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古代から中世にかけ、権力も権威も失った天皇がなぜ生き残ったのか。
2009/05/09 17:42
8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:龍. - この投稿者のレビュー一覧を見る
古代から中世にかけ、権力も権威も失った天皇がなぜ生き残ったのか。
古代から天皇や上皇などの役割を、政治制度や歴史的な事実から考察している本です。
タイトルのテーマに対する解答は本書の中盤以降。
前半は制度の解説に終始しています。
印象的なのは、政治の制度として律令制が成立した直後に崩壊が始まっているという指摘です。また、律令制の複雑な制度は時間の経過とともに、実務に適した簡略化がなされていくということ。
平清盛の武家による政治実権の移動後、天皇は権力はもちろん権威も失っていくと解説されています。
教科書的には、「権威」は残っているため、天皇が生き延びたという解説が多いのですが、史実を見ていくとその時点で「権威」もなくなっていたと言わざるを得ない状況なのです。
では、なにが天皇に残っていたか?
それは「文化と情報」であるとしています。
長い歴史に裏付けられた文化と、膨大な情報。これが天皇の源とされています。
しかし、鎌倉時代などは民を支配するための情報として天皇の役割は比較的重いように思えますが、時代が下るにつれその情報もその時代の為政者たちも入手できるようになってきます。
相対的に価値の低下が起こっていたようです。
本書は現代の天皇の役割を含めて、考えるためのきっかけを与えてくれます。
龍.
http://ameblo.jp/12484/
紙の本
天皇の実態についての考察
2017/07/30 23:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栞ちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
平家の台頭以後、特に鎌倉時代から室町時代にかけて、武士に政治・武力の主導権を奪われた時代の天皇・朝廷のあり方についての考察は、オカルト的な要素を排除した説得力のあるものだと感じました。
ただ、天皇がどう生き残ったのかという本筋とは外れた話が多すぎる点が気になった。
織田信長以降の時代については、ほとんど触れれれていないが、この部分についても読んでみたい。
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学会内部の話は、素人には分かりにくい。
2009/08/01 09:56
11人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんだか大学の講義のような本であった。一般には(世間一般ではなく、学会内ではという意味)このような発言がなされているが、とか、このような説が信じられているようだが、私はこう考えるのでという論調で話が進められていく。特に前半は私のような専門外の者には、話が噛み砕かれずに語られ続け退屈である。
新書は専門書ではなく一般書なので、もっと分かりやすく、時代を追って自説を記述してほしかった。一本筋の通った話にしてほしかったという意味である。また、話のほとんどが天皇あるいは天皇家自体に関するものではなく、その周辺に関するもので、素直に読めば、古代以後は天皇家はほとんど何の努力もせず、ただ武士たち(信長を除く)が馬鹿だったり、運が良かったり、あるいは周りが利用価値を見出したから続いたということになる。
私として知りたかったのは、さらにそれが何故なのかである。どうして日本では権力を握ったものが、天皇(制)に取って代わるだけの知性を持ちえなかったのか、天皇の利用価値がどうして信じ続けられたかなどである。古代や中世においては、明治以降ほど天皇家の万世一系を信じていたと思えないし、著者も書いているが三種の神器も複数存在し絶対的なものでもないのに、天皇家はなにを持っていたのか。著者は「情報と文化」というが、いずれも時の為政者が都合のよい情報や文化を流したり、押しつけたりする為に利用しただけに思えるのだが。
全体を通して、権力とは税を徴収する力であり、権威とは位を授ける力だということがよく分かるという点、天皇は権力を失い、続いて権威を失い、最後には祭司としての立場も失っていった過程が分かる点は評価できる。
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天皇についての認識がいくらか深まる。よくなる/悪くなるのいずれでもなく。
著者は特に思想的なことは書いてないが、日本の世襲を肯定する雰囲気には否定的。
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天皇の<権威>に疑問を感じ、信長が生きながらえていたら<天皇>は消滅していたのではないかという著者の問題意識は、私の問題意識と重なる。
中世の武士が天皇を必ずしも崇め奉ったものでないことはよくわかった。
政権づくりに天皇を利用した秀吉の妾に、皇族・貴族の出身者が一人もいないことをもって。「実は秀吉は王朝世界に、当然天皇にも、根本的には無関心だったのではないか。」との見解は、興味深い。
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タイトルに惹かれて。一瞬、第二次大戦後の昭和天皇のことかと思ったけれどそうではなくて
武士の社会で、なぜ天皇の系譜は脈々と受け継がれ来たのかというお話。
平家から維新までの約七〇〇年間、天皇は武士に権力を奪われていた。天皇は権力も権威もなかったことはあきらかだ。
それでも天皇は生き残った。すべてを武士にはぎ取られた後に残った「天皇の芯」とは何か。
一種オカルト的に宗教的に感情的に語られる「天皇」というものを、資料などから論理的に評論しようというもの。
ただ、本質の話にいくまでに、朝廷のしくみやら武士の話やらが長すぎてなんとも。
自分の専門知識を記したいのか、読み物としては構成がいまいちなのでは?
