紙の本
ユダヤ人が支えたドイツ化学の黄金時代の物語
2011/05/31 13:51
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投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
それは今を去ること100年以上前の1898年、英国のブリストルでの英国アカデミー会長サー・ウイリアム・クルックスによる予言的な演説から始まった。曰く「英国をはじめとするすべての文明国家は、いま生きるか死ぬかの危機に直面している。人口が幾何級数的に増え続けている中で、食料の増産は遅々としてすすまず、このままでは人類は遅くとも1930年代には飢餓に直面し、多くの人間が命を落とすことになるだろう。それを克服する方法はただひとつ。それは化学を発展させ、食料の増産に必要な肥料、窒素を豊富に含んだ肥料を化学的に合成し、それを農地に大量に投与するしか人類が飢餓の恐怖から逃れる方法はない」と。
あらゆる生命体にとってもっとも重要な元素。それは窒素である。空気の80%は窒素から出来ているが、窒素は気体のままでは生命の維持には役に立たず、これを液体(アンモニア)もしくは固体とし、植物がこれをとりこんで養分として吸収できるようにしなければならない。これがなかなかの難物で、気体の窒素N2を分解し、水素と化合させてアンモニアNH3を作るのは容易ではなく、古来、人類は固体窒素を豊富に含む別の物体(人糞、獣糞、尿など)を採集し、地面にばらまくことで、痩せる一方の地味の維持管理を行ってきた。農地は毎年毎年同じ作物を植え続けると痩せてしまい農作物の収穫量が減るのは、地中に含まれる窒素を植物が消費しつくしてしまうからで、これを回避するために人類が編み出したのが何年に一度か農地を休耕し、そこにマメ科の植物を植えることであった。マメ科の植物は根に寄生するバクテリアが窒素を形成し地中に放出する性質を持っており、これが地味を回復させる働きをもっていることを人類は経験から発見したのである。しかし、こういう悠長な方法ではとても対処しきれないスピードと規模で人口は急増。1900年には19億人だった人類が、今や60億人を突破して、尚増え続けている。それでも人類がクルックスの予言通り飢餓に直面せず、当時の3倍超の規模まで増殖し、かつ、肥満の問題で悩むまでに至った最大の理由は何か。それが本書の主人公、フリッツ・ハーバーが発見しカール・ボッシュが企業化した「大気からアンモニアという窒素を合成する錬金術」=ハーバー・ボッシュ法の成果なのである。アンモニアは肥料としてのみ有用なのではない。ダイナマイトの原料となる硝石の化学式はKNO3で、アンモニアを更に加工することでドイツはダイナマイトの原料となる硝石をも大量生産することに成功する。
本書を読むと19世紀末から1920年代にかけて、ドイツの化学産業というのは、英国やフランス、米国を遥かに上回る世界のトップランナーであったことが分かる。ドイツといえば1871年に他に遅れて国家統一を成し遂げた後進国であり、いわばキャッチアップ型の経済成長を遂げた国とばかり思っていたが、こと化学産業に関する限り、ドイツのレベルは当時の先進国だった英国やフランス、そして米国よりも数段進んだレベルに既にあったのだ。その中核にあった企業が人工染料で財を成したBASF、バイエル、ヘキストというドイツの化学企業群で、なかでも中核を占めたのが今日も世界最大の化学企業であるBASFだ。この3社は後に合同し、IGファルベンという文字通り世界最大の化学企業体を形成する。IGファルベンの名前は知っていたが、その意味がドイツ語で「染料事業利益共同体」だとは本書を読むまで知らなかった。世界のトップランナーとしてのドイツを支えたのが当時のドイツに住まうユダヤ系の人々だった。当時のドイツでも、もちろんユダヤ人は差別の対象だった。しかし、その度合いが英国やフランスに比べて緩やかで、とりわけアカデミーの世界ではユダヤ人はのびのびと才能を発揮する自由がドイツでは認められていた。なんとか2級市民の地位を脱したいユダヤ人は学業に専念し、学問的業績を通じてドイツに貢献し、晴れてドイツ人社会に受け入れてもらえることを夢見、願った。その典型が、本書の主人公フリッツ・ハーバーだ。彼はユダヤ人でありながらキリスト教に改宗し、ドイツ人よりもドイツ人らしく振る舞おうとした。独自にデザインしたプロイセン風の軍服を身にまとい、片メガネをかけ、ドイツ至上主義を誰彼となく鼓吹したという。このドイツ人になりたい、ドイツ人として認められたいというハーバーの強い願望が、やがて彼をして塩素系毒ガスの開発へと駆り立てていく。
