紙の本
原武史教授の苦い青春と鉄道との出会い
2011/01/04 00:48
12人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は好評を博したNHK「知る楽 探求この世界」のテキストとして刊行された「鉄道から見える日本」をベースに大幅に加筆再編集したものである。NHKのシリーズも大変面白い番組であったが、本書はテレビ番組では放映されなかったものも大幅に書き加えられており、更に充実したものとなっている。
本書で著者の肉声が力強く伝わってくるように感じられる部分は、著者と鉄道との出会いを記した212頁以下の部分であろう。『滝山コミューン1974』にも書いてあったが、当時著者は日本共産党の細胞によって支配された滝山団地と、日教組から生まれた民間教育研究団体「全国生活指導研究協会(全生研)」が推進するソ連の教育方式に範をとった歪んだ教育方式に反発し、共産主義者が進める強烈な集団主義教育と異物排除の全体主義教育によって深く傷ついていた。そして彼は、居場所のないコミューンから脱出する手段として四谷大塚という進学塾に通うことを唯一の心の安らぎとしていた可哀想な小学生だった。塾への通学で鉄道との接点を得た著者は、やがて鉄道にのめりこんでいく。そんな時、彼の目に新宿駅3番線(現在の9番線)に停まっている奇妙な古ぼけた列車の存在が飛び込んでき、やがて著者はその停車中の古ぼけた列車の中に入り込んでお昼のお弁当を食べるようになる。共産主義者が支配する抑圧的・威圧的な地元から逃れ、キビシイ進学塾の授業へと向かう通学の途上、ぽっかり空いた時空の谷間のような時間。それが新宿駅3番線ホームに停まった列車内での昼食の時間であった。この時間こそが原少年の至福の時間であり、その時の幸福感は今でも著者の人生の宝物であったことが、この212ページ以下の部分を読んでいてひしひしと伝わってくる。
本書での読みどころは最終部分の「鉄道と政治の季節」の部分であろう。ご存じの通りかつて国鉄と呼ばれた日本国有鉄道は分割民営化され現在はJRとなっている。ピーク時35万人超の従業員を抱え革マル派や中核派といった極左集団に支配された国労・動労といったクソみたいな労働組合が支配するマンモス組織を、なぜ解体することが出来たのか。それは富塚三夫率いる国労が打ったスト権スト(いわゆる8日間スト)が完全なる失敗に終わり、このスト権ストで大迷惑を被った全国のサラリーマンの怒りが爆発し、国労・動労が国民を完全に敵に回したからなのだった。私は当時中学二年生だったが、この8日間ストのことは今でも鮮明に覚えている。「国鉄を止めれば日本経済はマヒし、日本政府をひざまづかせることが出来る」とたかをくくり全国のサラリーマンが被る多大なる迷惑を無視して国労が断行した8日間スト。しかし国鉄が止まっても、四通八達した私鉄、地下鉄、バス、高速道路のお陰で日本経済は全くマヒせず、むしろその経済音痴ぶりを天下に晒した労働組合は、その政治力を急速に失い、国鉄改革が勢いを得たのである。こうして国労、動労は解体され、彼らを支持母体とした日本社会党も解党に向かっていくことになる。スト権ストのことは知っていたが、それに先だって起きた上尾事件や首都圏国電暴動のことは知らなかった。本書を読むと、順法闘争というサラリーマンに苦難のみを強いるハタ迷惑でジコチュウな闘争戦術に既に多くのサラリーマンは怒り心頭に達しており、国労・動労といった労働組合はスト権ストを起こすはるか前から一般市民の大多数を敵に回していたことが読み取れる。革マル、中核の連中は革命ゴッコで頭がおかしくなっており、平均的な日本国民の日常感覚が既に理解できなくなっていた。市民のための革命を標榜する奴らは、当時すでに市民の感覚を理解できない蓄膿症にかかっていたわけだ。これにひきかえ、当時の自民党首脳陣は、多くの一般市民が国労・動労を敵視するようになりはじめていたことを敏感にキャッチしており、革マルや中核が支配する労働組合を一気に解体へと追い込むチャンスが訪れつつあることを認識していた。彼らのレーダーは過激派連中より数十倍優れていたことが本書の記述からも読み取ることが出来る。このあたりは読んでいて大変清々しい。あっぱれ自民党と万歳三唱したくなる部分である。
『滝山コミューン1974』との併読をお勧めする。
紙の本
