紙の本
幸福と苦みのエピソードがふんだんに詰まったリーダブルな小説、読めばもたらされる興奮と歓び――そういったものを保証しながら、作家が目指したのは「音楽」「時間」に挑戦するという実験ではなかったか。その成果を提示できるのは、読者一人ひとりより他にない。
2008/09/23 22:06
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「時間の概念や人種問題ほか、いろいろな要素が詰め込まれて」「さまざまに響き合って」――それが音楽を大切なモチーフにして描かれている小説なのだから、「交響曲のように」「フルオーケストラのように」表現されているのだ……と本の説明を書いていこうとして、「違う!」と強く押し留めるものがあった。
『われらか歌う時』という1050ページを超える誠に大きな作品が私に残したのは、どこか遠い時の彼方から聞こえてくる男性歌手の、もしかするとそれは女性のものであろうかとも思える、高く澄んだ歌声なのであった。歌声というよりは、雲のない黎明の光がそのまま再現されたような「音」である。
おそらく小説の中心人物である混血のジョナの声だ。文字だけで表現されていたジョナの声なのだから、私がそれを聞いたはずなどないのだが、それでいて、何度となくそれを聞いたのも確かである。
ほんの数秒の間、声の響きに陶然とする。陶然としながら、「いったい私はどこへ還りたかったのだろう」と考えている。すると、声の波長はゆるゆると私の体を巻き取り、きゅっと絞めたかと思うと、一気に天の高みへと運んで行く。その高みは、神々の住まう天上よりもさらに高い所にあるようなのだ。そして、声の発する源がその場所なのである。
カバー袖の写真で初めて知った作者リチャード・パワーズの、不思議な眼をした顔を見つめながら、ジョナにではなく、パワーズに私は語りたくなる。「あなたが読み手に認識させたかったのは、この一筋の音、そして、この声が響きながら再び還って行く源なのか……」と。
多様な素材、複数の主題を響かせながら、パワーズが一心に奏でようとしたのは、素材や主題のすべてを覆い、それらすべてを超えたところにある万能の音のようなものなのかもしれない。万能とは、どの時空へも到達できるということである。確信を持って言う自信はないのだが、そういう気がした。
なぜなら、「われら」という言葉で表される家族も同胞も、「歌」で表される行為も音楽も、「時」で表される流れ行くものも時代も、どれもこれもがユニバーサルなものである、少なくともこの地球上においては……。「われら(という言い方)」「歌」「時」は、それぞれのうちに限界や境界を有しながらも、限界や境界を設けようという人間の営みをすり抜けて、線や堺を消すことができる可能性そのものと言える。
ここまで、表現が心象や抽象に寄り過ぎたことを反省する。しかしながら、芸術から受ける印象やひらめきは、日常の事物に置き換えて表わし得るものだとは限らないだろう。
もしかすると、パワーズが一番こだわったのもそこだ。
音楽は、ほんの数音で構成されたメロディーだけで、人の心をとろかすような感覚を運んでくる。それが人の美声で奏でられたものならば、なおさらに響く。この大作を創造したパワーズの原動力は、そのような力を持つ音楽への嫉妬だったのではないかと思える。
デビュー作『舞踏会へ向かう三人の農夫』から、百科全書的な知識と情報処理能力で、どちらかというとヨーロッパ的な香りをさせながらアメリカ現代文学に確かな軌跡を残してきたパワーズだけれども(かくいう私めはこのデビュー作しか読んでいないけれども)、彼がここでひたすらに念じるように奏でようとした音は「希望」、すなわち「福音gospel」ではなかったかと取れる。
未だ誰もが聞いたことのない「福音」の音色を、言葉の技で聞かせてやろうという大胆な野心が確かに伝わってくる。
膨大な執筆時間をかけ、読む者にも膨大な読書時間を付き合わさせ、ほんの一瞬の鈴の音のような「福音」の響きを感得させることを企図したのだとするならば、再三再四、父親のデイヴィッドが論考していた時間の概念も可能になるような気がする。一瞬の光や音に匹敵するような長大な時間の消尽こそ、私たち人間が「時についての常識的概念」を乗り越え、特別な世界の領域に踏み込める手段だと言えるのではないか。そこに待ち受けるのは「恍惚のエクスタシー」だ。
涙をぬぐういとまを与えないドラマティックな愛の物語を書きながら、音楽と時間に挑戦する言語芸術をパワーズは試してみたのだろう。その実験の成果を提示できるのは、読み手一人ひとりより他にない。
紙の本
差別問題とクラシック音楽
2018/06/27 02:56
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:chieeee - この投稿者のレビュー一覧を見る
