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商品説明
筑前の小藩・秋月藩で、専横を極める家老・宮崎織部への不満が高まっていた。間小四郎は、志を同じくする仲間の藩士たちとともに糾弾に立ち上がり、本藩・福岡藩の援助を得てその排除に成功する。藩政の刷新に情熱を傾けようとする小四郎だったが、家老失脚の背後には福岡藩の策謀があった。藩財政は破綻寸前にあり、いつしか仲間との絆も揺らぎ始めて、小四郎はひとり、捨て石となる決意を固めるが—。いま最も注目を集める新鋭が放つ、いぶし銀の傑作。【「BOOK」データベースの商品解説】
専横を極める家老を排除した間小四郎。藩政の刷新に情熱を傾けようとするが、家老失脚の裏には福岡藩の策謀があった。藩財政は破綻寸前にあり、仲間との絆も揺るぎ始める。小四郎はひとり、捨て石となる決意を固めるが…。【「TRC MARC」の商品解説】
福岡藩の支藩、秋月藩で、馬廻役・間小四郎は、若者らしい正義感から、長く藩政を牛耳ってきた家老・宮崎織部の糾弾に加わり、仲間と共にその排除に成功する。しかしその裏には福岡藩の策謀が・・・。書き下ろし!【商品解説】
著者紹介
葉室 麟
- 略歴
- 〈葉室麟〉1951年北九州市生まれ。西南学院大学卒業。地方紙記者などを経て、「乾山晩愁」で第29回歴史文学賞を受賞し、デビュー。「銀漢の賦」で第14回松本清張賞を受賞。
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紙の本
心優しき宰相は 良き為政者にはあらず
2010/06/03 21:47
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:星落秋風五丈原 - この投稿者のレビュー一覧を見る
筑前秋月藩で、郡奉行、町奉行、御用人など要職を務めてきた間(はざま)余楽斎が失脚し、流刑となる。しかし感想を問われて彼は、悔しさを口にするどころか、安堵した旨を述べる。
さてそれは何故だろう?という所で、物語は余楽斎が吉田小四郎と名乗っていた幼少期にさかのぼる。
まず主人公達の現状が述べられ、次にその現状に在る意外性(当然こうなっているはずが、なぜそう思わないのか/なぜ予想した通りになっていないのか)が、なぜ意外ではない-必然である-のかが、その後に述べられる「過去」によって明らかになっていく。この展開は、著者の『銀漢の賦』と同様であり、ただありきたりに編年体で物語を進めるのでなく、敢えて読者に登場人物に対して誤った印象を先に抱かせることで、後の出来事により彼に対する認識や印象を一層深める・強めるという効果がある。
さて、本書を読んでいて、くしくも退陣を決めた我が国の宰相が浮かんだ。性格は決して悪いわけではなく、むしろ優しいが、言葉の軽さを責められてその地位を下りることになってしまった。優しさの裏返しは優柔不断であり、誰にとっても優しくあることは、所詮できないのである。全ての人にとって正しいと思える、人生の解がないのだから。だから先頭に立ち為政を行う者は、自ら泥に塗れることを恐れていてはいけないのだ。そして自身を理解してくれる数少ない賛同者の支えを得て、全ての人の幸福ではないが、大局或いは歴史から見れば、これで概ね良かったであろうとする幸福を求めていくほかはないのである。専横を極める家老を排除した間小四郎が、希望と意欲に燃え、藩の改革に進んでゆくうちに悟ったことも、それと同じであった。
武家の世と現代とは生活様式も政治体制も異なるのに、それでも、人の生きる世の中で、変わらぬものはある、いや、変わってはいかないもの、変わってはならないものがあると言うべきか。
歴史上の出来事を描きながら、すぐ先の未来を予見したような作品で秀逸であった。
紙の本
暗い茨の出世コース
2009/09/08 12:29
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
秋月藩(現在の福岡県朝倉市)は5万石。
福岡藩の支藩であり、親藩から独立を保つため、財政的にも無理をし、
しかし、何か事が起きると親藩を頼らざるを得ない、小さな存在です。
小さな藩が生き残る藩政の画策に
馬廻役・間小四郎が巻き込まれていきます。
