紙の本
仕事と私
2020/01/23 12:35
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投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
この著者はシャーナリストだなぁ、と思う。「生産者」、「企業の方針と国の政策」、「消費者」の観点から見ている。ときどき、植物の側からの意見も取り上げられているけれど、人間の経済活動がこの人の関心事のベースにあるのだ。
スーパーオーガニックを実践する農家ジョエル・サルトンの農場の描写はとても美しい。中でもジョエルの仕事に対する考え方が著者とずいぶん異なることが印象的だった。著者は「この農場では動物がほとんどの仕事をするというけれど、動物は私たちの仕事もずいぶん残してくれてるみたいだ」とふざけていってみたそうだが、私には著者が仕事を「されられている」感覚があったように見える。ジョエル自身はそんなことはないと返したそうだから、動物に仕事を「してもらっている」感覚を持っているのだ。
残念ながら私は大きな資本を動かす人間ではないけれど、そういう人が化学物質の大量使用と家畜の生活環境への配慮するようになるとか、私みたいなずぼらな消費者がささやかな後ろめたさを伴う手軽な食事を控えるとか、そんなことによって世界は少しだけいい方向に行くかもしれない。それ以上に、ジョエルのような生き方をする人がいると思うだけで少し救われた気がしてしまう。私にはジョエルの真似はできないけれど、収入を増やすとか、節約するとか、そんなちまちましたことより価値のあるものって確かにあるんだなあ、と思える。
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我々の体を作る食事が何処から来たのかを解き明かす。人工肥料の発明からとうもろこしの増産。本来草食の牛に穀物を食べさせ、とうもろこしからは人工甘味料から添加物までが作られる。またオーガニック食品は本当に体に良いのか。食料生産の工業化から環境や農業問題、さらに日々の食事についてまで考えさせられる一冊。
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普遍的で、且つ、自然であるべき食物連鎖のカタチがアメリカの資本主義経済によって徐々に変わっていく。
資本を目当てに安価で大量に生産できるトウモロコシを、家畜の飼料などとして使用する為、抗菌剤等が知らない間に、牛の中に入り、それらが我々人間の中に入ってくるというもの。
人間の健康に直に影響する食についてあまりにも我々は無知であることを、トウモロコシから派生する多様性に富んだ食糧に変化するまでをリアルに追っていく本です。
この本を読んだらリアルに食について考えさせられます!
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たいていこういうのを書く人は立ち位置がどちらかに批判的だったりするんだけど、この人は潔くも一般庶民をそのままジャーナリストにしたような、どっちがいい悪いといった事よりも、実際に現場に行って体験をして、どっちがいい悪いを見極める材料を集めてきたリアルな事実がすごくいい。肉好きは120%読むべき 読んだら世界が変わります。
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今晩何を食べるか?というシンプルな問いが現代において非常に複雑で厄介になってしまった理由を探ろうとして、異なる3つの食物連鎖(工業的食料生産システム・オーガニック・狩猟採取)を始めから終わりまでをそれぞれ追跡します。私たちの体を作るのは食べ物の食べ物。私たちが口にするものも、もとはといえば何かを食べている。読んだ後、この食べ物はどこからどうやって来たのだろう、と考えるようになりました。
以下、興味深かったポイントです。
自然の制約から食べ物を解放する、という食べる側から始まった夢は、いまでは食べ物を与える側、つまり食品会社側のものになった。そこでは、還元主義的科学による標準化と資本主義的規範による効率化とウォール街的利益最大化が押し進められる。その結果私たちは、自分たちが食べる物が、何を与えられてどこでどのように育てられたのかを知らず、また標準化されているというメッセージに晒されているため、同じ名前の食べ物は同じ品質であると思いこんでいる。
オーガニックは生産者と消費者の間に行き交う情報に、暗示的な短い物語を追加した。けれどもやはり、食物がどうやって作られたかの過程が分からないことが多い。必要な問いは、オーガニックは普通の食事より優れているとしたらどこが優れているのか?味?私たちの健康?環境?栽培する農家の人々の健康?納税者?
