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紙の本
ルポ労働と戦争 この国のいまと未来 (岩波新書 新赤版)
著者 島本 慈子 (著)
現在、日本国内の労働はどのように戦争と関わっているか。それは九条改憲によってどう変わるのか。在日米軍基地、自衛隊、兵器産業、公務員、大学、農業…さまざまな「仕事」の現場か...
ルポ労働と戦争 この国のいまと未来 (岩波新書 新赤版)
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商品説明
現在、日本国内の労働はどのように戦争と関わっているか。それは九条改憲によってどう変わるのか。在日米軍基地、自衛隊、兵器産業、公務員、大学、農業…さまざまな「仕事」の現場から「戦争」を問うノンフィクション。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
島本 慈子
- 略歴
- 〈島本慈子〉1951年大阪市生まれ。京都府立大学文学部卒業。『月刊奈良』『読売ライフ』編集部を経てフリーに。ジャーナリスト。著書に「住宅喪失」「戦争で死ぬ、ということ」など。
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紙の本
生活の質、仕事の質
2009/06/08 23:28
10人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
副題は、――この国の今と未来。帯には、日米同盟、九条改憲・・・それは他人事?いえそれは、あなたの仕事の問題です。
「日本は憲法第九条で軍隊を否定しながら、自衛隊という軍事力を持っている。この現実のねじれは、「専守防衛」というキーワードで正当化される。・・・九条が消えれば専守防衛というキーワードも消え、「外国で兵器を使うこともありえる」ということだ。・・・さらに兵器がハイテク化された現在、民需と軍需の境界線はますます溶け出しているという事情もある。・・・九条改憲とは、どこか遠いところの話ではない。それは「私たちの仕事・私たちの暮らし」の問題なのだ。」
一九六六年、米軍基地に就職した人は「私は、砲弾・弾薬の荷役作業をしておりました。しかしこの、私たちが運んでいる砲弾でですね、弾薬で、ベトナムの人が殺される、殺戮されていく。それがもう、どうしようもない気持ちに襲われて・・・」と語る。それは、「私は人を殺したくない」「なのに生きるため、戦争を支える仕事をしなければならない」という基地労働者の苦悩が痛切に伝わってくる発言だった。」
「キティホークの即応体制の維持ができたのは、横須賀基地従業員の尽力のたまものである」と米軍司令官に褒められる、現在の労働者には、仕事が「細分化」しているてためもあってか、
「そんなねえ、『殺戮』だとか、『殺す』だとか言われたら、もう皆さん、びっくりしちゃってねえ」、「特段、我々が戦争に加担しているというイメージで就職をしたり、仕事をしている方はいない」、「労働条件は違うけどね、民間企業と同じですよ」
という感覚になってしまっている。
「・・・やはり、「在日米軍基地は戦争に加担している」と言わざるをえない。基地がなければ戦争はできず、修理や補給、休息の提供といった「後方支援」がなければ戦争は遂行できないのだから。特にいま米軍が志願制へ移行しているなかで、米軍は多くの新兵を集めるために「軍隊生活の質」を重視しているといわれ、快適な基地ライフを演出することも「戦争遂行に欠かせない要素」なのだ。
しかし、その加担の責任を基地従業員に押し付けることは、根本的に間違っている。それは日本人全体が負うべき責任であり、みんなが「自分のこと」として考える必要がある。」
軍需ではないからと安心もできない。ソニーのビデオカメラがロケット弾の目として使われたという例もあるそうだ。「同じ半導体を、米国はピンポイント爆撃の精度を高めることに、日本は電気がまをより便利にすることに生かした」と論評した(『中日新開』一九九一年一月二二日付)そうだが、逆もまたありうるということだ。「その気になれば軍事にも使える」のだから。部品を作っていても何に使われるかは分からない。真面目な日本人。一生懸命いいものを造る。しかし、その先は?造ったものが人殺しの道具に使われていてもいいのだろうか?ウーム、この時代、生活の糧を得るだけで精一杯なのかなぁ?
「こんな時代であればこそ、日本人みなが自らの仕事の内容を見つめなおし、「自分はどういう仕事をしたいのか?」という点を十分に考える必要があるのではないか。」
単に決まりに従っているだけ、上司の言うとおりにする仕事では、「おにぎりを食べたい」と言って亡くなられた人の気持ちが果たして理解できるのか?人間らしい、人間のための仕事にはなりえないのではなかろうか?困ったものだ。「生活の質」「働き方の質」大事なんだけどなぁ。
「かつて陸軍造兵廠の忠海兵器製造所に養成工として入り、広島県大久野島の毒ガス製造工場で働いた村上初一さんは、「あのころ、自分たちは殺人兵器をつくることに不感症になってしまっていた。それは二度と繰り返してはならないことだ」と語っておられたが(拙著『戦争で死ぬ、ということ』第七章)、私たちはもう一度“不感症”に戻る道を選択するのだろうか」。・・・すでになっているような・・・
戦争が民営化されていく。兵器の修理を民間会社の社員が担うことになる。「インド洋周辺に派遣されている自衛隊艦艇や航空機を修理するため、防衛庁が「石川島播磨重工業」(本社・東京)など複数の防衛関連業者に対し、技術者の現地派遣を要請した」こともあった。「かつての国家総動員法(一九三八年制定)とはがらりと趣を変えて、しかし、それに劣らぬくらい広範囲の民間人が軍事にからめとられていく。そういう、「軍」と「民」のバリアが溶けだした新しい状況に、いま私たちは直面している。」
「「武器輸出の規制媛和」と歩調を合わせて、「軍事秘密の規制強化」が実行されていく。」火災や事故があっても、消防車も救急車も「待った」をかけられてしまう。そこで働く人たちの命よりも、「軍事機密」が優先されてしまう。ほらね、「国民を守るため」の軍隊なんて、実際にはありえないのだよ。
一番怖いのが、無人戦闘機。ゲーム感覚で人殺しができてしまう。ラスベガスにある基地で、画面上でプレデター戦闘機を操るのなら、住民が巻き添えにされても、心に痛みを感じることもなく、帰宅して家族と夕飯を一緒に楽しめる。はぁ~、人間らしさよ、どこへ行っちゃたの?・・・「これは、技術上・戦略上は進歩であっても、人間性にとっては悪夢である。また、こういうやり方で殺される側の怒りと恨みは、現在よりもっと根の深いものとなるだろう。いかにテクノロジーを駆使しても、人間の怒りと恨みを止めることはできない。」
ある自衛官の話し。「知り合いに福祉関係の仕事をしている人がいるんですが、その人は約二〇〇〇万円の予算をとるのに大変苦労をしたそうです。そのときに僕がつい『自衛隊の戦闘機一機は約一〇〇億円くらいする』と言ってしまったんですが、その人は黙ってしまった。
そして、横にいた奥さんがぽつんと『もったいないねえ』と言いました」。
奥さんの言葉、まったく共感します。税金の無駄使い。軍備なんかきりがないんだから、その分福祉なり、国民の幸福に直結するものに廻せばいいのだ。自衛隊は災害救助隊に変身すればいいのだ。
あとがきにあったテニアン島のプレートの言葉「原子爆弾を積み込んだ空軍機は「ミッション(mission)を果たすために離陸した」と。ミッション(mission)=任務・使命。」
わたしの仕事の使命は「みんなの笑顔」。あなたのは?そして日本という国の使命は、武力を使わずに平和を構築すること。