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商品説明
カナダの森で出会ったオオカミ犬。美しい、小さな森の命に、私は完全に恋に落ちてしまった−。オオカミ犬の子犬・ウルフィーとのカナダでの旅の記録。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
田中 千恵
- 略歴
- 〈田中千恵〉1974年宮城県生まれ。カナダへの旅を続けている。ヨーロッパにあるヒーリングスクールに在籍中。山梨県八ケ岳南麓に在住し、炭を使った住環境や身体のエネルギー調整をする仕事を行う。
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紙の本
オオカミ犬ウルフィーが伝えてくれたもの
2009/01/18 12:18
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:遊民 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学の探検部員として北極圏を流れるマッケンジー川を下った著者は、長い間、くすぶり続けていたカナダへの想いを絶ちきれず、卒業から数年後、先住民のフィッシュキャンプで1年間を過ごした。その後、それまで通っていた北極圏ではなく、カナダ西海岸に広がるレインフォレストに興味を持った。
レインフォレストを歩きたいというだけで「特別な旅の目的はなかった」から、出会った人から聞いた島や人を訪ねていく。オオカミが暮らすという森でキャンプをするときに、心配した人が「ウチの子犬をお供に連れていきなさい」と言ってくれた。生後3か月のオオカミ犬が、この旅のパートナーとなるウルフィーだった。
ところが、「さあいっしょに旅に行きましょう」と言われても、犬にとってみれば迷惑な話だ。家から10メートルも行かないうちに引き返してしまう。最初は腕に抱かれていたウルフィーも、森に入って自由になり、しだいに著者に心を許していく。
旅を続けているうちに、彼女とウルフィーの距離がしだいに近くなり、信頼関係が結ばれていく。そしてウルフィーがいることで、いろんな人たちから声をかけられ、また新しい出会いにつながる。
本のタイトルの「ウィ・ラ・モラ」は、ネイティブの言葉で「誰もがみなともに旅を続ける仲間」という意味らしい。ウルフィーと旅をともにしながら、著者は考える。
「人は目に見えない壁を作って、生きている。それは他者から自己を守るための防御壁であったり、個人のレベルを超えて、国や宗教を背景に長い歴史の中で積み上げられ、受けつがれてきた障壁であったりする。でも、もしかしたら、人は築き上げてきた壁を内側から取り払い、他者と深く共鳴しながら、人生という旅を続けていくことができるのではないか」
旅の途中、日本にいる祖母が亡くなり、帰国するかどうか葛藤することがあった。旅の目的がはっきりしないのに、ここに留まる意味があるのか−−。けれども彼女は、あることに気づいて、旅を続けることを決意した。
「この旅から、ひとつ確信していることがあるんです。それはすべてに偶然はないってこと。だから、あなたと私が出会ったことも必然なんですね、きっと」
自分が経験したことを等身大の言葉で表現する著者は、旅から戻ったあと、生体エネルギーやヒーリングを学ぶためヨーロッパにある4年制のヒーリング・スクールに通っているという。スピリチュアルブームに嫌悪感がある人にも、彼女の言葉なら何かが伝わるかもしれないと思えるほど、文章も写真も魅力的だ。
また「すべてに偶然はない」とするなら、この本を手にしたことにも何か意味があるのだろう。そして、レビューを読んでいるあなたにも、きっと……。
紙の本
すべてとつながる一つの旅路
2009/01/26 20:29
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:セーラム - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学生だった頃、探検部に所属していた著者は、あるときカナダ極北を流れるマッケンジー河へ旅に出る。広大な原野をカヌーで川を下り旅する中で、彼女はその自然の大きさに圧倒されていく。旅の終わりには、寒さでしもやけになった足を見つめながら「早く日本に帰りたい」と、もうこんな旅はこりごりという気持ちになっていた。しかし、日本へ帰ってからの彼女の心の片隅には、不思議なことにいつもマッケンジーの風景があった。雄大な風景の中で、自然と共に生きている先住民の人たちの姿があった。
