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商品説明
幼い命の死。報われぬ悲しみ。遺された家族は、ただ慟哭するしかないのか?良識派の主婦、怠慢な医師、深夜外来の常習者、無気力な公務員、尊大な定年退職者。複雑に絡み合うエゴイズムの果て、悲劇は起こった…。罪さえ問えぬ人災の連鎖を暴く、全く新しい社会派エンターテインメント。【「BOOK」データベースの商品解説】
【日本推理作家協会賞(第63回)】幼い命の死。遺された家族はただ慟哭するしかないのか? 良識派の主婦、怠慢な医師、深夜外来の常習者、無気力な公務員…。複雑に絡み合うエゴイズムの果て、悲劇は起こった−。社会派エンターテインメント小説。【「TRC MARC」の商品解説】
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書店員レビュー
犬のフンを始末しない…
文教堂 二子玉川店さん
犬のフンを始末しない、責任を持って仕事をしない、見栄を張る、はっきりとNOを言わない。
無意識にやってしまうだろうこの小さなモラル違反や自分勝手な積み重ねが、ひとりの幼児の死につながってしまう。
そして残された家族はぶつけようのない怒りや悲しみに苦しんでしまう。
そんな中、真実を追求しようとする父親が出会うのは、自分を守るために言い訳ばかりして、責任転換する自分勝手な人たちばかりだった。
こんな何でもない小さな事が、本当に人の死に繋がるのであろうか?
そう思いながら読み進めていくうちに、登場人物の身勝手さにだんだん腹が立ってくる。
その一方で誰もが少しは心当たりのある「1回くらい」「自分1人なら」といったほんのささいな自分勝手を思い出し、自分ももしかしたら加害者になっているのかもしれないと言うことに気づきハッとさせられた。
自分自身の身勝手な行動に心当たりがある人も、まだ気づくことができていない人にも是非読んでほしい1冊。
(評者:文教堂書店二子玉川店 ビジネス書担当 河合雅之)
紙の本
ちょっとした自分の都合を優先させる怖さ
2010/09/12 12:35
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
一人ひとりにとっては
ほんのささいな我が儘、自分勝手。
多くの人が、そんな自分の都合を選択したばかりに
ひとりの幼児の命を奪ってしまうミステリー。
リーダーはやりたくないけれど
社会運動を起こして暇をつぶしたいプチセレブな夫人。
腰痛のため、ペットの糞を放置する老人。
事なかれ主義のアルバイト内科医。
昼間は混んでいるため、夜間診療を利用して
風薬をもらう病弱な大学生。
息子や嫁は言いなりになるものと決めつける姑。
職務怠慢の公務員。
潔癖症にも関わらず、医者にかかることは
プライドが許さない造園業の男。
運転が苦手なのに、妹の都合を優先させてしまい
大型車を運転している、弱気な若い女性。
最初に幼児殺しを示唆し
これらの人々の物語をロンド形式で描きながら
「-44」「-43」と章をカウントアップさせていきます。
このしかけに惹かれます。
登場する人も普通の人ばかりで
しかけでグッと高まった緊迫感が
だんだん薄れていくのは、熟練の筆ですね。
日常生活のなかに不幸は潜んでいます。
自分のしたことの結果が明らかになってもなお
人は責任転嫁します。
物語の決着もうまい。
第63回日本推理作家協会賞長編及び連作短編部門受賞作。
紙の本
現代社会を指摘する問題作
2011/06/17 19:48
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
乱反射 貫井徳郎(ぬくいとくろう) 朝日新聞出版
新聞記者加山聡さん32歳の息子健太くん2歳が、強風で倒れた街路樹の下敷きになって死にます。聡さんと奥さんの光恵さんふたりは半狂乱になります。涙が枯れません。現代日本人の権利の主張を基礎にしたマナー(礼儀)とモラル(道徳・倫理)の欠如を問う問題作です。
健太くんが事故死したのは、地域住民にマナーとモラルが欠如していたからです。3人家族の未来を失った加山さん夫婦は、健太くんの事故死と因果関係のあった人々のエゴ(自分のことしか考えない)、わがまま、自分勝手さに闘いを挑みます。でも、だれも謝ってくれません。マナーやモラルの欠如は、犯罪ではないのです。そして亡くなった健太くんはもう生き返りません。
描写とセリフの言い回し、文章表現、すべてがうまい。構成に関しては登場人物が多すぎる。メモをしていかないと誰が誰かわからなくなります。事故関係者のひとりに30年間道路の拡幅に反対してただひとり立ち退きを拒否していた男性河島氏75歳がいます。彼のために「安全な道路づくり」は行き詰っていました。章のつくりは、その河島氏が病死するまでが、「-44」で始まり、彼が死ぬ章が「0」、その後「1」から章が始まり「37」で終章を迎えます。
多数の人たちのマナー・モラルの欠如がタイトルどおり乱反射して、幼児の命が奪われたのです。健太くんの父親加山聡さんは関係者ひとりひとりを追い詰めていくけれど、最後にたどりつくのは自分自身になります。
人間は自分を守るために嘘をつきます。本作品はいつか映画化・ドラマ化されるかもしれませんが、後味のいい内容にはなりにくい。鑑賞者自身・視聴者自身が加害者になるでしょう。現代人の特質と病癖が記述されていて心に響きました。本作品は、日本民族の衰退化を暗示しています。
紙の本
なんともいえない読後感
2009/07/21 01:18
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽんちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
忙しくて久しく読書から遠ざかっていたのですが、こういう面白い本があるから読書はいいなと思える一冊にまた出合えました。今回直木賞受賞は逃してしまったようですが、たくさんの人に読んでほしいと思ったので推薦します。責任ある立場で働くことになる者として、よく考えさせられました。(医学生)
紙の本
怒りのやり場がない・・・幼い子の死
2009/11/17 17:18
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆこりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「乱反射」というタイトルを良くぞ付けた!
