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・・・白石一文が書いた本っていうよりも、白石一文の亡くなった友人の手記・・白石さんの文章最初だけ。・・どうしたもんだか。・・・って思えば、これ、そういう設定にしているだけみたいで!すっかり騙されたーってか、うちが考えなしってだけですかね!!って、これのジャンルは小説でいいのか。一応小説っぽい体裁があるようですけど、白石さんの一種のエッセイだと思うんですけど。ただ、同じようなことについて、ちょっと言い方を変えて、だらだら書きっぱなしされている印象を受け、読んでて疲れちゃいました。
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同じようなことを、ただ延々と、表現を変えて、理屈っぽく。
最後にとってつけたみたいにすくい上げて去ってゆく。説教じみてすらいる。
内容にかかわらず、この本にエネルギーと執着を感じられたので、大変興味深く最後まで読んだけど、結局、私はただ字面を読んだだけだった。
言いたいことはぎりぎり理解できる。共感できない。
寄り添って横たわってみたかった。そうやって見える景色はどんなのかな?
この世の全部が敵になるのかな?
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これはすごい!生きる意味やすべての愛をいったん否定したうえで、なおも希望をみつけようとする真摯な試みである。文学は薬にはならず、せいぜい病人のためのおもちゃにすぎない、と坂口安吾はいったが、これは、絶望に効く薬を本気をめざしている毒薬である(もちろん、ほめ言葉)
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読んでる途中に、生きることに対してやる気をなくしてしまった。人間は、生の虚しさを埋めるために恋をしたり夢を見たり、生きた証を残したりするんだろう。多分。でも、心が同調したからといって、この小説が優れているとは思えない。帯にある「現代版人間失格」これはさすがに言いすぎだ。ドストエフスキー「地下室の手記」と並べるのも無理がある。上の二つのどちらも、自己と他者とのズレという要素が入っているからこそ、名作とされているように思う。この本は「他者性」が全く無い、より純粋な「独白」なのだ。でも同時にそれは、他の小説と同じように、小説として読まれ、小説としての価値を求められる事を拒否している姿のように思う。
価値や意味を求めて小説を読むこと、それだって立派な虚しい行為なのだ。著者が敵に回したのは、小説を求める僕たち全部なのかもしれない。著者に、意味が無いと名指しにされた僕たちが気づかずに意味を求めている。そして、全てが無意味なんだと熱弁する小説に意味を感じ続ける。なんとも愉快なパロディじゃないか。
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「現代の『人間失格』」だったかな、そんな新聞の広告をみて早速予約。思ったより早く借りられた。
新書的な薄さに意外さを、太宰似の表紙の人物画に期待を抱いてページをめくる。
著者がたまたま知り合いになったとある男性の手記という形で死生観が語られる。
あれ、物語じゃないのかという肩透かしもあり、
頁数は多くないのだけれど一気読みとはいかなかった。
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既成の価値観をひっくり返すような問題提起作。共感する部分と受けつけない部分があったが、わたしには世の中に対する希望を逆説的に書いたものと思えた。
友人の遺した書き物という形を取っている。タイトルは「この世の全部を敵に回す」覚悟ではいるという作者の意思表示なのだろう。
薄い本だが読みにくかった。
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借本。
著者の本はこれが初めて。
小説かと思ったら、かなり哲学。
どんどん落として、最後にすくい上げるのが好きです。
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「死」への思想が鬱々と書かれている手記。
***
死ぬことを恐れる私にとっての希望とは何か?それは簡単である。「不死」だ。
ひとたび不死となった私たちににとっての希望とは何か?それも簡単である。「死」だ。
***
という自己矛盾を抱えているというのは納得した。
前半の方は鬱々としていて読んでてきつい。
最後の15ページくらいの内容をもう少し膨らませた方がいい。
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まあ・・そうでしょうが・・・このタイトルの付け方は信じられない〜妻も子もいるが別に愛してはいない。人の一生は衣とのようなもので生と死が結ばれ,振動しているだけだ。「私」という存在は仮のもので,魂は流転しているが,5千年も経ったら,「私」の記憶は薄れるだろう。真実の哀れみを蘇らせられたら,貧困や暴力・戦争・迫害・狂信などの仕込まれた憎むべきプログラムを無力化できる〜新幹線の中で知り合いになった商社に勤めていたK***氏が遺した手記を基にって本当かい?
