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商品説明
小説、戯曲、エッセー、ラジオドラマ、日記のほか、小説作品の異稿等も収めた全集。1は、「ノンシヤラン道中記」「つめる」「名犬」「黄金遁走曲」「義勇花白蘭野」「金狼」など全14篇の小説を収録。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
ノンシヤラン道中記 | 7−91 | |
---|---|---|
つめる | 92−95 | |
名犬 | 96−98 |
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紙の本
幸福なバーチャルツアーへのチケット
2009/01/26 05:53
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:仙人掌きのこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「久生十蘭」と聞いて、身構えてしまう人は多いのではないだろうか。私もその一人だ。
私の世代にとって十蘭といえば、三一書房版の全集であり、澁澤龍彦や中井英夫など一流の好事家たちが愛した稀代の作家というイメージが強い。したがって、その書評なんておこがましいとは思うが、三一書房版あるいはその他の書籍では味わえない「特別な魅力」をお伝えしたく、恥をしのんで書かせていただく。
「特別な魅力」とは何か。それはパンフレットに明記されているし、月報で中野美代子氏も指摘している。
『小説は編年体の編集を採用。作品の発表順に収録し、久生十蘭の軌跡がたどれるように構成』されている事だ。
なんだ、それだけの事か……と思われるかもしれない。だが、実際に順を追って読んでみるとこれが想像以上に面白いのだ。
十蘭のデビュー作は「ノンシヤラン道中記」、ギャンブル好きの片鱗がうかがえるのは「黒皮の手帳」、彼が異常にこだわって改稿を重ねた短編は「湖畔」、長編の代表作のひとつが「魔都」。こうした断片的な知識は持ち合わせていても、これらの作品が一九三四~八年というわずか四年の間に書かれた事を意識してひとつながりに読んでみると、まるで違った景色がみえてくる。
短編と長編が溶け合い作り出すより大きな流れは、すなわち十蘭の作家人生の歩みそのものであり、それをなぞる事は、いわば十蘭の脳内バーチャルツアーとも言うべき贅沢極まる愉しみなのだ! もしかしたら、その道程には「小説の魔術師」「多面体作家」と呼ばれたこの作家の謎を解く鍵が落ちているかもしれない……。
更に、最近併せて読んだ久生十蘭『魔都』『十字街』解読によって、もうひとつの視点を教えてもらった。(この本は「ノンポリで芸術至上主義者」という十蘭の仮面の下のもうひとつの顔を暴こうという、スリリングな刺激に満ちた意欲作だ。一読をおすすめする)
海野氏は、十蘭のデビューから「魔都」までの(つまり本書に収められた)作品群が書かれたのが、「日本が戦争に向かい表現の自由が奪われていく不自由な時代」だった事を指摘する。当然といえば当然だが、十蘭もまたそういう時代を生きたひとりの人間なのだ。圧倒的な衒学と徹底した韜晦によって時代を超越した作家、という見方に支配されていたので、まさに目から鱗が落ちる思いだった。
編年体による編集は、十蘭の創作の軌跡を鮮やかに甦らせるだけではなく、十蘭の作品によってその時代を振り返る事も可能にするのだ。読む側の心構えひとつで、まだまだ様々な愉しみ方がみつかるような気がする。
最初に「十蘭と聞くと身構えてしまう」と書いた。しかし、これは十蘭作品の敷居が高いという意味ではない。たしかに十蘭の文章は職人的なこだわりによって磨きぬかれている。どこから仕入れてきたのかと思うような専門知識が散りばめられている。イコール偏屈で難解、なのではない。基本は極上のエンターティメントであり、すべては読者の愉しみのために捧げられている。
十蘭の作品のなかで「娯楽性」と「芸術性」は対立しない。なぜなら、それぞれに対するのは「下品」と「劣悪」だからだ。十蘭の作品は、芸術的で娯楽に満ちている。ならば読む事をためらう理由は何もない。
かつて「えらばれた少数の幸福な読者のためにある作家」などと呼ばれた十蘭。実は「この作家を知った少数の読者だけが幸福」だったのではないだろうか。ひとりでも多くの方が、この幸福なバーチャルツアーへのチケットを手にされる事を願っている。
紙の本