最後の最後にそういう事だったのか…と。黒人である母親と父親であるユダヤ人の父親と音楽家の兄弟と、黒人差別と戦う妹の話だと思っていたので、最後にファンタジーな内容が入って来て、ん?と思ったと同時に救われたような気がした。黒人差別は日本人には知識としては知っているけど、馴染みのない話。辛い出来事ばかりの中で、くさってしまう気分になるのも当然。だけど、自分の子供がくさっていく姿を見るのは辛かっただろうな…。とにかく大量の文書量でした。
投稿元:
レビューを見る
決して読みにくくはないのだが、密度が濃いせいか、読み進めるのに一苦労。黒人に対する人種差別の問題、音楽について、“時間”についてが、ユダヤ系ドイツ人デイヴィットと黒人のディーリア夫婦、その三人の子どもたち(ジョナ、ジョゼフ、ルース)、ルースの二人の息子、そしてディーリアの両親という4世代におよぶ家族の歴史と絡み合わせて語られていく。
量子物理学の話がちんぷんかんぷんでも、音楽の素養がなくても、理不尽な差別を肌で感じたことがなくても、それでもこの物語に胸うたれるのは、家族の問題という軸があるから。異質なもの同士が夫婦になるということ、子どもをどう育てるかということ、親から子への、子から親への思いの数々・・特に、子育ての方針をめぐって絶縁状態にあったディーリアの両親の死後、本書の語り手であるジョゼフの元に届いた叔父からの手紙には、確執を抱えてもなお消しさることのできない家族への気がかり、思いが描かれていて、胸がつまる。
また、冒頭より再三ほのめかされていた、ディーリアとデイヴィットが初めて出逢った時に共有した未来のヴィジョンが何であったのかが明らかになるラスト、それと同時にルースへのデイヴィットの遺言の真の意味が明かされるシーンには涙が出た。
ディーリアが甘んじなければならなかった様々な屈辱、公民権運動の実際、殊に、エメット・ティル事件を扱った章の印象は強烈。
――The Time of Our Singing by Richard Powers
投稿元:
レビューを見る
オバマ次期大統領と、その人を今選んだアメリカという国を理解するのはとても難しいし、アメリカの現代史を丁寧に学んだところで理解には至れそうもない。リチャード・パワーズの「われらが歌う時」はそれが理解できるようになる稀有な本だ。この本、今読むべきだと思う。
オバマ氏とは違うけれど、亡命ユダヤ人の父と黒人の母を持つ、音楽に長けた兄弟を中心にした物語。才能をどこまでも延ばすことで黒人(一滴でも黒い血が混ざっていれば黒人、という考え方は今なおアメリカでは普通)であることを超えることができる、という考え方で育てられた子どもたちがやがてそれを実現し、白人も黒人もアジア人もユダヤ人もなく、人類があるだけだということに気づくという話。もちろん今のアメリカはそんなことに気づいているわけではなく、相変わらずだとは思うけれど、オバマ氏を選出できるまでには育った。
読むのはけっこう大変ですが、今までのパワーズの本に比べたらずっとわかりやすいこと請け合います。
投稿元:
レビューを見る
たとえば、小さいころ雑貨屋で母のスカートの裾を掴んでいた記憶。理由も由縁もなにも知らないのに、両親の信念を執念深くなぞっていることに気付く瞬間とか。もうどうやったって尋ねることはできないが、父には誰にも話さなかったなにかがあるのではないかとか(心当たりがあるわけではない)。曖昧だけど心のかなり底のほうにゆらゆらとどまっているもの。
小説やマンガや映画の、まずは設定があり、そこからはじまるストーリーがあり、それを最後まで知るのが「読んだ」「観た」ってことではなくて、それがどんな味かを知るのが「体験」じゃないのか、とおもう。
設定は「亡命ユダヤ人の物理学者とソプラノ歌手志望の黒人女性が野外コンサートで出会った。第二次大戦中彼らは結婚した。さて息子二人と娘に何が起こるやら」であり、「長男は天才テノールだった」も含めてもいい。そのあとアメリカで混血児たる彼らを何が襲うかといえば、執拗なディテール描写と想像力で再構築された現代史上の大事件たちなわけだ。
その情報量はもちろん驚嘆の対象ではあるけれど、すべてでもなければ中心でもない。中心にあるのは、親がどういうつもりか知らんが与えた自分の体が、薄明の向こうからよくわからんものにどつかれつづけるその不可解さだ。
ジョナが、父が、母が、何を求めていたかは結局共感をもって理解することはできなかった。いくら近しくても、時間と死の壁を隔てた向こうはぼんやりして不可解だ。そこまでは私も感じていたこと。
だけどそれを整理しながら、わかりきることはない中でできるだけ整理しながら、もう時間がきてしまうので次に渡さなきゃならない。そういう時が来るんだということは、まだ私の知らないこと。でもこれからたぶんわかることなんだろう。
ものすごく長い時間をかけて少しずつ、体験することができた。おもしろかった。
