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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2011.1
  • 出版社: 作品社
  • サイズ:20cm/538p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-86182-311-4
  • 国内送料無料

紙の本

チボの狂宴

著者 マリオ・バルガス=リョサ (著),八重樫 克彦 (訳),八重樫 由貴子 (訳)

1961年5月、ドミニカ共和国。31年に及ぶ圧政を敷いた稀代の独裁者、トゥルヒーリョの身に迫る暗殺計画。恐怖政治時代からその瞬間に至るまで、さらにその後の混乱する共和国の...

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チボの狂宴

税込 4,180 38pt

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商品説明

1961年5月、ドミニカ共和国。31年に及ぶ圧政を敷いた稀代の独裁者、トゥルヒーリョの身に迫る暗殺計画。恐怖政治時代からその瞬間に至るまで、さらにその後の混乱する共和国の姿を、待ち伏せる暗殺者たち、トゥルヒーリョの腹心ら、排除された元腹心の娘、そしてトゥルヒーリョ自身など、さまざまな視点から複眼的に描き出す、圧倒的な大長篇小説。【「BOOK」データベースの商品解説】

1961年5月、ドミニカ共和国。31年に及ぶ圧政を敷いた稀代の独裁者トゥルヒーリョの身に迫る暗殺計画。恐怖政治時代からその瞬間、さらにその後の混乱する共和国の姿までを、さまざまな視点から複眼的に描く長篇小説。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

マリオ・バルガス=リョサ

略歴
〈マリオ・バルガス=リョサ〉1936年ペルー生まれ。ラテンアメリカ文学を代表する作家。2010年ノーベル文学賞受賞。著書に「緑の家」「噓から出たまこと」など。

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みんなのレビュー26件

みんなの評価4.7

評価内訳

紙の本

三つの視点から描き出された独裁者暗殺の実相

2011/02/05 13:52

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る

2010年ノーベル文学賞受賞者マリオ・バルガス=リョサ著“La Fiesta Del Chivo”の本邦初訳。本国では2000年に発表されたこの作品、リョサの代表作という声も上がるほどで、すでに各国語に翻訳されている。直訳すれば『山羊の祭』だが、その繁殖力の旺盛なことから好色漢に喩えられる山羊を意味する「チボ」をあだ名にしていた男、ドミニカ共和国36代大統領、ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナの暗殺の顛末を描いている。

原著、訳書とも表紙を飾るのはアンブロージョ・ロレンツェッティのフレスコ画『悪政の寓意』である。山羊の角を生やした黒衣の男が足下に従えているのは、布でぐるぐる巻きにされ、自由を奪われた「正義」である。禍々しい絵柄が仄めかすのは、トゥルヒーリョ政権下のドミニカ共和国の狂態であろう。一介の庶民から一代にして大統領にまで上りつめた男は経済的に破綻していたドミニカを立て直し、「祖国再建の父」とまで謳われた国家的英雄であった。しかしその一方で、不正な選挙、脅迫、暗殺を繰り返し、一国の経済を私物化し莫大な個人資産を作り上げ、個人崇拝に基づく恐怖政治を敷き、ドミニカ共和国を31年間の長きにわたって支配した独裁者である。

第一章は1996年。35年ぶりに帰国した主人公が、父を訪ねる場面から始まる。章が変わると場面は1961年。その日殺される運命のトゥルヒーリョがベッドから目覚めたところ。次の章に入ると時間は同じ日の夜に変わり、海岸沿いの道で標的の車を待ちわびる暗殺者たちの会話、と章が変わるたびに、女性・老人・若者という年齢も性も社会的階層も異なる複数の視点が目まぐるしく転換する。見る者の置かれた立場が変われば、トゥルヒーリョという伝説的な人物の死が意味するところもそれぞれ異なる相貌の下に立ち現れてくる。異なる語り手が異なる角度から事件が起きた現場に繰り返し登場し、トゥルヒーリョのやってきたことを証言してみせる。

