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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2008.10
  • 出版社: 右文書院
  • サイズ:19cm/482p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-8421-0718-9
  • 国内送料無料
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紙の本

本の狩人 読書年代記

著者 山口 昌男 (著)

本と共に時を重ね、本を友として世界を旅した文化人類学者・山口昌男。無類の本好きとして知られる彼の若き無名時代の書評から円熟期の読書論まで、単行本未収録の本に関する文章を年...

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本の狩人 読書年代記

税込 4,180 38pt

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商品説明

本と共に時を重ね、本を友として世界を旅した文化人類学者・山口昌男。無類の本好きとして知られる彼の若き無名時代の書評から円熟期の読書論まで、単行本未収録の本に関する文章を年代順に集成。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

山口 昌男

略歴
〈山口昌男〉1931年北海道生まれ。文化人類学者。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長などのほか、海外教授歴も多い。「「敗者」の精神史」で第23回大佛次郎賞受賞。著書多数。

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評価内訳

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紙の本

本という扉をひらいて、その背後にひろがる〈無限〉の世界を幻視してきたひとりの思想家による愉楽のクリティカル・レビュー集

2008/12/15 20:19

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:淺野卓夫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 アフリカ人類学者、道化論の思想家、そして稀代の読書家として知られる山口昌男による書評集。単行本未収録の書評・文庫本解説・エッセイをあつめたもの、という本としてはオリジナルな構成がなによりもうれしい。タイトルは「本の狩人」。本という扉をひらいて、その背後にひろがる知の〈無限〉の世界を幻視してきたひとりの思想家による、およそ40年にわたる振り幅の大きい歩行と渉猟の記録がぎっしりつまっている。本文426頁、そして編集者の渾身の作である巻末の索引・山口昌男著作目録・関連書誌一覧が56頁の充実ぶり。だが、装丁が白地のカバーをかぶせた軽やかな並製ペーパーバック風ということもあって、外見も中身もけっして重々しい本ではない。カバーと表紙にはマルクス兄弟、なかには『ナンセンスの本』のエドワード・リアの絵をはじめとする遊び心あふれる図があちこちにさしはさまれていて、この本、なんとも可愛らしい。
 取り上げられる本の種類は、民族誌、マンガ、評伝、文化史、芸術、イコノロジー、音楽、風俗史、民俗芸能、前衛文学、古典、地方史、建築、山岳、批評となんでもござれ。対象となる場は、アフリカ、東欧、フランス、ロシア、英国、インド、オランダ、中世あるいは明治大正の日本と縦横無尽。本の内容がどんなジャンル、どんな歴史・地域性に属するものであれ、ひとたび書物が隠しもつ愉しき知につながれば思考が高速回転し始める著者のスピーディで快楽的な語り口につられて、一気に読み終えてしまった。ああ、ほんとうに楽しかった!
 ちなみに本書の副題は、「読書年代記」。書評行為を通じた、ひとりの思想家の知的自叙伝としても読むことができる。文章は年代順に並んでいて、各年代のはじめには、そのころの山口昌男の年齢や肩書き、主要な社会的出来事などが附記されている。各書評を巻末の著作目録と照らし合わせたりしながら、特定の時代背景のなかでそれぞれの代表的な著作が書かれる前後に、著者がどこに知のアンテナを受けていたかを探るという、そんなふうにして本書を楽しむこともできそうだ。もちろんそれだけではなく、この本自体を、山口昌男という、20世紀後半において類い稀な〈知的暴飲暴食〉を敢行した頭脳の現在を映し出す、ひとつの書棚の風景と見立てて、そこから気の向くまま面白そうな本を手にとるようにあちこちの頁から書評をつまみぐいすることも、じゅうぶん可能だ。
 著者が論壇に登場する以前の、まだ大学院生だったころに寄稿していた書評も収録されている。それを読むと、山口昌男が無名時代に早々とかれ独特の〈クリティカル・レビュー〉の方法論を確立していたことを知って、舌をまいた。山口流のクリティカル・レビューというのは、本の内容を批評的に吟味しつつその限界と可能性を正確に抽出するとともに、註釈や図版など書物の周縁的な情報、タイトルや訳語の選択などにもこだわることで、〈世界としての書物〉をトータルにうけとめようとするやり方だ。悪口や罵詈雑言も、多い。書評と言っても著者と出版社と評者のなれあいによる凡庸な宣伝紹介ばかりが多い日本の論壇書評にあって、敵を作ることも辞さないこのクリティカル・レビューという挑発の方法は、きわめてオリジナルなものだ。
 批評という軸がぶれないからこそ、特定の本や著者に関して悪口をいっているときでも、陰気なイヤミにはぜんぜん聞こえない。しかもそれが、書評というスタイルを思想の営みに昇華させた『本の神話学』(中公文庫)という大作をもつ著者による、人類史的な広がりと深みをもつ知と本の世界への愛から発せられた言葉だと思えば、なおさらである。どこを読んでも、後味はすっきりしている。そして著者は、いつも訳知り顔の書斎の読書人に徹しているわけではない。世界としての書物のあり方を夢みるかれのまざなしは、時として国家言語や文字文化の支配や強制に抗する——つまり、いわゆる「本の世界」から遠く離れたインドの部族やアイヌの口承世界にもそそがれて、とても貴重だ。
 ともかく本書を読んでいると、山口昌男のクリティカル・レビューの手つきには、よい意味でまったく成長がないということもわかる。それぐらい、本について語るときのかれの愛と思想と方法論は終始一貫していて、40年という時間をあっというまに駆け抜けた、ということなのだろう。

