紙の本
実用としての宗教の在り方
2010/01/04 18:25
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
帯書きに「神学は役に立つ」と大書している。また あとがきの冒頭の一文は「本書は実用書である」である。この佐藤の主張を どう理解するかが読者側の挑戦となる。
現代の日本人にとって神学は非常に遠い学問だ。日本人のかなりが自分で自分を無宗教だと判断しているはずだ。婚礼葬儀以外に宗教が語られることも少ない。であるがゆえに 僕らにとって宗教を学ぶことには大きな意義と可能性がある。下手に色がついていないがゆえに 宗教を学ぶことが出来る地合があるはずだ。
佐藤の本書における最終的な主張は246頁での段落にあると判断した。
「つまり われわれは制約されている存在だということです。人間は自らの限界をきちんと認識しなければなりません。神なき世俗化の時代、ヒューマニズムの時代において、人間の合理性のみが突出し、自分たちが思う形で世の中を設計できると思ってしまう。それによって神の座に自分を置いてしまう。そのためにいろいろなトラブルが起きています」
上記のような 人間の「相対化」において 歴史上もっとも力があったのは宗教であったはずである。宗教は そもそも人知を超えたものが存在し、それに人間がどう取り組むかを考えるということであるとするなら その前提である「人知を超えたもの」の存在を認めているからだ。
僕らは「人知を超えたもの」は 人知の進歩によって 克服出来るものだと考えがちである。それが科学の進歩を齎したことは間違いないが それの度合いが過ぎると 自らを神としてしまう。それを防ぐ為に 佐藤は 再度 宗教を学ぶことで 自己を絶対化せず 相対化できるはずだという 実用性を主張している。自己の絶対化が起こした悲喜劇は歴史には枚挙がない。それを防ぐことが出来るのではないか?本書での佐藤の主張に関しては 僕は そう読んだところである。
現代の日本に宗教を提起した本書は大変魅力的である。左巻も楽しみにしたい。
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まず、この本は著者も言っているように実用書である。
その点を誤読すると、この本は全くもって面白くはない。
立場が鮮明だ。
私はプロテスタントである、という定点から、広くキリスト教というものが把握される。
かなり乱暴な整理がされているとも思うが、このくらいの範囲で鷲掴むことによって見えてくるものも多い。
特に、北朝鮮におけるキリスト教の通奏低音という内容あたりは読み応え十分である。
あとは最終章の日本人にとっての神学というテーマを整理しようと試みたあたりも面白く読んだ。
残念なのは、おそらく短期間に書き上げたためだろう、所々、論理的な甘さ、空隙があるということだ。
そういう点に目を瞑れば、比較的平易にまとめられた内容の故に、著者の「神学」からのまなざしから見える範囲は、広い。
しかし、この本によってキリスト教神学を理解することにはならないのは言うまでもないだろう。
入門のさらに導入とでもいうべきだろうし、寧ろそうした物の見方からの視座の提示こそ、肝だろう。
宗教論と銘打ってあるが、「キリスト教」という一つの宗教をとっかかりにしたものであり、だからこそ語れる部分もあるということは留意するべきだ。
内容が内容だけに、続編の左巻に期待を込めておきたい。
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期待はずれ。
聖書、キリスト教については全くの初心者を対象に書かれているが、何を主張したいのか不明確。
読者像を絞り込めていないような気がする。
続編の左巻に期待する。
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同志社大学大学院神学研究科を修了した著者による、キリスト教を中心とした宗教論
キリスト教と縁遠い私にとっては難しい内容でした
はっきり分ったのは「宗教が違うと、考え方が全く違う。キリスト教の中でもカトリ
ック・プロテスタント・ロシア正教では全く違う」と言うこと
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実用書ということ。
大学の講義を受けているようだ。学生時代にかじった神学をざっと復讐できた感じ。
キリスト教神学を類似というスタンスで学習すれば、いずれは世界史をひもとくことができ、キリスト教倫理に到達し、最終的には世界を救う??
