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商品説明
おのれの美学だけで天下人・秀吉と対峙した男・千利休の鮮烈なる恋、そして死。【「BOOK」データベースの商品解説】
【直木賞(140(2008下半期))】わしが額ずくのは、美しいものだけだ…。おのれの美学だけで天下人・秀吉と対峙した男・千利休の鮮烈なる恋、そして死を描く。『歴史街道』連載を加筆修正し単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
飛び抜けた美的センスを持ち、刀の抜き身のごとき鋭さを感じさせる若者が恋に落ちた。堺の魚屋の息子・千与四郎――。後に茶の湯を大成した男・千利休である。女のものと思われる緑釉の香合を肌身離さず持つ利休は、おのれの美学だけで時の権力者・秀吉に対峙し、気に入られ、天下一の茶頭に昇り詰めていく。利休は一茶人にとどまらず、秀吉の参謀としてその力を如何なく発揮。秀吉の天下取りを強力に後押しした。しかし、その鋭さゆえに、やがて対立。秀吉に嫌われ、切腹を命ぜられる。▼本書は、利休好みの水指を見て、そのふくよかさに驚き、侘び茶人という一般的解釈に疑問を感じた著者が、利休の研ぎ澄まされた感性、色艶のある世界を生み出した背景に何があったのかに迫った長編歴史小説である。▼著者の山本兼一氏は、直木賞候補になること2回。いま最も勢いのある時代小説作家。気骨ある男を描いて定評がある山本氏の新境地。ぜひご一読いただきたい。【商品解説】
収録作品一覧
死を賜る | 7−23 | |
---|---|---|
おごりをきわめ | 24−40 | |
知るも知らぬも | 41−57 |
著者紹介
山本 兼一
- 略歴
- 〈山本兼一〉1956年京都市生まれ。同志社大学卒業。「弾正の鷹」で小説NON創刊150号記念短編時代小説賞佳作、「火天の城」で松本清張賞を受賞。ほかの著書に「千両花嫁」など。
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紙の本
秀吉に死を賜った利休。
2008/12/13 11:26
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:龍. - この投稿者のレビュー一覧を見る
秀吉に死を賜った利休。
物語は、その切腹の直前から始まります。
「美」に対して、どこまでも貪欲だった利休。それに対して、物事のすべてに貪欲だった秀吉。対照的でもある二人には、内側に秘めた燃えるような思いという共通点がありました。
利休の「美」に対する探究心の源は?
それが本書のメインテーマです。
物語は切腹直前から始まり、秀吉との交流、周りの人たちとのかかわりをそれぞれの観点から少しずつ時代をさかのぼって描いていきます。
さかのぼった先は、利休が19際のころ出会った、美しい高麗の女性。この女性との悲恋が、利休の美への探究の原点となっているのです。
本書の中で、驚くべきは茶の湯を経験したことのない人にでも、そのわびさびなど美しさが文書から読み取れるということ。
全編400ページ超のボリュームの本にもかかわらず、すっきり読めます。読者に「美」というのもを強烈に意識させる妙があります。
歴史小説という分野からは完全にはみ出した小説です。
龍.
http://ameblo.jp/12484/
紙の本
確かに侘び寂びにつややかさは必要
2010/05/01 12:22
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
侘び寂びの茶の湯の完成――。
それが利休の一般的な評価です。
しかし、遺された所業、水指に、いわゆる「艶」を感じさせる。
そんな解釈を、時系列をさかのぼりながら
追っていきます。
すでに利休についても、秀吉についても
たくさんの書物が書かれ
本書のような断片的な物語でも、
時代背景も出来事もわかってしまうが故の大技プロットです。
利休、その妻、秀吉、家康、三成、忠興、
利休の弟子や恩師。
彼らが語る利休の姿は、茶の湯に取りつかれた数寄者であり
誰も及ばない、今でいえば名演出家、名プロデューサーでした。
しかも、ひとつひとつの章はセリフうあ
モノローグが中心です。
流れるようなやり取りと語りの中に
戦国時代の緊迫感を秘め、
しかしそこに茶の湯が果たした使命を際立たせています。
秀吉に死を賜った理由も
すでにいろいろなところで書かれていますが
本書では緑釉の香合が引き金となっています。
その香合の由来、利休の想いを探りながら
読者は利休の新鮮な若き姿を読み解くことになります。
第140回(2008年)直木賞受賞作で
同時受賞作の『悼む人』(天童荒太)の話題に隠れてしまいましたが
本作は傑作です。
紙の本
利休の死、そして、美意識の本質に迫る意欲作!!!
