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商品説明
すべての民にとって不満のない世などありえない。しかし、民を死に追いやる政事のどこに正義があるというのか。寛永十四年陰暦七月、二十年にも及ぶ藩政の理不尽に耐え続けた島原の民衆は、最後の矜持を守るため破滅への道をたどり始めた。【「BOOK」データベースの商品解説】
【大佛次郎賞(第35回)】「民を死に追いやる政事のどこに正義があるというのか」 寛永14年陰暦7月、20年にも及ぶ藩政の理不尽に耐え続けた島原の民衆は、最後の矜持を守るため破滅への道をたどり始めた…。長編歴史小説。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
飯嶋 和一
- 略歴
- 〈飯嶋和一〉1952年山形県生まれ。88年「汝ふたたび故郷へ帰れず」で文藝賞受賞。著書に「雷電本紀」「神無き月十番目の夜」「始祖鳥記」など。
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怒涛の迫力で描く島原の乱。歴史小説の新刊をいくつも読んでいるのだが、ここ数年で最も手ごたえを感じることになった作品だ。おそらく後世にまでその名を残す歴史小説の代表作といえるのではないか。
2008/09/26 00:18
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
島原の乱といえば天草四郎であり、キリシタン信仰であり、禁教令に反抗した宗教一揆と、その程度の知識でしかなかった。島原の乱とはなんだったのか、著者はその根源にさかのぼる。確立の途上にある幕藩体制。その新たな秩序にどうしても耐え切れない地方の生活者。両者の基本的対立の構図が見えてくる。また蜂起から全滅にいたる攻防の4ヶ月はどのように戦われたのか。反乱というより軍事行動に近いのだが結局は暴走。その壮絶な合戦の全貌が詳細に描かれる。そしてこの事件にかかわる主要人物たちのそれぞれの生き様に胸を激しく突き上げられる、人間ドラマがある。ラスト近くには涙がこらえきれなくなっていた。
幕府は諸藩が独自に経済力をつけることをおそれていた。
キリシタン大名にはもともと布教支援方針をおおやけにすることでイスパニアやポルトガルと親交を深め、独自に外国交易を行い、自国の富の蓄積をすすめていく戦略があった。そして禁教令はこの戦略を阻止することを主眼にしていた。民間人の信仰を弾圧することではなかったにもかかわらず遊蕩三昧の日々を送る島原藩主・松倉氏は過酷な年貢に対する農民の減免要求などことごとくをキリスト教信仰による抵抗とすり替え、さらなる弾圧と収奪を正当化していった。
そしてこの乱をおこした島原、天草の領民たちの特異な成り立ちに目を向ける。
島原領民の上層部はキリシタン大名・有馬晴信に仕えた武士階級(発祥は土豪)である。有馬家移封後にもこの地に残り帰農した人たちで、有力者は庄屋層を形成している。一般の農民ももともと晴信治世に海外自由交易で経済的繁栄を担ってきた人々であった。しかし幕府は大名の布教活動を禁止するとともに海外交易を認めなかったため、かつての自由な海洋民は代わって野良仕事、やせた農地に縛り付けられ、いま、松倉藩の苛斂誅求に命をすりへらしている。ここにも国替えという徳川幕府の大名統制システムに端を発する領民の悲劇があった。
加えて島原の庄屋たち・村人たちが生命線をこえる過酷な年貢負担に20年も耐えることができた心のうちには表向き棄教したキリストの教え(最後まで耐え忍ぶものは救われる)が脈々いき続けていた。
ここにながながしく島原の乱の背景を書きとめたのは、史実への尽きない興味からだけではない。この歳になると体制打倒のエネルギーが結集した当時への懐古もあるにはある。が、この作品が著者の綿密な調査と腰の据わった史観の成果として破綻なく整然とした骨格で構想されていることに凄さを感じたからである。さすが4年ぶりの時間をかけて練りに練った力作、この間の著者のエネルギーがここに迸った結晶を見る思いだった。
しかし、このように整理して島原の乱とは幕藩体制に対する命がけの告発であったとするのは冷静に過ぎる分析的姿勢ではないだろうか。(これは登場人物の一人・末次平左衛門が主として語るところ) 読んでいて実はそんなことよりは乱のきっかけから殲滅されるまで、蜂起軍(農民の一揆なんてものじゃぁない。勇将、智将に率いられた軍隊である)による森岳城(島原城)包囲、富岡城攻略、そして原城籠城戦の攻防とそれぞれがいかに戦われたかを極めて詳細にリアルにそして怒涛の迫力で描いた合戦記なのだ、その興奮に夢中になってしまうと言うのがほんとのところだった。
過酷な年貢、飢饉、そして流行り病。このままでは全村絶滅であるのに大人たちはただ松倉の圧政におもねるばかり、死への恐怖からの反動、どうせ死ぬならと19歳の少年(寿安)が代官所の米蔵を襲うことを考えた。
このほんの小さい事件がきっかけだったのかと驚いた。
そしてかつての有馬藩にこの人ありと勇猛を誇った歴戦の士(鬼塚監物)、いまは有家村の庄屋・甚右衛門がこの若者の決死の行動に触発され堪忍袋の緒が切れる。どうにか生きていける暮らしがあればいいと耐え忍んできた甚右衛門がこの決意にいたる心情が切ない。彼は最後まで蜂起の主導者なのだが
「森岳城をおとし暗愚松倉勝家と佞臣どもの手から各村を解放する」
のであって、それから先のことは読めないままに暴動の先頭に立った。徳川幕府と真っ向から対立することなど毛頭なかったのだ。しかし怒りと憎しみの感情とキリシタンとしての死を恐れぬ精神が凝結した群集のエネルギーは行き場を知らぬ土石流となって暴走を始める。天草では益田四郎(天草四郎)が神の王国をつくろうと絶叫、富岡城攻略の火の手が上がる。方向を持たない激流が予想もつかない紆余曲折にあって、老幼男女2万7千人は旧領主有馬氏の原城にたてこもる。要衝とはいえ石垣だけの廃城に過ぎない。幕府は板倉重昌、松平信綱を上使とし、九州全域の諸藩に備後福山までが参戦し、総勢十二万。にもかかわらず攻め手側は惨敗が続く。とにかくこの激戦を詳細に追うリアリズムの迫力に圧倒された。
人としてふさわしい死に方を求めた甚右衛門がいい。宗教的熱狂に死ぬ益田四郎だって捨てがたいキャラクターだった。そしてこの事件の発端からすべてを読みきっていた長崎の大政商・末次平左衛門(前作『黄金旅風』の主人公)だが、その人に限って著者が与えた近代経済人を象徴する冷静がまた絶妙の味わいである。
そして追っ手を銃撃し動乱のきっかけを作った寿安がいた。彼は自分が扇動した蜂起勢が略奪、殺人の暴徒と化す狂気を目の当たりにし離脱する。そして医者の道を歩み始める。人殺しの贖罪として人の命を救うことを決意する。だがラスト近く、長崎で医療に専心する彼がかつての仲間たちの皆殺しを知ったとき………。そして………。
また幼い命が奪われる事件が連続した。そして世界のいたるところで命が軽々しくもてあそばれている。著者は静かに憤る。流れ星にたとえたその素朴なメッセージはあまりにも物悲しく美しいだけにラストは涙なしに読み終えることができない。