第一の語り手はウラニア・カブラル。その父は、かつてはトゥルヒーリョ政権を支える大臣として周囲の尊敬を集めていたが、何故か政権末期に失脚し、今は見る影もない老人である。しかし、ウラニアは14歳の時に国を出て以来、35年間というもの父と一切連絡をとらなかった。いったい二人の間に何があったのか。小説はウラニアの独白ではじまり、独白で幕を閉じる。その間に独裁者暗殺の顛末が挿入され、話としてはそちらが抜群に面白いのだが、緻密な伏線が張られ、最後に驚くべき真相が明らかになる、というミステリ仕立てで、ウラニアが従姉妹や叔母たちに隠し通してきた秘密を語るのが、この小説の主筋である。

第二の語り手は独裁者その人。その日暗殺されることになる1961年5月30日の夜明け前から夜までを一人称視点で物語る。形の上では大統領職を退きながら、事実上精力的に政務をこなす独裁者の一日が独白と会話で克明に描き出される。モノローグで語られる強欲な妻や愚昧な息子たちに対する愚痴、男性的能力の衰えに対する不安には、無類の女好きで知られる男の等身大の姿がにじむ。また現大統領や秘密警察長官との会話からは、米国と対等に渡り合う軍事指導者としての力量と、恐怖によって部下を支配する独裁者としての実像が垣間見られる。頂点に立つ人物の万能感と孤独。リアル・ポリティクスの持つ迫力にピカレスクロマン風の味わいが重なり、陰影に富む。

第三の語り手は、暗殺を企てた将校たち。複数の人物が代わる代わる視点人物となり、それぞれが殺意を抱くことになった理由と暗殺後の経緯を物語る。他の二者の主観的な語りとちがい、複数の人物が比較的長い時間にわたる出来事を物語る。独裁者が殺害されたと同時に蜂起するはずの軍が動かないために英雄になるはずだった将校達は次々と捕らえられては残酷な拷問を受ける羽目に陥る。なぜトゥルヒーリョの娘婿にあたるロマン将軍は裏切ったのか。将軍の視点から事態を見ることで読者はその苦い事実を知ることになる。決行の夜の緊迫感から、腰砕けのような決行後の展開、そして逃亡。逃げ延びた犯人が暗殺犯から英雄に変化していく経過が感情を排したドキュメンタリータッチで淡々と叙述される。

三つの視点から描き出された一つの事件。芥川の『藪の中』や、その映画化作品『羅生門』を思い出させる。三人のうち一人が殺され、その死に至る真相を三人が物語るところまで同じだ。リョサの巧さは上に述べたように三者三様の語り口を用意したことだろう。独裁者の死という事実一つをとってみても、その事件に遭遇した者の住む世界によって、全く異なった物語になるということを証明して見せた。特にウラニアという女性の視点から、男たちが牛耳る世界を裏側から照射してみせる手際は、フロベールに私淑するリョサならではの円熟の小説作法である。

今の話かと思って読んでいると、突然35年前に連れ戻されるというフラッシュバック的な技法も、自分のことを二人称で呼ぶヌーヴォー・ロマン風の記述も慣れてしまえば、読むのに支障はない。それよりも、圧倒的な筆力で描き出される独裁政権の裏面が凄い。何かを聞き出すためでなく、ただ苦しめることだけを目的とした拷問の執拗な描写は、目を背けたくなるほど。イザベラ・ロッセリーニ主演で映画化されているというが、この拷問場面など、どのように処理されているのだろうか。3D流行りだが、文章でしか表現し得ないものもあるのだ。

さて、世界はチュニジアの政変をきっかけにエジプトやヨルダン、イエメンなどの独裁政権国家に民衆蜂起が飛び火しつつある。独裁政権が打倒され、民主政府が誕生するのは喜ばしいことだが、事の成就はそれほど簡単ではない。独裁者の一番の問題は政権を奪われることを恐れるあまり、次の政権を担当する人材を育てないということに尽きる。小説の中では傀儡であったはずの大統領バラゲールという人物が悪魔的ともいえるほどの変貌を見せて事態収拾に奔走する。その意味では、この人物を大統領に抜擢したトゥルヒーリョの眼力は大したものだったと改めて思うのだが、事実は小説よりも奇なりという。事態はどう推移してゆくのだろうか。思わぬ時宜を得たノーベル賞作家の本邦初訳である。これを読まぬという手はない、と思うのだが如何。

