紙の本
世代を越えて読んでもらいたい本
2009/06/27 09:34
15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1955年生まれの私にとっては衝撃的な本だった。
あるいは、こう云い直してもいい。
そこそこの会社で正社員として働いてきて、なんとか人生の中盤以降まで安穏と生きてきた者にとっては、深く考えさせられる本だった、と。
ぜひ私よりも上の団塊の世代にも読んでもらいたい。あなたがたの子供たちは、これほどに傷つき、これほどに悩み、そして今「ロスジェネ」(ロストジェネレーションのこと)の名のもとに必死に生きようとしているのだということを、わかってもらいたい。
「ロストジェネレーション」(ロスジェネ)について少し書いておく。もともとは「第一次世界大戦後に青年期を迎え、既成の価値感を拒否した作家たち」を指す言葉であったが、近年「バブル経済崩壊後の『失われた10年』に成人し、就職氷河期に世に出た」1970年代生まれの世代のことをいう。本書の著者雨宮処凛は1975年のまさに「ロスジェネ」世代である。
この本は彼女の生い立ちから現代までの、中学時代のいじめ、「バンギャ」(バンドギャルの略)としての高校時代、リストカット、新右翼団体への参加と脱退、といった「生きづらい日常」を漂流する波乱に富んだ自身の過去をたどりながら、今を、そして明日を見据えている。
特に衝撃的だったのは、中学時代の「いじめ」の経験だった。雨宮はその内容についてあまり詳しく書いていないが、「自分の中で自分をいじめられっ子と定義してしまうと、自分が崩壊してしまう気がした」(38頁)と記している。そのことの心理的負担が彼女をどんどん追い詰めていく過程がつらい。
地域で「一番いい高校」にはいった雨宮にもしこの「生きづらさ」がなければ、彼女は「ワーキングプア」とは対極の地平にいたかもしれないと思えるだけに、それほどまでに人間を追い詰める「いじめ」というものの恐ろしさを感じる。
本書で描かれた世界は「ワーキングプア」に代表される「貧困」な若者たちだ。
しかし、と思う。
たとえば、「カツマー」と呼ばれる経済評論家勝間和代を支持するものたちの多くもまた、「ロスジェネ」であるのだ。彼らはひたすら「勝ち続ける」ことをめざしている。
この二極化は一体なんだろう。彼らが子供の頃に味わった「いじめ」と「被いじめ」の構造と同じではないのか。一方は「いじめれる」ことを怖れるあまり「いじめ」側に立とうとし、もう一方は「いじめられる」心の負担を解消できず落ちていく。その構造そのままが今に続いていないだろうか。
この国が見誤ったことは「多様化する価値」の創出であり、その評価だと思う。
ひとつの価値の座標軸(たとえばお金という座標軸)でものごとを理解しようとすると、どうしても二極化あるいは優劣ができてしまう。
優は時に劣であり、劣もまた時に優である。
そういう価値観を創出しないかぎり、この問題は解決しないように思う。
「文章を書きながら、若者の痛みに常に心を寄せ、時にはアジり、実際に運動に参加する、というような生き方」(212頁)をめざす雨宮処凛からしばらく目が離さられない。
◆この書評のこぼれ話はblog「ほん☆たす」で。
紙の本
世代を超えた共感が必要
2009/06/08 04:49
9人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ロストジェネレーション=「失われた世代」。バブル崩壊後の「失われた10年」に社会に出た世代。1972年から1982年生まれの約2000万人が該当するそうである。
もともとどんな内容であろうと、世代論は好きではない。人を十把一絡げにしたような議論はすべきではない。個人を埋没させた人的評価は、大げさではなく人権侵害に近いものがあると思う。
それでも近頃耳にするロスジェネ論は、一考に値するものと感じさせられる。
それだけ、この世代は独特である。社会の脆弱な部分を、全く当人たちには責任の無いまま、この世代は押しかぶせられ、新しい意味での多くの社会的弱者を排出した。しかも、このロスジェネ論が出てくるまでは、社会的弱者となってしまったそのことの責任を、すべてあの感じ悪い言葉、「自己責任」として、どうしたことかこんな時に限って個人の責任とされてきた。
特に贅沢するわけではなく、飽食するわけでもないのに、人が“ごく普通に”さえ生きることのできない社会は異常であろう。しかし、日々のニュースを見聞きする限り、社会はこのロスジェネ世代に対し、あまりに厳しすぎる。
そのロスジェネ世代の社会への反撃の先頭に立つのが著者である。猛烈な勢いで著作を出しながら、発言を繰り返す著者は、すでにロスジェネ世代の弁明者を越えている。彼女が繰り出す言葉の数々は、我々が望まぬながらも作り作り出してしまったこの現代社会の矛盾を、正直に暴き出す。
