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紙の本
レダ 新装版 3 (ハヤカワ文庫 JA)
著者 栗本 薫 (著)
全世界がぼくの敵だった。ミラは自ら命を絶ち、ファンは永遠に去っていった。イヴとレダとの出会いに端を発した事件は、理想社会たらんとするシティそのものを巻き込み、ついには人類...
レダ 新装版 3 (ハヤカワ文庫 JA)
レダ 3
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商品説明
全世界がぼくの敵だった。ミラは自ら命を絶ち、ファンは永遠に去っていった。イヴとレダとの出会いに端を発した事件は、理想社会たらんとするシティそのものを巻き込み、ついには人類の存亡を左右する重大事となってゆくのだが、自己に目覚めたイヴは、レダへの愛を確かなものにしてゆく。多くのものを失いながらも歩き始める少年の成長を鮮やかに描き、人類のあり方に問題を投げかける未来SF大作完結篇。【「BOOK」データベースの商品解説】
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紙の本
レダはまったく重要ではない
2010/01/29 14:02
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:消息子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
III巻まで読んできて、以前、雑誌連載時に最後まで読んだのをおぼろに思い出してきたが、ほとんどストーリーを覚えていなかったのは不思議なくらいだ。もっとも、1988年の文庫化の際の後書きで、作者自身も自分が「こんなものを書いたのだとはすっかり忘れておりました」のだそうなのだが。
私の記憶はレダという登場人物の強い印象ばかりだったのだが、再読してみると、登場人物たちがレダという存在の重要性を喧伝するのが不思議なほど、存在感のない、人格を感じさせないキャラなのである。それなのに印象に刻み込まれていたのはその登場の仕方の鮮烈さに尽きるのだろう。
いわば植物的に管理されているシティの人々は本当の個性を持っていない、本当の生を生きていない、本当の存在なのはレダだけだ、というのが本書で主張されることなのだが、シティの住人の主要な登場人物たちだって、案外、個性的で、確固とした人格を感じさせるのだ。むしろレダが記号的・象徴的な位置に留まる。こうして脇役を生き生きと描いてしまうあたりが語り部・栗本薫の技量なのだろうけれど、その点では失敗だ。本来ならば、シティとその住人たちがいかに虚像的で異様な存在なのかを特徴付けねばならなかったはずだからである。逆に、シティ住民と対照的なスペースマンたち(地球外で暮らしている人類)が十分に対照的に描かれているかというといささか疑問である。
安定した社会はついには何も新たなものを生まず。ゆっくりと衰退していくというのはSFでお馴染みのテーマ、哲学であり、本書でも当然そういう流れとなる。だが、本書が鮮やかな印象を残すのは、レダではなく「ぼく」の成長なのである。ビルドゥングスロマン=教養小説だと作者も述べるとおり。
確かに植物的に主体を持たないシティの住人たちの中で、「ぼく」だけが動物的主体性を獲得していくともいえ、「ぼく」の主体形成の小説なのだが、他に主体がない中での主体形成は不気味な独我小説になりかかっている。