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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2008.7
- 出版社: メディアファクトリー
- サイズ:19cm/214p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-8401-2376-1
紙の本
草食系男子の恋愛学
著者 森岡 正博 (著)
単なるいい人から、大切な恋人になるには−。異性をがつがつと求める肉食系ではない、新世代の優しい男性「草食系男子」のための恋愛生き方指南。好きな一人の女性から振り向いてもら...
草食系男子の恋愛学
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商品説明
単なるいい人から、大切な恋人になるには−。異性をがつがつと求める肉食系ではない、新世代の優しい男性「草食系男子」のための恋愛生き方指南。好きな一人の女性から振り向いてもらえるようになるためのヒントを伝授する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
森岡 正博
- 略歴
- 〈森岡正博〉1958年高知県生まれ。哲学者。大阪府立大学人間社会学部教授。生命倫理、現代思想、文明論まで幅広いフィールドで研究・著述活動を行う。著書に「生命観を問いなおす」「意識通信」など。
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紙の本
おかしい。この本間違っとるよ。
2008/08/06 19:51
11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み終えてから、もう5分も経ったのに、まだ女の子から電話一本、メール一通とどかない。金返せ、と言おうにも、本書は、窮状を見かねた、とある知人から貸していただいたものである。「草食性」に見えたのだろうか。ユッケビビンバが大の好物なのだが。ふと、恐ろしいことに気づく。もう「手遅れ」ということだろうか。もう15分も待っている。何も起きない。
本書は、しかし、まだ「間に合う」若い読者には、お勧めしておきたい一冊である。
著者は生命学を専門にする哲学者である。しかし、本書において、「誰それ曰く」などと、大文字の理論に逃げず、自前の言葉でごくごく当たり前の思考・経験を語ってゆく。かといって、露悪的に自分の失敗談を羅列する自虐の誘惑からも逃れている。
淡々とていねいに、「女(の子)とつきあう」とはどういうことか、「どうすれば、女の子とつきあえるか」、そして「そう思っているあなた(=男(の子))は女(の子)からどう見えているのか」が、分析され、具体的な対案が提示されている。
いわゆる、富田隆先生の著作をはじめとする、「通俗ハウツー」本の数々も入念に参照し、取り入れるべきは取り入れるという、「高み」から見下ろす快楽からも、「低き」から声を荒げる風潮からも、きちんと距離を置いた姿勢には好感が持てる。
しかし、本書のメタ・メッセージはシンプルにして的確、残酷にして伝統的な結論である。
本書前半部で展開される、「FAQ」を踏まえた「恋愛指南」を読み終え、「でも」とモグモグ口ごもる、「草食系男子」に向かって、後半部で著者が説くのは。
「いったん、恋愛を忘れてごらん」という一言に尽きる。
大昔、『恋愛なんてやめておけ』(松田道雄氏・筑摩書房)というロングセラーが存在した。
本書では、もう少しソフトであり、むしろ「ふられることが男の」『勲章』(by嶋大輔氏)というような論旨にも読める。
ああ。もう30分が過ぎた。ブラウン管の向こうで。甲子園でチアリーダーの声援の下、球児たちが尊い汗を流している。勝っても負けても甲子園球児。非モテ、とはなんと遠い光景であろう。
繰り言になるが、一度でも、「勢い余って」、「はじけすぎ」の失敗経験がおありの諸兄には、年齢を問わず、本書をお勧めしたい。しかし、自分自身で、本家本元「草食系」と自覚しておられる方には。