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紙の本

暴政で人の自由意思を奪い骨抜きにする独裁者のグロテスクにも、保身のため犠牲を払って困難を乗り越えようとする追随者たちのグロテスクにも、吐き気がする。これは果たして他人事なのか。31年かけドミニカを私物化していったトゥルヒーリョの独裁と、共和国・国民が受けた外傷をノーベル賞作家リョサがむき出しにする。

2011/02/15 12:22

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 グロテスク極まりない小説だ。
 「読んでいて胸にこみ上げてくる本」というのは褒め言葉だが、「読んでいて胃からこみ上げてくる本」、つまり嘔吐をもよおす本というのは批判になってしまうのか。
 「オエッ、オエッ」とつぶやき、気持ちわりィと思いながら読み進めた部分が多い。生々しく表現がのしかかってきて、せっかくの読書だというのに、拷問されているのか、虐げられているかのような苦痛体験をさせられた。再読は、考えただけでしんどい。

 痛烈な読書体験は保証される。文学なる芸術は、ここまで人間と社会、それが作る歴史の暗部をえぐり出し、生身たる読み手やうごめき続ける社会に強烈な一打を食らわせられる。だからといって、どうだったかと問われれば、「面白い」という言葉に集約できるものでなく、「ひどい目にあった」と、うつむきかげんで答えよう。

 物語は、1930年にドミニカ共和国大統領に就任以来、31年にわたって権力をほしいままにした南米屈指の独裁者トゥルヒーリョの狂気の沙汰を描く。また、黒い太陽たる彼を中心に、衛星のように位置した同国人たちの屈辱と悲劇を描く。「天王星」を意味するウラニアという女性、その父親でトゥルヒーリョに重用されつつ訳が分からないままに失脚させられた人物など、作家リョサによる人物造型もあるが、主要な人物も事件も、史実に基づくものとなっている。

 語りは大河のごとく上から下へと押し流されて行かない。1961年の暗殺前夜の日々と計画通り展開しなかったゆえの暗殺後の国家流動の日々、米国に移り住んだウラニアの1996年の帰国という二つの時代を行き来する。
 さらに、トゥルヒーリョ、ウラニア、政府要人たち、暗殺者たちといった様々な人物の視点から、独裁政権の安定と腐敗、各人の半生と失意が追想されたり、批判されたり、自嘲されたりで、ない交ぜに語られる。
 35年もの間、身内に連絡もせず、ウラニアが米国で暮らしてきたのはなぜか。トゥルヒーリョに絡む秘密の全容が、最終章で明らかにされる。そこに向け、とんぼ帰りのウラニア帰国の一日が少しずつ進んでいく。回想と打ち明け話で、才色兼備の14歳だった彼女の前途洋々たる行く末が、いかに蹂躙されたかが分かってくる。

 独裁政権への不満を溜め込んだ暗殺者たちのことも、遅々としたペースで実行当日の半日が描かれる。決定的瞬間への待機の間に、それぞれが過去にトゥルヒーリョに味わわされた屈辱が回想され、政権のお粗末な舞台裏と、政権維持のために作り出された弾圧・懐柔のシステムの怖さが見えてくる。
 トゥルヒーリョその人にとっては、毎朝午前4時起きの習慣通りの朝から、官能をリラックスさせる夜の楽しみ前の長い執務がそろそろと始まっていく。より高いポストに登用されたい、今の地位は死守したいと望む高官たちを、互いにライバル視させて競わせ、マスコミ操作のような策略で生かさず殺さず働かせる。そういう者たちから次々と国政・軍事の報告を受け、指示を出し、叱責する。時に、不利益をもたらす人物の抹殺命令を下すのが、大元帥となったトゥルヒーリョの日常なのである。

国全体に張りめぐらされた不吉なクモの巣を取り除くには、すべての糸が集中するクモ自体を始末するしかないと。(P173)

 そのように悪名を馳せた独裁者も、大統領就任時は「祖国の恩人」と呼ばれるに値する、人気や実力のある政治家だった。内紛を終結させ、川をはさんた隣国ハイチの侵略を食い止め、経済発展で国を富ませた上に外債償還を果たし、米国からの経済的自立を勝ち得る。
 しかし、その実態は最初の大統領選から不正を働き、貧困層を焚きつけアフリカ系のハイチ移民を排除する白人化政策を断行し、国庫を支えられるほどに企業を私物化し、高官たちの妻にまで手を出す。卑劣な好色漢である。