しかし、ドイツは第一次大戦に敗北し、やがて復讐に燃えたフランスと英国によって苛斂誅求なるヴェルサイユ条約を押しつけられ、ドイツ経済は文字通り崩壊する。全ドイツ国民が塗炭の苦しみを味わう中で、やがて「こうなったのは、すべてユダヤ人のせいだ」と叫ぶヒットラーが国民から圧倒的な支持を集めるようになる。
なぜフランスはドイツにあそこまで過酷な賠償を押し付けたのか。最大の理由はフランスの国土は戦場となって荒廃し、フランス国民の多くがドイツ人によって虐殺されたが、ドイツの国土はほぼ無傷で残ったことだ。自分たちに災いをもたらした悪の総本山たるドイツの国土が、ほぼ無傷で残り、フランスはヴェルダンを筆頭にほぼ原形をとどめない形で徹底的に破壊された。「ドイツ、ゆるすまじ」の声がフランス、ベルギー、オランダで強くなったのは理解できる。
ハーバーが作った塩素ガスの惨禍がこのドイツ憎しの感情を倍加させた。第一次大戦後、フランス、英国には手足を無くなった廃兵、毒ガスで大きな被害にあった廃兵が山のようにいて、それが文字通りの生き証人としてドイツへの報復の世論を後押ししたという。
ヒットラーのたちの悪いところはユダヤ人を宗教的概念でとらえず「人種」として捉えたところだ。本来、ユダヤ民族という民族は存在しない。あれは確かに中東に起源をもつものだが、基本は宗教である。だから黒髪のユダヤ人もいれば金髪のユダヤ人もいる。エチオピアには大量の黒人のユダヤ人さえいる。それを無理やり単一民族として定義したところにナチズムの無理があったのだが、これがキリスト教に改宗しドイツ人になったつもりになっていたハーバーをはじめとするドイツユダヤ人に悲劇をもたらす。大量のユダヤ人、それも優秀なユダヤ系がこぞってドイツを出国し、アメリカへと亡命する。その筆頭が、アインシュタインだ。発見だったのは、当時のドイツ社会ではアインシュタインよりもハーバーのほうが社会的評価が高かったということだ。アインシュタインは「愛国者ではなく、変わり者の社会主義者の平和主義者で、ドイツを捨ててアメリカへ渡った大ほら吹き」とドイツでは思われていたという。私は20世紀初頭に世界の頂点に君臨したドイツのアカデミーが戦後、見るも無残に零落した原因のひとつが、この優秀なユダヤ人学者のアメリカへの亡命があると見ている。当時のドイツの大学は科学の最先端を走っており、米国からも留学生が大挙して押しかけていたとある。ノーベル賞も大量の受賞者を当時のドイツは出していた。それが戦後になると急ブレーキがかかったように見える。
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朝日新聞書評より。
以下amazonレビュー引用
「ハーバー、ボッシュの空中窒素固定法は化学史で有名な技術だが、人類の食料問題と窒素肥料獲得史をチリ硝石あたりから扱った話題は大変に興味がある(やや冗長?)。
ヒットラーの台頭とその苦悩、戦後の窒素肥料による環境問題など、複雑な問題提起の書物である。
ハーバー・ボッシュの話は技術史としても大変に参考になった。
空中窒素固定技術の話題を幅広く扱った好著である。
翻訳には多少問題がある。たとえば、p.55の「チリはもう一つ、・・・・・沈んでしまったのだ。」などは一読理解は不能。
pp.70-101のハーバーの研究内容を扱った部分の技術用語の訳語に不自然なものが多く、この分野の技術者としては非常に気になった。
例えば、アンモニア破壊(分解)、リアクションチャンバー(反応器)、純化(精製)その他反応熱での原料の予熱(p.97)、熱交換(p.101)なども適切な翻訳になっていない。p.92の1800万金マルクも不明。
p.118以降のボッシュの工業化研究の段階の訳語は適切で、違和感はない。
翻訳者が違うような印象さえ受ける。 」
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人類の生存にこれだけ役に立ちながらほとんどの人が知らないハーバーボッシュ法のアンモニア合成。固定窒素の歴史的意義から説き起こしてくれるすばらしき著作。翻訳もいい。
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空気から固定窒素を作る方法を生み出した二人の男の物語。
ヒトの体の構成要素として、また肥料として窒素は必要である。大気中の80%は窒素だが、私たちが利用できる形で存在していない。ハーバー・ボッシュ法は、まさに「空気をパンに変える」技術だ。そして、窒素は火薬に含まれている。