そもそも。「草」が当人にとって美味しいか、どうかが問題だ。
「草」が好きで「草食系男子」を営む男子がいるのか、どうか。
百歩譲って、キウイとかマスカットとか。「果実食系」なら一つの立ち位置として、美味しくいただき、つつましく、生きていけそうだが。
隣の「肉食獣」の貪る「肉」が彼の目に美味しそうに見える時。果たして彼はその時、「草食系」なのだろうか。
「君は僕を忘れるから そうすればもうすぐ君に会いに行ける」(ユニコーン『すばらしい日々』1993年、作詞・作曲:奥田民生・編曲:ユニコーン、より)。
紙の本
恋愛指南書と言うよりは実践的なコミュニケーション論、またはその手引き書。
2009/02/17 16:52
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いちおう恋愛指南書である。マッチョな男のための、ではなく、いわゆる草食系男子や、女性とまったく付き合ったことがない男のための本、‥‥のような出で立ちではある。表紙に描かれた男子の絵もどことなく「くるり」の岸田くんのようであるし(くるりと言ったら『ばらの花』かなと)。
でも内容は恋愛指南書と言うより実践的なコミュニケーション論やその手引き書のように思える。本書が指南書として威力を発揮するのは、何も異性間コミュニケーションに限らないだろう。
話は変わるが、先日、外国人の「先生」が日本に来て驚いたことを紹介するTV番組を見た。交番の存在に驚き、ビニル傘に驚き、食料品コーナの試食に驚く先生。(そういえば、ペリーが来たころは江戸や横浜の町で誰も彼もがちり紙で鼻をかんでいるのを見て外国人は非常に驚いたんだそうである、何と衛生的なのか、と。どこの何という番組でそう言ってたのかはまったく思い出せないが。)
その先生が驚いた数多くのものの中に「書店のポップ」があった。店員さんがお勧め本にコメントしたカード等を添えて紹介しているもの。先生いわく、外国では、自分がこれから読もうとしている本を他者がどう思っているかは誰も気にしないので、ポップや帯はないそうである。
‥‥ということが伝えられたそのとき、書店の「ポップ」の実例を紹介するフィルムで流れていたのが本書であった。その書店では平積みになっており、ポップの内容も非常に好意的であるように思われた。(本書と錯角の位置には内田樹『こんな日本でよかったね』が平積みになっているのが確認できた。)
‥‥この紹介文、後半が全然紹介になっていない。読んでいると、内容が的を射すぎていて、どうも照れてしまうのだ。
紙の本
「恋愛学」と言うより、「いい人」になるための実用書ではないか、
2008/09/01 00:15
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
《だから、男性は、人間的な魅力を備えることだけを目指していればいいのである。/そしてあとのことは、すべて女性側に委ねていればよいのだ。p182》
こういうもの言いは、散々聞かされている「人間力」なのではないかと思ってしまった。それは教育の場でも言われるし、『軋む社会』の本田由紀が「ハイパーメリトクラシー」と術語する期待される労働者に要請されるスキルと横断するものがある。
それは、恋愛の場であれ、「ハイパーメリトクラシー」(人間力)がないやつは、学校、仕事、男と女の現場でも生きづらいと言うことを再確認する身も蓋もないことになってしまう。
近代型能力/ポスト近代型能力と二分法すれば、頭の中が多少スッキリするが、待てよ、学校、仕事においてはシステム、構造の問題として処方するのはそれなりに実効性があるけれど、男と女の問題に本書はいかほどの処方箋としての効力があるだろうかと悩んでしまった。
近代社会であれ、ポスト近代であれ、前近代であれ、近代人間が誕生する以前の源氏物語であれ、万葉集であれ、男と女が歌われ、描かれた。
教育や労働を分析する手法では、恋は語れない。だから、著者の言う「人間的な魅力を備える」と、巷間に言われる「人間力」とは多分違うのだと思うが、そこのところに違和感がある。
著者は、ブログやネットラジオで盛んに若者のための「恋愛・実用書」とおっしゃっている。
