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- カテゴリ:一般
- 発売日:2010/06/24
- 出版社: 早川書房
- サイズ:20cm/326p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-15-209139-0
紙の本
神父と頭蓋骨 北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展
稀代の科学者にして、冒険家、思想家の顔を持つ異能の神父、ピエール・テイヤール・ド・シャルダン。古生物学者として北京原人の発見に関った彼の生涯を軸に、進化論と人類学の発展を...
神父と頭蓋骨 北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展
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商品説明
稀代の科学者にして、冒険家、思想家の顔を持つ異能の神父、ピエール・テイヤール・ド・シャルダン。古生物学者として北京原人の発見に関った彼の生涯を軸に、進化論と人類学の発展をドラマチックに描いた科学評伝。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
アミール・D.アクゼル
- 略歴
- 〈アミール・D.アクゼル〉オレゴン大学で統計学の博士号を取得。統計学者。ノンフィクション作家。各地の大学で数学や科学史を教える。著書に「天才数学者たちが挑んだ最大の難問」「デカルトの暗号手稿」など。
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紙の本
イエズス会神父と北京原人をめぐる物語
2011/01/12 05:56
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆうどう - この投稿者のレビュー一覧を見る
敬虔なイエズス会神父でありながら一流の古生物学者・地質学者であったピエール・テイヤール・ド・シャルダン(1881-1955)の評伝を縦糸に、人類化石の発掘史を横糸に織り成す科学ノンフィクション。紡ぎだされたテーマは次の4つか。すなわち、(1)テイヤールの伝記・思想、(2)キリスト教神学vs進化論、(3)初期人類の化石の発掘史、そして、(4)消えた北京原人の化石の謎、である。
北京原人を軸に据えた記述になっているが、北京原人の化石発見は、テイヤールの功績として殊更に強調するのは正しくないように思える。本書を読む限りでは、テイヤールは発掘を推進した一協力者にしか見えない。本人が発掘したわけでもないし、直接に発掘を指揮していたわけでもない。もちろん名声もあり、人望もあるという点で、発掘団の中では中心人物ではあったのだろうが。
北京原人をテーマに据えているのは、彼がイエズス会によって「流刑」に処せられた地の象徴として、そして彼の「天職」である古生物学者の象徴として語る必要があったからなのだろう。しかし、本書の面白さは人間「ピエール・テイヤール・ド・シャルダン」の評伝と思想にあり、北京原人はその一エピソードでしかない。その点、北京原人について多くのページを割いたがために、全体が散漫な内容になってしまった感はぬぐえない。北京原人と人類史について語られた最後の2章は蛇足であり、これはこれで1冊の本にして論じてほしいところだ。
紙の本
科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯
2010/08/26 21:03
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
充実した科学ノンフィクションであり、思想の自由をめぐって戦った一人の勇敢な科学者の生涯でもある。統計学が専門の数学教授で科学ノンフィクション作家アミール・アクゼル最新刊の日本語訳だが、読み物としては面白い。
イエズス会士にして古生物学者であったフランス人ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの生涯を縦糸に、進化論と形質人類学の発展史を横糸として織り上げた作品である。したがって、どちらに重点をおいて読むかによって、感想は違ってきて当然だろう。この両者をからませたから面白いと受け取るか、それとも両者ともに扱いが中途半端になっているので満足できないと感じるか。
そもそも、科学と信仰という、いっけんして両立しがたいと思われていたテーマを生涯かけて追求したのが、本書の主人公であるイエズス会司祭テイヤール・ド・シャルダンである。最終的に『現象としての人間』という本に結実したテイヤールの思想は、進化論とキリスト教信仰を合致させたことにあった。テイヤールの思想に賛同するかどうかは、また別の問題である。
20世紀のガリレオであるテイヤール神父が衝突したのは、進化論とくに人間の進化についての学説であり、キリスト教の教義であるアダムとイヴの原罪説にダイレクトに抵触するものであった。
欧州においておくことは危険すぎるとみなされたテイヤール神父は、たまたま派遣された北京にいたために、人類と猿人のミッシングリンクとなる北京原人(シナントロプス・ペキネンシス)発見の一人となった。これはまさに、セレンディピティといえようか、宗教者としてはさておき、科学者としてはきわめて幸運の持ち主であった。
一方、科学上の知見をもとに、キリスト教教義の再解釈に手をつけることになったテイヤール神父の思想は、所属していたイエズス会からは過激思想であるとして、公にすることを徹底的に拒否されつづける。テイヤール神父が亡くなる1955年まで、イエズス会からは出版許可が下りなかったということは、いまから考えると驚くべきことである。
イエズス会に属する組織人として、組織に忠誠を誓った司祭の、思想の自由をめぐっての静かで、かつ持続的な戦いは、最終的に本人が死ぬ事によって、初めて本当の勝利がもたらされることになる。
第一次世界大戦でヨーロッパが壊滅的破壊をうけ、さらに第二次大戦において宗教への信頼が大きく喪失した時代のカトリック教会。
「科学時代」に生きるわれわれは、一方ではスピリチュアルなものを求める気持ちが強い。晩年のテイヤール神父が、教会よりもイエスそのものを重視していたという事実は、「進化する神」というコンセプトとともにきわめて「ニューエイジ」的である。時代に先駆けていた先駆的思索者としての意味合いがきわめて大きかったことが理解される。
進化論そのものはすでにカトリック教会も公認しているが、しかし依然として最初の生物発生の第一原因いまでもわからないままだ。また、本書におけるテイヤール神父の思想の掘り下げはやや浅いように感じられる。カトリックの側からの評価をもっと知りたいところだ。
現代でも、米国を中心に福音派(エヴァンジェリカル)のキリスト教徒は、進化論そのものを頭から否定している。これもまたごくごくフツーの日本人からしてみれば、不可解な話なのだが、この件については本書にはまったく言及はない。
残念なことに、佐野眞一の解説は不要である。科学と信仰という2つのテーマを専門に追ってきたわけではないこの人は、本質からはまったく外れた解説に終始している。単行本初版にこのような解説をつけるのは意味がない。
そのかわりに、人名索引と事項索引をつけるべきであった。これが本当の、読者への知的サービスというものではないだろうか?
『現象としての人間』というロンセラーの作者の名前として、また北京原人の発見者の一人として、本書をきっかけにテイヤールの名前が再び日本で再認識されるきっかけになれば、本書の出版も意味があったことになるだろう。