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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2010.2
- 出版社: 集英社
- サイズ:20cm/225p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-08-775392-9
紙の本
あとより恋の責めくれば 御家人南畝先生
著者 竹田 真砂子 (著)
事の起こりは、南畝がふと口ずさんだ俗謡の一節「女郎のまことと玉子の四角 あれば三十日に月が出る」。これに狂歌連一の年若、山東京伝が異をとなえ平秩東作をまじえた三人は吉原の...
あとより恋の責めくれば 御家人南畝先生
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商品説明
事の起こりは、南畝がふと口ずさんだ俗謡の一節「女郎のまことと玉子の四角 あれば三十日に月が出る」。これに狂歌連一の年若、山東京伝が異をとなえ平秩東作をまじえた三人は吉原の遊女屋へ。南畝の恋の始まりか。多彩な人物を配し、江戸の息吹の中に描く南畝の恋の顛末。【「BOOK」データベースの商品解説】
【新田次郎文学賞(第30回)】狂歌の天才・大田南畝が見初めた相手は、遊女・三保崎。家族を抱えた微禄な御家人の身、見かねた狂歌仲間が手をさしのべるが…。多彩な人物を配し、江戸の息吹きの中に描く南畝の一途な恋の顚末。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
竹田 真砂子
- 略歴
- 〈竹田真砂子〉東京生まれ。法政大学文学部卒業。1982年「十六夜に」でオール讀物新人賞、2003年「白春」で中山義秀文学賞を受賞。邦楽を軸にした舞台作品が国立劇場などで上演されている。
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紙の本
大田南畝と江戸の粋を素見騒き
2010/04/16 23:08
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:cuba-l - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸中期、光と影の際を当代一流の粋人たちが闊歩する。
恋川春町、山東京伝、もとの木阿弥、朱楽菅江、そして主人公の四方赤良こと大田南畝。身分も出自にも関わりなく集い、歌会を催し、宴を張り、妓楼に遊び、お目当ての遊女に差し合いがいるとみるや、すかさず店替え、あるいは素見騒きと洒落込む身のこなしは野暮とは無縁だ。
素見騒き(そけんぞめき)とは、今風に言えばウィンドーショッピングのようなことであるが、特に江戸の色里などで遊女の並ぶ見せ張りをのぞくだけの冷やかし客や、その賑わいを眺めて楽しむ粋なそぞろ歩きのことも素見騒きと称した。
江戸中期の吉原などは大店が軒を連ねてきらびやかさを競い合い、不夜城のごとき仮想現実世界に、つかの間の疑恋という癒しを求める人々で大いに賑わいを見せたことは知っての通り。
もちろん廓に落ちた遊女にとっては、そこは苦界にほかならないわけだが、遊廓の疑似恋愛というアトラクションも、時には真実の恋に転化することがあった。
思いもかけず、そんな一途の恋に落ちてしまった武士の始末を描いたのが本作であり、その主人公は四方赤良・蜀山人として狂歌で有名な、あの大田南畝である。
言うまでもなく、大田南畝は天明期の江戸文化、ことに狂歌を初めとして洒落本や黄表紙、随筆、漢詩など文筆活動全般に才能を発揮した江戸のサブカルチャーを代表する天才文化人である。
私の憧れの大田南畝とまぶしいほどの有名登場人物たちの、華やかな交流ぶりの生き生きとした記述は、江戸文化に興味のあるものには一読の価値がある。
ただ、恋愛物語としてはどうだろうか。純愛を貫いた南畝先生の秘めたる恋愛模様がテーマとはいえ、記述が淡泊に過ぎ、どこか物足りなさは否めない。
恋の相手である吉原から身請けした三保崎などは、薄幸の女性とはいえ控えめに過ぎてまるで消え入りそうなはかなげな書きぶりだ。
当然現実の恋愛とはただ好きだ惚れたの一色でできているわけではないが、この物語の恋愛ははプラトニックなまでに淡泊に単色の記述が時折現れるだけで、主人公に感情移入して共感を得るような読後感にはとても至らないのは残念だ。
一般には向学心と好奇心のかたまりで、エネルギッシュな天才文人の印象のある南畝先生を、本作では仕事と家庭の切り盛りに汲々とするしがない下級武士として描き、その秘めた恋の顛末に目をつけたというのは、作者独自の大変面白い視点ではある。ただし恋愛自体の記述が、恋に対する少女願望のようになってしまっているのは、あるいはひょっとして作者の願望と弱さなのだろうか。
ともあれ、江戸の文化人たちの粋な振る舞いと交流模様には目を見張るものがあるし、天才文化人南畝先生を、悩み多い一人の弱い純朴な人間としてとらえた本作品は、現代のサラリーマンの悲哀にも通じるリアルな日常の手触りがある。そんな感慨をもたらしてくれるこの作品は、まるで自分もまたタイムスリップして南畝先生やその取り巻きと江戸の町を素見騒きするような楽しさを与えてくれる。