鉄道を軸にみると「高度成長期」の1960年代前後に歴史に大きな断絶が生じたことがわかる
2011/03/09 14:59
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
歴史学者・原武史の「鉄学」概論である。タイトルにひかれて手にとった読者も、すでに原武史の著作を何冊か読んできた者にとっても、十二分に楽しめる内容の読み物になっているといえよう。また本書から逆に個々の作品に読書の幅を拡げていくのもいいかもしれない。原武史のエッセンスが本書に凝縮されているからだ。一言でいえば、「鉄道×日本近現代史」である。
この本に取り上げられたテーマを列挙するなら、鉄道紀行文学、鉄道沿線と作家、近代天皇制、東西日本の私鉄沿線宅地開発、住都公団による鉄道沿線の団地開発、路面電車の廃止による首都東京の記号化、といったことになるだろうか。
本書を読んでいて強く印象を受けたのは、鉄道を軸にして考えると、第二次大戦を境にした戦前と戦後の断絶よりも、1960年代を前後にした断絶のほうがはるかに大きいということだ。
1960年代とはいうまでもなく「高度成長期」、この時代にはモータリゼーションの急激な進展にともなって渋滞緩和のために高速道路が建設され、路面電車である都電は廃止され地下鉄によって代替され、住宅供給の目的で私鉄沿線には多数の団地が建設された。
東京への一極集中がさらに進んだなかで、1970年代前半には新宿駅を舞台にした暴動や、都内各地や高崎線上尾駅での通勤者による暴動も発生したのであった。2010年代のいまからはまったく想像もできないような状況が、民営化前の国鉄(当時)には存在したのである。著者と同じく1962年生まれの私には、肌感覚をもって理解できることも多い。
鉄道を軸にして日本近現代史を考える、あるいは日本近現代史を鉄道をつうじて見る。そのどちらでもいいのだが、とくに「高度成長期」とは何だったのかを考えることのできる内容になっている。文庫本なので、ぜひ車中で読みたい本である。
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鉄歴の長い連れ合いにはいまさらの本。
わたしのように、鉄道への関心が薄かったものにとっては
たしかにおもしろい概論書かもしれない。
意外な深さや研究の可能性を知るのは知的に楽しい。
ただし、そんな私も筆者の雑誌連載「鉄道ひとつばなし」や
「レッドアローとスターハウス」をすでに読んでいるので、
新味はなく、浅瀬でパチャパチャというところ。
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単なる鉄道物語ではなく,鉄道と政治・社会の関係を俯瞰するといった触れ込みの本。面白くなくはなかったが,もう少し突っ込みがほしかった(今いち物足りない)というのが率直な印象。
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何だか難しそうなタイトルですが要するに鉄道を取り巻く色々なことに目を向けるとより一層鉄道が楽しくなるよ、と言う本だと自分は解釈しました。面白そうなので手に取ってみました。
百閒先生、宮脇俊三氏の著作はほぼ網羅したと思っているのですが阿川氏の鉄道旅行記は全部は読んでないかもしれない…。今度探してみよう…。
それにしても昔はお召列車に天皇が好きな場所でスピードを緩めたり列車を止める装置がついていたりとか、地下鉄になってしまったことにより半蔵門と言う実際の場所を知らない人間が増えたりとか一々そうなんだ~と関心して読みました。
確かに二重橋とか言われても良くわからないよなあ…。
阪急と東急の話は昔姉が阪急沿線に住んでいた時、地元の人が今でも一三さんの電車、と読んで阪急を愛している、と言っていたのをふと思い出しました。
団地と共産党の発達、って言うのも面白い切り口だなあと。
今の世では何でも個人主義的になってきているので同じ地域に
すんでいても社会に対する要求が変わってきているんだろうなあなんて思いました。
面白かったです。ハイ。
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最近お気に入りの原先生の鉄道読み物。テレビ番組のテキストが元になっていますので、色々な話題について気軽に読み進めていけます。