だけど、相手の身になって考えるなどの「人間力」は、男であれ、女であれ、本田由紀の言うハイパーメリトクラシーは、少なくとも数値化、制度化によって見えるようにしようとして、批評の対象にしているが、本書では、具体的な事例を挙げてはいるものの、結局は「自己責任」のような言説に回収されているような気がする。
恐らく「挨拶」「雑談」でさえ、スムーズにゆかない異性に対する自意識を宥めることが出来れば、何とかなるんだろうけれど、本編で、まずは「あいさつから」と言ってしまう著者の念頭にそのよう挨拶さえ出来得ない男子を第一の読者に想定したと思われる。だけど、そのような読者が本書を手に取るだろうかと心配してしまう。
むしろ『萌える男』の本田透のように最早、金や仕事、文化的リソースを背景にイケメンであろうが、なかろうが、恋愛市場が要請する「人間力」(ハイパーメリトクラシー)から脱退して、二次元キャラと脳内恋愛する断念の潔さに惹かれるのではないかと思ってしまう。
年功序列型、父権制社会にあっては、会社、家族、地域が「見合い制度」のような慣習が根付いて、そんな恋愛資本主義言説に右往左往されることはなかった。恋愛結婚なんてマイノリティで、いまでも、多分、恋愛は大海の針にようなサプライズだと思うけれど、とにかく、恋愛出来ないヤツは、非モテ系として人間じゃあないみたいな断罪がある。
そんな恋愛至上は、恋愛市場を基盤において駆動している。著者はそのような時代に対して異議申し立ての気持ちもあったと思う。
二次元ではなく、三次元でささやかにそれが恋愛という強度を持つかどうかは、問わないで、とにかく男の子が女の子と付き合うにはどうしたら最適かと、説教にならない囁き声で誠実に答えようとしている著書であることは間違いない。
ただ、それが恋愛に対して何らかの効用を発揮できるかどうかは、なんとも言えない。ただ、「いい人」になれるための啓蒙書にはなっている。
「草食系」とは、年齢、性別を問わず、リスペクトされる「いい人」になれる鍵概念でしょう。そのような「いい人」になれない人は恋愛市場で予選失格なのです。単なる「肉食系」では「いい人」になれないわけです。
《「いい人」が「恋人」になるかどうかを決めるのは女性の側なのであり、男性がそれをコントロールすることはできない。大事なのは、どんな男性であっても「恋人」として見られる可能性は常に開かれているということである。p182》
まあ、予選段階の「いい人」には努力すればなれるということでしょう。その限りにおいてそれは「自己責任」とも言える。その「いい人」になれるノウハウを具体的に書いているから実用書とも言える。
でも、恋愛実用書とは言えないでしょう。多分、恋愛は個別・具体的でマニュアル化出来得ない奇跡に属する出来事で、「恋愛至上資本主義」における恋愛が果たして恋愛といえるかどうか、眉に唾して相対化するくらいのアイロニカルな<草食系>のポジションで、それでも、わけがわかんなく、「あいつが好きになった」と叫んだ時、恋愛という異次元に人は入るのだと思う。
最早そこでは「草食系」、ベタな「肉食系」どちらも洒落臭いと哄笑せざるを得ない。
歩行と記憶
紙の本
草食系男子ではなく、恋愛を渇望する男子のために書かれた「概論」
2009/02/28 17:04
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:dimple - この投稿者のレビュー一覧を見る
森岡正博『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー、2008年)を読了した。森岡は「草食系男子」について、「新時代の優しい男性のこと。異性をがつがつと求める肉食系ではない」と定義する。
しかし、本書で語られる内容は、心の底から恋愛を望んでいるにもかかわらず、その恋愛への第一歩を踏み出せない男子へのアドバイスといってよい。
そもそも上記で定義される「草食系男子」とは、外見からも男性性を感じさせず、また実際にも恋愛やセックスに対する意識が低い男子を指すのではなかったか?とすれば、そもそもこのような草食系男子に対して恋愛指南をする必要はないともいえる。