小四郎は次男のため、間家に養子に行きますが、
そこから彼の運命は開かれていきます。
美しいと評判の娘との縁談、江戸への遊学。
江戸で生涯の友を得て、順風満帆の若者として将来を期待されます。
長く藩の権力を握っていた家老・宮崎織部を失脚させる「綾部崩れ」を
仲間とともに起こし、
20石の加増と学館御目付兼長柄頭並び鉄砲頭に登用され、
養父も喜びます。
しかし、それには深く福岡藩が関わっており、
暗い茨の出世コースでした。
藩政は公明正大に、真面目に治めているだけではなく、
福岡藩や幕府との調整、借金の返済、天災との戦いです。
きれい事だけではおさまらない難題が小四郎に降りかかってきます。
それでも彼は難問を乗り越え、御用人、郡奉行、町奉行を経て、
43歳で隠居してからも、藩政に大きな権力を残す人生を歩みます。
臆病で、単純で、野心など欠片も持っていない小四郎ですが
なぜか周囲の状況は、彼をそっとしておいてくれません。
その不可思議な人生や人々との出会い、
友との距離などを、じっくりと描いていきます。
葉室麟の近年の作品ではいちばんおもしろい。
このような小さな藩を描かせると、筆が光ります。
紙の本
人生の白秋を照らす月。凛然たる生き様が胸を打つ。
2009/06/09 15:47
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はりゅうみぃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんと愛しい小説だろう。
この物語を描くには今の世は汚れすぎている。
この情熱を描くには今の人は疲れ過ぎている。
時代小説でなければこの高みを描けない。そして時代小説というものが廃れず支持される日本に、一片の救いを見る。
この作品に感じ入る人がいる限り、この国はまだ腐りきっていない。
戻らぬ時代を嘆くのではなく、今の世でこの作品を読める幸運に感謝しよう。
本作は秋月という美しい地名の小さな藩で、国のために人のために何より自分のために、最後まで信じる道を歩きとおした、まさに秋の月のごとく闇に朗々と冴える1人の男の静かな情熱の物語だ。
しかもこの物語を彩る魅力的な人物たち、余楽斎こと小四郎から男装の麗人・采蘋まで実在の人物というから恐れ入る。
お役御免を突き付けられた初老の家老・余楽斎が、過去を振り返り歩んだ道を反芻する。
今でいえば犯罪者であるはずの流島扱いを静かに了承する男の胸の内には誇りと安堵はありこそすれ、怒りや無念は一片もない。
多くの人の思惑と想いに支えられ、震えながらも戦ってきた己の人生。
己を尽くして国が成る。今の世でこれが出来る人は別世界の人物だ。時代小説だからこそ受け入れられる身近な共感なのである。
時を超えても共感出来る、この普遍性こそが日本の救い。時代を超えて追い続ける男のよすがだ。
もう1つ、清しい男の生き様を描きながらここに浮き彫りになるのは「女性」である。
作者が男性なのか女性なのか、お名前だけでは判断できかねたが本書を読んだ今断言する。
作者はきっと男性です。
でなければこうまで気高い女性は描けない。ここにある女性は男に取っての願望。女にとっての理想。描かれる女性はすべてが聖母。慈悲と献身の塊だ。
生活を支えるもよ、精神を支える采蘋、国を支えるいと。
男が道を歩み続けられるのは支える女あってこそ、と静かに女性讃歌をして下さるのだが現代女性のはしくれとしてはなかなか痛いものがある。
この物語が時代小説でなければならないもう一つの理由はここだろう。残念ながら。
悲しいほど現代に生きてる女性である私にできる事は、この作品に感じ入ることのできる次世代を育てる事だろうか。それもまた名を残さずの偉業ではある。
紙の本
ドラマチックな時代諸説
2011/02/06 10:04
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
秋月記(あきづきき) 葉室麟(はむろりん) 角川書店
秋月は福岡県の馬見・屏・古処(うまみさん・へいさん・こしょさん)と続く山の向こう側にある小さな都と覚えています。16才の頃、それらの山々を縦走(じゅうそう、尾根伝いに歩く)したことがあります。秋の月とあることからロマンチックな雰囲気がただよいます。