フリッツ・ハーバーは、実験室でこれでにない高圧でN2をアンモニアに変えることに成功し、BASF社にアイディアを売り込む。同社のカール・ボッシュが、工業的規模での生産を可能にする。
このふたりの化学者の執念によって完成した技術は時代の波に飲まれ、2つの大戦中、ドイツ国内の食料、燃料、火薬をサポートすることになる。
人間と窒素の歴史としても読める。
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空気中の窒素から固定窒素の原料となるアンモニア(NH3)の合成に成功した、ハーバーとボッシュの物語。固定窒素の合成により、食物の生産は飛躍的に増えて何十億人もの人が飢えから逃れられた半面、過剰な窒素化合物による環境への負荷は大きく地球への影響は計り知れない。
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『あなたの半分を作った化学者たち』とかいう副題でも間違いじゃない。今年読んだ中では間違いなく最高に面白かった。高校化学の裏話にとどまらず、世界史としても、産業史・経営史としても、人間群像としても、どんどん次が読みたくなるような本。ノンフィクションは得てして人名地名や年月日が羅列されてつまらなくなりがちだが、これは北方謙三並に面白い。一読をお勧めします。だいたい以下のような内容です。
20世紀初頭まで、窒素は、生物にとって必要不可欠な元素であり、かつ、空気中にいくらでもあるにもかかわらず、不足していた。空気中の窒素はそのままでは生物にとっては使いものにならないもので、それを生物が使える形にできるのは、マメ科の植物の根にいる少数のバクテリアか、稲妻しかなかった。この使える窒素(固定窒素)を畑にどれだけ供給できるかで、収量が全然変わってくる。固定窒素の量が、人類が生産できる食糧の量を律速してきたのだ。
南米には、海鳥の糞が何千年もかけて蓄積されてできた石のある島があった。原住民族は、それを植物に与えると育ちが良くなることを知っており、聖地とされていた。白人がそれを見つけ、略奪を始めたのは19世紀のことだった。産業革命を受け、急激に人口が増加して食糧の足りなくなったヨーロッパの需要は高騰した。何もない砂漠に街が生まれ、奴隷がこき使われ、島をめぐって戦争が起きた。肥料輸出に依存していたペルーは、枯渇と共に財政が崩壊した。新しく肥料になる硝石が見つかったチリは、その反映を信じて疑わなかった。しかし、それは幻とかした。空気から固定窒素を作る方法が見つかったのだ。(油田をめぐる争い、新エネルギー開発に関わるどろどろを連想する)
ユダヤ系ドイツ人、フリッツ・ハーバーは、第一次世界大戦前のヨーロッパとしては比較的ユダヤ人に対して寛容とはいえ、それでも二流市民としての扱いをするドイツに対して、忠誠の限りを尽くしていた。キリスト教に改宗もした。軍人として出世することはユダヤ人には認められていなかったが、科学者としてであればのし上がれた。
当時ドイツ最大の化学会社であり、染料を多く作っていたBASFに対し、窒素固定の研究を売り込んだ。もう一人の主人公、ボッシュもBASFで働いていた。空気中の窒素をアンモニアに変換するこの研究に関わった人間はもっとたくさんいたが、最終的にその方法の名前~ハーバー・ボッシュ法~に残ったのはこの二人である。安価で、適切な触媒の発見、高圧に耐えうる装置の開発など、課題を一つ一つクリアし、ついにBASFは(そして人類は)空気中の窒素を自在に固定できるようになった。
そうしているうちに第一次世界大戦が起きる。戦争には、先立つモノがいる。しかし、ヨーロッパの後進国として植民地獲得競争に出遅れたドイツには、資源がなかった。硝石が手にはいらないと、爆薬が作れない。南米の硝石の支配権をイギリスに握られると、ドイツは何もできなくなる。ハーバーは皇帝に尽くした。BASFは帝国から投資を引き出し、世界最大の工場を建設し、肥料と、爆薬を製造した。(これがなかったら数年早くドイツは降伏したと言われ��いる)。ハーバーは毒ガス開発も実現した。(そしてそのころ奥さんが自殺する)。。。
これだけ書いて今大体半分くらいまで。まぁあとは読んで下さい。(第一次世界大戦敗戦→仏英がBASFの企業機密を盗もうとする→世界中に工場ができて価格下落(ここらへんが特に経営史て気に面白いかも)、次の技術革新のため合成ガソリンづくりに邁進、企業規模が世界的に拡大→ドイツ大手4社も合併、ハーバーはドイツの賠償金解決のために海水から金を抽出する技術を開発しようとするも挫折、ナチスの台頭とユダヤ人の受難、などなど盛りだくさん)天才も天才の奥さんも大変だなぁと思わされます。僕にゃ関係ないけど。
