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商品説明
30年の時を越え、やっと神様に会える!西アフリカ・セネガルへの魂の旅。友だちと出会うこと、自分の居場所を見つけること、言葉の本当の意味をさがすこと、大切なことを考え続けた長篇紀行。【「BOOK」データベースの商品解説】
30年の時を越え、やっと神様に会える! 友だちと出会うこと、自分の居場所を見つけること、言葉の本当の意味をさがすこと。大切なことを考え続けた西アフリカ・セネガルへの魂の旅。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
絲山 秋子
- 略歴
- 〈絲山秋子〉1966年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞、「袋小路の男」で川端康成文学賞、「沖で待つ」で芥川賞を受賞。
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紙の本
気になるセネ飯
2010/01/12 22:02
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トマト館 - この投稿者のレビュー一覧を見る
絲山 秋子がセネガルに二ヶ月間滞在する話。
旅行でもなく、住むのでもない、滞在する話。
エッセイとも紀行文とも私小説とも言いがたい。
私は紀行文は苦手です。
たくさんの言葉を使って
ただ外国はすごい、と言っているだけのような気がして、
興味のない国の土産話をえんえん
聞かされているような錯覚があったからです。
どことなく置いてけぼりというか。
地理に弱いせいかもしれませんが。
しかし、今回はとても楽しく読めました。
本当に正直な本です。
担当編集者の失態を嘆いたり、
他の人の外交のありかたに疑問をもったり、
そういうマイナスのことも書いてあります。
そして、憧れの打楽器奏者を目の当たりにしたところ。
感動するだけの存在になった瞬間が、
読み応えありました。
そして、セネ飯がとってもおいしそう!
土地のゴハンを食べないことには、
その土地にはなじめないのだとおもいました。
紙の本
旅して、食して、恋して
2009/11/17 12:21
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
この紀行文を書くためにセネガルに滞在した絲山秋子。
セネガルは、「あまり幸せな小学生ではなかった」頃、
ドゥドゥというミュージシャンの音楽に触れ、
彼に神さまのような力を感じ、強い存在としてインプットされ、
その祖国への想いとして積もり積もっていたようです。
フランス語は学生時代に短期留学しただけ。
その言葉が2カ月の滞在のなかで、
少しずつ記憶のなかから掘り起こされ、
また少しずつ学んでいきます。
セネガルに馴染むように、言葉にも馴染みます。
しかし子供のような言葉から出発する彼女は
周りの人の手助けを借りていきます。
コーディネーターの女性、大使館の医務官、ボディガード。
少しずつ馴染みながらも、人を使うことのめんどくささ、
日本人社会の狭さ(日本人の心の狭さだからシンドイ)、
知らずに体にたまる疲れにヘトヘトになっていきます。
セネガルの人の柔らかさや優しさを描きながらも、
やはり異邦人は異邦人としての限界があることも
それをジョークにして笑える強さがいい。
エッセイのなかに挟まれる、群馬に残した
彼氏ムッシュ・コンブロネへのメールもいい。
エッセイでは書ききれないものを
別の角度から書くのに、いい手法です。
反対にメールでは書きにくいことも、エッセイで読めます。
やっぱり絲山秋子ってサービス精神旺盛。
紙の本
シーナさんだけじゃないんですね、有吉佐和子もあまり日本人が行かないようなところに旅している。で、地方にこもっているのかと思っていた絲山も実に大胆な旅をというか滞在をします。やっぱり女性は強い・・・
2009/05/01 18:35
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
絲山秋子の存在を知ったのは大森望・豊崎由美『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版2004)を読んだ時でした。私は純文学よりはエンタメを人生の友に選んでしまったせいか、芥川賞と聞くだけで一歩引くところがあります。偶々、自分が読んでいた作品が芥川賞を獲ってしまい「なぜ、他の賞じゃない?」なんて思うことはあっても、芥川賞を獲ったから読む、というのは私の流儀ではありません。
でも、大森・豊崎によれば、角田光代もですが絲山秋子も、必ずしも芥川賞だけで候補になっていたわけではないといいます。直木賞候補になることもある。ともかくジャンルがどうとかではなく、上手いといいます。小説が面白いというのです。それって、まさに私が求める作品であり作家なんです。以来、出れば読む、ということを続けていますが期待が裏切られたことはありません。
でも、今度ばかりは・・・。いえ、中身は面白かったです。祖父江慎+コズフィッシュのブックデザインも悪くはないし、小山泰介のフォトグラフも及第点。では何が問題だったか。でへ、これって小説じゃなかったんですね。エッセイ、っていうか紀行文。でもね『北緯14度』でしょ、『沖で待つ』なんていうタイトルの小説を読んでいるんで、てっきり小説だと思ったんです、わたし・・・