自然淘汰により、人間はひと口あたりのエネルギー量(すなわちカロリー)が最も多い糖類と脂肪の食感と味に惹かれてしまう。そして、安い食べ物がたくさんあれば、人間はもっと食べて、太ってしまう。「体に悪い物なのに何故おいしいんだろう?」という疑問が解けました。
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より多く、より早く、という人間の欲望が、他の動物はおろか自分自身にも危害を及ぼしているという、人間のバカバカしさ。。
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いろいろ食に関する裏情報?が書かれていて、興味深いのですが、私にはちょっぴり読みづらかったです(^^;
まだ見てないですが、映画「キング・コーン」を見ればいいのかも!
と思いました~。
【キング・コーン】
http://www.espace-sarou.co.jp/kingcorn/top.html
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「今日何食べよう?」食事の選択肢が多い雑食であるがゆえに、何を食べていいかわからない。これが「雑食動物のジレンマ」である。本書は、このジレンマを解消する一助となりうる。植物、肉、キノコ、の3大分野を取材した著者が考える「答え」とは?
(熊本大学学生)
(下巻も合わせておすすめしています)
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農業関連では「日本の食と農 その危機の本質」以来の名著。日本でも農業を強くするために、大規模化が謳われてるが、そのためには作物の単一化が必須であり、単一化によって何が失われるのかがよく分かる。単一化は当然効率化のためだが、効率を突き詰めていけば、選択される作物はトウモロコシにならざるを得ない。牛を速く育てるためにトウモロコシ飼料が選択されたように思ってたが、実は余ったトウモロコシを消費するためにトウモロコシを飼料とし始めた実情は興味深い。日本でも余ってる米を牛の飼料にしようという議論があるが、そもそも穀物を食べない牛にそれをやって大丈夫なのか?鶏や豚は穀物を食べるし、肉にもその風味が出てくるという話は聞いたことあるが。こめたまなどはその一例だよな。生態系というものが、詰まるところ、植物が光合成によって変換した太陽エネルギーを奪い合う戦いだというのは目から鱗というか、モヤモヤが晴れた気がした。下巻は少しパワーが落ちるが、とにかく必読の書。
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もともと、コーンという英語はあらゆる種類の粒を指す言葉だった。塩の粒もコーンと呼ばれ、塩漬け肉のコーンビーフもここからきている。
生産コストがまかなえない程市場に大量のトウモロコシが触れているのに、なぜ農家はトウモロコシをつくり続けるのか。
農業の世界では、通常の需給ルールは無視されるようだ。さらに最大の原因は農業政策にある。
ニューディール政策の農業調整法は、まさにそれが目的だった。トウモロコシのような貯蔵可能な作物について、政府は生産コストに基づいて目標価格を設定した。市場価格はそれを下回った場合、農家には選択肢が与えられる。
トウモロコシを低迷する市場に捨てる代わりに、作物を抵当にして政府から融資を受ける。
そうして価格が回復するまで作物を貯蔵するのだ。価格が回復すればトウモロコシを売って、政府に融資を返済する。価格が低いままなら、借金をそのままにして、返済の代わりに政府の恒常標準穀倉という、妙に趣のある名前の場所にトウモロコシを差し出す。
この制度は彼が1970年代に実家の農場に戻ってくる少し前まである程度存在し、20世紀の収量激増による価格崩壊を防いだ。
この無償還融資のシステムによって、余剰分は市場に出されずに済んだ。
融資のほとんどは最終的に回収できたため、政府にとっては比較的コストがかからなかった。
ある程度存在したと書いたのは、50年代から、ニューディール政策の農業調整法を崩そうとする動きが始まったからである。
