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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2009.7
  • 出版社: 新曜社
  • サイズ:22cm/1091p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-7885-1163-7
  • 国内送料無料

紙の本

1968 上 若者たちの叛乱とその背景

著者 小熊 英二 (著)

【角川財団学芸賞(第8回)】「あれ」は何だったのか、なぜ起きたのか−。当時の政治・経済状況や、「全共闘世代」の文化的背景などを検証し、「あの時代」をよみがえらせる。上巻は...

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1968 上 若者たちの叛乱とその背景

税込 7,480 68pt

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商品説明

【角川財団学芸賞(第8回)】「あれ」は何だったのか、なぜ起きたのか−。当時の政治・経済状況や、「全共闘世代」の文化的背景などを検証し、「あの時代」をよみがえらせる。上巻は、60年安保闘争から日大闘争、安田講堂攻防戦までを描く。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

小熊 英二

略歴
〈小熊英二〉1962年東京生まれ。東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。慶應義塾大学総合政策学部教員。著書に「日本という国」「市民と武装」「清水幾太郎」など。

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評価内訳

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紙の本

いま何かを求めて

2011/03/01 05:07

7人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 すでに40年以上も前の出来事となった学生運動・反戦運動を語る書の出版があいかわらず続く。
 その極みとも言うべきが本書である。上下巻あわせると2千ページを超えるという大著であるが、これが“意外と”売れているらしい。近年の出版不況の中で、この種の本としては上々の2万部近い売り上げだそうだ。
 その他、「1968」「全学連」「全共闘」「ブント」などの言葉で書籍を検索すると、予想以上の新刊本に出くわすことに気付く。
 いま、いったい誰が何のためにこれらの書を記しているのか。そしてそれが出版されるということは、きっとそんな書を求めるニーズが、現代の日本の社会の中にも存在するということなのであろう。いったい、誰が何を考えてこれらの書を求めているのか。
 書く者も、読む者も、どうやら単なるノスタルジーからではなく、何かを“あの時代”に求めているようである。それが何であるかを考えることは、きっと、現代において満たされぬ、あの時代に確かに存在し多くの者が追い求めた何かを見つけることができるのではないか。
 あの時代の学生達がすべて政治的に早熟で活動的であったわけでは決してない。1968年を頂点とする学生運動の季節も決して長くはなかった。1967年の羽田での佐藤首相訪ベ阻止闘争から拡大した運動も、1969年の東大安田講堂攻防線で一応の終局を迎えた。行き場を失った者たちが逃げ込んだ運動も、1970年のよど号ハイジャック事件、1972年のあさま山荘事件などで完全に終結した。完全に一般国民の希望や迎合と分離してしまった。
 そんな「一瞬で拡散し発散した運動」であるが、あの時代に有し、そして現代では失われた大切なものを再発見する旅をしたいと思う。
 歴史に範を求めることが、進歩・発展にとって需要な要素となることは自明のことであり、そうであれば、あの時代を検証することは必要なことである。
 本書のような本が、かつての時代を直接経験していない若い世代にも読まれていることは、非常に喜ばしい。現代の混沌とした政治情勢をこれから引き継ぐことになる世代に多く知って欲しい。

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目次

2009/06/30 11:35

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ビーケーワン - この投稿者のレビュー一覧を見る

序 章

第1部

第1章 時代的・世代的背景(上)―政治と教育における背景と「文化革命」の神話
高度成長と議会制民主主義への不信/都市の変化と人口状況/教育界の変貌/生徒たちのメンタリティ/ベトナム戦争の影響/「加害者意識」と貧しさ/「政治と文化の革命」という神話/「神話」誕生の背景

第2章 時代的・世代的背景(下)―高度成長への戸惑いと「現代的不幸」
幼少期との文化ギャップと「量の力」/少年期文化の影響/性にたいする感覚/大学での経験/教授からみた学生像/空虚感と「現代的不幸」/「空虚さ」から「政治運動」へ/言葉にならない「現代的不幸」へのもがき

第3章 セクト(上)―その源流から六〇年安保闘争後の分裂まで
敗戦と「全学連」の誕生/共産党の穏健化とブントの結成/ブントと六〇年安保闘争/安保闘争の盛りあがりと「敗北」/ブントの分裂/学生運動の低迷と内ゲバの開始/「中核派」と「革マル派」の誕生