大学を卒業し、自分の居場所を求めて日本各地を彷徨うように転々としながらしばらく経ったとき、「カナダへ帰りたい」そんな気持ちになる。そして丸1年をマッケンジー河沿いの先住民の人々と一緒に森のキャンプで過ごすことになる。大地と野生動物と先祖の魂と共に生きる人々の姿は、やがて彼女を内なる旅の入り口へと導いていった。
そして、彼女が次に選んだ旅の地がカナダ太平洋岸に浮かぶレインフォレストの深い森に包まれた島々だった。広漠として乾いた極北の地から、湿った生命豊かな海と森へ。彼女にとって未知の自然と、たくさんの新たな出逢いがそこには待っていた。
バンクーバー島の西側、トフィーノという小さな町からシーカヤックで海に浮かぶ小さな島々を巡るキャンプツアーに参加した。その旅の間、ひとつの鮮明なイメージが何故か彼女の脳裏に浮かんできた。極北のツンドラを旅したときに出逢った真っ白な北極オオカミ、厳寒のマッケンジーの雪原で遠吠えしていたオオカミなど、過去の記憶の中のオオカミの映像が次々とページをめくるように現れては消えていった。最後の夜を終え、キャンプしていた小さな島の海岸から漕ぎ出そうとしたとき、誰もが息を止めた。背後の森から1頭の狼が姿を現し、岸辺を駈けていったのだ。彼女の心の中のイメージが、突然現実になったような、とても不思議な感覚だった。
次に彼女は心の赴くままに先住民の小さな村が1つあるだけのフローレス島という太平洋に浮かぶ小島へと向かう。誰も知る人のいないこの村で、一人のおばあさんが彼女を招き入れ、快く泊めさせてくれた。ふとしたことで、島で狼に出逢った話になる。するとおばあさんもその日、同じ島の裏側でキャンプをしていたことを知る。そして、おばあさんの家の庭先には、村はずれの海辺で拾われて来たという、まだ幼いオオカミ犬の子犬が元気に走り回っていた。フローレス島の森に一人でキャンプに出かけようとしていた彼女を心配しておばあさんが、「うちの子犬をお供に連れていきなさい」と小さなウルフィーを差し出す。こうして著者とオオカミ犬ウルフィーとの旅路がはじまっていくのだった。
彼女の脳裏から消えなかった強烈なオオカミのイメージは、まるで「見えない糸」でつながっていたかのように、次々と目の前の現実として現れてくるのだった。偶然という言葉だけでは説明しきれない心と現実のつながりを、いつしか彼女は旅の中で意識しはじめていく。「私は何を探し求めているのだろう、どこへ向かおうとしているのだろうか?」そんな問いが心を巡っていく。
そんなとき一人の先住民の男性と出逢う。そして彼の言葉に、彼女は・・・
〜そして、彼は「Wi' la' mola(ウィ・ラ・モラ)」という
言葉を使った。英語ではない響きは、
たぶん彼らの母語であり、私には理解できなかった。
「どういう意味なの?」とたずねると、彼は答えた。
「We are all traveling together,
誰もがみなともに旅を続ける仲間なのだという感じかな」
「ウィ・ラ・モラ」か。いい言葉だなあと思った。
人は目に見えない壁を作って、生きている。
それは他者から自己を守るための防御壁であったり、
個人のレベルを超えて、
国や宗教を背景に長い歴史の中で積み上げられ、
でも、もしかしたら、人は築き上げてきた壁を
内側から取り払い、他者と深く共鳴しながら、
人生という旅を続けていくことができるのではないか。〜 (裏表紙帯&本文より)
撚り合わされていく糸のように、人と人が出逢い、ひとつの体験が次の経験へとつながりながら、著者は求め続ける「答え」へ向かって歩んでいく。その傍らにはいつも、まるで森から遣わされた導き手のようにウルフィーが寄り添っていた。
この本は、著者という一人の人間の単純な旅物語ではなく、読む人それぞれの内面をふっと映し出す写し鏡のような、とても不思議な物語です。素直に感じたことを自然に表現する素朴な言葉から旅のストーリーに引き込まれ、自分があたかもその世界を歩いているような気持ちになったとき、読者は自らの内側にある問いへの旅をはじめていることでしょう。「ウィ・ラ・モラ」、そう、この本は「誰もがみなともに旅をする」舞台そのものです。手に取り、読んで、感じた人それぞれが「見えない糸」でつながり、ともに旅し始めるような気がします。そうして本当の意味で、読む人それぞれのスピリチュアルな深い部分に触れていく心の名著です。