。週刊誌は読まない(お金がない)。伝記も私小説も避ける、ということになります。それに、タイトルの「いとま申して」が、なんとなく「露とこたへて」「ながめせしまに」にかぶるわけです。前者は前衛歌人として有名な塚本邦雄の小説(なぜか、全集には収められていません)、後者は半村良の短篇。いえ、字数以外は似ていないだろ、っていわれても困るのですが、でも私の中では仲間。もっといえば藤沢周平の小説のタイトル、っていわれても納得してしまう。
とまあ、色々へ理屈をこねたんですが、要するに魅力を感じない。しかもです、カバーの謡口早苗の絵ですが、どかこ不気味で、地色の濃い茶色も含めて、手を伸ばす気にならない。実際に読んでみて思ったのですが、やはりこの話にあっているとは言い難い。装丁者の大久保明子は、どう思っているかしら。ということで、暫く、洞ヶ峠を決め込んでおりました。ところが、色々考えると、最近、北村薫の本に教えられることが多い。アンソロジーとはなにか、名作とはどのようなものか、どうすれば小説が書けるのか、ともかく文学全般について北村ほど親切に、様々な知識を駆使して、読みやすい文章で説いてくれる人は、ほかに丸谷才一と村上春樹くらいしか思い浮かばない。そういうひとの書くものを、それが父親のことが描かれているから、とただそれだけで退けていいか!
なんてね、ようするに読みたくなったっていうだけなんですけど。全体構成は、序 春来る神、第一章~第十一章、付記、となっていて、初出は「オール讀物」2009年10月号~2010年11月号(2010年5月号を除く)。帯の言葉は
*
創作と投稿に夢を追う昭和の青春
父の遺した日記が語る〈時代〉の物語
若者たちの思いが集められた雑誌「童話」には、
金子みすゞ、淀川長治と並んで父の名が記されていた――。
*
となっています。で、お話です。北村の父親は、神奈川の眼科医の五男でした。家のあった保土ヶ谷から、横浜の伊勢崎町にまでかなりの地所を持っていたそうですが、父の青年時代に家は傾き、それを売っては暮らしていたといいます。その後、埼玉に移り、管理職こそ経験しないものの長く教務主任だった父は、勤務先の町内にある高校から、大体、六時半頃に、歩いて帰っていました。
出生についてもう少し細かく書くと、父・演彦(のぶひこ)は明治四十二年三月二十九日、神奈川県横浜市保土ヶ谷の眼科医の家に生まれ、没年は平成四年八月十七日。生まれ故郷保土ヶ谷の、曹洞宗天徳院に眠っていて、戒名は清教院白雲演遊居士、だそうです。で、この本、連載を読んでいる人はわかっているのでしょうが、じつは長いお話の第一巻で、まだ完結していません。
付記のなかにも、この本を第一巻、と書いてはありますが、全体がどれほどの長さになるのかも明記されてはいません。ただ、雰囲気的には3~4巻にはなるのではないか、そんな気がします。では、ここで扱われるのは演彦の人生のどの時期か、ということになります。幼年期のことがあまり描かれていないのは、基本的に本人が書いた日記に拠っているせいでしょう。日記の第一冊目は、大正十三年のもので、それは演彦、14歳、神奈川中学――現在の希望が丘高校の生徒のときから始まります。そして震災。実は、このところで面白い文章にぶつかります。ま、これは私だから喜んでいるようなものなのかもしれませんが引用しましょう。
*
さて、ロベスピエールに――といえば唐突だが、あのフランス革命の立役者に、有名な逸話がある。佐藤賢一氏の『革命のライオン』(集英社)から引かせてもらえれば、一七七五年、ランスで戴冠式を挙げたルイ十六世が、パリに立ち寄りルイ大王学院を視察した時、《かかる光栄の機会に古典の最優秀成績者として、ラテン語の歓迎演説を陛下に差し上げた十七歳の学生こそ、マクシミリアン・フランソワ・マリー・イシドール・ドゥ・ロベスピエールだったのだ》。
*
とあります。なにが嬉しいって、北村が佐藤賢一の『革命のライオン』を読んでいることがわかったからです。それにしても唐突ではあります。それはともかく、演彦、成績は決してよくはありません。神中に入り、慶應大学に進むのですから頭が悪いということはないのでしょうが、努力して成績をよくしよう、などという気配はどこにもありません。厭な先生の授業であれば受けない、そして成績が悪くなれば、ああ、これで落第か、と嘆き焦る、まさにお金持ちの五男坊らしい鷹揚さです。
実はどうもこの巻を読む限り、遊び人・演彦に対する家族の愛情が伝わってきません。兄の倫彦は弟のためにいろいろ尽力もするし、受験結果を見に行ったりもします。弟も、その結果を真っ先に知らせようとする。妹は兄と同じように文芸の道を目指し、何くれとなく兄に相談をもちかけます。また母親は、息子が同人誌に参加したいと言えば何も言わずにお金を出します。大学時代の毎日のお弁当を作ったのも母親でしょう。
演彦も兄に感謝をし、弟が神中に受かることを願い、妹が文芸の道を歩むことを陰日向に応援し、母親にお金のことで迷惑をかけないように心配します。にも関わらず、読んでいて〈能天気〉以外のなにものでもありません。なんていうかゴンチャロフ『平凡物語』に登場するアレクサンドル・フョードルィチのことが脳裏をよぎる。公にその才能を認められるという点では演彦のほうがはるかに上ですし、お金にもあまり困っていない。勿論、彼がいる慶應大学にはもっとお金持ちの村田君や、趣味に生きる加賀山直三のような学生がいるのですが。