彼女の発する「叫び」を聴く耳を、この社会に生きるどれだけの人が持っているか。それが、この社会を再生させる可能性につながっている。
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雨宮の自伝的著書。
フリーターをやっていたけど物書きとして成功して生き残っているという、モデルマイノリティ(成功した少数者)の人生の記録である。
既に雨宮が自伝として出している「生き地獄天国」と比較するとすれば、その当時に社会ではどんな事が流行したか、どんな重大な事が起こったか、という観点が追加されている。何より「生き地獄天国」を書いた段階では参加してないプレカリアート(不安定なプロレタリアート)の生存運動に関することが多く書かれている。プレカリアートが生き残るのに参考になりそうな部分は、フリーターの労働組合などの紹介くらいだと思われるが、なぜこんな状況になったのかを社会の体制の問題として見る上で勉強になる所も多い。
世を騒がせた犯罪者に自分の心の闇を見つけたり、ヴィジュアル系バンドにはまったり、リストカットをしたり、ネットが普及しだした頃にメンヘル系サイトに出入りして交流を持ったり、といったありがちで理解しやすい心理と行動をとっているが、そうした傾向を持つ人やプレカリアートが、雨宮のように生き残る側に立つ術は書かれてない。雨宮の周りのプレカリアートが安定した生活を獲得した例の紹介などがあればよかったが、そうした人は雨宮の周りにはいないのだろうか。ある一定の正規のルートから外れると貧困にすべり落ちてしまうという状況は分かったが、正規のルートから外れながらも安定した生活が保障される新たな生き方の提示などがされる必要があるように思った。
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私も著者と同じ年の1975年生まれ。
高校と大学受験で苦労した割には、就職活動時に苦労して、割に合わない人生だなぁと思ったことあります。
その後リベンジしようにも、一般的な日本の会社は新卒一括採用しか門戸を開いてくれないし。
え、じゃぁ生まれた年で人生の幸不幸が決まっちゃうわけ?
それって私のせいじゃないのに、ってずっと思っていました。
誰かが言ってたことですが、今の日本の世の中で生きる人々を砂にたとえ、手のひらで砂をすくって指の間からどんどんこぼれていくように、一度こぼれると二度と這い上がってこられない、という言葉がありました。
この本では、著者を含め、こぼれていってしまった人たちが、どのような人生を送ってきたかが仔細に書かれています。
そのこぼれた人たちを救おうと、著者はデモや団体交渉等、いろいろな社会活動を行っているようです。
こぼれていった人たちの現状を知ることができたのは良かったと思いますが、解決策として左傾化はちょっといただけないです。
やっぱり、国の経済成長とともに解決していくやりかたのほうが良いと思いました。
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(「BOOK」データベースより)
派遣切り、ワーキングプア、いじめ、自傷、自殺…。こんなに若者たちが「生きづらい」時代があっただろうか。ロスジェネ=就職氷河期世代に属する著者が、生い立ちから現在までの軌跡と社会の動きを重ね合わせ、この息苦しさの根源に迫った書き下ろし力作。ロスジェネは何を思い、何を望んでいるのか?若者だけではなく全世代、必読の書。
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基本的には、筆者の自伝で、普通に生きてきた方々から見ると非常に極端な生き方をしている方で、ロスジェネとひとくくりにされている世代の生き方を書いた本ではないです。
自分はロストジェネレーションの中でも初期で、社会人になる直前にバブル崩壊して、受験戦争を勝ち抜いてきた上での社会人への淡い期待を抱いていたのに、いきなり梯子をはずされた格好の世代ですが、バブルの古き良き時代も知らず、運よく就職できたので自分がロスジェネだという実感はないです。
#むしろ、下手にバブルを体験してしまって、バブル崩壊後を体験してしまった世代の方々がひどい思いをしたんではないかと?
それはさておき、本人の自伝とは別に、各年で発生したイベントやニュースと、筆者の見解も織り交ぜられており、読み物として面白かったです。
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[ 内容 ]
派遣切り、ワーキングプア、いじめ、自傷、自殺…。
こんなに若者たちが「生きづらい」時代があっただろうか。
ロスジェネ=就職氷河期世代に属する著者が、生い立ちから現在までの軌跡と社会の動きを重ね合わせ、この息苦しさの根源に迫った書き下ろし力作。
ロスジェネは何を思い、何を望んでいるのか?