第4章 セクト(下)―活動家の心理と各派の「スタイル」
ベストセラーになった活動家の日記/活動家たちの日常生活/活動家の出身階層と家庭環境/社会的開眼とマルクス主義理解/活動参加の契機と運動への見解/運動への迷いと内ゲバへの見解/無関心派の学生たち/セクトの「スタイル」/セクト加入へのパターン/「カッコよさ」と「ファッション」/セクトの自治会支配と権益/セクトと叛乱の関係/反戦青年委員会

第2部

第5章 慶大闘争
闘争の自然発生と高度成長のひずみ/バリケード内の「直接民主主義」と「日吉コンミューン」/闘争の実情と終焉

第6章 早大闘争
理科系拡充のための学費値上げ/「学園祭前夜」の雰囲気と「産学協同反対」/「教育工場」にたいする「人間性回復の闘い」/闘争長期化と一般学生の乖離/闘争の泥沼化と内部分裂/共闘会議の孤立と闘争の終焉

第7章 横浜国大闘争・中大闘争
「大学自主管理」としての横浜国大闘争/「生き甲斐」を求めての運動/自主管理の現実と限界/六五年末の「中大コミューン」/セクトの独走に終わった明大闘争/勝利におわった中大闘争/大学闘争の「一般法則」

第3部

第8章 「激動の七ヵ月」――羽田・佐世保・三里塚・王子
第一次羽田闘争/批判一色だったマスコミ/「10・8ショック」/少数派だった「10・8ショック」組/「完敗」だった第二次羽田闘争/転機となった佐世保闘争/戦争の記憶との共鳴/学生と市民の対話/三里塚闘争の開始/暴動と化した王子野戦病院反対闘争/触発とすれちがいと

第9章 日大闘争
恐怖政治下のマンモス営利大学/日大闘争の爆発/日大全共闘の結成と「主体性」/全学ストと世論の支持/バリケード「解放区」の実情/九月の闘争高揚/支持の減少とセクトの侵食/「大衆団交」の実現/苦境におちいった日大全共闘/東大全共闘との共闘の内実/日大を追われた全共闘/闘争終焉と変わらなかった日大

第10章 東大闘争(上)
東大闘争の特徴/医学部闘争の性格/医学部不当処分事件の発生/安田講堂占拠と機動隊導入/「大学の自治」観の世代間相違/全学的に火がついた東大闘争/噴火した大学院生の不満とミニメディアの氾濫/安田講堂再占拠と闘争の質的転換/東大全共闘の結成/全共闘と一般学生の乖離/「民主化闘争」「学内闘争」としての初期東大闘争/東大全共闘の特徴/「八・一〇告示」と全学封鎖闘争の開始/研究室封鎖と「自己否定」/学部学生に波及した「自己否定」/全学ストの成立と大河内の辞任/「進歩的文化人」への反感/「闘争の高揚」の実態/「言葉がみつからない」/民青の「行動隊」導入/共産党の方針転換と全学封鎖の挫折

第11章 東大闘争(下)
文部省の対策と加藤新執行部の登場/「七項目」の限界と全共闘の「政治」嫌悪/「民主主義」批判の台頭/学内世論の動向とゲバルトの横行/共鳴と反発の双方をひきおこした「自己否定」/第三勢力の台頭/「東大・日大闘争勝利全国総決起集会」の内幕/ノンセクトの台頭とリゴリズムへの傾斜/闘争の荒廃と内ゲバの激化/逃された「勝利」の最後の機会/セクトの思惑と大学院生のメンタリティ/代表団交渉と最後の内ゲバ合戦/安田講堂攻防戦前夜の舞台裏/攻防戦の開始と終焉/運動の後退と丸山眞男批判/闘争のあと

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「あの時代」から現代の原点をさぐる――著者のことば

2009/06/30 11:39

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ビーケーワン** - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は、「1968年」に象徴される「あの時代」、全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱を全体的にあつかった、初の研究書である。

