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商品説明
【和辻哲郎文化賞(第22回)】【渋沢・クローデル賞(第27回)】ソシュールが「一般言語学」講義を行うに至る過程を考察した上で、「一般言語学」講義を授業の順序どおりに読み、学の極限を生きた1人の人間の思想劇として、綿密かつ壮大に描き出す。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
互 盛央
- 略歴
- 〈互盛央〉1972年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学術博士。出版社勤務。
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紙の本
ソシュールの入門書では全くない。かといって驚くべき著作というわけでもない・・・。
2009/10/05 18:21
18人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:反形而上学者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は非常にボリュームのある本であり、買うこと自体ためらわれたのだが、「ソシュールとあらば読まねばなるまい」とばかりに期待と不安の中で取りあえず読んでみた。
まず、内容を語る前に、本書は互氏が東大大学院。博士課程の単位取得論文として書いたものであるということをハッキリさせておこう。何故ならば、文系の大学院博士課程、しかも東大であれば、単位取得のための論文は極めて審査が厳しく、内容レベルはもちろんのこと、「博士課程用論文」に仕上げる必要がある。それは当然ながら査読する側の教授を何事においても視野に入れておくということでもある。つまり、博士論文というものは単位を取るために必要なものであって、出版を目的とした論文ではないということでもある(ちなみに著者は現在、出版社の編集者をしている・・・他意はない、編集者が長大な専門書を出してはいけないという意味では決してありません、念のため)。
・・・前置きはこれくらいにしておくが、本書の構成はソシュールの「一般言語学講義」を最初から順番に読んでいくという流れをとる。そして、その中で互氏は様々な視点からその思想の読解を試みているわけであるが、はっきり言って非常に読みにくい。「博士課程論文」であるから、何でもかんでも盛り込んで関係性を抽出し、現代までの流れにつなげる行為が必要であるのは理解できるものの、「長い論文」という以外にこれといった見所は無いと言い切っても、何ら問題がないような「本」であると言える。
私は学術書を読む時はペンを片手に読むのだが、結果、本書は私の書き込みだらけになってしまった。特にP400以降の「第三回講義」の読解では、デリダが頻出するのだが、とうぜんデリダの誤読を指摘もしてはいるが、そのデリダによるソシュール解釈と、デリダが読まなかった「ソシュールの原資料」との関係すら、見事に誤読しているという体たらくなので、全くもって話しにならない。文字制限がせめて50000字あれば、そのデリダの部分だけでも、引用して緻密に批判したいとこであるが、そうもいかないので、ここでは、私にとっては「疑問だらけの論文」であったということだけはハッキリしておこうと思う。
それから、日本のソシュール研究における第一人者である、丸山圭三郎の名前すら出てこないというのは、どういう意図があってのことであろうか?
1981年に『ソシュールの思想』を丸山圭三郎が出版したが、81年当時だと、丸山のこの論文は、「世界最高水準のソシュール研究論文」であったことは、あの元東大総長・批評家の蓮實重彦氏ですら正式に発言していた。もちろん現在でも、非常に重要な研究書としての立場は全く変わらない。実はそれほどのレベルにあったのだ、『ソシュールの思想』という著作は・・・。
何はともあれ、読んでいて非常に疲れたことと、いい意味でもその逆の意味でも非常に考えさせられた。
奇特な上級者は、価格に納得さえできるならば、読んでみてはいかがだろうか?★の数は妥当なところだろう。