以来、新しい農業法が導入されるたびに、このような支援策から柱が1本ずつ抜かれていった。
1980年代の中西部農民運動から始まり、農家は大企業の力食い止めるために労働運動とともに歩んできた。
農家の数が減っても国民の食をまかなえるようになったため、市場の力で価格を下げて農家を追い出そうという、農業合理化のチャンスがやってきたのだ。
アール・ラスティー・バッツ。
ニクソン政権時代の2人目の農務長官であり、安価トウモロコシという疫病におそらく誰よりも貢献した帳本人だ。
食糧価格が二度と釣り上がらないようにしたこと、それが彼の功績である。
1972年の秋、何度か壊滅的な凶作に見舞われた旧ソ連は、アメリカから2700万トンの穀物を買い付けた。バッツはこれに手を貸し、穀物の価格を上げ、反発が根強い農村基盤から票を集めて、共和党のジョージ・マクガバンを勝たせようとした。
その計画はあまりにもうまくいきすぎてしまい、需要は予想外の急騰を見せた。
1972年の秋に起きた、旧ソ連の穀物買い付けと、それに伴う農家の収入の激増は、ニクソン大統領が農家票を集め再選を果たす勝因となった。だが同時にこれが、翌73年、スーパーマーケット等食物連鎖のはしばしまで食品価格が跳ね上がる原因になる。この年、食料品のインフレ率は市場最高を記録した。
飼料を買う余裕がなくなった農家はひよこを殺し、牛肉の値段は中流家庭でさえ、手の届かない額にまではね上がった。
ニクソン大統領から消費者の反乱を鎮めるよう命じられたパデューの賢人バッツは、価格を下げ、農家の生産量を大幅に引き上げて、アメリカの食体系の立て直しに着手した。
アグリビジネスの長年の夢(安価の原料)と政府の長年の夢(お上に逆らう農家数の削減)は、こうして正規の政策となったのだ。
この秋に収穫したトウモロコシに対してメーラーが受け取る小切手は、アイオワ農協からのものだけではない。もう一つの小切手の送り主は、農務省だ。農務省からは、1ブッシェルにつき約28セント、市場価格にかかわらず、補助金が出される。
価格が1定額を下回ると、補助金の額は大幅に増える。2005年10月に起きたように、価格が1ブッシェルあたり1ドル45セントまで下がったとしよう。グリーン群の目標価格は1ドル87セントであるから、政府から農家に目標価格の不足分としてさらに42セント分が支払われ、農家は合計で1ブッシェルあたり70セント受け取ることになる。
この補助金は、アイオワ州の平均的なトウモロコシ農家の収入の約半分を占めている。そしてこれは、アメリカの納税者が1年間に農家に支払う190億ドルの4分の1を占める計算になる。
これが、生産量を高く、価格を低く保つシステムなのだ。
さらにこのシステムは、価格を下げ続けるように作られている。それは、農家に目標価格の不足分を支払うことはできるだけ多くのトウモロコシを生産し、どんな価格であれ、市場にすべて出すことを奨励するからだ。当然価格はさらに下がり、そうなるとメーラーのような農場主が収入を下げないためには、トウモロコシをさらに作るしかない。
こうしてトウモロコシの山は大きくなり続け、この安価トウモロコシの山を動かすことが、工業化した食体系の重要な課題となった。
要するに、トウモロコシは牛にしているのこういうことだ。
自然の驚異である反芻動物という、太陽と草原の種で生きていた生物体を工業化し、最も望ましくないものを生み出してしまった。それは化石燃料で動く、新しい機械だ。そしてこの機械は、痛みを感じることができる。
トウモロコシ食動物と EU 人種になったからといって、何の問題で、どこが悪いのか。その答えは自分の置かれている立場によって変わる。
アグリビジネスの立場から言えば、安価トウモロコシを加工して45品目ものマクドナルドのメニューに仕上げることは素晴らしい功績だ。トウモロコシが固定した安価な炭素は食欲の限界という問題を解決した。
アメリカ経済という梯子の下の方の段にいる人間にとってはトウモロコシ化した食物連鎖は大きなメリットもたらす。それは安い食べ物というよりは、様々な魅力的な姿をした安いカロリー源だ。けれども長期的には、消費者はこの安いカロリー元の大きな代償を払うことになる。肥満や糖尿病、心臓病として。