 物語の中で私が気持ち悪く感じたのは、気に入らない相手をツノで押しのけるチボ(山羊)の発情期のようなトゥルヒーリョの暴虐や、彼の死後に捕らえられた暗殺者たちが、トゥルヒーリョの息子によってかけられた拷問の在りようなどが、凄惨だったということだけではない。
 権力者によって牙を抜かれ、死体のように腐食しながら人生を送る男たち、女たちの生きようが無残であり、その無残さが自分にも身に覚えあるもの、また、自分の周囲にいくらでも見られたことだからだ。

 ちょうど今、エジプトで30年近くの長期にわたって政権の座にあったムバラクが、その地位を追われた。ムバラクその人は、トゥルヒーリョほどの暴政を行ってきたわけではないだろうが、国の救世主だった彼も、政権半ばから、その安定のために人権を抑圧し、管理統制を行き渡らせていた。
 独裁政権そのものが20世紀までの遺物、人類にとってのトラウマだというわけではない。そして、政治を離れたところでも、組織社会、管理社会と言われる社会のあちこちに、権力によって自由意思や尊厳を損なわれ、人としての在りようを歪められ、疑問や屈辱のうちに暮らす人々は少なくない。
 上の人間に取り立てられようと、誰かを踏みつけにし、自分の出世の妨げにならぬよう画策する例も珍しくはなかろう。

まあ、政治なんてものはそんなもんだよ。仲間の屍(しかばね)を踏みつけて進むぐらいのことを平気でできないと(P264)

 けれども、踏みつけられた屍もまた、時と場所を変え、ちょっとした地位についたり、少しばかりの賞賛を浴びたりすれば、いつかの誰かのようなおごりを発揮する。
 出世欲は向上心とも結びつくので、人はあらゆる欲を克服して聖人のよう生きるわけにもいかない。ただ、その欲が多くの犠牲の上に成り立っていき、それに一縷の迷いや苦悩も感じなくなったとき、グロテスクな化け物が闇にうごめき始める。では、誰かが食べられるはずだったトウモロコシを家畜に飼料として与え、その家畜の肉をうまい、うまいと食っている者もまたグロテスクなのか。

 リョサは「小説のなかで異なる文化や価値観の出会いとそこから生まれる葛藤を表現することで、読者の人間性に対する理解を深め、良識や感性を養い、現実に起こっている問題を自身の問題として受けとめられるよううながし、“自分の主張のみが正しい”とする狂信主義へと人々が傾くのを阻止する――それが、現代に生きる作家としてのみずからの使命である」(P535/訳者解説)と考えているという。
 吐き気を抑えつつ、こういうグロテスクな小説を味わうことは圧政に虐げられるに近しい。小説から解放されたとき、我々がグロテスクを調伏し、どのような自由意思を働かせるのかに体験の成果は左右される。


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紙の本

独裁者を抑えることができるのは時間だけなのか

2011/07/17 06:35

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ドミニカ共和国を長年に渡って強権統治した独裁者トゥルヒーリョ。彼が暗殺される最後の日々、彼を暗殺する人々の決行の日とそれ以後の苛烈な運命、暗殺後の混乱を収拾していく後継統治者の綱渡りの知略、そして父親がかつて閣僚のひとりであった女性ウラニアの現在からの回想、といった異なる縦軸が入れ替わり立ち替わり登場と退場を繰り返しながら物語は進行していきます。

 先日ジュノ・ディアス著『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』を読んで、多くのドミニカ人の人生を蹂躙したトゥルヒーリョという男の存在に興味を持ちました。ノーベル賞受賞のペルー人作家が同じ人物を中心に据えた小説があると知り、この『チボの狂宴』を手にしました。

 小説の前半3分の2ほどまでは、気弱な部下たちが気難し屋の上司の顔色を見ながら職務にいそしむといった会社残酷物語調なところが見られなくもありません。嫌な上役のもと、それでも家族のために働くお父さんたち、といった具合に哀調を帯びた物語が展開するのです。
 が、後半は一転、為政者とその一派のとめどない暴走ぶりが物語をおおいつくします。あまりに苛虐な描写に息をとめることも二度三度あるほどです。静かに進んだ物語の薄い覆いが突然はがされて、その真の姿を見せたときに、読者は大いにたじろぐことでしょう。