若者だけではなく全世代、必読の書。
[ 目次 ]
第1章 一九七五年生まれの生い立ち―豊かな日本と「学校」という地獄
第2章 バンギャとして生きた高校時代―野宿と物乞いとリストカットで終わった「バブル」
第3章 一九九五年ショック―『完全自殺マニュアル』からオウム事件へ
第4章 バブル崩壊と右傾化―小林よしのりと「日本人の誇り」
第5章 「生きづらさの時代」―世紀末から二一世紀の日本へ
第6章 ロスジェネが声を上げはじめた―二〇〇五年から現在、そして
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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「プレカリアートのマリア」こと雨宮処凛(1975年生まれ)の自伝的世代論。これを読めば、本人がいかに活動家として覚醒していったか、その幼少期からの歩みをざっと概観できる。今や左派系の活動家というイメージが定着している著者が、当初は右翼団体に出入りしていたというのは寡聞にして知らなかったので、素直に驚いた。あの筋金入りの女流活動家も、彼女なりに色々と迷いながら生きてきたんだな…と。
ただし、彼女の生き方は言うまでもなく例外中の例外。私自身、タイトルにもある「ロスジェネ」(ロストジェネレーション)という、非常にありがたくない名前で括られる世代に属する年齢だが、当然ながらみんながみんな登校拒否になっていたわけではないし、ましてやリスカするほど精神的に追い詰められてきたわけでもない。教師の体罰やいじめも、我々世代のはるか以前から(19世紀の昔から)学校という場に自然発生してきたものであり、何も我らの専売特許であるわけではない(初めて社会問題化したのは確かに1990年代前半からだが)。中学時代にはX(後のX-JAPAN)が颯爽と登場し、「ヴィジュアル系」という言葉が流行はしたけれど(私自身もよく聴いた)、これとて彼女のように追っかけするほどのめり込む人は当然あくまでごく少数派。むしろ大半は、ドリカムやB'zに流れてたんじゃないかな。
…と、世代の語りはこうやってケチをつけようと思えばいくらでもできるが、これとてやはり見知らぬ人と同じ記憶を共有できるからこそ、つけられるというもの。「あの時はこうだった」「いやそうじゃない、ああだ」などと、旧友と昔のことを語り合う気持ちの良さと同じ感覚だ。だからこうして半畳を入れるのも、まあご愛嬌。
そんなわけで、本書を読んで中高時代の記憶が鮮明に甦り、図らずもしばし少年期の思い出に浸る。あの時のクラスメイトたちは、今どこで何をしているのだろうか…。同世代の人間にとっては、そんなノスタルジックな感傷も呼び起こしてくれる本。
ところで、「ロスジェネ」の女子たち(と言っても1975年前後生まれ)は、高校時代には「女子大生」ブーム、大学時代には「女子高生」ブームと、世の男性にチヤホヤされるタイミングを常に逸してきた、という雨宮のルサンチマンには吹いた。
それは、確かにそうかもしれない…?
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ロスジェネ(25~35歳の就職氷河期世代)の生い立ち、そして生きてきた時代を同世代の著者が自伝をもって語る。漫画喫茶に三日間居続けた所持金ゼロの男。所持金9円のコンビニ強盗。食事を求め刑務所に入るため罪を犯す者。派遣ぎりにあい強盗殺人を犯してしまった者。景気が良くなったらフリーターをやめ正社員になろうと夢を抱きながら生き続けた果てが派遣ぎり。もはや救いの光は一条も見出すことができない。フリーターとは15~34歳までのパート、アルバイト、派遣、そして働く意思を持つ無職者。35歳になると統計数値からも外れてしまう。
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これまで、何冊か若者論、世代論の本を読んでいていろいろともやもやしていたものが、なんとなくすっきりした。
管理教育による締め付けと反発、陰湿ないじめ。フリーターになったものの、フリーター以外にはもはやなれないという実感。そうしたロスジェネと名付けられた世代を著者自身の体験を通じて追体験できる一冊。
「希望は戦争」と言わしめてしまうほど抑圧された人々がいるという現実。見えないように隠されているけれども、どうしようもなくなってきている格差。20年以上前、そうした行き場のない若者たちに行き先を示したのがテロを敢行させる宗教団体だったことをわれわれはまだ忘れてはならないはずである。
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世代論よりも自伝色が、強いかな。見たトピックは、同じだけど、経験は人それぞれ。
ヴィジュアル系にのめり込むんだ人より、他の人が書いてあるようにドリカム、B'zを聴いていた人の方が多いかな。
あと、輸入盤が入ってきて、洋楽が手に入り易くなってそっちを聴くようになった割合もヴィジュアル系を聴いていた人の割合ぐらいいたかな。
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派遣切り、メンタルヘルス、自殺等、就職氷河期世代=ロスジェネが注目を集めている。この世代に属する著者が自らの生き方と現代史を重ね合わせ、「生きづらさ」の根源に迫る。
著者について
雨宮処凛(あまみや かりん)
1975年北海道生まれ。作家。2000年に自伝『生き地獄天国』(太田出版、現ちくま文庫)で作家デビュー。『生きさせろ!──難民化する若者たち』(太田出版)で日本ジャーナリスト会議賞受賞。著書に『プレカリアート』(洋泉社新書y)、『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書)、『右翼と左翼はどうちがう?』(河出書房。ただ、前作(生き地獄天国)と違うのは、10年近い時の経過と、著者自身の成長により、「社会学的な観点」が加えられたことだ。
山田花子の漫画や鶴見済の本にはまっていた頃、ビジュアル系バンドに自分の怒りを解放してもらった頃、オウムに刺激され自分を表現する方法を探していた頃、自民党や小林よしのりの「戦争論」に違和感を感じ右翼を辞めた頃、格差社会に怒りを感じ見沢知廉の死をきっかけに文章を書きながら若者の痛みに常に心を寄せ運動に参加するという生き方をしようと決意した頃を、時代背景と心境の変化を緻密に描いて、時代を肌で感じて生きてきた生き証人だからこそ、リアルに伝わる年代記として楽しめる世代本です。