ひとりひとりの身勝手な行動がある1点で交わったとき、
悲劇は起こった。かけがえのないひとり息子の命が奪われた
とき、父親は真相を求め奔走する。だが、父親が真相を追い
求めようとすればするほど、理不尽な思いが膨らんでいく
ばかりだった。それぞれの人たちがとった行動は、ほんの
ささいな、「悪」とは呼べないようなものばかりだったのだ。
「自分は悪くない!」そう声高に言い張る人たちを前にとまどい、
「誰に怒りを向ければいいのか!?」と叫ぶ、彼の悲痛な声が
聞こえてくるようだ。
「もしかしたら、私の何気ない行動も誰かの不幸につながって
いるのではないか?」そんな思いにとらわれ、心配になる。
「このくらいならいいだろう。」「このくらいなら許されるだろう。」
そういう自分勝手な判断が、取り返しのつかない悲劇を招く・・・。
実際に同じようなことがありそうで、何だか怖い。さまざまな
問題を含んでいて、いろいろと考えさせられた。読み応え充分!
面白い作品だった。
紙の本
こんなことを思い浮かべました。なぜ桶屋は儲かったのでしょうか。大風が吹いて砂埃が舞い上がり目に入る。眼病を患う人が増え、目の見えなくなる人が増える。目の見えない人は三味線を趣味にする。三味線に使う猫の皮の需要が増して、猫がいなくなる。猫がいないと鼠が増える。鼠は桶を齧るので桶がよく売れるようになったからです。
2010/06/13 20:19
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
貫井徳郎の作品は2003年に『慟哭』を読んでいる。警察組織や新興宗教教団を背景にしているがその社会性にメスを入れたものではなく、それらは作者の仕掛けた巧妙なワナのためにあるもので、ラストのドンデンガエシの鮮やかさに読み応えを感じたものだった。パズル型の本格謎解きなのだが、背景が現実とまったく乖離しているわけではないところが面白さに厚みを持たせていました。
「大風が吹くと桶屋が儲かる」
これは有名なたとえですね。ものごとがめぐりめぐって意外なところに影響を及ぼし、思いがけない結果を招く。まさにこのミステリーのためにあるようなたとえです。
また、あてにならないことを期待するたとえでもあります。これは被害者遺族である父親の心情かもしれない。
プロローグにあたる一節
「これは、ある一人の幼児の死を巡る物語である。」
「かつてイギリスの有名なミステリー作家は登場人物のほとんどが犯人という小説を書いた。幼児の『不運』な死に似た事件を他に求めるなら、そのミステリー小説しか見当たらないだろう。」
とあって、表面的には不運な事故によるものとされた事件が実は大勢の人間がかかわりあって死に至らしめた殺人事件だと紹介されている。
飾り帯には
「罪さえ問えぬ人災の連鎖を暴く、まったく新しい社会派エンタテインメント」とあり、
「複雑に絡み合うエゴイズムの果てに悲劇は起こった」
ともありました。
始めからなんとなく物語の組み立てがわかるような気がしました。
事件が起こる前には事件とは無関係にいろいろな家族模様を交互に描きながらストーリーは進行します。
どこにでもいそうな人たちの平凡な日常を、平凡さを揶揄するような視点で叙述しています。社会派系なのでしょう。多少周囲に波風をたてることがあっても、私たち自身がそうなのですが、やりがちな独善、軽率、怠慢、衝動、余計なお世話、わがまま、自尊心、気分のむらによるものであり、それらは取り上げて厳しく非難、弾劾されることはない程度の行為です。
これだけなら平板な複数のストーリーの積み重ねに過ぎません。また、事件はこの小説のかなりのところを過ぎても起こりません。でも退屈しません。ぼんやりしてはいられないぞと、丁寧に読み進めざるをえません。
どうしてかと言いますと。章立てが「マイナス44」から「0」へむかう変わった趣向です。いつ事件が起こるのだろうか?さらにその事件にこの登場人物たちはどんなかかわりを持つのだろうか?と冒頭の語りが期待させますから、読者は手探りをしながら読むことになります。実際、私もこの巧妙さにはまんまと引っ掛けられました。
まして、日本推理作家協会賞受賞作です。とんでもないドンデンガエシが用意されているはずだと確信していましたから。
事件が発生した以降は章立てが「0」から「37」へと進みます。幼児の父が真犯人を捜し求め、関連者を追い詰めていくストーリーなのですが、なんとなく先が見え初めてだんだんと退屈してきました。幼児の死に慟哭する父の心境には常識的に同情できますが、彼が関連者に立ち向かっていくその行動が理解できない私には冗長でした。
そして意表をつくラストはなかったのではないかと思われました。