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商品説明
澁澤龍彦自ら「ドラコニア」と名づけた「龍彦の領土」には、彼の少年のような無垢な心を感じさせるオブジェが息づいている。澁澤龍彦の主要なテーマ「オブジェ」を、写真と澁澤龍彦自身の文章とで具体的に浮かび上がらせる。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
澁澤 龍彦
- 略歴
- 〈澁澤龍彦〉1928〜87年。東京生まれ。フランス文学者、作家、エッセイスト。サド、コクトーなどの翻訳や、美術評論の分野でも活躍した。
〈澁澤龍子〉1940年鎌倉生まれ。エッセイスト。69年澁澤龍彦と結婚。
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紙の本
―澁澤の深遠な内面の片鱗に触れる快感に酔う―
2011/11/09 02:53
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルにあるドラコニア ”Draconia” とは澁澤龍彦の造語で、「龍の王国」という意味合いの言葉である。 澁澤の持つ世界観がドラコニア・ワールドだとすれば、この本に紹介されているオブジェは、澁澤が好んで集めた住人達と言えよう。 それらは、購入したり譲られた工芸品であったり、鎌倉の海岸で拾った貝殻や骨であったり、木の実や鉱石であったり、彼が執着した様々な形状であったりする。
そして、その解説は、澁澤龍彦自身である。 つまり、彼の著書の中から、そのオブジェや美術品に触れた文章が引用されているという構成なのだ。 この本のおかげで、昆虫や貝殻のような自然の造形のような、澁澤が抱いた興味の対象や、卵形の石のような魅力的な形状を通して感じられる形而上的な感性的対象が、澁澤自身が所有したオブジェとして私たちの目の前に具現化する仕掛けとなっている。 読者は、実物の写真を見ながら読み進むほどに、ああ、これが澁澤作品に書かれていたあのオブジェなのかと、感慨深い印象を受けるものがあるだろう。 前書きと後書きだけは澁澤龍子の手によるものだが、短い文の中に澁澤の日常の一面とオブジェへの執着が手に取るように分かる。
2007年のことだが、横須賀美術館で没後20年を記念する展覧会『澁澤龍彦 幻想美術館』が開催され、足を運んだことがある。 彼の所有していた膨大なオブジェの一部も展示された。 大変質の高い展覧会で、資料としてこれ以上にない高い価値のものではあったが、そこで感じたのは、オブジェと言うよりは、どうしても即物的なガラスの中の展示物(「テンジブツ」と書いても良いかもしれない)という感をぬぐえなかった事であった。 オブジェが自己表現できるには、やはり持ち主とそれが置かれる場所が共に共存してのことなのだろう。 そのような意味でも本書のオブジェは、澁澤自身の文章と本来置かれるべき場所で撮影された写真とともに、本来あるべき存在として息を吹き返している。
澁澤のオブジェは、書斎や居間で、彼の原稿執筆を、あるいは日常生活を静かに見守ってきた者達でもある。 ドラコニア・ワールドは、澁澤の内面にある世界観であり、作品であり、あるいは現実の自宅や書斎でもあるから、オブジェ達はその両方の行き来を許された特殊な存在だ。 読者は、オブジェが象徴するものから、澁澤の深遠な内面の片鱗に触れる快感に酔うことができよう。 この感覚は、何か神託を聞いているような行為に似たものがあるような気がする。
あるいはそこから一種の心地よい不満足感を与えられるとすれば、示唆に富み、個々の由来が曼荼羅のように行き交うドラコニア・ワールドを理解するに至ることが難しいことに改めて気づくからかもしれない。 言わば、オブジェを通して澁澤龍彦の感性を享受しようとしてそれに至らなかった未消化部分だ。 それだけに、ドラコニア・ワールドは人を存分に魅了して止まないものがあるのだろう。
早くも没後24年が経ち、来年で四半世紀になろうとしている(!)ことを思えば、澁澤自身が集めたオブジェの数々は、今や逆に澁澤へのオマージュにも見えてくる。 今日なお、彼の作品の数々は何ら色あせておらず、ますます光彩を放っているので、それぞれが生きたオマージュだ。
北鎌倉にある澁澤の墓を訪ねると、今でも小さな貝殻やウイスキーの小瓶が人知れず置かれていることがある。 山間の小高い斜面にあるその場所で、彼はひっそりと木漏れ日を浴びながら、独りグラスを傾けながらオブジェを愛で続けているようだ。