紙の本
小説を読んで、書いて、訳してと3倍楽しめる方法を教えてくれます!
2020/07/11 09:46
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『アメリカン・ナルシス』や『それは私です』などの著作で有名な翻訳者の柴田元幸氏と、これまた『さようなら、ギャングたち』や『優雅で感傷的な日本野球』なおdの傑作を発表しておられる高橋源一郎氏の共著です。同書では、「小説は読むだけではもったいない!書いて、訳して、また読んでみたらあなたも小説を100倍楽しめます!」と主張されています。すなわち、同書は、小説の読み方、書き方、訳し方を丁寧に説いてくれ、その面白さを3倍楽しもうというものです。同書の内容構成は、「第1章 柴田さんが高橋さんに聞いた小説の書き方」、「第2章 高橋さんが柴田さんに聞いた小説の訳し方」、「第3章 高橋さんと柴田さんが選んだ60冊で考える小説の読み方海外文学篇」、「第4章 橋さんと柴田さんが選んだ60冊で考える小説の読み方日本文学篇」、「第5章 柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方」となっています。非常に興味深い一冊です!
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・NY Times Book reviewとPublishers weekly.
・「ノッて読んでいると、次になにかくるのかわかるような時がある。ばんばん訳せる」→ものすごくすらすら読めるときはある。誰かのかわりにレターやメールを作成している時、まるで何かにとりつかれたようにがーっと書き進められる時があるけれど、それも近いかしらね。
・「チャクラが開く=今までつまっていた回路が開いて気が通ること」、
・「あることにずっと接線を引いていたら、ずっと続けているうちに、溶液の濃度が濃くなるみたいに凝縮して行って、ある瞬間飽和すると、突然穴が開く」
→「できない、できない」と言いもがきながら、それでも続けていたら、ある日突然できるようになることもあるということ。
・小説の「ヴォイス」→読んでいていまいちよくわからなかったのだけど、「小説をどう書くか」、「どういう声で書くか(文体の問題)」ということだろうか。柴田氏が『セブンインタビューズ』か何かの中で「voice」の話をアメリカの作家としていたような気がするけど違ったかな。そこを読めばもっとわかるかしら。
・「文学を読むルート」。小説をどう入手し、読んでいくかというルート。文学全集でいくか訳者でいくか出版社でいくか。
文庫が出たら買うと思う。
タイトルはおかしいと思う。訳し方の話なんか全然でてこない。
柴田氏と高橋氏が好きな小説についてつらつら話しているだけで、箇所によっては高橋氏が何を言いたいのかがよくわからないところもあったりした。
対談をそのままテープ起こししたのかなあ。
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http://mille-feuilles.seesaa.net/article/120265397.html
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私にようななんちゃって文学好きじゃ、わかんないとこも大いに有るが
●「個体」としての小説、「液体」としての小説、「気体」としての小説
●小説に存在する「コード」について
●あらゆる翻訳は誤訳である
●高橋さん「小説ほどおもしろいものはこの世に存在しない」
と、小説について多角的にオモロー!好きだ。
でも、もうちょっと装丁どうにかならんのかな、安っぽー!!!
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小説家高橋源一郎と翻訳家柴田元幸の対談を5つ収めている。
2人とも読み巧者だけあって、海外の小説、日本の小説双方に対する考察が深い。
特に海外の小説をほとんど読んでいないために,2人の主張がよくわからなかったのが,非常に残念。
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翻訳家の柴田さんとタカハシさんとの翻訳と小説を巡る対談集。柴田さんは村上春樹さんとの絡んで何冊か翻訳に関する本を出しています。
タカハシさんの書く「はじめに」はこの本が議論するポイントの本質を示しているように思います。「読む」ときの小説は「固定」、「書く」ときの小説は「気体」、で「翻訳する」ときの小説は「液体」。どれも違うような気がするけれども「ひとつのより大きい」なにかの破片なのかもしれない、ということです。自分も技術書なので全然違うのだけれども、執筆も翻訳もやったことがあるので、何となく「気体」、「固体」、「液体」の比喩は分かるような気がします。
また冒頭に出てくる正体不明の「もやもやしたもの」を巡る文章が、最近読んだ『いつかソウル・トレインに乗る日まで』に出てくる「芽」の話とつながっているような気がしてひとり納得。タカハシさんによると、ある日チャクラが開いて突然分かるようになる経験をすることがあるらしいのですが、私には来たことがないようです。
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本文第一章の「小説の書き方」では、最近のタカハシさんの思索の中心課題とも思われる小説の「コード」の話や「文体」の話が出てきて楽しめました。
続く第二章「小説の訳し方」、第三章「小説の読み方 海外文学編」は、海外の近代小説(特にアメリカ)を読んでいないと少しつらいです。第四章「小説の読み方 日本文学編」は、何とかついていける部分があるといった感じ。とりあえずディープな世界が展開されています。分からないながらも本人たちが楽しんでいる様子が伝わってきて楽しいです。
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本文中にタカハシさんから何度か『ゴーストバスターズ』への言及がありますが、もう一度読み返してみたい気がします。ずいぶんと気負った小説だったんですね。
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遠くの方から近くまでという感じ。
小説について、書くこととか読むことについて。言葉について迫っているところがすごく面白かった。
