紙の本
西欧での箪笥の位置づけが気になります。
2016/01/31 00:03
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投稿者:咲耶子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
友人が「赤道を磨く女の子が出てくる」て言うのが気になって読みました。
なんて奇想天外な児童書。
コンラート少年はおじさん(薬剤師)とサーカスを引退した馬(ローラースケートで疾走する)と一緒に南洋を目指します。
南洋への道は箪笥の中!西欧では箪笥は異世界への入り口なのか!?
大人が読むと深読みし過ぎて難解になっちゃう?素直な心を持ってる内に読むべき。
そう言えば何故「三十五日」なの?
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記念すべき2005年の第1冊目。コンラート少年が、おじのリンゲルフートと麦わら帽子をかぶった黒馬とともに南洋を目指して旅するお話です。途中、なまけものの国、偉大な過去の城、さかさの国など、数多くの個性的な国々を通ります。それらの国は、ケストナーの想像の国ではあるけれど・・・ケストナーは、近い将来、世の中がどうなるかを、知っていたんじゃないかしらん。[2005.1.1]
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Der 35. Mai
これを読んだのは小学生の頃で、「スケートをはいた馬」というタイトルだったような気がする。好きなのはアパートの洋服棚から南洋の国へ旅立つところ。(そこしか覚えていない)
大人になった私は会社で嫌なことがあると「扉」を開けて、どこかへ旅立ちたい気持ちになる。
今、持っているのはドイツ語版。どうして5月35日?読まなくちゃ!
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大人になったばっかりの頃出会って、このナンセンスに瞠目した。なんておもしろいんだろうと思ったものだ。が、久しぶりに再会した本書は、風刺や批判に満ちてちょっと苦い味がするではないか。兵士の犠牲の上に立つ英雄という存在、子どもを虐待する親、実感覚から離れた機械文明、常識しか信じない大人…。
解説にもあるとおりケストナーは社会的な問題を子どもたちに隠さなかった作家で、『エーミールと探偵たち』『ふたりのロッテ』など多くの作品の主人公がひとり親家庭の育ちである。何もかも恵まれたとはいえない環境の中でまっすぐに生きる彼らは、本当に素晴らしい。しかし本書には、問題提示はあっても解決がない(身もふたもない言い方だが、ストーリー上の必然性もない)。児童書の形式を借りた告発のようだ。けれど、子どもの読み物にはやはり、人生への肯定感とか生きる力とか、そんなものがあってほしいと思うのだ。
読後感が変わってしまった…。ほろ苦いよ…。
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―「泣かないで!」コンラートはいいました。「君がおなかがすいた時でも、おかあさんは泣かなかっただろう。」―
うーん、これはすごい。
ケストナーは面白いだけではなく、大人が読んでもはっとするような気づきを与えてくれる。
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私と妹は、スケートをはいた馬に会いたくて、角砂糖を用意して家の箪笥の中に潜り込んだものだった。5月35日って、きっと今日のはずだ、と確信しながら。それから少し大きくなって「ナルニア」を読んだときも、やはり本気でドキドキしながら箪笥の扉を開けた。遥かに長じた今も衣装箪笥というと……その奥に何か? を期待してしまう。今でもスケートをはいた馬に会いたい。一緒に旅をしたい。
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子供の頃読んで大好きだったのにどうしても題名が思い出せない本があった。そこで本の中の印象に残っている部分、「ローラースケートを履いた馬」と「赤道を磨く少女」などの言葉で検索してみたら、ケストナーの「五月三十五日」だった。有名な本なのに、この題名の記憶は全く無かったのが不思議。
南洋をめざして廊下のクロゼットから旅を出発するコンラート少年とリンゲルフートおじさん、そして馬のネグロ・カバロ。この「クロゼットから出発」というのが子供だった私の空想心を刺激し、うちの洋服ダンスもどこかに繋がっていればいいのに!と切に願ったのを覚えています。
あちこちにユーモアが散りばめられたこのストーリー、子供じゃなくても夢中になると思います。
ケストナーの作品は最近「飛ぶ教室」を読んだばかり。
ナチスに抵抗し続けたというこの作家の作った物語はナチス政権下の民衆に深く愛されていたそうだ。
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5月35日のことでした。
その始まりからしてめちゃくちゃで、どっしり読むぞ!と気合をいれて読むとわけが分からなくて難解になります。
空想だらけのお話、だって馬がローラースケートはくなんて!
途中で気がついて、さらりと読んでいくと、その面白さ(ナンセンスさともいう)に入り込めました。
とにかく空想がたっくさん!赤道が道だなんて。子どもの心がないと読めない文章ですね。
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ナンセンス!
全集のなかでは、個人的にはちょっととっつきずらい一冊。
でも随所にケストナーらしさが出ていて、やっぱりいいなあと思った。
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大好きなケストナーですが、ずっと読んでいなかった作品。
とても面白かったです。
主人公のコンラート少年は、「算数がうまい」ので作文の宿題を出されるのですが、この「算数がうまい」という訳がなぜかとても好きです。
訳者のあとがきによると、原作では作文は手書きになっているようなので、いつか原文で読めたらいいなと思います。
今まであまり読んでいなかった詩や警句をもっと読んでみたいです。
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「五月三十五日のことでした。」から始まる、ナンセンスかつ荒唐無稽な物語。自由自在な想像力を生み出すケストナーの面目躍如。
南洋について作文を書かなければならないコンラート少年が、おじさんと馬と冒険の旅に出かける(タンスを通って出かけるのは、ナルニアのオマージュなのか?)。途中で訪れるいくつもの国は、シニカルなアイロニーが隠れている。おそらく、子どもが読む時と、大人が読むのでは、かなり印象が違うのではと思う。
特に、子どもを苦しめる大人たちに対して、ケストナーの怒りを感じる。現代の親たちも、今一度、子どもの気持ちに立ち返って、向き合ってみてはどうだろうか。
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「ごばんじま」はつまりチェス盤ってことで、「碁が打てる」というのは、チェスが打てるということね。
翻訳された1962年当時では、チェスって訳しても通じないだろうって思われたんだろうな。
でも、碁盤は白黒じゃないから、囲碁を知ってる子ほど混乱しただろうな。
挿絵があるから実際どうなってるのかはわかるけどさ。
空想を広げるときに、どこまでナンセンスになれるかというのは、才能である気がする。
空想の翼はよく常識に縛られてしまうから。
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何度読んでも愉快。特にペータージーリエが好きなので、ここのくだりがもっと長くてもいいのに。
電気の国あたりはとっくに実現しているあたり、ケストナーには先見の明があった。