(しっかし、20世紀を左右した3偉人、フロイト、アインシュタイン、マルクス全員ユダヤ人だった上、20世紀を左右した上に今の人口の数割を支える技術を開発したのもユダヤ人か。やっぱすんげぇな。これ追いだしちまったナチスはやっぱりアホで、アメリカは本当はナチスに大感謝しなきゃいかんな)
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空気からアンモニアを作るハーバーボッシュ法。やっぱり凄い化学の力だ。
BASF Badische Anilin und Soda Fabrik
オッパウ工場の爆発 1921年
高圧メタノール合成
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肥料に使われる窒素を空気に固定する方法は、3つしかない。豆類、落雷、そしてハーバー・ボッシュ法である。人口の半分はこのハーバー・ボッシュ法のおかげで食を得ることができている。
科学者がいかにして、人口問題を解決し、戦争の軍事利用に苦悩したかを描く。
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巨大な世界人口を養うのに不可欠な空中窒素の固定法。科学技術史の極めて重要な一節を,じっくり読むことができる。その開発者である二人の数奇な運命にも注目。
善と悪,もし明快に二分できれば世界は単純だ。でも現実はそうでない。高温・高圧下で窒素と水素からアンモニアを合成するこの技術も,それに関わった科学者たちも,まさにその両面を持つ。人工肥料も食糧増産も環境破壊と不可分だし,ハーバーもボッシュも,決して善人とは言えない。
特にハーバーは権威主義者で,同じ化学者だった妻には家庭にこもるよう強要。自分で軍服をデザインしちゃうほどの軍国主義者で,戦争協力を惜しまず,毒ガス開発を主導。それが一因で妻は自殺。ユダヤ人としての過去を捨てて国家に尽くしたのに,結局はナチスの擡頭で祖国に留まることを断念。
ボッシュはハーバーの開発した合成法を使って,アンモニアを工業的に量産するためのプラント構築に大きく貢献した技術者。二人ともノーベル賞を授賞している。ボッシュは後に経営トップとなるが,世界恐慌,労働運動や工場の大爆発事故への対応などで苦慮。酒に逃げ,命を縮めたらしい。
ハーバー・ボッシュ法前史も面白い。本書は1898年のクルックスの食糧危機演説から書き起こされ,第一部では肥料や爆薬に欠かせなかった天然資源,グアノと硝石の物語が綴られる。劣悪な労働環境,資源を巡る争い,そして枯渇。資源のないドイツは,固定窒素の獲得に最も頭を悩ませていた。
後進国だったそのドイツで人類初の合成肥料が量産されたのは,実にドラマチックだ。一躍優位に立つも,あえなく敗戦,法外な賠償金を課され,ハイパーインフレ,虎の子の技術も流出,世界恐慌が襲い,そしてナチスの隆盛。二十世紀前半の歴史は本当に激動だ。科学技術もその中に組み込まれ,大きく社会を変えてきた。
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はじめに 空気の産物
第I部 地球の終焉
1 危機の予測
2 硝石の価値
3 グアノの島
4 硝石戦争
5 チリ硝石の時代
第II部 賢者の石
6 ユダヤ人、フリッツ・ハーバー
7 BASFの賭け
8 ターニングポイント
9 促進剤(プロモーター)
10 ボッシュの解決法
11 アンモニアの奔流
12 戦争のための固定窒素
第III部 SYN
13 ハーバーの毒ガス戦
14 敗戦の屈辱
15 献身、犠牲、迷走
16 不確実性の門
17 合成ガソリン
18 ファルベンとロイナ工場の夢
19 大恐慌のなかで
20 ハーバー、ボッシュとヒトラー
21 悪魔との契約
22 窒素サイクルの改変
エピローグ
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大気をパンに変える方法を発明した男達の物語。人類が70億人も生きられる理由。爆弾を作って殺し合いができる理由。
これは多分、核兵器の発明なんかよりすごい。けれど、この発明って歴史の授業とかでも大してピックアップされない。
人口問題において、この偉大な発明を教えないでか!