まず扉の紙がいいです。薄い裏が透けそうな紙なんですが、全体は白いっていうかうすっらクリームがかっていて、そこにリーウーファン描く抽象画のような模様。で、小さなものもあって、もしかするとこれって本来色のついた紙全体に白をかけて、そこを抜いているんじゃないか、模様の色は本当は紙の地色じゃないか、なんて思うんです。ミルキィ・イソベの本を読んだ私は・・・
で、この扉の裏を見れば、鮮やかとまではいいませんがアダルトな感じの小豆色。これって扉では模様の色なんです。そしてその薄くて柔らかな紙が、はじめにと目次にも使われているんですが、はじめにではあえて色は使わない。「はじめに」の色だけ扉の裏の色。で、目次になると活字は黒ですが紙にうっすら色がのっている。なんだか和菓子の柔らかさを感じさせます。
しかもカバーと本自体のデザインが違っていて、カバー越しに向こうが少し透けている。いえ、カバーも面白いです。カバーにある模様は「北緯14度」という文字と、扉とおなじ模様っていうか抽象画っていうか、それが使われているんですが、その文字のかすれさせ方っていうのが絶妙なわけで、いやはやこの技をミルキィ・イソベで解説して欲しい・・・
で、このエッセイとも旅行記とも小説ともつかない不思議な文章が書かれる契機となったのが、はじめに、に書かれる絲山の過去の体験です。
30年前、9歳のとき、私はテレビでドゥドゥ・ンジャエ・ローズのライヴを偶然目にしました。打楽器だけで構成されたオーケストラの、心を高揚させるリズムの反復と、一人だけ白い服を着て演奏者たちの中心で「指揮者」として舞うドゥドゥの姿から伝わってくるメッセージはすばらしく、衝撃的でした。この人は神様ではないか、或は神様と強く結ばれている人なのではないか、と私は思いました。ローリングストーンズを初めてテレビで見たときよりもずっと強いものを受け取った気持ちでした。
そのあと、高校時代、大学時代と二度、来日公演を見ましたが、日本のホールでコンサートだけを見るだけでなく、ドゥドゥの音楽の背景を見たい、と思うようになりました。どんな太陽の下で、どんな空気の中で太鼓の音が響いているのか。私にとってセネガルというのはドゥドゥでした。30年も思い続けた、神のような人の故郷でした。
きっかけそれだけでした。
そうか、絲山の音楽好きのルーツはここか、なんて思ったりして。三つ子の魂百まで、ついに著者は「書き下しの紀行文のためにセネガルに二ヶ月間も行く」ことになります。旅のはじめの相手は。50歳になる編集者のムッシュ・イシザカです。このオッサン、実にヒドイ人間ナンですが、ここまで書いちゃっていい?っていうくらい絲山はコキ下ろします。ま、それだけの男ではあるんですが。
で、この何も出来ない、でも誰かが何とかしてくれるさ、主義自分人間は絲山を目的地に届けると、さっさと私用に走って帰国の途につきます。で、ここから著者の本当のカタール暮らしが始ります。彼女を日本で見守る?のは恋人のムッシュ・コンプロネ、ムッシュ・イシザカには鋭い筆も、コンプロネになるとなんというか大船に乗ったというか、大らかなものになります。
で、この紀行でアキコのガーディアンとなる青年がソレイマンです。ただし、読んでいる限り、若いっていう感じは全くしなくって、どっちかというと40代のオッサン風です。私の読解力不足か、絲山の表現力不足か、それともソレイマン本人の問題かはおいておいて、ともかく後半、ボロが出てしまう、でも結構真面目にやっている男です。
そういう意味では、若者らしいのは運転手の若者・ウスマンです。ともかくアキコと結婚することを夢見ちゃう、そういう若者なんですが、彼の思い込みの激しさはやはり若さでしょう。ソレイマンがオッサンだとすると、ウスマンはガキ、そんな感じがしてしまうのは私だけでしょうか。
途中、あまり登場しなくなりますがラストで一気に存在感を見せるのがトッカリです。ダカールに住んでコーディネーターをしている「アザラシ」によく似たお姉さんで、絲山の筆にかかれば肌の色もなにも消えてひたすら沖縄あたりに住む健康なオバサンふうになってしまうのが難ですが、なかなか好ましい存在です。
それにしても、絲山をカタールに行かせることになったドゥドゥ・ンジャエ・ローズの家にアッサリと伺って話を聞く、そしてその場で演奏が始る、なんていうのは無論取材という名目があるからなんでしょうが、凄いとは思います。しかも、ドゥドゥの記憶のよさといったら、よく日本のことも覚えているもんだな、と。
たまたまテレビを見ていたらパリ・ダカールラリーの放送をしていて、家族で見ていたんですが、絲山はここに居たんだ、やっぱり国内旅行なんかとは全く違うな、それにしても女性は強いな、なんて思ったりしました。特に食事。絲山は向こうのものを喜んで食べるんですが、結構頻繁に下痢をします。でも、それで懲りるかといえば、再び挑む。その姿が健気というか、逞しい。
そして彼の地になじみ、最後は涙、涙のお別れです。この適応力、まさに過剰適応というのがあたっています。それにしても、なぜ写真があまり載っていないんでしょう。文章もいいのですが、例えばパリ・ダカのテレビ放送でああ、カタールってこういうところなんだ、って他のメディアで知ってもらうより、この本に数葉の写真があるほうが正しい気がするんですが。