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非常に興味深い。じつに興味深い。とは思いつつもそこを上手く言語化できないでいる。てかメンドくさい。
5年に一回読むのも悪くない本だ。
アイロニック。
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興味深かった部分>>
人間と癌細胞は、
生まれる意味も生きる意味も無く存在し、
生みの親である地球の生命存続のシステムから一人離脱して、
そのシステムをいいように破壊し、無秩序に繁殖しているという点で
似た者同士である。
人生とは、生と死の間に張られた一本の糸の振動のようなもの。
長い短い、振動の大きさは別として
等しく全ての人が、死に向かって突き進んでいる。
もし不死の世界がある日訪れたとすれば、
我々を日々拘束している物質的な欲望からは解放され、
恐らく犯罪も無くなり、精神世界も一変するだろう。
(繁殖する必要がなくなる時、恋愛感情や子供への愛情は起こりうるのだろうか?)
だがそれと同時に、個人が個人であり続ける必要もなくなり、
変化も無く果てしなく続いて行く日々に耐えられなくなり、
ついには人々は終わり(=死)を再び願う事になるだろう。
古今東西、自然の中に美と静寂と調和を見いだし、
俗世を捨てて田園の人となる人は多いが、
生き物が生き物を殺すことでしか生きられないこの世界のどこに、
どんな調和や美しさ、真実の静寂があるといのだろか。
私たちの住む世界は、殺生を根本的に否定出来ない世界、
何らかの理由、目的によっては人を殺しても構わないという暗黙の了解の世界である。
責任能力という考え方は、その点を巧みに表現している。
責任能力とは、人を殺した時にその責任を担える力という意味。
本来は人を殺して取りうる責任など存在しないはずが、
この考え方は逆説的には、責任を負う覚悟を決めた人間(国家)は
人を殺しても構わないという構図を生み出している。
責任(法的制裁)を負う覚悟もなしに行われた殺人は「ちゃんとした殺人」と見なされず、
刑罰を与えられることがない。
極端にいえば偶発的に起こってしまった、天災のたぐいの1つのように扱われているのが現状。
愛とは、死すべき運命を背負わされた全部の生き物への憐憫、
死すべき私たちへの小さな励まし。
だからこそどんな人間や生物にも平等に注がれる。
私たちにできるのは自分を、そして他人を哀れみ同情することだけだ。
その哀れみの心を私たち全員が持ち続ける事ができるなら、
この世界の過剰な残酷さの何割かはたちどころに消滅するだろう。
人や自分を哀れむ心があれば、どうして私たちは互いに殺し合うことができるだろう。
因果応報や神の存在、天国と地獄のような、確認しようも無ければ
検証するにつれほころびの見える考え方にすがるのではなく、
不備だらけの法や政治に無関心に任せるのでもなく、
(これらは何からもあなたを守ってはくれない)
家族や自国などの限定された存在への愛情や理解や承認が、
私たちをいかに臆病にし、我が儘にし、それらがいかに無益なものかをもっと自覚しなければならない。
それらを削ぎ落とした先に、あなたがあなたの中にある真実の哀れみをよみがえらせるだけで
この世界に仕組まれた憎むべきプログラムー
貧困、暴力、戦争、差別、迫害、狂信などが無力化できることを
あなたはもっと強く自覚しなくてはならない。
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もう死んでしまった知人がこの世に密かに残した手記を発表する体をとった作品。
生きていく為に日常的に動物や植物を殺していることを意識すると
生かされている自分の生がくっきりと感じられる。
そして自分もまたいつか死んでいくものだと自覚を強める。
そういう意識は、都会での生活のなかでは希薄になる一方だ。
家族愛までも否定されることに違和感を覚えるけれど、
確かに限定的な愛というものが全ての争いの発端であることは間違いない。
(ある日知人のカメラマンが、
「自分の子供を守る為なら戦争にだって行く」と発言したことを思い出す)