 思想的自叙伝としての本書について、あえてひとつ指摘するとすれば、1985年前後で、山口昌男の本をめぐる語り口、あるいはかれにとっての本のイメージに多少の変化がみられる、ということはあるかもしれない。85年あたりまでは、先ほども言ったように、本の叙述のみならず本の形態的な要素をめぐる微視的な読解を通じて、一冊の書物が内部にかかえる無限の可能性をみようとする求心的な読みの傾向が強い。それに対して、1985年以降は、図書館や古書店など本を取り囲む外部の場のイメージに言及することが多くなり、無数の書物のならぶひろびろとした空間に、一冊の書物を位置づけるような大らかな書評が多くなる。著者が『本の神話学』で論じているアルゼンチンの幻視の作家にして書物論の思想家、J・L・ボルヘスにならっていえば、山口にとっての本のメタファーが「砂の本」から「バベルの図書館」に移行した、ということだろうか。ちなみに、「砂の本」というのは、砂のようにさらさらと崩れる無尽蔵のページをもつ一冊の本をめぐる話で、「バベルの図書館」はその名の通り、すべての言語で書かれたすべての本を収めた終わりのない空間を舞台にした話。
 ボルヘスと言えば、グルグルどこまで行っても終わりのない迷宮世界を好んで作品の主題にした作家。それに掛けていえば、日本民俗学とアフリカ史の分野に関する大学院時代の書評群からはじまり、紆余曲折をへて最後は、少年時代に出会った石田英一郎『一寸法師』とアフリカ民族学者レオ・フロベニウスをめぐる回顧録でおわる本書の円環的・循環的な構造が、じつに心憎いではないか。最後のエッセイのタイトルは、「読書論のサイクル」。アフリカ人類学にはじまり、アフリカ人類学で終わる本の旅——と決まればかっこいいのだが、「『こちらの気配を察して本が呼ぶのです……』とさしずめ女性であればドン・ファンの口調であるが、相手が本であるからホン・ファン」などと言って、ぼくのような生真面目な山口ファンをズッコケさせる知の道化師・山口昌男の貪欲な本の旅は、螺旋状のサイクルを描くようにして、ふたたびあらたな〈はじまり〉の地点に立ち返ったということなのだろう。そう、本の世界をめぐる山口昌男の旅に、終わりはない。
 
 最後に、「本の狩人」というタイトルがやっぱりいい。これを書いていて、著者がむかし、「本当に出したい本の題名は『本の狩人』というにつきる」と告白していたことを、ぼくは思い出した。編集者は、著者が「本当に出したい本の題名」で本をつくりあげた。知の迷宮としての無限の世界にみせられて本を愛し、また本に愛されたものたちの、無私の愉楽と愛にあふれた共同作業がここにある。幸福な読後感に、今ぼくはつつまれている。

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