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科学者戸塚洋二さんの目を通した、自らの「がんとの静かな戦い」が淡々と綴られています。時折はさまれる花や自然の記事に「ほっ」と一息。2008年7月15日の記事に「はっ」として涙が・・・。
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カミオカンデやスーパーカミオカンデにおける素粒子観測研究を率いて、ニュートリノに質量があることを発見したことで有名な物理科学者である著者のがん闘病を綴ったブログを立花隆が編纂したものです。
印象的なのは、自分の病状の数値記録をグラフ化して分析している点でしょう。その分析や提言にも説得力があります。物理科学者からすると医学はよほど非科学的に感じるのでしょう。
一方、死への怖れというものも冷静に語られています。それは怖れというよりも、生への畏れでもありうる。
・自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく
・自分が存在したことは、この時間とともに進む世界で何の痕跡も残さずに消えていく
・自分が消滅した後の世界を垣間見ることは絶対にできない
著者の中では、宗教や神に支えられた死後の世界の役割は、科学的な諦観・達観が不完全ながらもその役割を果たしているようです。
また、「本などに没頭していると、限られた有限の時間を無限のように感じるのです」と書かれているように、気を紛らわせることの希求が感じられます。
私の父はもう15年以上前にがんで亡くなっているのですが、おそらくそのときも抗がん剤などを使っていたかと思います。離れて暮らしていたのですが、つらそうでした。母はがんの事実を父には告知していないと言っていました。本人はさすがに知っていたと思うのですが、直接言われなかったのは幸せであったのかどうか。
遺伝的にも私もがんに罹る可能性が高いんだと思っています。ただ、自動車事故や脳溢血や心筋梗塞などで突然に死ぬよりも、告知されたがんで徐々に死んでいきたいものだと思うのです。この本を読んでさらに強くそう思ったのですが、他の方はどうなのでしょうね。
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余命宣告を受けた人が科学者であり、自分自身の病気も死も、人類の未来のために、記録しなければならないと考えたら、こんなふうに生きるのだと教えてくれる本でした。
2000年、戸塚洋二氏は、大腸がんを発症しました。
そのとき、彼は、ニュートリノの研究でノーベル賞を受賞した小柴昌俊博士の後を受け、スーパーカミオカンデの責任者であり、ノーベル賞にもっとも近い男と目される、日本の物理学界の第一人者でした。
しかし、彼はがんと闘いながら、国家プロジェクトのリーダーを務めることが、他のメンバーとプロジェクトに与える影響を考え、退職し、2007年から年金生活者となります。
それと同時にはじめたブログ「A Few More Months(あともう数ヶ月)」が、この本の元となっています。
国家プロジェクトを断念しても、彼の研究への飽くなき欲求は、損なわれませんでした。
ブログの圧倒的な情報量で、私たちは、戸塚氏の心がまったく折れることがなかったことを確認できます。
「商売柄、数値化しないと気が済まない」と言いながら、抗がん剤の効果と腫瘍サイズの関係のデータを作り、CT画像の変化を分析し、投薬の副作用について考察し、「大腸がん治療経過」として記録します。
自分の主治医よりも詳しく、自分の病について知ろうとするのは、一つの身体に、病巣とそれを研究分析する頭脳を併せ持った人間の業(ごう)なのかもしれません。
しかし、彼の健全な脳は、それだけでは飽き足らず、さまざまなカテゴリーへ、神経細胞を広げていきます。
□ 科学者として、先輩から受け継いだものを、若い世代に伝えていこうという試み。
□ 宗教と科学について、特に釈迦が持っていた科学的な視点についての考察。
□ 研究者として滞在した奥飛騨のこと、その自然のこと。
□ 自宅の庭に咲く花について。
□ 人間の生と死について。
ブログ解説の2007年8月から、最後の更新となる2008年7月まで、それぞれのカテゴリーで、1冊ずつの本ができるほどの情報量を、記録し続けます。
身体は思い通りにならなくても、脳は大丈夫。
病気とうまく付き合っているかと思えた2008年3月、がん発症後、はじめて譫妄(病気による意識障害)に陥りました。
身体のデータを取ることで、自分を研究対象としてしまう。