結局なぜ、武士は天皇を殺さなかったのか、の明確な答えは、推測の限りだし。
それは結局この著者が批判している、ほかの天皇本のテイストと変わらない気がするのだが。
やはり論理的にすべてを表現解決しきるというのは、難しいことなのかのう。
信長が生きていれば、天皇は殺されていたのだろうか。歴史のたらればは意味がないけれど、それはとても気になるところ。
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著者が世間の学説と違う天皇(の歴史)論を展開するというもの。
なかなか面白かったです。
ただ一般的に知られた学説ってのを私があんまり知らなかったので、どこまで評価していいのか…星印の数は結構適当な評価です。
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[ 内容 ]
平家から維新までの約七〇〇年間、天皇は武士に権力を奪われていた。
しかし、将軍職や位階を授ける天皇は権威として君臨した―。
このしばしば語られる天皇像は虚像でしかない。
歴史を直視すれば、権力も権威もなかったことはあきらかだ。
それでも天皇は生き残った。
すべてを武士にはぎ取られた後に残った「天皇の芯」とは何か。
これまで顧みられることの少なかった王権の本質を問う、歴史観が覆る画期的天皇論。
[ 目次 ]
第1章 古代天皇は厳然たる王だったか
第2章 位階と官職の淘汰と形骸化
第3章 時代が要請する行政と文書のかたち
第4章 武力の王の誕生を丁寧にたどる
第5章 悠然たる君臨からの脱皮
第6章 実情の王として統治を目指す天皇
第7章 南北に分裂しても必要とされた天皇制
第8章 衰微する王権に遺された芯
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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日本の長い歴史の中で、平安時代に権力を失い、室町時代には権威も失った天皇家が、なぜ現代まで生き残ることができたのかを論ずる本。ただし、本書の範囲は室町時代までであり、戦国時代以降については「もう一冊分の叙述が必要となる」で済ましている点はかなり不満である。それでも、政治の中心が天皇→貴族→武士と移っていく中で、天皇が「政治の王」から「文化の王」へと巧みに変転を遂げ、影響力を何とか保持し続けたことを、時代順に丹念に追っていく記述には迫力が感じられた。天皇家といえども、現代まで生き残ることができた過程には、多分に運とか偶然の要素もあった、という当たり前の事実を確認できて良かった。
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逗子図書館で読む。非常に興味深い本でした。正直、期待していませんでした。いい意味で、期待はずれでした。文章も読みやすいです。キーワードは、ザイン、ゾルレンです。懐かしい言葉です。あるべき姿と現実です。それを区別すべきだと指摘しています。その通りだと思います。
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本書の主張の概要は、以下のとおり。
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朝廷(天皇・上皇)は、平清盛以後、徐々に実権を武士に奪われた。
承久の乱の後は、皇位継承にすら干渉を許すようになった。
そこで、朝廷は、「道理」に拠る裁判によって積極的に統治者としての地位を示すよう努力し、それは後嵯峨上皇・九条道家によって達成された。
また、伝統的宗教勢力の頂点「祭祀の王」としては、依然として君臨していた。
そして、武士に対しても、従前の統治のノウハウを教示する立場、「情報の王」として対峙し得た。
その後、霜月騒動において、統治を重視する一派が、武士の利益を優先する一派によって鎌倉幕府内から駆逐された。
これによって、恩恵を受けられない下級武士や武士以外の勢力の不満が爆発。鎌倉幕府は自壊した。
南北朝を経て、皇室は相対化(絶対的な存在でない事を露呈させることによる弱体化)を余儀なくされ、影響力を著しく失った。
「祭祀の王」としての立場も、足利義満によって奪われた。
その結果、天皇は、「情報の王」「文化の王」として存続することになった。
室町幕府が、旧来の朝廷と同様、「職」の体系(都の上位者に奉仕することで自領の安堵を目論む方法)を採用したため、そのノウハウを持つ天皇(朝廷)は、なおも武士に教示する立場を維持し得た。