 トゥルヒーリョが齢七十に達しても他者を抑えつけることによってしか自らの存在に手ごたえを感じられなかったこと、つまりは、自らの<男性>性にからめとられてしまっていることに哀れを感じないではいられません。
 そして彼は個人崇拝の異常な政治体制を築いた30年という歳月によって最後は組み伏せられたといえるかもしれません。時が与える残酷な衰えに涙する独裁者。
 しかし、人間が長じるにつれて自らの心身の変化を<衰え>と否定的にしかみなせないのか、それともそれを<成熟>という言葉で肯定的にとらえることができるようになるのか、その別れ道を見誤った為政者の末路が描かれているようにも思える小説です。

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 500頁を越える大作を見事な日本語に移し替えた訳者の力量には大いに敬服します。バタ臭さを一向に感じさせない、大変読みやすい日本語に助けられて、この長編小説を最後まで楽しく読むことができました。
 今後長きに渡って多くの日本人読者の間で受け継がれてほしいと思わせる翻訳であるだけに、増刷の際に修正が必要だと考える箇所をわずかながら以下に列記しておきます。

 「とんでもございません」(49頁)とありますが、「とんでもないことでございます」が正しい日本語です。「ない」というのは<ある/ない>という意味の「ない」ではなく、「幼い」「もったいない」「はしたない」という言葉の中の「ない」と同じく接尾語です。

 「クライエント」(60頁)はスペイン語では確かに「cliente」と綴りますが、日本語では一般的に「クライアント」と表記します。
 
 「娘の爆笑を前に」(136頁)とありますが、「爆笑」とは「大勢の人がどっと笑うこと」(大辞泉)であり、「娘一人で爆笑する」ことはできません。

 「第一日め」(364頁)とありますが「第」と「目」の両方を使うのは誤用です。

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梟雄の屈辱の夜こそ、独裁制の実質的な終焉の刻だった

2012/04/28 15:56

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る


 ドミニカ共和国を30年以上に亘って完璧に独裁したトルヒーヨの全盛時代とその栄光の座からの転落を、あざやかに描破した南米文学の最高傑作です。

 この「祖国の恩人」、「国家再建の父」が、その持って生まれた才覚と熱情と勤勉を武器に軍事政治経済社会の中枢を一身に掌握していく有様、また奴隷のように盲従する手下たちの己むを得ざる卑しさ、そして独裁に挑むテロリストの命懸けの陰謀の進行を、私たちは隣室で見聞きしているような臨場感と共に手に汗握って体感できるのです。

 しかも著者は、数多くの歴史上の実在人物が登場するこのドキュメンタリーな物語を、時系列を無視した人物ごとの複合的な視点からいくたびも語り直すので、その都度小説は新たな輝きと微妙な陰影を帯びて歴史の裏舞台からいきいきと立ち上がります。 
 
 漸くにして独裁者を斃したにもかかわらず、味方の将軍の裏切りで捕えられ、陰嚢を切断されるなど身の毛もよだつ拷問の末に惨殺されてゆく暗殺者たちの末路こそ哀れなるかな! しかもあと数カ月年生き延びれば「英雄」の称号が贈られたとあれば、歴史の皮肉と野蛮を痛感せざるをえません。

しかしこの小説で一番印象に残ったのは、「チボ(発情期の雄山羊)」と呼ばれた大元帥の挫折のシーンです。美しき人身御供の無数の処女膜を強靭な男根で次々と突き破ってきた不敗の独裁者は、本書のヒロイン、ウラニア嬢のフェラチオをもってしても勃起しません。怒りにまかせてそれを指で破った後で70歳の老人はついにおいおいと泣きだすのですが、この回春の狂宴、一転して梟雄の屈辱の夜こそが、独裁制の実質的な終焉の刻だったのです。


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これぞラテンアメリカ小説

2024/02/25 00:14

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る

トルヒーリョは1930年から約30年にわたってドミニカ共和国で独裁政権を築いた。そのトルヒーリョ政権末期を舞台にしたもので、これぞラテンアメリカ小説という主題であるが、ジュノ・ディアスのような若い世代からは違和感があったようである。ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』と合わせて読みたい。

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2011/02/05 01:12

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2011/05/23 16:24

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