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ローマ帝国も衰退期
2017/01/24 21:00
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投稿者:あきちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ローマ帝国も全盛期を過ぎ、衰退期。
最後の努力をして持ちこたえているが、すでにローマ的ではなくなっている。
コンスタンチヌスはキリスト教世界からは大帝とよばれているが、果たしてローマにとっては良い皇帝だったのか?
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久々に聞き覚えのある名前の皇帝が出てきた。
コンスタンティヌスといえば名君って言うイメージだったけど、読んでみたらそうでもなかったなー。
作中で著者の言ってる通り、キリスト教的立場から見てたんだな今までは。
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ディオクリティアヌスの治世。
四頭政治を始めるなど、ローマの新しい統治方式を模索する。結果として、良い方向にはいかなかったけど・・・
しかし、この時代も権力紛争の時代だな。
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ついにディオクレティアヌス帝の時代にまで至った。この後100年もすれば、ローマ帝国は東西に分裂し、更に100年後には西ローマ帝国は滅亡する。本巻では、ローマ帝国が蛮族の危機を脱し国内秩序を回復するまでの過程が描かれる。しかし、この帝国の逆襲は、後代のローマ帝国に崩壊をもたらす制度変更を含むものであった。蛮族に対抗するための苦肉の策といえど、後代に負債を残す形でしか新しい制度を設計できなかったあたり、さしものディオクレティアヌスも、アウグストゥスほどの資質は持ち合わせていなかったのかなぁと思ったり思わなかったり。
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ローマが真に帝政に移る、ディオクレティアヌス帝以降の内容。
ローマがローマたる強さ、「ローマらしさ」が崩壊していく過程を通して、いかにその「ローマらしさ」が地中海の覇権を打ち立てる上で重要だったかが浮き彫りになる内容。
あれほどの大きな国家ともなってしまえば、単一の統治システムでは限界があるのか、考えさせられる内容。
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ディオクレティアヌスの登場によって3世紀の危機とも言われた蛮族の脅威は脱するものの、その代償はローマがローマらしさを失うことだった。
単行本を文庫化に際して3冊に分けた1冊目。
ディオクレティアヌスによる第一次四頭政の始まりから終わりまで書いてあります。
たいへん気になるところで中巻になるので、分割の仕方が巧いと思います。
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長かったローマ人の物語もいよいよ最後の3冊に突入である。
800年以上、連綿と続いてきたローマ帝国の「最後の努力」となると感慨深いものがある。…ある……あるがあまり面白くなかった(笑)
ディオクレティアヌスの治世。
本書では彼の行った大改革が描かれていたため、大半を制度解説に費やされていた。それで少し読みづらさがあったのだと思う。
しかし、約1000年ものローマ史に付き合うと決めたからには(37巻にも及ぶこのシリーズを読むと決めたからには。笑)、滅亡に向けて進みつつあるローマ帝国に大改革を敢行したことは、非常に重要な事実と受け止めねばなるまい。
キリスト教徒を弾圧した悪帝としてしか知らなかったディオクレティアヌスがローマのためにこれほど尽力したというのは目から鱗。
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スピード違反なしの遅読だが、一冊ずつ読み進んでいる。 あちこちと皇帝が変るので名前を覚えきらないが、ローマの歴史は進んでいく。
青森県では昨日から県美術館「古代ローマ帝国の遺産」展が開かれている。この物語を読み終えてから、美術館へ・・・が最良だが、我慢できない!!
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★2010年63冊目読了『ローマ人の物語35 最後の努力(上)』塩野七生著 評価B+
紀元284年から305年までのディオクレティアヌス帝の時代を描く。
解放奴隷の息子という噂のあるたたき上げの軍人皇帝であったディオクレティアヌス帝は、北、南、東からの蛮族の侵入に対応することが、最優先の課題であった。
その為に二頭政、四頭政を取り入れて、大きく広がった帝国の防衛線の維持に努力し、成功した。
しかし同時に、それが軍人と文官の分離に繋がり、結果的に大きな税負担となって帝国民に跳ね返り、特に農民の離村、ひいては農業生産力の減退に拍車を掛けることになったとは、皮肉な歴史の事実である。
過去から現代にいたるまで、税政策はその国の根幹をなす非常に重要な部分であることをこのローマの歴史はしっかりと示してくれているのである。そして、その政策の誤りは結局、国力の衰退を招くことになる。
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どんな制度でも、改悪だと思って始める人はいない。でもそれが悪い結果を生んだことは歴史になってからでないとわからない。歴史から学ぶ事はたくさんある。