・・・という、大風呂敷を広げたいのでしょうか。
佐藤さん・・・、昨年からほぼ毎月、本を出版されていますが、もう少し整理をされてから、歴史に残るような執筆をされてもいいのではないかなぁ…・ ^^;
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無神論を説くには、この手の本と関わっていかなければならないのである。ウチの無自覚なカトリック教徒の同居人より、宗教知識がついてゆく?しかし無意識で居ればよいのです。左巻に早くも期待。
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佐藤優の二つのバックボーンである、大学で学んだ神学と職業として従事した外交。後者についてはこれまで散々書かれてきたが、本書では筆者のより深いところにある神学の世界へ進んでいく。難しそうだけど、いよいよ来たか、という期待を持って手に取った一冊。
筆者は冒頭で、まず近代知を相対化する。近代人は目に見える世界のみを語り、見えない世界を語らない。結果として、宗教のようなものに対するニーズが随所に噴き出してくる。なぜか、それは人間は常に死から逃れられないから、と筆者は明快である。
そこから宗教論が展開されるのだが、満遍なく主要宗教について議論するのではなくて、本書はあくまでキリスト教神学の入門書。キリスト教は一神教で信仰としては単純なものと考えていたけれど、神学としては千年以上の蓄積があり、本書レベルでも相当難しい。普遍とか類比とか受肉とか、主要なロジックに触れることができたらそれで良しと満足しなければならない。難しいけど、熱のこもった筆致は相変わらずで、面白く一気に読むことができた。
ヨーロッパの頭のいい人たちが、何でこんなことを数百年も考え抜いてきたのか、それって本当に救済のためなのか・・・と正直疑問にも思うが、西洋で近代知を構築していく前提として、このような宗教神学の訓練があったことは間違いないと思う。スタンスは違えど東洋にも仏教、儒教、道教の蓄積があり、対比的、批判的に読んでいくのも面白そうだ。神学は知の訓練になる。
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3回目の読了。
ミッションスクール出の私であるが、正直、キリスト教の知識は微々たるものである。
筆者は外務省のラスプーチンとして有名であるが、同志社の神学部の出身ということで、プロテスタントの視点でキリスト教の持つ、「戦う」神学の基本を丁寧に説き明かしてくれる。
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西洋はキリスト教の原理・原則で動いている。海外で無数の教会に行ったが、なぜ彼らがキリスト教を信仰するのか、そしてその教義がわかるにつれ行動パターンもみえてきた。入門者向け良書。
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⑬1/20-3/1
良かったけど、再読してみよう。
宗教というものがおぼろげながら理解できたような。
先祖代々の真言宗を勉強しようか。
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メモ
キリスト教と共産主義の親和性
特に、共産主義が少数構成員に留まるならば、その親和性は高い。
過ちは世界規模で共産主義が馴染むとしてしまったところか?
ライプニッツのモナドロジー概念を導きにし、「類型」の概念から日本のキリスト教を論じた魚木の分析は秀逸。大東亜共栄圏に繋がってしまったことは残念。
古事記の創造とキリスト教の創世記の意外な類似点
まだ理解が進まない・・・
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佐藤優によるキリスト教神学の入門書。
まずは金日成の英雄神話とキリスト教的神話の類似性などキャッチーな雑学的にスタートするものの、いざ本篇が始まるとかなり取っつき難いものであった。
解説はかなり丁寧なんだけど、事前知識が無いと読むのは苦しいでしょう。
しかしこの人、他の著書もそうなんだけど、「読ませる」筆力が素晴らしいので、その取っつき難い内容を「面白い」と錯覚させてしまうのです。
特に感じ入ったのは、キリスト教を自らの「主体的問題」と前提したうえで、宗教の意義を語ろうとしている著者の姿勢。
近代知の相対化から始まった内容が、いつの間にか自己の相対化へと向かう「語り」がやはり「面白い」のであります。
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近代の終焉というパラダイム転換の認識のフレームワークとしてキリスト教が必要だ。目に見える世界だけでなく見えない世界もあるので近代的合理主義だけでは不足である。宗教とは多様な価値観に基づくものなので土着化したものは自ずと形を変える。
仏教、カトリック、正教会とプロテスタントの対比による思想の違いや、神道的創世神話と創世記の類似性からキリスト教の受容が進んだというのが興味深い。安土から江戸のキリシタンについては触れられていないのが残念。
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勉強になる部分とわりとどうでもいい部分とちょっと吃驚するくらい言い方がざっくりしてる部分が1:1:1。
勉強になるのは、カトリックとプロテスタントの両神学の内容やその関係についてとか、個々の宗教は非宗教的な要素(国内の政治的状況や別の国との外交的状況とか)から影響されて、影響を及ぼし合って形成されているていう事の事例に言及しての説明とか、著者の経歴を反映した部分。
勉強になる部分が面白く読めるから良いんじゃないかな。
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この人の文章はなんか面白いと思わされる熱みたいなもんがある。平易に書いてくれてることはわかるんだけど、中身の理解が難しい。他の本も読んでからまたこの本に帰ってこれたらいいな。