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タイトルに期待されるような小説家養成本では全くない。柴田さんと高橋さんの対談本である。様々な作家の名前が挙がり、ああだこうだ、お二人お薦めの和書・洋書も紹介されている。興味が沸いたのは谷崎を目指していた中上健次の作品とPhilip RothのGreat American novelだろうか。
柴田先生の発言からなぜ私が村上春樹が読めないのかなんだかよくわかってきた気がした。村上は「思想で読ませるのではなく文章で読ませる」そうだ。書物から何か得たいと思っている現実的な私は<著者のいわんとすること>がない本は駄目ということだ。
さらに「おかしな文章」で「日本のアメリカ」が描かれているというということは全く私に関係のない世界である。
読まず嫌いの理由がなんだかわかってきただけでも収穫だった。
小説、原作者、訳者と組織、上役、ヒラの比較は見事。
「アメリカみたいに理念的に作られた国では、子どものお話と実はそんなに変わらないレベルで悪者を必要としている」
確かに。アメリカは敵を探しているように見えなくはない。
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文学は個から一般へ。二人が語ってるのは紛れも無く文学についてなんですけど、それが自然と社会・世界について語ってることになってる。文化は精神を表す。わたしは表現行為からどんどん読み取って、世界の成り立ちと人々について考えることが大好きらしい。すっっごい面白かった。特に高橋さん。完全に柴田さん目当てで読んだのですが、高橋さんにめちゃくちゃ興味湧きました。なんていうか、外側から考えたいのかなあわたしは神様的な視点を求めてぐるぐるしてるのかなあ。とにかく、面白かったです。小説より面白いものなんてこの世に存在しませんよね、高橋さん、わたしもそう思います。
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おもしろかったです。おふたりの話についてゆけるほど、小説は読んでいませんが、それでもおもしろいです。
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ふたりの小説の好みは、わたしの小説の好みとはまーったく合わないのだけれど。それでも、ふたりの話ってすごくわかりやすくて説得力があるというか。ふーんなるほどー、と実に興味深く読んだ。なのに、読んだそばから忘れていく感じで(笑)、これを読んだからといって小説の読み方がわかるかといえば、わかるようなわからないような。買わずに借りてすませてもよかったかも(失礼)。ふたりが、「ニッポンの小説」「海外に紹介したい日本の小説」っていうのをあげていて、そのなかで綿矢りさは非常に新しい、っていうようなことを言っていたのがなんだか印象的だった。いわゆる日本の私小説のLOOK AT ME(わたしを見て)っていうところがまったくない、と。綿矢りさは日本文学の息の根を止めたとまでいわれているようで。急に読んでみたくなった。
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面白かった。小説の書き方、の類の実用書のコーナーに置かれていたが、実用面ですぐに活躍させることは不可能だろう。自分なりにこれらの対談を噛み砕いて、方針を樹立させるところから始めなくてはなるまい。
全体的に、文学好きの文学好きによるー、感がある。二人とも、もう手遅れなくらい文学という病に毒されている。それが楽しかったし、一番の見どころだと思う。
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小説の書き方、というものに興味を惹かれて購入いたしました。内容は柴田さんと高橋さんの対話になっています。
高橋源一郎さんの書かれた「ニッポンの小説」を先に読んでおくと面白いかもしれません。前述した本で、引用された文章が同じように引用されていたりするので、普通に読むのとはまた違った面白みがあるのではないかと思います。
ただ、両者の著書や、有名文学の予備知識がないと、いまいち楽しめないかもしれません。
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小説の、というよりアメリカ文学の、としたいくらいに両者はアメリカ文学の影響を大きく受けている印象だった。片岡義男、村上春樹につながるその系譜は、戦後の日本の文化においてやはりあまりにも大きな影響力を持っていたのだろうか。ヨーロッパ人が見るようにアメリカを眺めると、また違った見え方になると思うし、それ以前に彼の国よりも遥かに長い歴史を持つ日本人としての文学の見方、というものがあり得ないのだろうかと思った。とりあえず。
両者の推す60冊の小説の中で既読は10冊ほどしかなかったのが残念だった。
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一番魅かれたのは、高橋さんのはしがきと、柴田さんのあとがき。
はしがきで、小説を、書く、読む、訳すという作業が、小説の気体、液体、固体とたとえられていたのには、妙に納得できたというか、なるほど、そういう感じが感覚的に捉えやすいなと感じ入りました。
小説の書き方は、高橋さんを柴田さんがインタビュー。小説の訳し方では、柴田さんを高橋さんがインタビュー・・・のはずが、殆ど高橋さんが主導権を握っている印象。対談をまとめられたものなのだけれど、途中、どちらの発言なのかが混同したのは、「小説の訳し方について」の章。どなたが発言したのか、なんて最終的にはどうでもよいことなのだけれど、語りまくる高橋さんの言葉を補完に徹する柴田さん。これって、作者気質、訳者気質の表れなのかしら?いやいや、そんなことはないはず。
「訳し方」の章では、翻訳することはいかなることかではなく、アメリカ近現代文学を訳すこととは、どうアメリカを、アメリカ人の生活スタイルの変遷を捉えるか、につながるのだ、という話のように受け取りました。
とにもかくにも羨ましい対談です。・・・が、作家の名前だとか、作品のことを知らないので、内容のほとんどは何のことを言っているのかわかりませんでしたけど。XX論的なやりとりが続いて、実際に作家たちは、そんなことまで意識して書いているのだろうか?という疑問も。描き出したいことを、表現したい方法で、本能的に、あるいは、作為的に紡ぎだしているのが小説だと思うのです。
小説の読み手としては、あまり難しいことを考えず、疑似体験ができることを最大の喜びとして、これからもぼちぼち読書を続けていきたいと思います。