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「文学に登場する鉄道」にはじまり、鉄道と天皇、鉄道と都市開発、鉄道と社会動乱などについて記述したエッセイ風の読みもの。宮部みゆきの解説によれば、NHK の教育番組のテキストから書き起こしたものらしい。
鉄道と天皇に関する記述は分析深度が今一で首をかしげざるを得ない考察も多いが、阪急と東急を比較して鉄道会社が主体となって行なった近郊都市部の開発を概観した章は素晴しい。また、宮脇俊三は大好きなので、鉄道エッセイに関する章はそれなりに楽しんで読んだ。
「首都圏国電暴動」についてはまったく知らなかったので、とにかく何が起きても冷静さを保つことに定評のある日本人がこんな大規模暴動事件を、それも明治時代とかならともかく、戦後 30年近くもたった 1973年に起こしていたという事実にびっくりした。まぁ、これに実際に参加していた人びと(当時 20〜30歳として、今は、60〜70歳のじーさんだろうか)が最近の日本人を「おとなしい」と称するというのは納得だ。
久しぶりに宮脇俊三を読み返そう。つーか、全集買っちゃおうかな…。坂口安吾の『日本文化私観』(堕落論とともに岩波文庫収録)も読む。
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参考文献の一部を既に読んでいたのでどこかで聞いた話も多かったですが、それでもオモシロいです。路面電車の駅名を引きずった駅名であるにもかかわらず地下鉄の駅名になってしまうと確かに、ただの記号と化してしまい、都内を移動する機会が多い人のうち半蔵門、桜田門、二重橋を見たことないという人がいてもおかしくないと思いました。私は皇居周回を走ったので位置と距離がなんとなく分かります。
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鉄道紀行文を確立した三人の作家、天皇の鉄道巡幸、西の阪急東の東急、沿線地域文化、上尾事件に始まる首都圏の暴動など昭和以前の鉄道について
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読み物としての鉄道、戦後復興と鉄道の発達と街づくりなど、非常にわかりやすく興味深い内容ばかり。
一番アガるのは、国鉄時代の乗客暴徒化事件ですかね…。
今じゃ考えられない内容だわ。
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気鋭の日本政治思想史学者・原武史氏による、哲学概論ならぬ「鉄学」概論であります。
むろん原氏のことでありますから、鉄道を語るのではなく、鉄道を介して日本の近代史を俯瞰します。
もともとNHKテキストなのださうです。私は知りませんでしたが、このたび新潮文庫の一冊として刊行されたことは、まことに恭賀すべきことであります。
全八章で構成。第一章「鉄道紀行文学の巨人たち」では、おなじみ内田百閒・阿川弘之・宮脇俊三の三人を比較しながら論じてゐます。確かに「巨人」と呼べるのはこの三人しかゐないでせう。後継者が見当たらないのが現代の悲劇と申せませう。
第三章は「鉄道に乗る天皇」。まさに原氏の得意分野。昭和天皇のお召列車走行路線図(戦後)を見ると、岡多線(現・愛知環状鉄道線)が記載されてゐませんね。私がまだ少年時代に、岡多線にお召列車が走つたはずなのですが。確か植樹祭のための行幸だと記憶してゐます。
第四章「西の阪急、東の東急」では小林一三・五島慶太の私鉄界二大巨頭を論じながら、関東と関西の私鉄経営の相違などを炙り出してゐます。
第六章「都電が消えた日」では、都電廃止を提唱した『朝日新聞』の記事が紹介されてゐます。1959(昭和34)年といふ年代を考へると仕方が無いのかもしれませんが、あまりに短絡的な思考に慄然とするものであります。渋滞道路は、何車線増やさうと根本的な渋滞対策にはならない。道の中央に路面電車を一本通せばよろしい。ただし車を軌道敷から遮断しなくてはいけませんが。
第七章・第八章では新宿駅に於る学生などのデモ、上尾駅を舞台にした社会人たちによる暴動など、社会全体が不安定で、民衆が熱かつた時代の鉄道事情が明らかになります。当時の国鉄は超嫌はれ役だつたので、デモ学生たちには同情的な人が多かつたさうです。