ただ死を待つだけではない、病気との積極的な関わりを、科学者は選択しました。
しかし、研究される身体ではない、研究する側の脳に起こった障害は、どうすればよいのでしょう。
でも、そのときでさえ、彼は科学者として最後まで生きることを選択します。
植物のお化けのような幻覚が浮かんで、頭から離れなくなります。すると、
別の場所にある理性を持った(科学者としての)頭脳が、あっけにとられてこの絵を見ています。
考えても無意味なことはわかっているので、今後この幻覚が膨らんで、理性的頭脳を圧倒するのかどうかが、当面の関心事です。
強がりに聞こえますが。自分の頭脳を研究する楽しみができました。
死としっかり��き合いながら、最後まで本当によく闘った科学者でした。
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癌と闘いながらブログに綴った科学者の日記。
この本は、彼が病気と闘いながらブログに日々の記録を綴ったものです。
内容はブログの中にあるいくつかのテーマの中から「人生」「闘病記録」「教育論」などの部分を取り出したものです。科学者としての立場から自分の病気を冷静に観察し、自分の死期を感じながらも、自身の経験が将来のガン治療に対して何ができるかを考察しています。
また記事の中には、庭の花や木々の観察日記が多く挿入されており、最初はどのような意図で花の記事を書いていたのかわからなかったのですが、病気の進行との対比により「生」に対する想いが何となく感じられました。
彼は「自分の人生は限りがある」としてこう記しています。
▼自分の命が消滅したあとでも、世界は何事もなく進んでいく。
▼自分が存在したことは、この時間とともに進む世界で何も痕跡も残さずに消えていく。
▼自分が消滅した後の世界を垣間見ることは絶対に出来ない。
昨年入院生活を送った私も、彼と全く同じことを考えていました。
病気をしてみると、苦しさから逃れたいという気持ちと同時に、できるだけ長生きして、この世の中がどう変わっていくのかを見てみたいという気持ちになるものです。
記事は「そのまま入院になりました」という一文で突然終わります。自分は意識しなくても、「死」というのは突然やってくるものかもしれません。
この本を読んで「今を精一杯生きる」というのは、とても大事なことだと改めて感じました。
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素晴らしい!私にとっての「がん」に対する感情の変化、科学者たるものの考え方、いろんな意味で有意義であり、心に迫るものを感じました。いままで、「がんになったら、延命はしない」と心に決め、周りにも豪語してきましたが、こんな風に自分の記録を残せたら、これはいいと思うし、後世に残せるでは?と思うとやってみたい。(がんになると決めつけ…)
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2011年3月11日、東北の震災がまさに起きた時に、結腸がんの手術を受け現在、肝臓に転移しているため抗がん剤治療をしています。私にとって地震が大腸がん手術であり抗がん剤治療が原発事故処理に相当するわけで原発事故が早く終息するよう祈りながら、抗がん剤治療の効果が効いてがんを克服できるよう毎日闘っております。著者の手術後の経過は共通する部分もあり一気に読み終えました。これからのライフスタイルを考える上で大いに参考になりました。プログタイトルの「A Few more
Months」(あともう数ケ月)の意味は、自分の将来に対する時間スケールは、2,3ケ月で、今の体調をとにかく2,3ケ月維持したい。幸いその時期が過ぎると次の2,3ケ月を目標にすることから付けられたタイトルと事。
正岡 子規の「悟りということは如何なる場合にも平気で死ぬ事と思って居たのは間違いで、悟りということは如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」という紹介の説得のあること。
オプチミストでポジティブな生き方に努めようと思っています。
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図書館でずっとリクエスト待ちでやっと順番がやってきました。科学者はやはり、数字とデータにこだわるのですね。一人の人間の壮絶ながんとの闘いに、ただただ圧倒されます。そして頑なまでに宗教を否定している。仏教は哲学だから受入られるのでしょうか。その瞬間に、著者は何を見い出したのでしょうか、それはやはり、自分自身がその時を迎えるまで謎のままでしょう。