2009/01/17 00:49
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JC - この投稿者のレビュー一覧を見る
『利休の死』については、これまで多くの作品で取り上げられ、
さまざまな解釈が示された結果
芸術家と権力者との対立という基本構造は、周知のものになったものの
反面、何を書いても新鮮さには欠けてしまう―という状況にあります。
本作では、そうした難しい題材に
利休が生涯愛用した香炉と、想い続けた女性を登場させることで
新たな息吹を吹き込むと同時に
朝鮮半島に由来する-とされる利休の美意識の根源に迫る意欲作です。
連作短編集という構成をとっているので、
ある程度の予備知識がある方であれば、
途中の章から読むのもよいかと。
特に『へうげもの』を読んでいる方であれば
古田織部の視座から語られる『ひょうげもの也』は、とても読みはじめやすいと思います。
紙の本
利休にたずねよ
2020/12/21 22:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雨読 - この投稿者のレビュー一覧を見る
山本兼一氏の代表作である。時間をさかのぼる形で書き上げています。
何故利休は死ななければならなかったのか死より大切なものを残したのか考えさせられました。
紙の本
美しい女性は道具なのか。
2009/08/01 08:34
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
利休にたずねよ 山本兼一 PHP
前半から後半近くまで、この本は、自分には合わないと感じながら読み続けました。「美を極める。」「芸術作品の高度な位置での完成を目指す。」わたしは、40代の頃は、そういったことに憧れ(あこがれ)をもっていました。50歳になった今、そんな意識は消えました。そこまでやらなくてもとか、ほどほどでいいじゃないとか、余った時間を自分のためではなくて、家族のために使ったほうがしあわせだと考え方が変わったのです。最後まで読み通せたのは、文字数が少なかったことが要因です。されど、ラストシーンには感動しました。千利休氏は、ひとつのことを極めた。極めるために犠牲があった。だから自ら命を絶つことにためらいはなかった。
今年の5月に利休氏の生誕地である堺市へ行きました。そのときの地形とか風景を思い出しながらこの本を読みました。本にはいろいろな人が出てきますが、登場人物は秀吉と利休のふたりに絞られます。まるで、ちいさな男の子、こどものけんかです。わたしは、利休さんの几帳面さは苦手ですし、秀吉さんのいいかげんさも好きになれません。500年ぐらい前のことであり、真実は誰にもわかりません。その点で、この本は創作になっています。
京都から大阪への移動は船で川を下るということに目からうろこが落ちる思いでした。実際にその土地で暮らしたことがないわたしにとっては、初耳であり納得しました。文章にリズム感がありますが、表記は古典的であり、茶道の専門用語とか道具の類(たぐい)の単語の意味が、わたしには、理解できません。その点で、読み手としてわたしはふさわしくなかった。
記述は少しずつ過去にさかのぼるという手法で、小編が続いています。わたしにとっては、もどかしい表現方法であり、その点においてもわたしの好みに合いませんでした。物語の到達点である目標は、秀吉の命令とはいえ、なにゆえ利休は自ら切腹を選択したのか、さらに、秀吉に嘆願すれば、切腹は避けられたのに頭を下げることができなかったのかを解く推理小説の意味合いもあります。
本だけを読むと19歳の利休さんは、女性の美貌だけに惹かれています。外見だけという理由では、説得力に欠けます。それとも美しいもの=道具(人であっても)ということで、気にいったと解釈すれば、彼の性格としてつじつまが合います。
最後に、海辺にある苫屋(とまや、漁師の休憩所)が、狭い茶室の原点になったと解釈しました。
紙の本
戦国時代の人物像がくっきりと浮かび上がってくる手腕は見事
2009/05/15 20:42