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ディオクレティアヌス帝の時代。
二頭政、そして四頭政へ。専制君主政。
帝国が蛮族侵入防衛のため、責任制で四分割され、人の流れがなくなり、軍事費の増加、軍人の増加の加速。
2011/02/23読了
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ディオクレティアヌス帝の四頭政治形成の過程と安全保障の確立。混乱の3世紀を立て直し、ローマの勢力を盛り返した。その代わりに支払った代償は軍備拡大による財政圧迫。最盛期のローマ軍は約30万人の軍団を保持していたが、四頭政治により約倍増する軍団兵を保持するため、アウグスティヌス以来200年続いた税制改革を断行したのであった。
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高校時代に学んだ歴史に登場したディオクレティアヌス帝の印象が本書を読んで変わった。なんとなく、権力を振りかざした皇帝というイメージが頭にあったのだが、実際は現実を冷徹に見つめて帝国の行く末を案じていたのだろう。
ここで新しく立ち上げられたテトラルキア(四頭政)であるが、帝国の平和を取り戻す上では十分に機能した様である。ただし、その後、絶対君主制に移行することも含めて、税制などで歪が出てくる。著者が頻繁に主張することではあるが、物事にはプラスの側面とマイナスの側面があるということだ。
また、カラカラ勅令から始まった社会の流動性が低下していく過程も興味深かった。
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11/5/5
ディオクレティアヌス帝。四頭政、君主制、官僚組織、キリスト教弾圧。四頭政を確立しローマの安全を復活させたり、君主となることで今までの皇帝のように簡単に殺されなくなる。しかしローマの組織を完全に変えてしまう。
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3分された帝国の再統合を果たしたアウレリアヌス帝が秘書の思い
込みから命を落とし、後を受けたプロブス帝も帝国の再建に尽力した
のに部下の兵士によって謀殺される。国を包む不安な空気は、人心も
荒廃させるのか。
ガリアもパルミラも再度の統合なった。残されたのは大国ペルシアである。
このペルシア戦役へ向かう途中で、カルス帝が落雷で死亡する。あぁ、
天までもローマを見放したのか。
カルス帝の後にその息子が帝位に就くが、戦場で戦士。そして、やはり
軍人皇帝となるディオクレティアヌス帝の登場である。
いや~、久し振りに格好いい男が出て来たよ。ディオクレティアヌス帝では
なく、彼が右腕として抜擢し、共同皇帝となったガレリウスである。
「他でもないペルシア人から、寛容の美徳を教えてもらうまでもない。
不幸なヴァレリアヌス帝に対してのあなた方の振る舞いは、あれは何と
評せばよいのか。戦闘ではなく欺きによって捕らわれの身に落ちた
ローマ皇帝に、あなた方は、彼が占めていた地位にふさわしくない境遇を
与えつづけたのだ。ペルシア王はその間、近隣諸国の王たちからの釈放の
忠告にも、まったく耳を貸さなかった。そしてこの不名誉に耐えきれなかった
ヴァレリアヌスが息を引き取った後も、その遺体を民衆のあざけりの中に
放置したのはどこの誰であったか」
「ローマ人は敗者を、足蹴にするようなまねは絶対にしない。それは、
敗者への心情への配慮というよりも、ローマ人自らの自尊心に反する行為に
なるからである。皇帝が到着するのを待って、どのような条件ならば両国の
間に、長くつづく平和がもたらされるかを話し合うことになる。それが決定
しだい、あなた方に伝えよう」
ローマ軍に敗北したペルシア王の死者への言葉である。帝国の歴史上、
初の皇帝捕囚の屈辱を、ローマは忘れることは出来なかった。それでも、
敗者への寛容の精神も忘れちゃいなかった。
さて、「インペラトール」はローマ軍の兵士が皇帝を称える呼称。それは、
皇帝がローマ軍の最高指揮官だからだ。そして、市民からの皇帝への呼称は
「プリンチェプス」。それは、有権者である元老院とローマ市民から帝国の
統治を委託された「ローマ市民中の第一人者」だから。
だから、ローマ皇帝は呼び名は「皇帝」であってもオリエントの専制君主とは
違う。頭上に頂く冠も、月桂樹で編んだ「市民冠」であり、金銀宝石を散りばめ
た豪華絢爛たる王冠ではない。
そんなローマ皇帝の在りようが、3世紀の危機を乗り越えたディオクレティアヌス
帝から変わって行く。
3頭政治ならカエサルも行った。しかし、ディオクレティアヌスが行ったのは
「4頭政」である。帝国を東西に分け、それぞれに正帝と副帝が存在する。
それぞれの皇帝が子飼いの軍団を持���、受け持ち地域の首都に皇宮を
築き、本国イタリアの首都であるローマへは凱旋式の為のみに帰るだけ。
しかも、ミリタリーとシビリアンを完全に分離したことで皇帝のチェック機構
であった元老院はないがしろにされる。
そして、軍団兵の倍増と、カラカラ帝が行ったローマ市民権の大盤振る舞い
が財政を圧迫し、初代皇帝アウグストゥスから続いた税制の抜本的改革の
必要に迫られる。
ローマの再興はなったが、それはもう「在りし日のローマ」ではなくなっていた。
以前の体制が「元首政」であるならば、ディオクレティアヌス帝の治世からは
「君主制」なったローマ帝子が始まる。
あぁ…アウグストゥスやティベリウスの時代が懐かしい。