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ノーベル賞も固いと言われた科学者が大腸がんになり、再発して、最後は死んでしまうがその記録を冷静にブログにつけていた。
交友のあった立花隆が編集して出版。
自分の死のもとであるガンの変化を冷静に分析し、死と向かい合い、医療について科学者として提言し、植物に心慰められる姿がアリアリと見えてくる。物凄い精神力。
本などに没頭していると、限られた有限の時間を無限のように感じるのです。
我々のような実験物理学者だったら、CT写真だけで一週間は楽しめるのに(笑)
医師というのは、意外なことに、数値を使わない。
抗がん剤はある程度使うと効かなくなるが、やめる決断を下す時のしっかりした判断基準がほしい。
おお酒を飲んだのがガンになった理由。
ガンのデータベースかがぜひ必要。
ガン手術五年後から全身検査をして欲しかった。
感情を抑えることが、これまで科学者として努力してきたことを発揮する修行。
いずれは万物も死に絶える、早い死と言っても健常者と比べて十年、二十年違うだけ。
正岡子規「悟りといふことは如何なる場合にも平気で生きていることであった。」
仏教の世界観は多宇宙論に近い。
エピクロス「人は死を恐れる必要が全くない。あなたが死と会うことは永遠にない」
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医者はデータと数字に弱い、という実験物理学者ならではの愚痴が面白かった。医師は一人一人違うから、とビッグデータにあまり目を向けないように見えるらしい。
編者の立花隆は戸塚氏を評して「淡々と死を受け入れているように見える」と述べているが、私には「自分にはこれしかない」というやり方で恐怖と戦っているように見えた。
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がんで残された命の期間が限られた人は数多いだろうが、それを冷静にとらえて文章化することは難しいと思う。
がんに侵された科学者の「ブログ」をまとめた本書を読んで、これは「一つの知性のありかた」と感嘆した。
もちろん、文章の専門家ではないから、構成がうまいわけではないし、医療データの数値化にしても部外者には興味を持てないかもしれない。
しかし、この著者の「死生感」は見事の一言である。
「わたしにとって、早い死といっても、健常者と比べて10年から20年の差ではないか。みなと一緒だ、恐れるほどのことはない」。
これは、我がものとして、ぜひ見習いたいものであると思えた。
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遺書代わりのブログ
科学者でも量子物理学の摩訶不思議な現象を腹の底から理解しているわけではないのか。。
おもしろかった。。
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いつか人は死ぬ。どんな死に方をするのか、死を目前にして私はどうするのか。死が間近になっていく年齢になって、こういう本ばかり読んでいる。
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ノーベル賞に一番近い日本人といわれた物理学者 戸塚洋二氏の闘病記録をまとめたもの。闘病記録は、本人がブログで発表していたもので、世界の頂点に立つ科学者らしくデータや治療薬名と投薬量、副作用の状況に至るまで、詳細な記録が示されている。また、著者のすごいところは、自分の専門と癌のことだけではなく、草木のこと、仏教のことなど他分野に関しても学者級の知識を持っていることだ。優秀な科学者の探求心、好奇心の高さに感嘆させられた。立花隆氏の視点から、とてもよくまとめられた良書である。
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序文 立花隆
The First Three-Months
The Second Three-Months
The Third Three-Months
The Fourth Three-Months
対談「がん宣告『余命十九ヵ月の記録』」戸塚洋二×立花隆
巻末註
略年表
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ニュートリノの質量を観察で発見した物理科学者による自身のがん観察のログブック
科学、人生、自然、仏教等に関する考察
自分が死に近付いてることを観察する
科学者としての生き様が格好いい