鉄学を名乗つてゐますが、鉄道趣味そのものを対象にした本ではありません。
鉄道がいかに社会と関つてゐるのか、ここでは八つの見本として著者は提示したのでございます。その意味でやはり「鉄学概論」とは適切なネイミングと申せませう。
メイニア君たちは本書を教科書とし、対象から一歩下がつて、少し客観的に見つめてみてはいかがでせうか。
余計なお世話ですかな。
http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-216.html
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NHK教育「知る楽」で放送された「鉄道から見える日本」のテキストを、かなり大幅な加筆修正の後、刊行されたもの。加筆修正により理解しやすくなったところもあり、反対にちょっとゴテゴテした印象の部分もあり。その是非は賛否両論あるかとは思うが、放送時は関東の鉄道に関しての記述が多かったのに対し、加筆修正で関西の鉄道に対する記述・考察が増えている。
「政治と鉄道」という関連の深い分野を学術的な視点で掘り下げた、という意味では大きな意味のある一冊。内容自体は荒削りな印象もあるが、今後の議論のためのたたき台としては十分なレベル。鉄道という移動の道具に過ぎないものが、いかに政治や文化・経済といった社会にどんな影響を与えてきたのか、それを考えるのにはいい一冊。
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滝山コミューンからの流れで読んだ。
元はNHKの番組「車窓から眺める日本近現代史」
1.鉄道紀行文学の巨人たち →内田,阿川,宮脇
2.沿線が生んだ思想 → 思い出せない
3.鉄道に乗る天皇 → 行啓幸,東京駅,原宿駅
4.西の阪急,東の東急 → 西は民で自立,東は官寄り
5.私鉄沿線に現れた住宅 → 学校法人
6.都電が消えた日 → 地下鉄への移行
7.新宿駅一九六八・一九七四 → 暴動
8.乗客たちの反乱 → 遵法闘争に対する暴動
暴動の話が最も印象に残った。
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●:引用
●ただ、私が興味をもつのは鉄道そのものではなく、鉄道を通して見えてくる日本の近現代や、民間人の思想や、都市なり郊外なりの形成や、東京と地方の格差などにある。車両そのものにではなく、その車両に乗り合わせた人々や、車窓に流れる風景のほうに心惹かれるのである。(略)鉄道はダイヤや車両だけにあらず、駅舎やホーム、路線、駅名、車窓風景、そして鉄道を利用する人々といった、複雑で様々な要素が絡み合うことで成り立っている。1872(明治5年)の新橋ー横浜間の開業以来、すでに百四十年近くにおよぶ鉄道の歴史は、まさに近現代日本の歩みを反映している。(略)時間的・空間的な広がりをもつ鉄道を媒介にして、時代なり、社会なり、都市なり、郊外なりを論じてみれば、一般の教科書レベルの歴史とはまったく異なる日本の近現代を俯瞰する巨視的な世界が見えてくるはずである。
●インフラとしての鉄道は、確実にこの国を狭くしました。一方で、鉄道が形成してきた文化は、心情的な意味での<国土>を重層化・複雑化させ、むしろ大きくしてきました。私たちが鉄道の車窓から外を眺めて「日本は広い」と感じるのは、実は空間的な意味ではなく、我が国が鉄道と共に歩んできた現在までの歴史の厚みを、<広さ>として感じるからではないでしょうか。(略)鉄道は歴史を乗せているのです。国家の歴史から、個人の小さな淡い歴史まで。(中略)鉄道事業は国家事業であり、だから政治史と切っても切れない深いつながりがあるのだという理屈を超えて、心の深いところで納得できる気がします。本書には新しい知見が満ち満ちており、どの章から読み始めても面白く、時間を忘れてしまいます。これこそが知楽というものでしょう。
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「車窓から眺める日本近現代史」という副題の通り、日本近現代のさまざまな側面を鉄道と関連させて考察しています。沿線に団地ができたことによる住民層の変化や、都電から地下鉄にシフトしたことによる人々の「東京観」の違いなど、切り口が興味深い。面白かったです。