世界経済という梯子の下のほうにいるのなら、アメリカのトウモロコシ中心の食物連鎖は、全くひどい大惨事である。
トウモロコシを直接食べることは、そのエネルギーを全て消費することを意味する。ところが、トウモロコシを牛や鶏に与えると、骨や羽や毛など、その動物の生存と代謝にエネルギーの90%が失われる。これが、最終区主���者が食物連鎖の下の方のものを食べるべきだと主張する理由だ。
鎖の環を一つ上がるごとに、食物エネルギーはその10分の1になる。
つまり、マックナゲットのようなものを作るために失われる食物エネルギーで、私の息子だけでなく、もっとたくさんの子供の食事をつくれたはずなのだ。
では、トウモロコシ畑の真ん中に立ってみたら、この食物連鎖をどのように見えるだろう。それは、あなたがトウモロコシのかなのか、それともトウモロコシ自身なのかによって変わってくる。
トウモロコシの勝利は過剰生産が直接もたらした結果であり、農家にとっては大変な災いだ。トウモロコシだけを単一栽培することは、農場の土壌と、地域の水質と健康、景観の生物多様性、農場周辺やその下流に住む生物すべての健康に、大きな被害を及ぼす。
自然界の中で、穀物は工業的な商品に最も近いものなのだ。保存・郵送・代替が可能で、昨日も今日も明日も変わらない。貯めて交換もできるため、穀物は富の一つの形態でもある。
トウモロコシ栽培は産業複合体を動かし、産業複合体はトウモロコシを動かす。だから政府がふんだんに補助金を出すのも不思議ではない。
ところが牧草はそうではない。牧草農家は政府から補助金の小切手をもらうこともないし、殺虫剤も肥料もほとんど買わなければ、アグリビジネスや製薬会社や巨大石油企業を支えることもめったにない。余剰分の牧草は、国家の権力や貿易収支に役立つわけでもない。
この世界を取り仕切っているのは、工業の理なのだ。
大規模畜産携帯式の養豚場で、小豚は生まれてから10日間で母豚から離乳させられる。ところが離乳の時期が早すぎるため、何かを吸いたいという欲求を豚は一生抱えることになり、目の前にいる他のブタのしっぽをかじってその欲求をまぎらわしく。
そしてウツ状態の豚は、感染症を発症するまで尾をかみ続けられても気にかけない。こうして病気になった欠陥品を治療するのは経済的に非効率だから、だいたいその場で撲殺する。
農務省は、尾をかじるという豚の悪習の解決策として、この断尾を推奨している。麻酔なしでペンチを使い、根元の部分を少し残して切り取るのだ。
なぜ全部切り取ってしまわないのか。それは、断尾の目的は、尾をなくしてしまうことではなく、痛みがもっと敏感に感じられるようにすることだからだ。わずかに残った根元の部分をかじられると、あまりのいたりにウツ状態の豚さえ抵抗するという仕組みだ。
考えるだけで嫌になる酷い話だが、なぜこのような地獄絵図への道が工業的効率の論理で綺麗に舗装されているのかは明らかだろう。
「薬は動物の遺伝的な弱点を隠してしまうんだ。牛を慎重に選んでこの土地の状態に適応させて、いつも改善していくためには、結膜炎になりやすいのはどの牛か、寄生虫がつきやすいのはどれか、知ってなきゃならない。いつも薬を与えていたら、全くわからなくなってしまう。本当の意味でこのいわゆる情報経済に生きているのは誰だろうね。農場を観察して学ぶ者か、悪魔の発明に頼る者か」
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この本のおもしろいところは、さまざまな食のあり方とその成立背景を紹介しながらも、「だからこういう食事をすべきだ」という結論を安易に出さないところだと思う。ゴールとなる結論があってそれを補強するためのデータやエピソードが紹介されるのではなく、実際にその食が作られる現場に出向き、体験して、感じたことがそのまま語られる。
大事なのはオーガニックとか持続可能性といったような特定の食のあり方を尊守することじゃなく、自分の食がどのような食物連鎖の中に位置づけられるものなのかを知り、食べることを通じて世界とどのように繋がっているのかを知ることだと思う。
世界と自分との接地面積を広げる本。