 これまで、「あの時代」を語った回想記などは大量に存在したが、あの叛乱が何であったのか、なぜ起こったのか、何をその後に遺したのかを、解明した研究はなかった。その一因は、あの叛乱が当事者たちの真摯さとはアンバランスなほどに、政治運動としては未熟だったためだと思われる。そのためあの叛乱は、当事者の回想記などではやや感傷的に語られる一方、非当事者からは一過性の風俗現象のように描かれがちだった。

 そこで著者はあの叛乱を、政治運動ではなく、一種の表現行為だったとする視点から分析を試みた。すると、さまざまなことが明らかになってきた。

 「あの時代」は、それまで発展途上国であった日本が、高度成長によって先進国に変貌する転換点だった。それまでの政治や教育、思想の枠組みが、まるごと通用しなくなりつつあった時代だった。そしてあの叛乱をになった世代は、幼少期には坊主刈りとオカッパ頭で育ちながら、青年期にはジーンズと長髪姿になっていた。都市や農村の風景も、急速に変貌していた。こうした激しいギャップが、若者たちにいわば強烈なアレルギー反応をひきおこし、それが何らかの表現行為を必要としたのである。

 また当時は、貧困・戦争・飢餓といった途上国型の「近代的不幸」が解決されつつあった一方で、アイデンティティの不安・リアリティの稀薄化・生の実感の喪失といった先進国型の「現代的不幸」が若者を蝕みはじめた日本初の時代だった。摂食障害・自傷行為・不登校といった、80年代以降に注目された問題は、すでに60年代後期には端緒的に発生しつつあったことが、今回の調査でみえてきた。

 そのなかで若者たちは、政治的効果など二の次で、機動隊の楯の前で自分たちの「実存」を確かめるべくゲバ棒をふるい、生の実感を味わう解放区をもとめてバリケードを作った。いわばあの叛乱は、「近代」から「現代」への転換点で、「現代的不幸」に初めて集団的に直面した若者たちが、どう反応し、どう失敗したかの先例となったのである。

本書が2000年代のいま、「あの時代」をとりあげる意義はここにある。「あの時代」の叛乱を、懐古的英雄譚として描くなら現代的意義はない。現代の私たちが直面している不幸に最初に直面した若者たちの叛乱とその失敗から学ぶべきことを学び、彼らの叛乱が現代にまで遺した影響を把握し、現代の私たちの位置を照射すること。本書の目的はそこに尽きる。そこから読者が何らかのものをつかみとってくれるなら、著者にとってこれ以上の幸いはない。

著者紹介
小熊英二(おぐま えいじ)
1962年東京生まれ。1987年東京大学農学部卒業。1998年東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教員。

*新曜社HPより転載

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アーカイブ記事でこさえたジオラマ

2009/10/23 14:06

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

以前住んでいた町に長谷川町子美術館があった。そこで磯野家のミニチュアが展示してあった。2Dアニメーションが3Dになったって感じで、やけにリアリティを持っていた。この本もなんかそんな心持ちにさせてくれる。

なんでその当時の若者は、学園紛争に走ったのか。を、例によって膨大な二次資料(新聞、雑誌などの引用)をバリケードジオラマ化して、読む者を1968年当時にタイムスリップさせる。

かつての全共闘闘士にインタビューなどという方法もあるが、いかんせんタイムラグがあり過ぎ。記憶の欠落や改ざんなどもあるかもしれない。それよかは、当時の記事を当たった方が、まだその時代の空気を伝え、リアルだろう。ニュースのアーカイブフィルムのように。

で、いつものように作者の<私性>は、見事に消されている。引用の選択に作為があると言えなくもないが、作者の言いたいことは、こっそりと行間に埋め込まれているのだろう。
ああそうだったのかと思いつつ厚い本のページをめくる。だって東大の安田講堂の事件は、ぼくが中二のときだもの。

「一九五〇年代には、「学校の雰囲気は明るく、生徒たちは伸び伸びし、教職員も生き生きしていた」」
「決定的な変化は、六〇年代に高度成長に必要な人材育成政策が教育に導入されたことと、
進学率の急上昇と受験競争が出現したことから起きた」

「職業課程を切りすてた普通学校のほうは、大学受験の予備校と化していったのである」
「こうした教育と学校の状況変化は、児童たちを確実に追いつめていった。そして彼らは、大学入学後、その不満を全共闘運動というかたちで爆発させることになるのである」

