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商品説明
いじめを防ぐために、そして立ち向かうために、子ども・親・学校ができることとは? いじめ問題に取り組む弁護士が「いじめ予防授業」を展開し、具体的なアドバイスを示す。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
平尾 潔
- 略歴
- 〈平尾潔〉愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒業。弁護士。「東京都子どもの権利擁護専門相談事業」専門員。子育て支援団体「こうとう親子センター」理事。
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紙の本
大人が読んで、子どもたちに伝えたい
2009/06/26 06:38
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のはら そらこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は弁護士さん。子どもに関する事件を手がけるうちに、いじめの恐ろしさ、残酷さを痛感し、いじめが起きる前に予防したいと、出前のいじめ授業をしている。さらに多くの人に訴えたいと、本書の出版となったのだろう。
もっとも評価できるのは、いじめはいじめる側が悪いときっぱり言いきっていること。「『いじめられる側が悪い』というのは、いじめる側の言い訳に過ぎない」(p59)と切って捨て、「いじめを一定の範囲で許す」(p59)曖昧さを許さない。
いじめられる側にも原因があるというのは、教師や親などの大人たちも陥りやすい考えだろう。たとえば(実際にありがちことだが)、いじめた側の子たちが活発で、友だちも多く、学業もそこそこでき、教師にも好印象を与える。その一方で、いじめられた側の子が口数も少なく、学業もふるわず、暗い印象を与える。その場合、教師はいじめの原因をいじめられた側に見つけようとしないだろうか?
著者は前半に、自らの体験、いじめ授業の様子を書き、「いじめはなぜいけないのか」を説いていく。とくに「コップの水」をたとえた話はわかりやすく、胸に迫る。いじめ授業のあとで子どもたちに読み上げるというメッセージは三者に向けられる。いじめている人へ、いじめられている人へ、いじめを見ている人へ。その内容は、授業を受けたあと(この本を読んだあと)には、心の奥底までしみわたるだろう。
後半の3章以降は、子どもたち、親、学校の三者にわけて「いじめに立ち向かう」ための実践編になっている。
いじめとおふざけの境界線にも、ごまかしを許さない。文部科学省の定義「いじめか否かの判断は、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする」を引き、フィクションだがわかりやすい例をあげて、どこからいじめになるかをきっちり教える。いじめられている子どもの気持ちは表には表れない。いじめている方はふざけているつもりで、まったくいじめに気づいていない場合はよくある。けれど、著者は、相手が嫌がっているのを知らなかったという甘えも許さない。「自分がおもしろければ、それでいいという考えを持って人と接していると、知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまいます」(p119)と、びしっと諭す。
親にとっては、第4章の「親にできること」が気になる。とくに学校との相談の持ち方については、さすが弁護士さんだけあって、学校の立ち場や対応を説明するなど、現実に即している。そして、受け止め手としての親の役割を教える。
よい受け止め手となることは、我が子がかわいい親だからこそ、実際には難しいかもしれない。感情的になり、逆に子どもを追い詰めたりしがちだ。でも、そんなときこそ、「何が一番大切か。」(P145)を思い出したい。
子どもたちは毎日、学校で、交友関係で、そして家庭でも、あるべき姿を求められている。要求にこたえられずに追い詰められ、自身の存在に自信を失ったた子どもたちが、自信をとりもどしたくて、自分より弱い者を作り出すためにいじめに走るとしたら……。
著者はいう。「『無条件に受け容れる』ということが、いじめを解決するための一番のコンセプト」(P121)だ。はたして、わたしは、我が子をそっくり受け容れているだろうか、よい受け止め手になれているだろうか、子どものためではなく、こうあってほしいという自分の願望をおしつけてこなかったか、反省することしきりだ。せめて子どもの言葉をきちんと聴く努力をしたい。
いじめられている子がこの本を読むのはきついかもしれない。いじめている子も大人が手渡したら素直になれないだろう。この本は、子どもを取り巻く大人たちが真剣に読み、自己を省み、子どもたちに伝えなくてはいけない。「いじめで誰かが死ぬ前に」。
紙の本
鮮烈なタイトルであるが、筆者はそれぐらい強烈に伝えたいのだ!
2009/04/27 06:39
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たけくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
いじめについて自己の体験を基に、その撲滅を目指している奮戦記として記載されている。本書のタイトルも少し強烈であるが、まずは何を伝えなければならないのか、という著者の強い意志がでている。
著者は、いじめの本質を理解してもらうために、著者が実践している「いじめ予防授業」中で、また本書の中でも、まず自己のいじめ被害者としての話や、逆にいじめ加害者としての話をする。そうすることにより、自分自身は決して特別な存在ではなく、またいじめも何気ない社会生活に密着して発生しているものであり、他人事ではないことの認識をさせる事に重きを置いている。いじめについての予防を行うには、まずは聴いている人がいじめを直視しないと始まらないという事であろう。
本書では、いじめの構造を「いじめる側」、「いじめられる側」、そして「いじめを見て楽しんでいる=観衆」「いじめを見て見ぬふりをしている=傍観者」という立場に分けている。それぞれの立場をドラえもんの世界に当てはめ、ジャイアン,のび太,スネ夫,しずかちゃんとしている。とかくいじめにおいては、いじめる側(ジャイアンとスネ夫(観衆はいじめる側に位置づけられる場合が多いと思われる))といじめられる側(のび太)の是非が論じられる。しかしこのいじめを止めるために、傍観者(しずかちゃん)の役割が大きいと述べる。でもしずかちゃんはひとりではいじめの矛先が自分に向くことを恐れる。だったら複数の人間で行うのであればどう?!と、聴いている生徒に問いかけながらいじめ防止へのヒントやアイデアを提供する。また良く言われるところの「いじめられる側にも責任がある」とするのは、いじめる側の言い訳でしかない、とも。
いじめは社会に蔓延している。大きなものから小さなものまで。そして子供の世界から大人の世界まで。人は感情動物であり、「オレあいつとはウマが合わないんだよなぁ」、「私あなたが大好き!」、「私はあの人とは住む世界が違う」、「あいつのしゃべり方って特殊だよね」といった表現は極普通に交わされる。そしてこれらの言葉の、発せられ方、表現の違い、によって、いじめの道具にもなるし、やさしさのための手にもなる。感情の置き方により、言葉は姿を豹変させる。いじめは身近に起きている。いじめる側,いじめられる側はそれぞれの立場で対処していかなければいけないが、当事者は難しい。傍観者である多数の人がいじめに変わる信号をうまくキャッチし、早期にいじめに対処していく必要がある。私自身、うまく立ち回れないのであるが・・・。
紙の本
いじめ
2016/11/13 09:14
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽんぽん - この投稿者のレビュー一覧を見る
いじめを自身も体験し、いじめ相談にも数多くのっている弁護士による本。なるほどと思いました。
いじめの授業、お願いしたくなります。