投稿元:
レビューを見る
ことし発売の3冊のうち、中に入りました。
あぁ、ローマ帝国ももう終わりと思うと寂しいな。
しかしもう1800年くらい前に滅びてしまっているんだよね。
悲しいなぁ。
どうしても変えられない過去というものに哀愁を感じる今日この頃。
変えられるなら変えてみたい。
投稿元:
レビューを見る
人気も実力のうちだが、その実力だけでは占める地位は正当化されない。地位の正当化には、実力に加えて正当性が求められる。(p.25)
簡潔は良い。素直も悪くない。しかし、簡潔であり、素直でありながら、品格ももたせることは、充分に可能なのである。品格がプラスされると、同じ一行でも聞く人は重みを感じるようになる。それが、聞く人を心から納得させる力になるのだ。(p.28)
帝国は、覇権下にある地方の人々の生命と資産の安全を保障してこそ帝国なのである。(p.65)
一種の直接民主制だが、直接民主制度には、扇動者に左右されやすいという欠点があった。(p.78)
それ以前は、たとえ悪帝と断罪された人の死後に帝位を継いだ皇帝でも、先帝の行った政策で良策と判断したものは、継続しただけでなくさらにそれを発展させるようなことまで、迷うことなく行ってきたのだった。基本的な政策の継続は、これによって保証されたのである。皇帝の治世が長かったことだけで、継続性が保証されたのではない。継続することがエネルギーの浪費を防ぐ方法の一つであることを、自覚し認識していたからであった。(p.82)
哲学や芸術面ではギリシア人に及ばず、体力では肉食民族のガリアやゲルマンの民族に劣り、技術でさえもエトルリア民族の教えを受けることで、あれほどのインフラストラクチャーの完備を可能にした技術立国になり、経済の才能でもカルタゴやユダヤの人々にはるかに及ばなかったのがラテン民族だったが、そのローマ人がこれらの諸民族を傘下に収める大帝国を築きあげ、しかも長期にわたってその維持に成功してきた真因は、実にこの、持てる力の合理的で徹底した活用への執着、にあったのだった。(p.83)
継続は力なり、はやはり真理なのだ。(p.84)
平和は最上の価値だが、それに慣れすぎると平和を失うことになりかねないという「パクス・ロマーナ」の逆説的な現象が、現れはじめたのは海上だけではなかった。(p.129)
人間とは、混乱の時代はとくに、いわゆる「貴種」に救いを見出したくなるものなのである。(p.133)
宗教は純粋な信仰のみでは組織としては成り立たない。教会は、宗教を旗印にかかげていようと組織であることでは変わりはない。そして、組織として機能していくためには、馬車でもあるかのように、純粋な信仰と冷徹な組織力という二つの車輪が不可欠であり、そしてその両輪をまわすのに必要な油も、欠くことは許されないのである。(p.145)
投稿元:
レビューを見る
http://blog.livedoor.jp/masahino123/archives/65144180.html
投稿元:
レビューを見る
ローマの混乱は続く。1年に5人もの皇帝が現れては消える年もある。生きたまま敵の虜囚となる皇帝も出る。次から次へと起こる難題へ場当たりな対応しかできなくなっていく。徐々にローマ帝国が壊れていく過程を描く。
投稿元:
レビューを見る
軍人皇帝の時代です。
西はゲルマン東はササン朝ペルシアと外患が凄まじい中、皇帝が短期間に次々に変わるという内憂にも見舞われてます。
なにか不満があると直ぐに皇帝が暗殺されている様子を読むと、兵士がパクス・ロマーナの時代より切れやすくなっている印象を受けます。
キリスト教も弾圧される存在としてですが、帝国に影響を与える存在として台頭してきています。
投稿元:
レビューを見る
よく世界史の教科書で出てくる狡賢いササン朝ペルシアのシャープール?世を祭り上げた巻。
どーなんだろーねー、一国の長として、ずるがしこくても結果のために手段を選ばないことって、歴史に名を残したあとに評価されたときには倫理的には疑問かもしれないが、当時統治されている国民からしてみれば過程より結果を気にするんだろうなー。
とりあえず凋落がひど過ぎる…読んでて相当へこみますね。
投稿元:
レビューを見る
マクシミヌス・トラクス帝からガリアヌス帝の治世まで。
流石に危機の世紀というだけあって、皇帝の交代劇が激しく混乱した。徳川15代将軍すらも記憶していない癖に、歴代ローマ皇帝ならば空で言えそうな勢いだったが、この巻で出てきた軍人皇帝たちは少し厳しいかも(笑)
印象的だったのは、1年に5人の皇帝が在位した紀元238年もさることながら、やはりササン朝ペルシアのシャープール1世にヴァレリアヌス帝が捕囚された260年である。
もはや、何をやってもうまくいかないような終末的雰囲気が色濃い。
投稿元:
レビューを見る
淡々と歴史を語っていながら、時々心配するほど現場へ踏み込んでしまう著者。私もローマが混迷している時代へ放り混まれてしまう。
政治の安定がいかに大切か、現代と比べてしまう。
投稿元:
レビューを見る
「3世紀の危機」と言われる西暦211年から284年までの73年間に22名もの皇帝が入れ替わったローマの混乱を描く。
