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■この本は、最終巻までいったら感想を書こうと思ってたのだけど、この巻に出てくる写真がショックだったので、書いてしまいます。
コンスタンティヌス帝の凱旋門のレリーフ。昔の凱旋門からひっぺがしてつぎはぎし、一部を彼が生きた4世紀の新作で補っている…という実態もショックですが、それよりも何よりも。
200年前に作られた部分より、4世紀に作られた部分のほうが躍動感のない平坦なレリーフだという事実がショック。
技術は常に前進するものだとどこかで信じていた私には、キッツい写真でした。技術だけじゃない、ひょっとして思考力だって…。
ローマ旅行でこの門を「すげー」と仰ぎ見たときには全然知らなかった。
■小説部分のことも。下巻の、コンスタンティヌスのキリスト教への接し方を考察した部分は、相変わらずの皮肉屋っぷりが発揮されて元気ですが、それ以外は事実を淡々と、ちゃっちゃっと述べていくといった印象です。ディオクレティアヌスの心情とか、もっと描いてほしかったなぁ。。。
この本は小説ではなく歴史エッセイのようなものなので、あまり心情を掘り下げるとテイスト変わっちゃうんだとは思うけど…。
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コンスタンティヌス大帝の時代へ。
キリスト教を公認したことから、「大帝」と呼ばれているが、かなりどろどろしした骨肉の争いの結果を勝ち残ってきた皇帝だ。
多神教のローマ世界から一神教のローマ世界への大転換点。
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ディオクレティアヌスが実施した「テトラルキア」により、一時的に確保したローマの安全も、ディオクレティアヌス引退後にシステムは結局崩壊。国家としての根幹を成す考え方を失った国家が示す、文明の末路か。
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4頭政崩壊からコンスタンティヌスがただ1人の皇帝となるまでです。
社会も思想も人すらも崩壊していくローマを読んでいると、物悲しくなってきます。
特にP114~P115の浮き彫りの比較を観ると国の衰えとは経済の衰えだけでなく、人の力とそれに付随する全てが衰えていくものなのだなと実感します。
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ディオクレティアヌス退位後、四頭政から六頭政を経て、コンスタンティヌスが再び唯一の皇帝として君臨するまで。
国家の疲弊した有様が、コンスタンティヌスの凱旋門からまざまざと見て取れるのは、ちょっとした衝撃だった。五賢帝時代に精巧な美術品を生み出していたことが嘘のように、200年後のこの時代には皇帝に捧げる凱旋門にさえも粗野な造形しか作りえなかったのか。写真を事細かに出してくれるので違いは一目瞭然。人の営みが後退することなど、日常生活ではそうそう感じられるものではないが、後退するときはするんだよなー。
6人の皇帝の主導権争いがメインの一冊だったので、登場する皇帝たちがやけに人間くさいし、久々にローマの伝統的な会戦などもありこのシリーズの中では、かなり面白く読めた一冊だった。
ところでディオクレティアヌスが気の毒だ・・・。
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コンスタンティヌス帝が登場。
○○帝と書くしかないほど、皇帝がコロコロ変る。とても覚えきれない皇帝たちの名称(先帝たちの名称を持ってきているので、同じような名前ばかりだ)。 今でもそうだが、安定した政治が必要なことだ。
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★2010年64冊目読了『ローマ人の物語36 最後の努力(中)』塩野七生著 評価B
紀元306年から337年までのコンスタンティヌス帝の時代を描く。
前の時代を築いたディオクレティアヌス帝が自らの意志で引退し、第二期四頭政に帝国の運命を託したが、西方の正帝コンスタンティヌス・クロルスが死亡したことにより、一気に時代は混乱へ舞い戻る。結局、幾多の帝国内の戦乱を経て、先帝コンスタンティウスの実子であるコンスタンティヌスは、一時帝国の長年の首都であったローマの人々の支持を受けて立ち上がった前先帝のもう一人のマクシミアヌスの実子マクセンティウスを破り、実質的な正帝につく。その後、東方の正帝であったリキウスをも小アジアにおける決戦で破り、一時は6人もの正副帝が乱立したローマ帝政を再び一本化する。
これらの国内混乱をまとめる中で、コンスタンティヌス帝はリキウス帝とともに313年には、ミラノ勅令を発し、とうとうキリスト教を認める。
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一番印象的だったのが、レリーフの時代ごとの写真。コンスタンティヌスの凱旋門が一番時代が新しいのに、レリーフの出来はほかの時代に比べて一番稚拙。技術力も国力が現れるとは。。。技術は必ず受け継がれて向上するものだと思っていたのに、国力によって退化することもあるなんて。
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四頭政の崩壊。コンスタンティヌス帝によるミラノ勅令によるキリスト教の公認。
2011/02/27読了