ベビーブーマーとして生まれた団塊の世代は、競争の世代でようやく受験戦争を勝ち抜いて大学に入学する。ところが、マンモス授業で、教授は10年1日が如き退屈な授業。こんなはずでは…。挙句の果てに、入学金や授業料を設備充実のためなどという名目で値上げする。

作者が大学経営のいい加減さを取り上げている。財テク失敗で赤字などいまも騒がれているが、昔からのようだ。ツケは学生、いやその親に回る。で、経済学部や経営学部があるというのも、なんだか皮肉というべきか。

「「戦後民主主義の申し子」たる彼らが、ベトナム戦争を契機に「戦後民主主義」を「欺瞞」とみなしだすと同時に、戦後教育で教えられてきた「明るく、元気に、すこやかに」という原理の延長で全共闘運動をおこした両義性がうかがえる」

近親憎悪とでもいうべきか。へぇと思ったのが、ここ。

「橋幸夫と舟木一夫で育った世代が、いま自分を根っからの「ビートルズ世代」と思い込んでいるのと、それは似ている」(亀和田武の「偽の60年代モードが主流だなんて」より引用の一部引用)
渋谷陽一の同趣旨の発言も引かれていたが、割愛。

実はビートルズは、デビューの頃はごく一部にしか受けていなかったそうだ。小学校の担任が来日したビートルズのことを「男のクセに髪が長くて」とか言っていたな。

「「全共闘世代」は実態とかけはなれている。まず六五年の大学進学率は一七.〇%、七〇年は二三.七%で、この世代の約八割は大学に進学しておらず、全共闘運動とも無縁だった」

「ビートルズ世代」と「全共闘世代」がほんとうはマイナーだったことは面白い。なんだか追体験、もしくは妄想あるいは、オフィスや酒場で部下に自分をよく見せたいがために、
自称、詐称しているのではなかろうか。作者は、「全共闘世代」がマスコミで活躍しているから、そういう印象が強いのではと述べている。

「当時は学生活動家が「カッコイイ」存在であり、「女の子にもてた」こと、こうしたノンポリ学生であってもマルクスを読みデモに参加するという時代だったことは、一定の事実といえよう」

意外とそんなことだったのかもしれない。「全共闘運動とも無縁だった」非大学生とて、全共闘運動にはシンパシーを感じていただろう。

「女の子にもてたい」は、男子にとって永遠不滅のモチベーションかと思ったら、最近は違うらしいが。

『二十歳の原点』高野悦子著を友人から借りて読んだが、清楚な顔立ちにモエてしまった。
『青春の墓標』奥浩平著を読んで、彼が中核派、ガールフレンドが革マル派で「ケルンパーはパーね」とかいう会話には、よく理解できなかったが、カッコイイと思った。

「当時の学生運動では、東大や京大出身の活動家が理論的リーダーとなり、法政・明治・中央などのマンモス私大の学生がゲバルト要員とされることも少なくなった」

はは、日本企業のヒエラルキーのまんまじゃん。その時代は、終身雇用制&年功序列もがっちりあったわけで、一流じゃない大学に入った者は、一流じゃない会社にしか就職できず、一流じゃない人生を歩んでいくという未来図が厳然と示されていた。

ナーンセンッス!か。

日大全共闘議長秋田明大と東大全共闘議長山本義隆、二人のエピソードが特に興味を引かれた。少しは知ってはいたが、通して読むと発見があった。共に弁が立つタイプではなかったようだ。どちらかといえば不器用でフェア。信望が厚い。そのあたりが、大学闘争のリーダーに担ぎ出されたようだ。闘争後、二人は学園闘争から身を引く。将来の東大教授を嘱望されていた山本は、予備校の講師となっていわば在野で素晴らしい物理学史関連の著作をものしている。

バリケードの中の自由な解放区。「明るく、元気に、すこやか」な空間。しかし、束の間だった。

祭りのあと、あとの祭り。1968年と2009年。大学生は変わっただろうか。大学は、実は、本質のところは何も変わっていないような気がする。


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2009/11/18 09:13

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