投稿元:
レビューを見る
11/5/2
危機の三世紀中盤。増大する西方の蛮族と東方のササン朝ペルシアを前に、打開する事が出来ずジタバタする帝国。頻発する内乱、不満を持つ元老院や軍団兵によって次々と変えられる皇帝。共同体としてのシステムの処理容量を超えて、どんどん崩壊していく。
平和な時代より激動の時代は読むのが面白い。
投稿元:
レビューを見る
物語(歴史)の始まりはマクシミヌス・トラクスからだった。彼の生い立ち、そして皇帝としての生涯は良くできた映画のシナリオのようでもある。という面白みのある皇帝はマクシミアヌスだけで、それ以後は皮肉にもマクシミアヌスが血を引いていた大量のゴート族の進入と、それに対応するだけで過ぎていく時間と帝国の少しずつだが、決定的な崩壊のサインを読んでいく作業だった気がする。マルクスアウレリウスまでのパクスを読んでいただけに、例えばシャプール一世の侵略と略奪、ゴート族の略奪、皇帝ヴァレリアヌスの捕囚などの場面をおっていくのは、とてもつらい。それでもなお帝国が瓦解しなかったのは、人材がまだ保たれていたからではあるけれども、人材は無限に存在するわけはない。それが枯渇し始めるか、また別の要因でさらに崩壊が進むかが鍵になるのだが、その歴史の鍵を握るキリスト教が台頭してきた後半。現在の危機的な状況の日本とかぶってしまうのも悲しい気持ちがする。
投稿元:
レビューを見る
近年の日本政府も迷走し始めたローマ帝国には負けた。コロコロと
首相の首がすげ替わる日本を嘆いていたが、ローマでは僅か1年で
皇帝が5人も登場して去って行った。しかも穏やかならぬ去り方で。
軍団が自分たちの司令官を皇帝に推挙すれば、元老院はシビリアンを
帝位に据えようとする。内政の混乱は、外政へも影響を及ぼさずには
いられない。
以前のローマ帝国であれば暗殺された皇帝の始めたことでも、それが
合理的であるとなれば存続させた。しかし、次々と皇帝が倒れて行く
時代ともなると戦略面での一貫性も欠いて行くことになる。
そして、度重なる北からの蛮族の侵入に加え、アレキサンダー大王に
滅亡させられた「大ペルシアの夢をもう一度」で、ササン朝ペルシアが
ローマ帝国に戦いを挑む。
以前のローマ帝国であったのなら、講和を結ぶのは敗者とだけで
あった。それなのに、あと少しで勝てるところまで持って行きながら
勝敗もはっきりしないうちに相手と講和を結んでしまう。しかも、ローマ
が年貢金を支払うような屈辱的な講和なのだ。
余力がなくなった大国は、戦役を長引かせたくなかったのか。ローマ人が
ローマ人としてあった時代の誇り高さはどこへ消えたのか。
尚、ササン朝ペルシアとの戦役ではペルシア王の策略に引っ掛かり、
時の皇帝が生きたまま捕囚となっている。帝国始まって以来の屈辱に、
本国の元老院は「あの皇帝はいなかったこと」にしてしまった。
あぁ…こんなの、もうローマじゃないよ~~。
投稿元:
レビューを見る
皇帝が次々に現れては消えていく時代が書かれています。
それにしても皇帝っていうのはそんなに簡単に殺せるもんなのかって言うくらい簡単に殺されてしまいます。決して無能な皇帝ばかりではないのですが。
ローマ史上初めて敵の捕虜になったことで有名なヴァレリアヌスですが、どんなに無能な皇帝かと思いきや、政治家としても軍人としても有能であったとされています。高貴な家柄出身のローマ人らしく、正直すぎたのでしょうか。何とも気の毒としか言いようがありません。
投稿元:
レビューを見る
皇帝が次々と現れては消えてゆく。権力欲はいつの時代も、人間行動の普遍原理の一つのようだ。一方で優秀な人材も登場することは、登場する。ある人物が、何を為せるかは、人物個人の資質によるだけで無く、登場した時代背景による。カエサルが同時代に存在したとしても、恐らくパッとしなかったのではないか。人物が歴史を作るようで、その実、時代が人物を求め、その人物たらしめているのではないか。
投稿元:
レビューを見る
ころころと皇帝が入れ替わっていく時代。
世襲制でないからこそ、ローマ帝国がこれほど続いたのではないかと思えるが、もはや元老院という人材プールの外からも皇帝が輩出されてしまう軍人皇帝の時代は、よくもまぁそれで帝国が続いたものだと感心してしまう。
「ローマ市民」「ローマ共同体」というコンセプトが広く行き渡っていたからか。
特に印象深い一節を引用する。
「三世紀のローマ帝国は、一覧表が不可欠になるほど、数多くの皇帝たちが現れては消える。そして、皇帝の顔が変わることは、三世紀のローマ帝国では、政策もそのたびに中断されることを意味されるようになっていたのである。継続は力なり、はやはり真理なのだ。持てる力の有効な活用に利する、という一点においても。」
持てる力の合理的で徹底的な活用を図ることに力を注ぐこと、そして、継続することがエネルギーの浪費を防ぐ方法の一つであること。著者の考えるローマ人の特徴だが、確かにそうだとうなづかされる。
継続することで、それまでのストックを最大限活用することもできる。人事異動やリストラの際にも、是非とも頭の隅にとどめておきたいアイデアだと思う。