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
お茶の大家である千利休さんが秀吉さんに殺されるまでの顛末を、利休の運命的な恋をふとい縦軸に据え、信長、秀吉、家康、堺の茶人衆など多彩な同時代人を横軸に置きながら、巧みなプロットと華麗な文体で鮮やかに描きました。
特に主人公を取り巻く茶人山上宗二、古渓宗陳、万代屋宗安、長次郎、黒田官兵衛、今井宗久などの人物像がくっきりと浮かび上がってくる手腕は見事で、著者の努力と研鑽のあとがうかがえます。
そうして異国の運命の女との間を結ぶ一本の赤い紐がこの偉大な茶匠の芸術を生涯にわたって支え続けたのか、とあやうく思いこみそうになるほどです。
しかしよく考えてみると、そんな馬鹿な話はありません。戦国大名三好長慶の求めに応じて茶人の武野紹鴎が高麗の李氏ゆかりの美女を誘拐するというのです。これは日本帝国全盛の第2次大戦中ならば日常茶飯事でしたが、安土桃山時代では歴史的にみてもほとんどあり得ません。
その拉致し来った絶世の美女に横恋慕した若き日の利休が、彼女を盗み出し、追い詰められてわが手に掛けてしまい、それが生涯のトラウマになって……なぞというあほらしいプロットは、大胆な推理というよりは、ほとんど奇想天外な与太話の類でしょう。
それをともかく最後まで読ませる著者の旺盛な筆力には脱帽のほかはありません。さすがは本年の直木賞を受賞しただけのことはあります。
驚くべきことには、筆者はこの小説の叙述の時間的な順序を転倒し、あえて利休切腹の当日から遠い過去に向かってさかのぼるかたちで語っていきます。この斬新かつ意欲的な試みを評価するのにけっしてやぶさかではありませんが、これはあまりにも奇をてらいすぎた形式ではなかったでしょうか。
前に進行するはずの物語は推力を失い、たえず中空にぶら下がって停滞するためにせっかくの読書の醍醐味が半減です。またタイトルも意味不明のみょうちきりんなもので、全然よくありません。堂々とノーマルスタイルで勝負してほしかったと思います。
紙の本
高麗の女人が美しくなければ、利休はどうしたかということが頭から離れない
2009/03/16 21:47
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
千利休は秀吉によって切腹を命じられ、今まさに自決のときを迎えようとしていた。
利休は肌身離さぬ緑釉の香合を持っていた。それは利休若かりし頃の想い人の形見であったから…。
物語は利休切腹の日から時間を逆のぼり、彼が十九のときに女人としでかした出奔騒動へと帰っていきます。
その時間遡行の途上で著者は凛とした日本語によって利休の類いまれなる美意識を紡いでいきます。茶の湯の器のひとつひとつ、手前の所作、二人の妻との閨(ねや)の情景にいたるまで、読者は数々の美しさに触れていくことになります。
しかし、物語の核心である高麗の女人に若き利休が想いを寄せ始める場面には、私は胃の腑に落ちるものを感じませんでした。
利休は言葉も通じぬ外国人女性を一目見て、ずいぶん高貴な生まれにちがいない、そう思わせるだけの気高さ、優美さがそなわっているとして、恋に落ちるのです。
確かに人が恋に落ちる理由やきっかけは様々です。利休がこうした形で恋に落ちるわけがないとはいえません。
ですが、どうもこのときの利休の様子を見るに、人を愛することと茶器を愛でることとを利休が同次元でとらえているような気がして心が寄り添いません。人を愛すること、人の命を愛するということは、そういうことではないと思うのです。
十九の利休がこうした出来事を恋と理解したのもその若さゆえのことかもしれません。
ですがそれならば、その若気の至りを生涯反芻し続けて齢(よわい)を重ねた末に、その想いをもうひとつ上の段階へと昇華させることはできなかったのでしょうか。特に、器という命のないものと、人という命あるものを愛することの違いに彼は目を向けるべきだったのではないでしょうか。
この小説の利休は何か大切なことに気づき損ねている、私にはどうしてもそう思われて仕方ないのです。