むしろ本書は、哲学者である著者がかねてより提唱する「無痛文明」-すなわち、苦しみや辛さや孤独から逃れるためのツールに溢れた現代社会-の中で育ったがゆえに、自分が傷つくことを極端に恐れるあまりに、恋愛に消極的になっている一般男性に向けて書かれた恋愛論というべきだろう。
恋愛は、生身の人間同士がガチでぶつかるコミュニケーションである。そこには自己否定、嫉妬、焦燥などあらゆる感情が渦巻くのであり、傷つくことを怖れていては決して踏み出すことはできない。恋愛の入り口は、社会的な常識として男性が決断する場面ということもあって、かくも恋愛に不得手な男子が多いのであろう。
『女性たちは・・・(中略)・・・恋愛談義に花を咲かせ、恋愛していくときの基礎をしっかり身につける。
ところが、男性たちは、そうではない。多くの男性たちは、恋愛についての基礎的教養を持たないままに、ある日突然、恋愛の荒海に投げ込まれるのである』(22頁)
著者のこの指摘はおそらく正しい。男子も恋愛について多くを学ぶ必要があるだろう。
紙の本
たったひとりから愛されるために
2008/10/27 00:19
7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ブライアン - この投稿者のレビュー一覧を見る
非モテ系と呼ばれる、自分に自信がない若い男性に対して非常に親切な本です。あいさつする⇒雑談する⇒デートに誘う⇒心を通わせる⇒告白する といったプロセス毎に“草食系男子”が採るべき心構えを丁寧に記載しており、モテ=不特定多数の異性から好意を抱かれる ではなくたった1人の大切な人に対してどのようにアプローチするかを説いています。
ネット上の掲示板などでは、「イケメンに限る」や「スイーツ(笑)」といった表現で恋愛に参加できないルサンチマンに溢れたコメントが散見されます。つまり、恋愛は一部の勝ち組の男女によって行なわれる行為であって、見た目も悪くて学歴も低く、年収の少ない自分とは別世界の話であるという劣等感に支配された若い男性がかなり存在するのではないかと思います。
第3章の「成長したいと願い、夢を持つこと」は、そんなコンプレックスの固まりな若者たちに対して語りかけるような文体で、劣等感を成長への材料に変える方法、他人と比較する心を脱却すること、自分が一生をかけて取り組んでも後悔しない活動を見つけること、ありのままの自分を受け入れることによって生まれる余裕という魅力、、といった具体的アドバイスが並んでいます。
そういやオイラも、Blogを始めたきっかけは「他人と比較する心を脱却すること」だったなぁ、なんて振り返りながら日々の発見や気づきを積み重ねて早や8年、自分基準で世の中の矛盾を指摘するような勘違い君に成長しました。そんなオイラ独特の視点を面白がってくれる女性もたくさんいますし、これは一般的傾向かもしれませんが20代後半以降は女性の方から食事などに誘われるケースが多くなってきました。
そんな自分の経験を振り返ってみても、著者の“非モテな若者”に対するエールには100%賛同しますね。なぜなら著者も自らの暗い青春について、臆面もなくエピローグで語っているからです。こんなに誠実で、信頼できるオトナが他にいるのでしょうか?
当時の私には、将来に対する何の展望もなかった。
大学にはまったく行かなかったし、親友も恋人もいなかったし、
華やかなことは何一つなかったし、就職しようという気持ちも
まったく湧いてこなかった。留年したこともあって、
田舎にいる親との関係も悪化した。
自分には将来がまったくない、と心の底から思った夜、
私は学生住宅の屋上に駆け上がって夜空の下で逆立ちをした。
私の腕は自分の体重を支えることができず、私は屋上に
大の字になって崩れ落ちた。自分は何なのだろうと思った。
このまま人生は終わっていくのだろうかと思った。
そのときの絶望感は、とても言葉では言い表しようのないものだった。
前向きに生きようという気持ちが死に絶えて、もうこのまま
どうなってもいいんじゃないかとしか思わなかった。
灰色の時間が、ただ過ぎてゆくだけだった。
どーせ非モテの自分には関係ない、リア充が自己満足で書いているんだろ、とか思ってしまいがちな自己欺瞞ボーイに是非読んでもらいたい良書です。