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中盤までは、中世における朝廷のシステムについての解説が続く。
それは極めて興味深い。
けれども、結論である「情報の王」「文化の王」の内実にほとんど触れられていない。
戦国時代において朝廷が存続した理由についても紙幅の制限を理由としてほとんど記載がない。
なお、織田信長が本能寺の変に斃れなければ、天皇は廃されていたかも知れない、と主張する(が、詳細な理由は示されていない。)。
黒田俊雄の権門体制論を中世世界全般に適用することに対して批判的。
石井進を引用し、中世には「国家」なるものは存在したとは言い切れず、国家権力が統治対象である人民を強く拘束できなかった当時の状況に鑑みれば「体制」という文言も不適切であるとする。
ただし、個別の事象に同論を援用することは有用である年、特に、同論は院政期にこそよく適合するもので、藤原信西が目指した当為(政権構想)をよく説明出来る、とする。
また、平清盛御落胤説に極めて否定的(91頁)。
今谷明にも、批判的。
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天皇制がなぜ続いたかを、天皇制をいわゆる皇国史観に囚われずに分析しようと試みた一冊。
大きな転換点は承久の乱、南北朝の騒乱にあったと分析。
特に承久の乱は、朝廷にとっては鎌倉幕府設立より余程インパクトがあっただろうというのが目から鱗。
南北朝の騒乱は、南北朝並立というとあたかも互角の勢力を保ってたように感じるけど、それは最初だけで、実際には武家勢力(つまり足利幕府≒北朝方)が少数勢力の南朝を利用してただけ(実際に足利尊氏や直義は一時的に和睦した)みたい。
基本的に鎌倉時代以降は、武家勢力が勝手に天皇を立てたり廃嫡したり配流したりやりたい放題とい感じ。
分析自体も江戸時代初期の家康まで。
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天皇制は武力が無くても権威があったから生き残ったと思っていたが、権力の空白や偶然も作用していたとは驚きだ。そういえば、古代の天皇制の歴史は習ったが、戦国時代や江戸時代の天皇制の歴史は学校で教わらなかったし、本も少ない。何かを隠しているのだろうか。
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2009年刊。中世史専門の著者が、主として中世の朝幕関係から天皇・朝廷の役割を解明するもの(書名は誤導ぎみ)。少々物足りないのが正直なところ。ただし、その理由は、もっと書けたはずだからで、著者への期待の裏返しである。まず、政治の説明にあたり、税の徴収過程の実例が少ない。訴訟の実態とは別の政治の実例を詳しく書いて欲しかった。また、権門体制論批判であれば、他の権門(特に寺社)との関係の記述がもっと欲しい。しかも、本書の主張は権門体制論の亜流とも読めなくない。同論の否定には、天皇家の断絶が必要ともいえるからだ。
もっとも、本書は、権門体制論が実は何らの内実を備えていなかったことを気づかせる。つまり、元々モザイク状に権限を分属させていた権門の変容過程を、各時代毎に細かく検討しないと、もはや天皇制の意味は捉えられないのだろう。その意味で、本書の提示した結論や、そこに至る検証過程は極めて興味深い。網野史観とも一味違う中世の天皇・朝廷論が本書には詰まっている。なお、本筋ではないが、天皇制を考える上で、文献の引用のない主張、中世の天皇を考慮しない主張には説得力のないことが、本書からよくわかる。
備忘録。①当事者が自ら、訴状送達。②鎌倉幕府も武家優先派と公平政治派とで対立。霜月騒動で武家優先派が台頭。そのため各地の御家人、非御家人の離反を招き、北条氏滅亡に帰着。③後鳥羽は、実朝を利用して幕府のコントロールを図ろうとしたが、鎌倉武士の反発を買い、実朝暗殺に向わせた。首謀者は北条氏か三浦氏?④後醍醐天皇は朝廷内で浮いていた。余りに旗色鮮明な倒幕姿勢と、中堅実務貴族層の信を得られなかったため。⑤権門体制とは、天皇・朝廷・武士・寺社が天皇を中心として対立競合・相互補完しつつ各々の権力を行使する体制。
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天皇の役割がずっと一定だったわけではない。そのことを少し学んでみたくて読んでみた。主に戦国時代までの変遷が描かれていた。役割がどう変わっていったか書かれていて面白かった。ただ、今に至るところまで描かれてないのでそこは、限定的な満足。とはいえ、描かれている範囲では丁寧に描かれてよかった。徳治と法治の社会観の話なんかが面白かった。