話が飛んでしまうが、
この本とロイ・アンダーソンの「愛おしき隣人」が言っていることは
根本では同じだ、と思った。
ごく普通の人々がささやかな欲望、希望を描いて生きている。
若い人も、年老いた人も、幸せなカップルも、そうでない人も。
彼らを覆う空には死の象徴の戦闘機が向かっている。
どんな悩みや欲望を持って生きても、命は有る日突然奪われる。
だからこそ愛おしく感じられる。
…そんなことを考えるきっかけになった作品の1つ。
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死ってなんだろう、って考え続けた日々もあったから。
だからこのひとの見ている世界には共感するところも多い。
でも疲れるのは、彼の書くキャラクターが毎度のように他を排除するから。
「生きる意味とは何か」「死とは何か」
重々しく突きつけてくる、頑固なおじさま。という、印象。
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現代版「人間失格」と呼ばれているこの作品。
その題名と、表紙の険しい顔からなんだか鬱々としたものを感じる。
一度気になる作家さんが出てくると
私はその人の作品を手当たり次第に読んでみたくなるのだけれども
今は白石一文さんがその一人。
これは小説というか、なんというのだろう、
ある意味、架空の人物を通して作られたエッセイとでもいうのかな。
でも、エッセイというかもっと哲学書みたいな感じ。
とにかく何度も語りかけられる
「私たちは何のために生きているのか」という問い掛け。
最後まで読んだところで、それに対する答えは出てこない。
悶々と語りかけられる疑問に考えを沈ませる。
小説として読むと期待を裏切られるし、
正直面白くないので、小説という概念を捨ててから読んだ方がいいと思う。
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P136
私たち家族は、他に何もできないゆえにハチを心から愛したのだった。
・・・私たちはハチの一生に一体どんな意味があるのか最後まで
分からなかったが、分からないからこそ彼をただただ可愛がったのである。
私は思う。愛とは本来そうしたものでなくてはならないのだと。
この人生の意味も目的も知らず生きていく自分、同様に生きている他の
人々や動物たち。存在する意味も目的も持たない相手(自分自身も含む)に
大して私たちができることは二つしかない。一つは黙殺すること。そして
もう一つはただ愛することだ。
P138
愛とは、他に何もできることのない私たちが、ハチに向かってそうしたように
行うささやかなものでしかない。密やかで力なく、日常的なものである。
ほんとうの愛とは、死すべき運命を背負わされた全部の生き物への憐憫である。
それがすべての愛の源流である。愛は死すべき私たちへの小さな励ましなのだ。
だからこそ愛は、どんな人間や生物にも平等に注がれる。
●人間はこんな愛情を持ちうるのだろうか。ハチを愛したのは、それが身近な
存在だったからではないのか。遠くの死ぬゆく人を哀れんだところで、
それがいったい何だというのだろうか。
●この世の醜悪さに目を向けている人がどれほどいるだろうか。
そして私という存在は醜悪な本性によって形成されているのだ。
このことを認めて生きていくのは苦痛でしかない。
だから、心の中では薄々感じていながらも目を背けて生きているのだろう。
●この世のシステムがそもそも悪意に満ちているという視点は斬新だった。
恐らく総ての人に『善く生きたい』という考えはあるはずなのに、一向に善いものにならない。
他人を殺し、自ら死に、騙し、脅し、快楽に溺れ、自己愛を追求する。
そもそも世界のシステムに問題があるのは間違いない。
読了日:2010/05/19
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人の命とは何たるか。
人の命がどれだけ無駄か、
人として生きるのがどれだけ苦痛か
そんなことを1冊、長々と書き連ねていると言う。
人を築き上げないタイプの本^^
嫌いじゃないw