しかし、偉大だからこそ、その影響力もすさまじい。良くも悪くも。
マルサスもびっくりの発明。
_______
p10 クルックス
サー=ウィリアム=クルックスは1898年の英国科学アカデミーの会長就任演説でこう言った「イギリスをはじめとするすべての文明国家は、いま死ぬか生きるかの危機に直面している。」彼は独自の調査結果から、1930年前後から多くの人が飢餓によって命を落とし始めると予測した。
p13 中国の農業力
中国南東部の農業技術は近代以前では世界最高水準だった。肥やしの製造をうまく行い、世界最高の生産量を誇った。温暖な気候もあって3毛作ぐらいしてたもんなぁ。河口のデルタ地帯は何もしないでも肥沃な土が流れ着くとはいえ、年2回3回のコメの収穫したら土地痩せるよな。さすが中国4000年
p17 鳥糞石
クルックスの時代、イギリスは南米で発見された鳥糞石を大量に輸入して肥料を賄っていた。しかし、それが枯渇した後は固形窒素肥料はない。
p20 魔術=科学
いつの世も物事の深奥を極めようとする者はいた。彼らは時代や地域ごとに、魔術師、祈祷師、僧侶、魔女、巫女、錬金術師と様々な名前がある。しかし、彼らのやっていたことは科学である。帰納法的科学である。
p22 火薬
中国の錬金術師は皇帝のために不死の薬の研究をしていた。 研究には各地の「塩」が用いられたが、その中には硝酸塩もあり、それの混合物に火をつけた錬金術師は突然爆発する物質を見つけるに至った。それはすぐに研究され、火薬になった。
p24 硝石
火薬はほどなくして兵器に応用され、火薬の元となる硝石の保有量は軍事力を決定する指標になった。それゆえ、各地で硝石徴税人が農民の家の便所を掘り返した。それでも足りず、各国で家畜や人々の糞尿を集めた硝石プランテーションが作られたりもした。
そのうちイタリア、スペイン、イラン、エジプトなどに鉱床が見つかったが、世界最大の鉱床はインドのガンジス川の干潟にあった。暑さと聖なる牛糞のたまり場が鉱床になっていたのだ。それを抑えたのはイギリスである。イギリスが世界の覇権を握ったのはここに要因の一つがある。
p30 ダーウィンと硝石
ダーウィンは1835年にガラパゴス諸島に向かう前に、ペルーの南の島:イキケに立ち寄って大量の硝酸塩の砂漠を見ている。しかし、彼には生物学のことしか見えていなかったようだ。
p36 グアノの始まり
1824年米国船フランクリン号がボルティモアに持ち帰ったグアノが肥料と使われ、その効果が評判を呼び、チンチャ諸島の鳥糞石グアノの採取が過熱し始めた。
p39 グアノ島法
1856年、アメリカ議会は鳥糞石が枯渇し始めたところで新たな砕石所を探索し始め、グアノ島法を成立させた。世界のどこであろうと人のいないグアノ島の島の所有権を主張しアメリカの領土にできるという横暴な法律である。これにより、ハワイからポリネシア周辺の島がアメリカ領になり、第二次大戦では飛行場が作られ太平洋の戦略上活躍した。また冷戦時代はCIAの秘密基地になり、キューバに反共ラジオを発信した。
これらの島は現在もアメリカ領で、グアノ法は健在である。
p50 硝石戦争
1879年、ペルー・ボリビア vs チリの間で、硝石の天然資源の領有権を争う戦争が起きた。戦争の原因は多くが天然資源から始まる格差である。
p75 ドイツがユダヤに寛容な時代
19世紀後半、ドイツに住むユダヤ人は自分は幸福だと思っていた。他国では閉ざされていた数々の扉が、ドイツでは開かれていた。高度な大学に入れたし、高級な職業にもつけた。ユダヤ人はその優秀な才能を生かせた。
しかし、貧しいドイツ人は裕福なユダヤ人を妬み始めてもいた。特に反ユダヤ主義はプロシアの軍部にいた貴族たちに根強かったらしい。
ハーバーはこの時代に生きたユダヤ人の一人だった。彼は自分がユダヤ人であるというよりも、ドイツに帰属していることに高い誇りを持っていた。ユダヤ人がドイツという国に信頼と誇りを持っていた時代であった。
p83 戦略上の窒素
ドイツは資源のない国である。火薬も肥料も原料は南米からの輸入に依存している。ドイツが帝国主義の列強になるには、これらを自国で生産できるようになることが、軍事的戦略上必至である。ハーバーとボッシュはそういった期待も掛けられていた。
p127 障害の越え方
ボッシュは水素と窒素を高圧化で触媒に反応させる装置を開発していた。しかし、爆発した。DA★I★SA★N★JI
どうやら、圧力釜の炭素鋼に水素が浸潤した様である。もろくなった部分にひびが入り、Booooooooooomb!
