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商品説明
伊賀一の忍び、無門は西国からさらってきた侍大将の娘、お国の尻に敷かれ、忍び働きを怠けていた。主から示された百文の小銭欲しさに二年ぶりに敵の伊賀者を殺める。そこには「天正伊賀の乱」に導く謀略が張り巡らされていた。史実に基づく壮大なドラマ、われらの時代の歴史小説。【「BOOK」データベースの商品解説】
群れず欲のみに生きる虎狼の族、伊賀忍び。主から示された小銭欲しさに、2年ぶりに敵の伊賀者を殺める。だがそこには謀略が…。伊賀忍びvs織田軍一万余の合戦、そして純愛。史実に基づく壮大な歴史エンターテインメント。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
和田 竜
- 略歴
- 〈和田竜〉1969年大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。2003年、映画脚本「忍ぶの城」で第29回城戸賞を受賞。07年、同作を小説化した「のぼうの城」で作家デビュー。
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紙の本
頭に様子を描きながら読める文章がすごい。
2008/10/26 15:21
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:いけちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔、司馬遼太郎著「梟の城」という小説を読んだときに、伊賀の里が信長に滅ぼされたという部分があったが、そのほろぼされる前の話。主人公の無門は伊賀の忍者の中でも凄腕で下人、妻のお国をすごく愛している。そんな彼の生き方とは別に、伊賀の貴族(ここではそう表現します)の十二評定衆が、伊賀脱落者をうまくだまして織田信雄に伊賀を攻めされる。その丸山合戦がなかなか痛快。その後織田軍が攻め込んでくるが、無門のとった行動でまたもや逆転といった展開である。圧巻は無門と日置大膳との戦い。読んでいながらに息が詰まる。しかし、この本の本質は、個人の欲望に生きる伊賀忍者がいくら集ってたとえ一時勝つことがあっても、最後には大事なものを失うということを描いている。相変わらず和田竜のもつ現場調査がすごくて、その土地を知らない私が、なんとなく頭に様子を描きながら読める文章がすごい。またまた伊賀の喰代の里にいってみたくなった。
紙の本
『のぼうの城』が大ブレークし、出版社から第二作を急かされたために、ついつい詰の甘い作品になってしまったというところか。
2008/09/07 23:54
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕が小学生のころは「忍び」とか「忍びの者」はいなかった。「忍術つかい」がいた。僕はこの忍術系が漫画、小説、ラジオ、映画、なんでも大好きだった。巻物を口にくわえ、印を結んで呪文を唱えると、ドロンドロン(なぜかこんな言い回しになっていた)、姿が消えあるいは蝦蟇や蛇に姿を変える。この型を子供心に植えつけた杉浦茂という漫画家はギャグ漫画の天才だったのではなかろうか。赤塚不二夫も真っ青!今でも記憶の片隅にある。まんまる顔の「少年児雷也」とか「真田十勇士」の猿飛佐助や霧隠れ才蔵がかわいらしかった。
そのころは忍術も仙術も幻術も妖術も区別なくて、これら今で言う超能力者モノはメチャメチャに面白かった。ラジオ番組に新諸国物語という長寿番組があって『笛吹き童子』とか『紅孔雀』など映画になったのを見るのも楽しかった。カバヤというキャラメルがあってその景品のカバヤ文庫、ここで手に入れた講談本にも忍術があった。講談社の少年少女向けの文学全集にあった西遊記や里見八犬伝も本がボロボロになるくらい友達同士でまわし読みをした。
高校生のころだろうか、エロティシズムに溢れた時代小説、五味康祐『柳生武芸帳』、柴田錬三郎『赤い影法師』『眠狂四郎』でも忍者が暗躍していたことは忘れられない。そして村山知義の『忍びの者』が「アカハタ日曜版」に連載され始めた。えっ石川五右衛門って忍びの者だったんだ!とこの意外性にうれしくなった。これを山本薩夫が市川雷蔵を主役に映画化し、小説よりも映画が大ヒット。時代背景、職業としての戦闘集団、厳しい掟と人間の誇りなどあらたな感覚が生んだ忍者あるいは忍びの者の登場である。忍術は科学的合理的に解説されるようになった。この延長線上になるのだろうか大学生になると白土三平の『カムイ伝』『忍者武芸帳』に夢中になった。そして忍者・忍びは今の時代劇には欠かせない脇役になっている。
一方別の流れではあるが、山田風太郎が想像を絶するエロス忍法を編み出している。この忍法帖ブームにも僕は取り込まれこのシリーズはすべて読んだ。最近では荒山徹の朝鮮忍法がヒットした。これは孫悟空と忍術使いと忍びと風太郎流が入り混じりSF的発想も加わったゲテモノになりつつある。
『忍びの国』、思い入れのある「忍び」とタイトルにあれば、それだけで手にとってみたくなった。
「『のぼうの城』の超大型新人が放つ第一級の歴史エンターテインメント」
「史実に基づく壮大なドラマ、われらの時代の歴史小説」
時代背景は織田信雄、織田信長と伊賀衆の争い「天正伊賀の乱」であり、登場人物に百地三太夫や石川五右衛門が加わるのだから村山知義『忍びの者』と比較して作品の出来不出来を検証してみたくなる。ところが比較するもしないもあまりにも軽口の現代風コミック。テンポよく流れているからなるほど「われらが時代の歴史小説」であるか。「伊賀一の忍び、無門は西国からさらってきた侍大将の娘、お国の尻に敷かれ………」稼いでこなければ同衾もできなければ家にも入れてもらえないという恐妻家で、この夫婦のからみの今日性?をドタバタ関西お笑い風にどぎつく描くのだが、あまりにも陳腐ではないか。
百地三太夫の『忍びの者』で見せた「謀略」はさすが忍者の頭、読者をアッと驚かす意外性となるほどと思わせる合理性があった。「織田家と味方を術にかけ、わが伊賀国を攻めさせよ。謀略、合戦………」とこの作品の百地三太夫もはかりごとをめぐらすのだがただの思いつき程度に過ぎないことが読者に露呈してしまう。
参考文献に書いてある「史実」から多くを引用しているといって それがとってつけたようでは、歴史小説と名のることはおこがましいのではないだろうか。
児玉清が「奇想天外さとリアリティの羽交い絞めに窒息しそう。久々に狂気、大満足」しているようだから、僕の受け止め方が間違っているのかもしれないなぁ。