フライングと言われるのを承知で、全部読んでいないのに書評を書こうっていうのですから、我ながら図図しい。でも、再読、再再読だから気にならない。そう、何度でも読み返しができる作家です。ただし、お話はどれもやるせない終わり方をするものばかり・・・
2009/08/04 20:20
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
久生十蘭は、私がもっとも大切にする作家の一人です。今回の全集に先立つ三一書房版の全集、コレクション・ジュラネスク、他の未刊行作品の復刊、旺文社の文庫など見つければ、お財布の許す限り入手に努めてきました。今回の全集については、さらに未刊行だった作品も多く収録されるというので、あわてて出版社の豪華案内を送っていただくなどしました。
でも、買えなかった。何せ、値段が高い。高い、とはいっても刊行ペースがゆっくりしているので、毎月にならせば三千円程度を用意すれば、入手が可能です。無論、造本は立派です。柳川貴代の装幀は文句なし。箱もしっかりしています。でも、三一書房版が持つ先人としての地位には適わないかもしれません。勿論、コレクション・ジュラネスクの洒落た装いには及ばない。
でも魅力は感じます。出版日に造本を書店に確認に行きました。中身を確認して、何度も迷いました。ある意味、今でも迷っている、といってもいい。私のように異本を何種類か持っている人は別にして、初めて十蘭に触れる人には、あえて言っておきます、お買いなさい、決して損はしません、それどころか一生の宝になりますよ、と。
とまあ、エラソーに言ったものの、恥ずかしながら私が手にしたのは県立図書館の本です。時間の関係もあって、全部を読んだわけではありません。読んだのは「金狼」「妖術」「お酒に釣られて崖を登る話」「花束町壱番地」のわずか4篇、ボリューム的にも全体の三分の一にも及びません。
ま、「ノンシヤラン道中記」「黄金遁走曲」「黒い手帳」「湖畔」「魔都」については過去に何度か読んでいるので、語れないわけではありませんが、記憶力が曖昧になっている今となっては、いい加減に触れることはやめて、四篇で全体を語ってしまおうというわけです。
と言った先からなんですが、本の最後、解題の最後に4つの図版が載っています。各々に「魔都」の14章、17章、22章、25章の冒頭、と記入がありますが、本文の各章にはそういった図版がそこに付随すべきものという※マークがついていません。これはなんでしょう? 本文中に入れてもおかしくない図版ですから、指定の章の頭においても支障はなかったし、そうでなければ注をつけてもよかったのではないでしょうか。原典にそれがなくても、定本であれば許されるのでは、そんな気がします。
で、印象ですが「金狼」、「妖術」ともに何とも後味が悪いお話です。といっても、十蘭の筆のせいでは全くありません。むしろ彼の筆は、話の悲惨・陰惨さにもかかわらず澄み切り、クールすぎるほどです。しかし、そこに描かれるのは悪の勝利です。
「金狼」では乾です。彼はあることないこと周囲に毒を撒き散らし他人を陥れて恥じることはありません。「妖術」にも似た存在が登場して、主人公に思いもつかない結末を迎えさせます。しかも、その根底にあるのは邪恋、女に寄せる男の邪な思いです。
実は、十蘭の殆どの作品がそういった特徴を持っています。例外ともいえるのが、この巻では「ノンシヤラン道中記」「黄金遁走曲」ですし、他刊に収められている本格色の強いミステリ「顎十郎捕物帖」ではないでしょうか。他は、まさに人間の持つ悪の面がこれでもかと描かれます。
ちなみに私は今、より手頃な岩波文庫で出たばかりの『久生十蘭短篇選』で他の作品を読み直していますが、「無月物語」の非道さ、無道さなどは言語道断と言いたくなるようなものです。昔の話ですが、私の薦めで久生の作品を読んだ友人が「なぜこのような悲惨な話を文学にしなければならないのだ、ここには夢も希望もないではないか」と絶叫したことを思い出します。
人間を描く、というのはまさにこういうことなのでしょう。文学とはなにか、を問いかける作家です。最後は目次。
*ノンシヤラン道中記
八人の小悪魔―大西洋孤島の巻
会乗り乳母車―仏蘭西縦断の巻
謝肉祭の支那服―地中海避寒地の巻
南風吹かば―モンテ・カルロの巻
タラノ音頭―コルシカ島の巻
乱視の奈翁―アルル牛角力の巻
アルプスの潜水夫―モン・ブラン登山の巻
燕尾服の自殺―ブウルゴオニュの葡萄祭の巻
つめる
名犬
*黄金遁走曲
義勇花白蘭野
*金狼
天国地獄両面鏡
黒い手帳
湖畔
*魔都
*妖術
お酒に釣られて崖を登る話
戦場から来た男
花束町壱番地
解題 江口雄輔