それに対し、ボッシュは圧力釜に使い捨ての炭素鋼の層を作り、それを取り換えて本体を守るという策をとった。まさに「皮を切らせて、骨は守る!?」
p132 ライバル社の攻勢
BASFのライバル社は訴訟で窒素開発の独占を防ごうと攻勢に出た。裁判で独占を封じるか、または、法廷にBASFを引きずり出して窒素開発の重要な情報を吐き出させるかしようとした。
p147 下劣なビジネス
BASFはドイツの軍事政策のため、肥料用の窒素固形物より、火薬用の窒素を多く製造するようになった。
長年、人間を養う技術を研究したのに、人を殺害するために技術を利用するという皮肉。人殺しのために大きな富を得られるようになった。
p158 狂人ヴィルヘルム2世
楽しいことが無いと危険人物になる男。宮廷のレセプションでブルガリア王の尻をひっぱたいた男。王がキレないように部下は女性用下着を着て踊ったりした、その男は心臓発作で死んだ。
どうりで大鑑巨砲主義とか言うわけだ。
p175 if
もしハーバー・ボッシュで法で爆薬の硝酸塩が製造されなったら、第一次大戦は1年か2年は早く終わっていただろうといわれる。
ドイツが敗戦したのは硝酸塩製造の技術��関係は無いといわれる。イギリスの海上封鎖とアメリカの参戦が最大の原因と言われる。しかし、アメリカが参戦するまでになったのはこの技術のおかげだろう。ドイツは戦前比人口の10分の1の命を失った。
p178 ラインラント
BASFのアンモニア製造工場や染色工場はラインラントにあった。第一次大戦後、ラインラントはフランスに占領された。
BASFの技術を守る新たな戦いが始まった。
p198 社会主義
戦争が終わるとボッシュは社会主義に理解を持つ先駆的な経営者になった。当時まだ珍しかった8時間労働と週休二日制を実施した
p207 explosion
BASFの工場では引火性のない硝酸アンモニウムを製造していたが、ドイツの農家はチリ硝石を希望する人が多く、両方を混ぜた肥料を製造し、サイロに貯蔵していた。サイロ内で肥料がくっつくので、出荷前に火薬で小爆発させ粉砕していた。1921年9月21日、そのサイロで大爆発が起きた。死者561人、負傷者1700人、工場にはクレーターができた。その爆発力は小原爆ほどとも言われた。やべぇ
p213 ハーバー・ボッシュ法の拡散
第一次大戦後、ハーバー・ボッシュ法を知る技師たちがヘッドハンティングされた。それにより世界中に技術は拡散し、ライセンス料は払われなかった。BASFは高圧科学を使って新たな商品開発に乗り出した。
エタノールの製造、合成ガソリン
p271 進化は止まらない
ボッシュ曰く、「アンモニア生成法の実験が成功しなかった方が良かったのかもしれないと何度か考えたことがある。この方法が開発されなければ戦争はもっと早く終わり、損害ももっと少なかったのではないか。紳士諸君、こうした疑問はすべて無意味だ。科学と技術の進化は止められない。それらは多くの意味で芸術に似ている。自分の意志でも、他人の意志でも、止めることはできない。そのために生まれてきたものは、行動に駆り立てられるのだ。」
ナチスの思想に反対しつつも、結局ナチスのために働くことになったボッシュの葛藤がにじみ出ている。
p276 ロイナの爆撃
第二次大戦中ドイツ軍の合成ガソリンを製造していたロイナの工場は戦略上最重要施設として格別の防衛設備が配備された。高射砲は通常の倍以上の32門が配備された。アメリカの爆撃が始まったが、ロイナは爆撃機が撃墜される可能性の最も高い危険地帯だった。
p277 すべては石油のために
当時のドイツ人のモットーは「全ては石油のために」だった。それほど、戦争において石油の有無が直接勝敗に繋がる。それをドイツ国民は理解していた、だからロイナの工場を全力で守り、壊れれば即座に修復した。