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ディオクレティアヌス退位から次第に崩れゆく四頭政治。そして皇帝たちの勢力争いのなかから頭角を現したのはコンスタンティヌスであった。313年のミラノ勅令でキリスト教公認したことでのちのキリスト教徒からは大帝と評される。コンスタンティヌスの凱旋門は各時代の寄せ集めながら、美しいフォルムを見せるそうだ。トライアヌス時代ものものからコンスタンティヌス時代の技術力の変遷がうかがえるが、もうそこに中世が近付いていることを予感させるレリーフだそうな。
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本巻は、ディオクレティアヌス帝が退位したあとの四頭政(テトラルキア)について書かれている。四頭政といっても、最大で6人にも達する皇帝達の権力闘争の様相を帯びている。
前巻(上巻)でディオクレティアヌス帝に対するイメージが変わったように、本巻ではコンスタンティヌス帝に対するイメージが変わった。ミラノ勅令でキリスト教を公認したことから得られたであろう、キリスト教徒からの高い評価による歴史観を持っていたためだろうと思われる。
コンスタンティヌス帝は、戦闘をすれば、必ずしも鮮やかな、というわけではないが、勝利はおさめる。また、この時代のその他の皇帝に比べて、兵站を重視する姿勢なども見られ、機を逃さず、戦略にも長けていたのだろう。
ただ、帝国も末期であるということを知っている後世の人間からすれば、権力闘争をしている場合じゃないだろう、という気がしてしまう。もちろん、歴史の最中にあれば、自分がどの局面にあるのか、そんなことは知る由もないが。そしてそれは、現代の日本にも言えることなんだろうと思う。
コンスタンティヌス帝の政治の全容については、次巻(下巻)を読めば明らかになるだろう。
なお、本書の中で、コンスタンティヌスの凱旋門について紹介がされている。図と写真合わせて23ページ使っているのはシリーズを通してもなかなか無いように思う。この凱旋門は旅行でローマに行ったときに実際に見ているが、本書を読んでから見たかった。この凱旋門を見ただけでも、帝国の技術水準の推移がわかるのである。
最後に、60歳で引退し、その後68歳まで生きたディオクレティアヌス帝だが、帝国の推移をどの様に感じたのか、非常に興味深い。この辺りのエピソードも本巻に含まれており、ちょっと切なくなる。。
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11/5/6
ディオクレティアヌス帝が退いた後、6人の皇帝の中からコンスタンティヌス帝が内乱を勝ち上がり唯一の皇帝となる。313年、コンスタンティヌス帝とリキニウス帝が共同でミラノ勅令を出しキリスト教を容認する。何故コンスタンティヌス帝はミラノ勅令を出したのだろう。どんな思惑があったのか。これによってより一層ローマがローマじゃなくなってしまったように感じる。
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4頭政を始めたディオクレティアヌスが、ローマ皇帝として初めての
「引退」を表明し皇帝の地位から退いても体制はそのまま残った。
しかし、4人の皇帝のうち絶対権力を保持していたディオクレティア
ヌスの引退は4頭政の崩壊の引き金になる。4人どころか、同時に
6人の皇帝が並立し、お約束のように権力闘争の内乱である。
最終的にコンスタンティヌス帝が権力闘争を勝ち抜き、絶対君主と
して君臨する。後の「ミラノ勅令」によりキリスト教徒から「大帝」と
呼ばれることになることから分かるように、キリスト教を容認したこと
からローマ帝国が長年侵攻して来た多神教を捨てるきっかけを作った
人である。
どうも読むのが辛くなってきた。ディオクレティアヌスの治世から、
ローマは既にローマでなくなり、首都さえも省みられなくなっている。
そして、敗者の神どころか、自分たちの皇帝までも死後には神格化して、
30万とも言われる神々を持った国が、不寛容な一神教の国に変わって
しまうのだ。
また、法治国家だったローマ帝国は確実にその基盤が崩れて行く。
著者も書いているが、これはもう「中世」である。ただ、同じ中世でも
「まずはヴェネツィア市民、次いでキリスト教徒」のヴェネツィアのように
変われば、ローマ帝国はまだ面白かったのかも知れぬ。
そんな大帝、コンスタンティヌスであるが、彼の凱旋門が歴代皇帝の
時代の装飾を組み合わせたパッチワークなのが興味深い。この凱旋門に
関しては図版も豊富に収録されているので、装飾の技術の違いを見比べ
られる。
滅びるして滅んだ帝国だが、あまりの変わりようにページをめくる手も
鈍るぜ。
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ディオクレティアヌスの四頭政が崩壊。あれほど賢かったディオクレティアヌスさんも、権力者という人間への洞察が甘かったのかな?妻と娘が可愛そうな最後を迎え、さぞかしブルーだったことと、、、。権力には無縁に限る。
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ディオクレティアヌスの引退から四頭政の崩壊、そしてコンスタンティヌスの専制開始まで書かれていますが、何よりもディオクレティアヌスがこの事態を一体どういう気持ちで見ていたのかが一番気になるところです。
国のためにと心血を注いで作り上げたシステムがいとも簡単に壊され、自分が指名した後継者達は権力争いに明け暮れ、妻と娘は自分が引き上げてやった皇帝達に迫害され殺されてしまう。
しかし権力を持たない自分のことなど誰も何とも思わない。何とも気の毒としか言いようのない事態です。やっぱり引退なんかしなきゃ良かったと思ったのでしょうか、それとも意外に「まあ世の中こんなもの」とでも思っていたのでしょうか。