投稿元:
レビューを見る
読了するのにまるまる5ヶ月かかる。文章が濃密すぎて読み飛ばせないのだ。でも素晴らしい。ろくに音楽用語など知らないのに、音楽が聞こえてくる文章に圧倒される。『囚人のジレンマ』での家族コーラス描写が好きだったので、期待していた。それが裏切られる事はなかった。ニーナ・シモンのYouTube動画に感動した時期と重なったりと、不思議な縁を感じる。
投稿元:
レビューを見る
ナチスによるホロコーストを逃れアメリカに渡ってきた若き白人のユダヤ人理論物理学者デイヴィッドと、アメリカにあって歌唱の才能に恵まれた黒人女性ディーリアが出会い結ばれる。
二人の間には肌の色が褐色で日焼けした白人といってもいいくらいの男の子ジョナ、ジョナよりは肌が黒いジョーイ、同じように黒人に見える女の子ルースが生まれる。
ジョーイが、天才的な歌唱力を武器に歌手として世に出ていく中で、彼の白人のように見える風貌、一方でアメリカの歴史の中に刻まれる人種差別の歴史、黒人の血が一滴でも入っていれば黒人とみなすという風習、一方で父親から受け継いだ白人の血も、ユダヤ人迫害という負の歴史に溢れている。
正直、日本ではかんじられない人種差別(日本に人種差別がないわけではなく、大きな社会現象として経験できていない)とユダヤ人迫害(これもまた日本においては教科書に書かれる数行の記録としてしか感じることができない)という、アメリカの歴史に深く関わる物語であり、頻繁に書き込まれる事件や人物名、それらが何を指しているか、こちらの感じ取り方が難しい。
その上に更に古典音楽に関する知識、歌唱に関する深い表現も多く、こちらも読みこなすのに力が必要。
物語としては面白いと思うのだが、作者の筆についていくのがやっとだった。
投稿元:
レビューを見る
これだけの内容で これだけの厚さ本を読む楽しさを ぎっしり詰めた本だと思うそれでもどんなに 細かに事件について書いてあっても結局 人種差別のことなんか 実感できない映画で見ようが 本で読もうが わかんないなぁ と思う
投稿元:
レビューを見る
音楽のうねりと物語のうねりが互いに浸食しながらの壮大な物語だった。時間論が単なるうんちくでおわらなかったり、途中、時間旅行の話がでてきてSFな方向にいくのかと身構えたけれど、デイヴィッドの時間論のその先が証明される、ラストにかけての流れは圧巻。量子物理学の知識や音楽の素養がなくても、理不尽な差別を肌で感じたことがなくても、それでも胸うたれるのは家族という軸があるからかもしれない。
音楽を母国語とする者たち、バッハ。 「どの方角に望遠鏡を向けても、必ず違った波長を見つけることができる」
素晴らしかったしなんといっても文章がいいのだけど、『囚人のジレンマ』や『舞踏会〜』のときのような衝撃や脳を刺激されるかんじはなかった。
とてもよかったし、すばらしい。ただ、すばらしい=すごく好き、はまた別物なのだなと。
投稿元:
レビューを見る
人種問題、時間論、そして音楽。どれをとってもリサーチが十分にされており、かつ物語の展開にも独自のひねりが加えられています。
しかし、それだけと言ったら失礼にあたるかもしれませんが、読み手の情緒を引き出すための何かがあれば・・・。
『舞踏会へ向かう三人の農夫』のような語ることへの初期衝動を感じさせる作品ではないですが、秀作であることは確かです。
投稿元:
レビューを見る
こんなに深い壮大な物語だけど読み終わった感想としては「長かった」というのが正直なところ。面白いけど、読んでるときはこの厚さ長さはしんどかった。重かったし、カバンのなかに入れると。
投稿元:
レビューを見る
無名の歌手のサクセスストーリーは、ほんの一部。
これはアメリカの人種差別の、格差の、白人の、それ以外の有色人種の、憎しみと悲しみの繰り返される歴史の話し。
長い物語でした。
100メートル歩くのに10ページくらいかかるような、遅々として話は進まない。
音楽の用語もわからんし、黒人の多い地区の名前や言い回しもよくわからないので、上巻の3分の1はほんとにつらかった。
この本は、アメリカの人種差別の歴史の本であることを理解してから読み進められるようになった。
白人と黒人の結婚が州によっては罰せられる時代。その結婚によって生まれた子供は白人文化からも黒人文化からも受け入れられない。そして、迫害される。
黒人の母親が、肌が白く生まれた子供とデパートに行くときは、「召使い」を演じないとと子供と一緒に入れない。
子供が病気になって薬を買いに行くのに、黒人に売ってくれる薬局まで電車で遠くまでいかないと買うことができない。
怒りがふつふつと。日常にふつふつと。それは今日でも。
下巻の半分過ぎてから、読むことをやめられなくなる。
親子3世代の人種差別と歌の長い長い物語、いやドキュメンタリーは、重量級の読後感でした。