p280 中国でのハーバー・ボッシュ法
1970年代の中国の食糧事情は最悪だった。共産党の計画経済で工業生産に金と人力をつぎ込んだせいで、食糧不足を招いた。1972年のニクソン訪中で最初に中国が最初に注文したのは世界最大規模のハーバー・ボッシュ法の設備だった。2.3年後にはそれまでの倍以上の肥料供給が可能になり、食糧生産も飛躍的に伸びた。
現在中国は世界一の肥料生産国である。今では肥満の方が問題になっている。皮肉。
p281 現代の飢餓
現代の飢餓の���因は生産力ではない。輸送力の問題である。現在、飢餓に苦しむ国は紛争や災害で食糧供給が止まっているところである。
紛争などが解決すれば自国で生産ができるようになり、飢餓などなくなる。
p284 副作用
ハーバー・ボッシュ法は素晴らしい技術だが、副作用も大きい。
● 肥料として地面に撒かれた固形窒素は水に溶け川に流れこむ。すると川や海の藻類が大増殖し、水中が酸素不足になる。赤潮とかね。水中生物は死に絶え、水中の砂漠が広がる。
● ハーバー・ボッシュ法による製造でNOx(窒素酸化物)が発生する。これは酸性雨のもとである。
● 大量の肥料による穀物の大量生産が行われるようになった。それにより、農場拡大のための森林伐採、家畜の出す大量の糞尿による土壌汚染、農業作物による生態系の破壊、などなど、ハーバー・ボッシュ法が開発されなければ生まれなかった問題が起きている。
これはハーバー・ボッシュ法が悪いわけではない。どんな技術も使うのは人間である。人がどう使うかによって技術は良くも悪くもなる。人間がその悪い部分を出さないようにする以外、解決法はないだろう。
人間は解決法を外部に求めてはいけない。変えられるのは自分だけである。一人一人が自分を変えて、世の中を変えていくしかない。
p303 解説
ノーベル賞受賞者の白川秀樹さんの解説良かった。
食糧問題を解決する世紀の大発明。しかし、それが戦争を大きくし、殺戮兵器の素になり、ナチスに力を貸すことになった。研究者の葛藤がきちんと描かれている一冊である。
_____
この一冊は、科学の本であり、歴史の本であり、社会学の本である。
素晴らしかったです。ぜひ読んでほしい。
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人類を食糧難から救ったと言われるハーバー・ボッシュ法。
いや、ハーバー・ボッシュ法がなかったら、戦争はもっと早く終わったとも。
空気中の窒素を無理矢理取り出したから土壌が汚染されているとも。
自然を利用して人類は発展したのか、未来の破滅を自分たちで早めているのか。
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現在、ハーバー・ボッシュ法によってつくられる固定窒素の量は、自然に作られる量に匹敵する。畑にまいた化学肥料のうち、半分は作物の栄養になり、残りのほとんどは雨水や灌漑用水に溶けて水系に入る。ミシシッピ川の硝酸塩濃度は、1900年の4倍、ライン川はミシシッピ川の2倍になっている。汚染水に含まれる窒素は藻類や海草の成長を促し、それが進むと日光を遮って深部に生息する生物が死んでしまう。植物が死んで腐ると、水中の酸素が消費され、酸素濃度が下がると、水底に生息する動物が死んでしまう。バルト海のタラ漁は、1990年代に崩壊した。メキシコ湾の硝酸塩濃度は、過去40年で倍になった。ルイジアナ州沖のデッドゾーンでは水中植物が繁茂し、カニや魚が逃げ出し、すべての生態系が変化してしまった。世界中で150もの小さなデッドゾーンが見つかっている。大気汚染の原因となっている二酸化窒素の15~50%は、直接・間接を問わず、ハーバー・ボッシュ法の生成工場で発生している。大気中の窒素酸化物によって、酸性雨も生み出されれる。