物語は西暦1845年6月6日江戸時代です。秋月藩の大きな動きを捉(とら)えながら主人公間余楽斎(はざまよらくさい、旧名吉田小四郎、59才)の幼児期から晩年までの人生が描かれています。今でいうところの公務員世界です。
小四郎は、妹みつの死をきっかとして、弱虫から武勇伝をもつ武士に成長していきます。江戸へ友人たち4人と修行に出たり、女性と出会ったり、忍術使いを味方につけたり敵にしたり、剣術の達人と対決しながら秋月藩のために身を尽くします。よくできた物語です。難点としては、やはり虚構です。人間の心も体も言葉も態度も、記述のようには動きません。とくにリーダー的存在の人々たちが画一的で極端な行動設定となっています。現実的ではありません。不幸な話が多い。地元の人間が読めばいいことばかりが書いてあるわけではないので、受け入れにくい面もあるでしょう。かけひきの世界が描かれています。武家社会(公務員社会)のあれこれは、面倒くさい。単純に純粋な感動がほしい。お人よしは早死にするという設定はつらい。殺されてしまった吉次(石橋を造る職人)と村娘いとさんとの恋愛と葛(くず)の記述が良かった。
芝居がかってはいるもののドラマチックな時代小説です。勝つためには「数」が必要です。「数」を集めきれない人間は勝負をあきらめたほうがいい。ただ、あきらめきれないからストーリーができあがってはいく。
紙の本
壮絶な死闘が繰り返されるエンタテインメントであるが、どうしても政治家たるものかくあるべしと現代に重ね合わせることになる、時代小説の傑作だ。
2009/09/20 00:12
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
筑前秋月藩は独立した藩ではあるが福岡藩の支藩であって、藩政は折りにつけ福岡藩の介入があった。
冒頭の章は、隠居してなお隠然たる権勢を振るっていた間余楽斎が、藩主をないがしろにしたかどで流罪の上意を受けたところにある。最終章は冒頭の章に続き余楽斎が流刑の地に旅立つラストシーンである。この巧みなリフレーンの間で専横者とそしられたこの政治家(若き日の間小四郎)の素顔が語られる。
じーんと目頭が熱くなって読み終えた。そして冒頭を読み返す。この間の熾烈で重たい道を歩んだ男(間小四郎)が政争の果てに最後に到達した自己完成、その清冽な境地にまたまた胸がいっぱいになった。
少年小四郎は臆病者だった。そのために妹が死んだのだと思い、これからは逃げない男になると決めた。そして剣に励んだ。秋月藩では専横を極める家老・宮崎織部への不満が高まっていた。間小四郎は、志を同じくする仲間の藩士たちとともに糾弾に立ち上がり、その排除に成功する。だが織部崩れにより福岡藩の支配は強まった。なにかにつけ秋月藩の犠牲を強いる本藩と向きあって、凡愚な藩主を支え、藩政改革、財源確保、生産基盤の強化を推し進める間小四郎と仲間たちではあったが、やがてそれぞれが重職に就くころには亀裂が生じてくる。
公共投資でほどほどに民の暮らしが維持されていた秋月藩であったがその懐は大阪をはじめ諸国の大商人からの借財でにっちもさっちもいかなくなっていた。君側の奸といわれた宮崎織部は実は財政再建の大秘策を断行しようとしていた本物の政治家であった。小四郎はやがてこの事実を知ることになる。
蟄居の身にある織部が自分を倒した小四郎に語る言葉には千金の重みがある………、現代人として私はそう感じた。
「政事を行うとは、そういうことだ。捨て石になるものがおらねば何も動かぬ。」
そして
「後はおまえらの仕事だ」
小四郎は宮崎織部と同じ専横者とそしられる孤独の道をたどるのであった。
国家を預かるリーダーだけではない地方政治においても、あるいは会社組織においてもしかり、すべての人に喜ばれる采配などあろうはずがない。過酷な現実に向きあって大事を英断、実行する過程ではきわどい悪行がついてまわることを覚悟することなのだ。肝心なのは静謐にして去る引き際の潔さなのだろう。
小四郎を慕う女性、詩人・猷が捧げた漢詩がそれである。
孤り幽谷の裏に生じ
(人目につかない山奥にあって)
あに世人の知るを願わんや
(世間の人に知ってもらう気などさらさらなくても)
時に清風の至る有れば
(たまたま爽やかな風が吹く時には)
芬芳(ふんぽう)自ら持し難し
(おさえようとしても良い香りは漂いでるものです)