それにしても、後半になって登場する二人の美青年が、一人は慶應でも屈指の金持であり、一人は文学に情熱を燃やしながら生活のために身を粉にしては足らなければならない境遇にあるというのも運命でしょうか。北村自身「物語なら、この相手が美少女で恋愛にでも発展するところだが」と書かれる千代田愛三の少女にも見まがうよわよわしい美青年ぶりとその悲しい運命には、現実の厳しさを知らされます。そして、文中に思わせぶりのように名前だけ姿を見せる折口信夫と演彦は、この巻ではきちんと顔を合わせることはありません。当然、次の巻は、この出会いが中心になるのでしょう。
紙の本
ルーツを追いかけ共有できる幸せを追いたくなる一冊
2011/11/24 20:17
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:プラチナ若葉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これはとても個人的な作品だ。
父の死後に遺された日記帳を元に父の若き日を著者がたどる、それだけのものだ。
生前教員をしていた父は家族の前では癇癪持ちで、相撲が好きで、著者が父から渡された辞世の句になぞらえたように「説教節の調べに乗り、端役として」現世を去って行った、そんな時代の流れの中に消えていくような大部分の人間の一人だ。
その父の若き日の日記から著者はまるでパズルでも組み立てるように、一人の希望に満ちた少年が悩み、社会にもまれながら青年になっていく姿を浮き彫りにしていく。
日記を通してみる若い日の父は郷土史に登場する名門の一家に生を受けた文学と創作への夢を持つ少年である。
旧制中学では映画を見たり、試験の出来に一喜一憂するような、今の高校生でも十分共感できるような日常を送りながらも、創作への夢を持つ仲間と雑誌を作ることを考えるような血気盛んな学生だ。
戯曲を投稿・掲載されあこがれの存在である選者から、才能を認められる選評ももらっている。
また、友人と雑誌を作ることを校長に阻止されたり、慶應への入学試験に向かって猛勉強していく姿には当時の知的エリートたちがどんな毎日を過ごしていたのかうかがい知ることができるのも興味深い。
同じ夢を持つさまざまな境遇の仲間たちとの出会いと別れ、あこがれの存在であった先輩が童話から背を向けて去っていくことへの苦い気持ちなど、歴史に名を残す人たちとの触れ合いや文学館に残る資料などから浮き彫りになっていく著者の父の若き日の思いに読者は自然と寄り添い共感してしまう。
また現代に生きる著者が父の日記に登場する石碑を実際にその地で見ることで、私たちも時代に流されながら生きていく存在だという感慨も抱く。この本の主人公は著者の父である。しかし読者は自分たちにも著者の父と同じ時代を生きた両親や祖父母がいて生き生きと存在していたことを感じるのではないか。
そしてもし読者の系類で時代を生きた痕跡をのこすものがいれば、著者のように徹底的に追いかけ、その生きた証を実感したくなるのではないだろうか。次に実家に帰ったら手始めに埃だらけの物置を探索してみたくなる、本書はそんな一冊である。
紙の本
「若さとは、まことに恐ろしいものである」(142頁)と綴る著者の優しさがあふれる
2011/06/25 10:45
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
北村薫が自身の父が綴った戦前の日記をもとに描く昭和3年から4年にかけての日々。父・演彦(のぶひこ)は童話作家を目指して仲間たちと同人誌活動にいそしむ慶応ボーイであった…。
北村薫らしい、選び抜いた端正な日本語で紡ぐ昭和の暮らしが、心に沁み入ります。
丹念に資料を当たり、時代の空気の匂いまでもを再現しようとする努力は、北村のこれまでの作品『鷺と雪』などでおなじみのもの。安心して読み進めることができるといえます。
淀川長治、金子みすゞ、折口信夫といったそうそうたる顔ぶれと父とが、ほんのわずかに縁(えにし)を結ぶ瞬間が現れるところも興趣を添えます。
しかしなんといってもこの物語の要(かなめ)は、今は亡き父が若き日に抱えていた、何かを成し遂げたいとたぎらせた青い思いと、そこへたどり着けないということを日々強く承知せざるをえない焦燥とです。そんな父の姿を、痛みと慈しみとをもって著者は描きます。
「若者は、すぐに高揚したり打ちのめされたりするものだ。」(151頁)
「何者かになりたい、何者かでありたい―――という思いは、容赦なく若者を責める。時にそれに捕らえられ、身動き出来なくなることもある。
―――鴻ちゃんは、すでにこんな展覧会を開くまでになったのか。
それなのに自分はという思いが、鞭(むち)となって心を打つ。」(209頁)
残念であると同時に、幸いであることに、物語はまだ幕を閉じていません。
冒頭に姿を見せた≪春来る神≫であるうら若き女性とは、一体誰なのか。
「物語は、書かれるべく待っている」と最後に記された著者の言葉を信じて、今はその日をじっと待ち続けるしかありません。