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「食べる」という単純なこと。それを簡単にするために、恐ろしいほどの複雑さに悩ませられるようになった。
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「生命体の主要成分は炭素で量をまかない、窒素が質を担当する。」と言う。
肉牛は540kgの体重を目途に屠殺する。これが有機的な飼育でない場合、この牛一頭が一生の間に食べる餌に費やされる石油を計算するとおよそ132リットルを消費することになるのだそうだ。
生まれてから六ヶ月間は母親と共に牧草地で育つがそこからは牛舎につながれトウモロコシ主体の人口配合の餌になる。体重250kgになると牧場からメーカーの肥育場に送られて太らされる。
産まれ落ちた後数週間で牧草を食べ始め、一ヶ月後には焼印と去勢。
母牛がパニックを起こすほどの早い離乳は、次の種付けのためである。
生まれた時の体重は36kgほどで、540kgの屠殺体重になるまでにおよそ14ヶ月から16ヶ月である。
その昔は4~5歳で屠殺され、1950年ごろは2~3歳だったのだけれど、餌の主体を栄養価の高いトウモロコシにして友食いになる牛の骨や内臓を与え、脂肪サプリメントや抗生物質や魚や鳥などによって配合された新兵器で育てることで時間を縮める。
トウモロコシの生産の内で人間の食用となるのは年間一人頭25kg以下で、それ以外は加工品として一人頭年に900kg栽培されている。
ちなみに人間が食べる総量は、一人年間680kgだそうである。これは信じがたい量であるけれど、この本にはこう書いてある。
人間の「満腹」に対して生産側や経済学者は「食欲の限界」とか「非弾力的な需要」と呼ぶのだそうだ。
自然の営みを敵としてその限界を乗り越え、売り上げを増やす方法を考えていると言うことである。
人口を増やすか、過食させるか、単価を上げるかの内、過食が一番確実なのだそうだ。
だとするとエントロピーは物的循環の手段で、ネゲントロピーは生命的成長の手段なのだろうか。
これは少子化を憂いている欲張りな人口問題にも絡む怪しげで複雑な要素である。
工業的有機農業と言うモノがあり、それは資本主義が自由と平等の下に偽物の民主主義を謳い込んだのと同じように、表面的で形式的に有機と言う姿を借りた見せ掛けだけで、その裏側では間接的に石油化学物質を大量に持ち込んでいる。
電気自動車が一見エコロジーに見えるけれど、肝心の電気の生産や電池の生産に費やされているエネルギーの素が負荷だらけの原子力だったりダムだったり石油だとすれば詐欺的な話にしかならない。
個性を大事にする地域性を壊し中央集権をグローバル化して、すべてを押し並べて兵隊のように一律にすることを推し進めている。
持続可能あるいは大自然の成り立ちから見ると、複雑で質的なモノが単純で量的なモノに押し込められて、環境と言う生命学から窒素リン酸カリと言う化学にすり替えられてしまった。
連鎖と言う持続性を切り刻んで、化学的主張によって欲しい所だけをコントロールして他のすべてを先送りして未来に捨ててしまう。
大自然の承諾なしに水や土壌を垂れ流しに使い捨てして踏み倒し、地球上を砂漠化して行く。
この見せ掛けの世のエリートたる紳士淑女達は、まさに傍若無人の強盗そのものであるこ���が浮き彫りになってくるドキュメントである。
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友人の有機農家に勧めて頂いた本です。非常にいい本だと思います。映画「フードインク」に大きな影響を与えている本です。事実に対する膨大なデータを,非常にわかりやすく伝えています。?が点ったすぐ後には,その言葉をフォローする文章が絶妙なタイミングで現れます。食に関わる映画は増えてきましたが,この本はさらに新しい知識を与えてくれるだけではなく,双方の利点・問題点に関しても言及していて,非常に好感を持ちました。下巻が楽しみです!
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・まあ訳書にありがちで読み辛いよね。内容自体はすげー興味深いのになんでだろ。とりあえず下巻まで読む。