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- カテゴリ:小学生
- 発売日:2008/11/01
- 出版社: 三修社
- サイズ:18cm/113p
- 利用対象:小学生
- ISBN:978-4-384-05514-6
紙の本
小さい“つ”が消えた日
著者 ステファノ・フォン・ロー (文),トルステン・クロケンブリンク (絵),小林 多恵 (日本語監修),岩田 明子 (日本語監修)
小さい“つ”はみんなの笑い者。「自分は必要ない…」と家出をしたから、さあ大変。五十音村にすむ言葉の妖精たちの物語。【「BOOK」データベースの商品解説】【新風舎出版賞大賞...
小さい“つ”が消えた日
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商品説明
小さい“つ”はみんなの笑い者。「自分は必要ない…」と家出をしたから、さあ大変。五十音村にすむ言葉の妖精たちの物語。【「BOOK」データベースの商品解説】
【新風舎出版賞大賞(第26回)】音のない小さい「つ」が消えてしまうと、言葉や文章の意味を変えてしまう。沈黙も言葉と同じくらい重要であることを伝える、言葉の妖精たちの物語。五十音村のなかまたち一覧付き。〔新風舎 2006年刊の改訂〕【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ステファノ・フォン・ロー
- 略歴
- 〈ステファノ・フォン・ロー〉1967年ドイツ・クローンベルク生まれ。フランクフルトの日系証券会社に勤務。日本語、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語が堪能。
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書店員レビュー
作者がドイツの方なの...
ジュンク堂書店三宮駅前店さん
作者がドイツの方なので外国の文学や翻訳もののコーナーに置かれていることが多いようですが、ちゃんと日本語を勉強されていて、この作品もご自身で和訳に挑戦してらっしゃいます。登場するのは五十音村のなかまたちだし、舞台も現代のニッポン。翻訳ものが苦手な方もすんなり読めるはず。
このお話を、ことばとか文字とかに関する教育的なお話だと捉えてしまうと、おもしろみは半減する気がします。まず巻末の五十音村のなかまたちの一覧を見て、キャラクターのイメージをふくらませてから読んでみてください(このイラストがまた愛嬌があってステキなんです)。「いるいるこんなやつ」とか「わかる~」とか思わず言っちゃうような、人間味(?)あふれるキャラたちの言動がいっぱい。
楽しく読んだあとに、教育的な反省をするのもまた良いかもしれません。
三宮駅前店 文芸書担当
紙の本
言葉への並々ならぬ好奇心が生み出した物語
2009/03/07 22:49
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、第26回新風舎出版賞大賞の受賞作で、2006年11月に新風舎から出版された作品の改訂版です。
図書館では、改定版が貸出中で、私は新風舎版を読んでこれを書いています。絵は同じ人が描いていますが、見たところ表紙の絵が異なるようです。
また、改訂版は、「五十音村のなかまたち一覧付き。」です。
この物語は、印刷所のおじいさんが子どもである著者に話してくれたという設定なのですが、この導入部分が、語り手のおじいさん、そして、著者の関心と世界観をあらわしているのです。
「文字にも、人間や動物と同様に魂があるんだ。実は、世の中にあるものすべてに魂が宿っている。文字も言葉もその例外ではない。魂があるから、それぞれの文字には性格もあって、いいやつもいれば、意地の悪いやつもいるし、強みもあれば、弱点もある。」
それから、いろいろな文字達のキャラクターが紹介されていきます。『あ』は自慢好きのおじさんで、『は』『ほ』『ひ』『へ』『ふ』は笑うことがみんな好き・・・といった具合に。
文字の世界には子どもたちもいます。
双子の"てん"ちゃんと"てん"くん。誰も区別がつかないらしいのです。
"まる"ちゃんはぷくぷくでおっとりしています。
そして、この物語の主人公、小さい"つ"はとてもかわいい男の子。
ユーモアがあって観察力に優れていて、いつもまわりの人やもの、そして周囲で起きていることに気を配り、相手の立場でものを考えています。
でも、彼はまわりの人が話していることはわかるけど、自分では一言も話せないのです。
ある夏の夜の宴会で、ひょんなことからどの文字が一番えらいかでけんかになってしまいます。
そのとき誰かが言ってしまったのです。
「誰が一番えらいかはわからないけど、誰が一番えらくないかは知っているぞ。それは小さい"つ"さ。だって、彼は音を出さないからな。そんなの文字でもなんでもないさ」。
みんなに笑われ悲しくなった小さい"つ"は置き手紙を置いて家出をしてしまいました。
彼が村から姿を消した次の日からすべての印刷物や会話から小さい"つ"が消えてしまいました。
みんなは彼を探しますが・・・。
小さい"つ"がなくなって大きく意味が変わるものとして、登場したのは、こんな例でした。
「どうしましょうか? 訴えますか? それとも訴えませんか? あなたからOKがあれば、訴えますよ」
「どうしましょうか? 歌えますか? それとも歌えませんか? あなたカラオケがあれば、歌えますよ」
なかなか、ひねりがきいています。
それにしても、著者は、言葉への並々ならぬ関心と好奇心を持った人です。あとがきで、意味が変わってしまう言葉を見つけることに苦労したことにふれ、本が完成した今でもこの箇所には納得していないので、読者に例があったら教えて欲しいとお願いするくらいなのです。
それがそのまま『"つ"抜きことばであそぼうキャンペーン』につながったのでしょう。
いつも使っている日本語なのに、考えるとなかなか難しいものですね。
ひとつだけ思いついたのは、小さい"つ"はリズムを表現するときのタメを表す文字として欠かせないということです。
弱拍のあとの強拍が入る前の少しの間。これがなくなってしまったら、音たちはどんどん突っ込んでいき、リズムは崩壊することでしょう。
著者は、この作品を通して「沈黙の素晴らしさ」を伝えたかったと述べています。
人の話を静かに聞き、必要なところでそっとみんなを支える人のことに気づき、大切にしたいものですね。